#2.銀さんにとっての特別
 
月明かりは弱い。
それでも微かに明るく感じるのはもう夜明けが近いから。

店長は心配してくれたけど、この時間から何か起きたりはしないだろう。
怖くないと言えば嘘になるけれど、私は巻き込まれたりしないという漠然とした余裕は人間なら皆持ってるんじゃないのかな。
…一応、大通りを歩くように努めているけど。

道の端に散らばるゴミや吐瀉物を横目で見ながら、ふとかぶき町のことを思い出した。
(もっとごちゃごちゃしてるんだろうなぁ…。)
せっかく今日は休みなんだし、ちょっとだけかぶき町まで行ってみようかな?
あんまり遅い時間に奥まで行ったりしない限りは大丈夫だろうし。
もしかしたら、…銀さんに会えるかもしれないし。
それじゃストーカーみたいだなと小さく自嘲して、ふいに足元に視線を落とした時だった。

「…………え?」
最初は"それ"が何か分からなかった。
地面に落ちた雨の跡に似た形。
ただし、その色は赤黒い。
(これ……。)
そのまま視線だけをあげて横を向くと、壁にも同じ色の何かがぶつかったような跡があった。
昨日、酔っぱらい同士が殴り合いの喧嘩でもしたんだろうか。
(それにしたって、こんなに流血するもの?)
まるで、刀か何か刃物のような物で斬られたみたいな…。
背筋を冷たいものが這い上がってくる。

もしかしたら。
辻斬り、昨日も起きたのかもしれない。
警察が見廻り強化してるっていうのはテレビでもやっていたから、犯人だって昨晩くらいは大人しくしているのかと思ってた。
(赤い跡…、壁を伝ってそのまま角を曲がったみたい…。)
心臓がドキドキと嫌な早さで暴れている。
この向こうは、まさに路地裏だ。

きっと、近付かないのが正解だった。
それは今でもそう思うし、あの時もそう思った。
でも、それ以上に。
この先に何があるのかを確認しなければいけない、そんな無謀な使命感が私を突き動かした。
何もなければ一番良い。
私の勘違いや不気味な出来事で片付けられるから。
辻斬りの犯人がいるかもしれないのは怖い。
でも手負いなら警察に通報するチャンスだ。
何より、巻き込まれただけの被害者がいるのなら、早く見付けてあげないと。

精一杯、息や足音、気配を消して路地裏に立ち入る。
…もちろん気配の消し方なんて知らないけれど。
街灯や月明かりからも隔離されたこの場所は、より一段と暗く感じる。
そして、見つけた。
(誰か、いる…!)
私の杞憂で終ることを願っていたが、それは叶わないようだ。
いるのは一人。
どうやら倒れていて、今のところ意識が無いように見える。
その人が突然目を覚ましても、なるべく私が視界に入らない位置を保ちながら近付くと、帯刀していないのが分かった。
…というより、女性?
確か、辻斬りは金銭目当てだって聞いているから、この人は運悪く狙われてしまったのかもしれない。
(廃刀令が出ていて尚、帯刀しているくせに、…こんなの許せない。)
刀が侍の魂だなんて、そんな想いで刀を握っている人はまだいるんだろうか。
女性に近付いて、その体に上着を掛けてあげなくちゃと思ったのは、何故かチャイナ服で寒そうだったから。
綺麗な長い黒髪には血が付いて乾いたからなのか、不自然に絡まってしまっている。

「あの、…だ、大丈夫ですか…?」
恐る恐る声を掛けてみたが反応は無い。
弱々しく聞こえる呼吸音のおかげで死んではいないことに安堵した。
「待ってて下さい、今すぐ救急車を…、」
鞄から携帯を取り出し、電話を掛けようとした瞬間、私の手から携帯が弾かれ地面に落ちた。
「…え?」
「………やめ、……、」
呻くように絞り出されたその声は、私のすぐ横から聞こえた。
どうやら彼女は意識を取り戻したらしい。
冷たく睨むような視線に、私は動揺した。
「だ、だって、怪我…!ほっといたら…、」
「…………。」
返事が返ってこない。
開かれた瞳はゆっくりと閉じられて、また意識を沈ませてしまったのだと思った。
私は少し離れたところに飛ばされた携帯を拾い、救急車を呼ぶ為の番号をを打ち込む。
…もう抗議の声はあがらない。
「よ、呼びますからね…?」
そう聞いても当然反応なんて無くて、苦しそうな彼女を助ける為なのに、私は何故か罪悪感を感じ始めていた。
(救急車を呼ばれると困るのかな…。)
考えたくはないけど、もしかして辻斬り側の人だったりするんだろうか。
でも、刀は持っていない。
「………。………もしもし?タクシーお願いしたいんですけど…。」
私は救急車を呼ぶのを止めて、タクシーを呼ぶことにした。

「すみません。友達が飲み会ではしゃぎすぎてこんなザマで…。」
「何だか怪我してるみたいだけど、救急車じゃなくて良かったのかい?」
「…あはは。病院苦手なんですよ、彼女。」
何とか嘘を並べながらタクシーに乗り込む。
女性は美人で背が高くてスラッとしていて、もしかしたらモデルさんかコンパニオンなのかもしれない。
…それなら、こんな服装なのもちょっと納得できる。
流れていた血は、タクシーが来るまでに拭いて綺麗にしてあげた。
といっても、もうすっかり乾いている様子だったから、随分長いこと倒れていたのかもしれない。
私の上着も貸してあげたから、タクシーの中もそんなに汚れなくて済むだろう。
眠っている彼女に肩を貸してあげる。
じわりと伝わってくる、その体温の温かさに少しだけ安心した。
(私、どうして見ず知らずの人にこんなことしてるんだろう…。)
もともとそういう性分でもないはずなのに。
ふとそんなことを考えて、思い当たるのはたった一つ。
(きっと、銀さんだったら…同じことをしたはず。)
銀さんの優しさに感化されたなんて単純だけれど、私の言動を変えてしまうほど、私の中の銀さんの存在は大きいみたいだ。
(銀さん、褒めてくれるかな…。会いたいなぁ。)
…なんて。
自分の欲は一旦置こう。
彼女を助けるのが先なのだから。

「ありがとうございましたー。」
特にあれから事情を聞いてこなかったタクシーの運転手にお礼を言いながら車から降りた。
実際は彼女の乗り降りは全て運転手に手伝ってもらった。
なので、私一人になると運ぶのは結構大変だ。
無理矢理に背負うように彼女を運んだのは、病院ではなくて私の家。
訳ありのようだし、きちんと話を聞いてみて、それからどうするか考えようと思った。
床に寝かせるわけにもいかなくて、私は押し入れから敷き布団を持ってきた。
長いことしまっていたから決してふかふかとは言えないけど、さすがに見ず知らずの人を自分の布団には寝かせられない。
(…まぁ、最低でも着替えてからにしてもらわないとね。)
勝手に着替えさせるのは何だか申し訳なかったし、せめてもと首元だけ緩めてあげた。
しばらく様子を見ていたけど、なかなか目を覚ましそうにない。
「やっぱり、無理にでも病院に連れて行けば良かったかな…。」
最初から医学の知識があるわけでもない私がどうにか出来るなんて思ってもいないけれど。
それでも何かしてあげたくて、私はお湯に浸したタオルを持ってきて血や土で汚れた髪や体を拭いてあげた。
本当はさらさらなんだろうなと分かる黒髪を見ながら、銀さんとは色も髪質も真逆だな、と思った。
…銀さんの髪はどんな触り心地なんだろう、なんて。
(不謹慎かな、こんな状況で。)
頭を切り替えようと、自分の部屋に戻って櫛を持ってきて女性の毛先を梳く。
意識が戻ったらちゃんと洗ってあげたいな…。

一頻り今できることを全部やって、後は…薬とか揃えないといけないかなと思い立つ。
うちにあるのはせいぜい絆創膏とか風邪薬くらいで、消毒液や包帯は置いていない。
さすがに薬屋さんに行く必要があるだろう。
「…ちょっと出掛けてきますね。」
聞こえていないと分かりつつも、私は彼女にそう告げて家を出た。


時刻は間もなくお昼。
今考えたら、知らない人を家に残して出掛けるなんて不用心にも程があるけど、あの体では動くのも困難だろう。
ならばと、私はなるべく手早く買い物を済ませ、家路を急ぐ。
と、ちょうど大通りに出た時だった。
「銀、さん…?」
遠くからでもすぐに目に飛び込んでくる銀色の髪。
甘味処以外で会うことなんて今まで無かったから、新鮮というより少し緊張する。
でも、それ以上に休みの日なのに会えたことが嬉しくて。
その背中に駆け寄り、名前を呼ぼうとした時だった。
「銀ーっ!」
「うぉっ!?」
大通りにあるお店から女の人が駆け出してきて、そのまま銀さんに抱き付いた。
それを驚きながらも優しく抱き留めた銀さんを見て、私の足は動かなくなった。
もう呼び掛けようとは思わなかったけれど、きっと声の出し方も分からなくなってる。
(友達…?でも、それにしたって…。)
二人の距離があまりにも近すぎて、目眩がする。
女性は進んで腕にぴたりとくっついて、銀さんを見上げて…目を閉じた。
今からの数秒はきっと見るべきじゃないと本能的に察知しているのに、全てが手遅れ。
銀さんは困ったように眉を下げながらも、優しくその額にキスを落とした。
「……そこじゃないんだけど。」
「分かってますゥー。お前こそ、外で簡単にそういう顔すンのやめなさい。銀さん、狼になるかもしンねェぞォ?」
「もー…。ね、早く帰ってケーキ食べよっ。」
「おぅ。」
幸せそうに私と逆方向に歩いていく二人を、まるでテレビを見てるようだなんてやけに冷静に思った。

可愛い人だった。
年は私と同じか、少し下かもしれない。
着ている着物もとても派手なのに、決して嫌味な感じじゃない。
何より、…銀さんに真っ直ぐ好意を向けられるのが羨ましかった。
あの人は、私の知らない銀さんをたくさん知っているんだろう。
(彼女、だよね…。)
その存在を考えないほど、私の頭はおめでたくはない。
私がこんなに銀さんのこと好きなんだもん。
他にも銀さんのことが好きな女の子は絶対いる。ううん、いた。
あの子は自分で想いを伝えたのだろうか。
それとも、銀さんから告白したんだろうか。
(本当にあるんだなぁ…。告白する前にフラれるってこと。)
ズキリと痛む胸も、今だけやり過ごせればいい。
仕方ないじゃない。
…どうしようもないもの。
銀さんにとってあの子は特別なんだから。
誰彼構わず手を出すような最低な人じゃないと思ってるから。
だって、昨晩は本当に優しかったもの。
私には興味が無かっただけなのかもしれないけれど。
「…っ、…やだなぁ。…ほんと、やだ私、」
仕方ないって分かってる、知ってる、理解してる。
それでも。
「わたし、銀さんの、…"特別"に、なりたかっ……、」
必死に堪えていたものが両目から溢れてくる。
外だから声をあげて泣くわけにはいかない。
私は少しだけ路地裏に体を向けて、涙が治まるのを待った。


「ただいまー…。」
散々な休日になったな、なんて思いながらの帰宅。
なかなか涙が止まってくれなかったから、予定より戻るのが遅くなってしまった。
まだ完全には割り切れないけれど、少しは気分も落ち着いた。
確かに私は銀さんにとっての特別にはなれなかったけれど、私にとって銀さんが特別なのは事実。
この気持ちは苦しくて辛いけど、出会えて幸せだと思った瞬間はたくさんある。
それならば、その幸せを嘘や無かったことにしたくない。
幸い銀さんは私の気持ちなんて知らない。
だからきっと、今までと変わらずに常連さんでいてくれるはず。
伝えなければ、私が銀さんを一人勝手に想い続ける事は許されるよね?
(相手に嫉妬してないと言えば嘘になるけど、今はそう思い込むだけで精一杯だ…。)

溜め息を吐きながら、履き物を脱いで漸く気付く。
「あれ…?……え!?」
いない。
布団でぐったりしていたはずの彼女は姿を消していた。
一人で運ぶのが困難だったから玄関と自室の間に寝かせていたのだけど。
奥の部屋に入ったのかと思い、自室を覗くが誰もいない。
「あの手負いで、どこに…、」
「動くな。」
背後から現れた何者かに腕を掴まれ、捻るように自分の背中に縫い留められた。
「いッ、…!」
ミシミシと骨の音が聞こえてきそう。
私の後ろに立っているのは声から察するに男の人だ。
一体いつの間に忍び込んだのだろう。
辻斬りが頻発しているくらいだ、空き巣だって珍しくない。
(本当に、最低の一日…。)
なんで私ばっかり。
抵抗しても無駄だと悟り、私は抗う為の腕の力を抜いた。
こうなれば、金銭でも下着でも言われた物を渡して助かることを最優先するべきだ。
ああでも襲われて殺されてしまうかもしれない。
それなら、やっぱり銀さんに気持ちを伝えれば良かったな。
この好きという気持ちは、私の中で芽を出さないまま枯れて、誰にも知られない。
伝えた結果、銀さんと結ばれないとしても、多分言うことに意味があって…。
そんなことを考えていたら、またじわりと涙が溢れてきた。
(銀さんへの想いを、そんなにすぐには断ち切れないよね…。)
いつか告白できたら良いなぁ、なんて思ってた。
こんなに私の心をボロボロにするのに、思い出せる銀さんはやっぱり輝いていて眩しい。

好き。
好きです。
大好き。
大好き、でした。
私、自分が思っていた以上に銀さんの事、好きだったみたい。
またお店で会う時、私は変わらず笑えるだろうか。
ううん、生きてまた会えるのかな。

一向に私を解放してくれない背後の男は、私に抵抗の意思が無いことに気付くと漸く私から手を離した。


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