#19."土方さんに取り入ろうとしている不審な女"
 
「も、…もう無理です。」
「あァ?まだこれからだろうが。」
あぁ、前にもこんなやり取りしたなぁと、遠のきかける意識で思った。
…土方さんの横でひたすら書類の清書、清書、清書。
(腕が死にそう…。)
もう外は真っ暗、雨もずっと降っている。
私はというと、かれこれ四時間は休まずに書類を書き続けていた。
厄介なのはただの清書じゃなくて、めちゃくちゃに書き殴られた文章達を正す行程が必要で、頭も腕も休む暇が無いことだった。
報告書の体裁を保ってないそれの提出者はほとんど沖田総悟と書かれているのだけど。

「…はぁ、……。」
ちょっと一息入れようと思って、少し前に鉄さんが持ってきてくれたお茶に手を伸ばす。
そして湯飲みを持ち上げた途端、
「あつッ…!!」
手に力が入らず握力を失っていた事を忘れて、そのまま湯飲みを落としてしまった。
「馬鹿、何やってンだ!!」
「す、すみません!書類は無事です!畳はすぐ拭きます!!」
「いいから今すぐ立て!」
唸るような低い声に恐怖して足が動かない。
(まさか初日からこんなに怒られるなんて思わなかった!)
先に立ち上がったのは土方さんで、座ったままの私を持ち上げて肩に担いだ。
「っ!?や、土方さん…っ!?」
「黙ってろ二次災害起こすぞ。」
そう言って土方さんは迷いなく廊下をずんずん歩いていく。
一体どこに向かっているんだろう。
まさか、ミスした私をボコボコにするつもりなんじゃ…。
有り得る…だって、鬼の副長だし…!

「ひ、土方さん、ごめんなさい、私、」
「あーら!どうしたの副長さん!…あらやだ、その子は?」
「おう、おばちゃん。流し借りるぞ。」
土方さんの肩越しに確認すると、どうやらここは食堂で、話しているのは食堂のおばちゃんらしい。
流し台の前で私を肩から下ろすと右手を掴み上げられて、そのまま蛇口から勢いよく流れる水に突っ込まれた。
「土方さん…!?」
「火傷は早く冷やさないと痕になる事もあンだぞ。後で痛んで辛いのはお前なんだからな。」
(もしかして、私のこと心配してくれたの…?)
ちらりと土方さんの顔を覗き見ると、ただただ無表情で怒りも心配も見付けられなかった。
火傷した場所より、土方さんに捕まれたままの手首の方が熱を持って、私は流れ落ちていく水を見つめることしか出来なかった。

「…初日から、申し訳ございませんでした。」
土方さんの部屋に戻り、私は倒れたままだった湯飲みを拾い上げながら謝った。
溢れたお茶は畳が吸い込んでしまって、しっとり濡れている。
…染みにならなければ良いけど。
「いや、初日から飛ばし過ぎたのも悪かったな。今日は総悟がずっと外回りだから、出来る分は今日中に済ませたかったンだよ。…あ、沖田総悟な。名前くらいは知ってンだろ?」
「見廻りとは違うんですか?ローテーションで回してるんだと思ってましたけど。」
「…最近、攘夷浪士共が不穏な動きをしててな。調べさせてるところだ。」
不穏な動き…?
その言葉が喉元で止まった。
…危なかった、だってこれは。
「誘導尋問のつもりですか?その情報を私に言って、私がどう反応するか見るつもりなんでしょう?」
「…くっ、はははは!なるほど、最初に苛め過ぎたな、これは。そうな、誘導尋問かもしれねェよな。」
私の答えが意外だったのか、土方さんは無邪気に笑う。
「今のはあれだ、"反抗期の部下がいる"ってだけの話だ。お前も人を疑うことを覚えたってのは成長なのかもしンねェけど、」
笑うのを止めて、土方さんは終えた書類を片付けながら続けて言った。
「まァ…、今の反応でいくつか分かっちまった事もある。疑うのは自由だが、騙すのはもっと上手くなった方が良いみてェだな。」
「っ、」
いくつか分かった事、って何なんだろう。
土方さんは、何を知っていて何を知らないんだろう。
じっと土方さんを見つめていると、その視線に気付いたのかこちらに顔を向けた。
…どうしよう、何て言い逃れる?
それとも変に取り繕う方が余計に怪しい?

そんな時だ。
本日二回目のデジャブ。
…私のお腹が鳴った。
(何で静寂になった途端に鳴るの!!?)
でも仕方ない、時間としては夕飯時だもの…。
お昼あんまり食べてないし、今日はがっつり仕事になるとは思ってなかったし…。

土方さんは、私のお腹の音を聞いて何か言いたげな目をしたけど、隊服の上着を手に取ってから言った。
「……飯食いに行くか。ちょっと付き合え。」
「え、でも、まだ書類が…。」
「今日一日で終わるわけねェだろうが。残りは明日だ。…ほら、行くぞ。」
有無を言わさずに土方さんは私の鞄を持ち上げ、反対の手で私の肩を抱いて部屋の外へ出した。
「残業代は出ねェけど、臨時ボーナスは出してやるよ。」
「臨時ボーナス??」
あ、もしかして奢ってくれるって意味なのかな?
いや、でも、こないだも奢ってもらったばかりなのに、毎回毎回はあまりにも失礼になるんじゃ…?
そう思いながら、土方さんに導かれるまま横を歩く。
私は突然のことに驚いてしまって言葉が紡げない。
そうして玄関のところまで来て、土方さんはある事に気付いてピタリと足を止めた。
「おま…、何でそれ持ったままなんだよ。」
「あ…。」
私は拾い上げた湯飲みを握り締めたままだった。
「…ちょっとそこで待ってろ。」
そう言うと、土方さんは私の手から湯飲みを奪い取り、代わりに鞄を私に押し付けると、もと来た道を引き返して行った。
急に解放されて、私は無意識にほっと息を吐く。
…土方さんは、私をどうしたいんだろう。
疑わしいから監視下に置いて、でも、小さな火傷程度をあんなに心配してくれた。
もちろん、今は部下だと言うこともあるだろうし、そもそも、本当に心配されていたんだろうか。
それでも、私にはあの行動は優しさにしか感じられなかった。

土方さんが立ち去って、ほぼ入れ違いに玄関の扉が開いた。
戻ってきた隊士さんだろうと思って、私は頭を下げて挨拶をする。
「お仕事、お疲れ様です。」
真選組のことだ、仕事内容によっては人を殺している。
(私、心にも無いこと言えるようになったんだな…。)
相手の反応が無いことを不思議に思って頭を上げると、そこには。
「…熱烈に玄関先でお出迎えとは、疲れも吹っ飛びまさァ。」
「っ、総…!」
その名前を呼ぶより先に、総悟さんに距離を詰められる。
鼻先がぶつかりそうな、そんな距離。
思わず呼吸するのも忘れていると、総悟さんは私の顔をまじまじと見た後、漸く離れてくれた。
「今日はまともな顔してんですねィ。初めて会った時は相当ブサイクだったのが懐かしいや。」
意地悪そうに笑う総悟さんを見て、悪寒が走る。
あの日、あの場所で、文書とメモを落としたのならば。
彼には私が"土方さんに取り入ろうとしている不審な女"に見えるに違いない。
「……。」
「そう怯えるもんじゃねェや。今朝の会議では何の事かと思ったが、なるほど、土方専属ってそういう事かィ。」
総悟さんに見透かされている気がして、居心地が悪い。
「屯所の外にいても話題が耳に入って来やしたぜ。何せ、新人が土方さんに禁煙させたらしいってんで。十中八九アンタだと思ってやしたが、…またどんな魔法を使ったんでィ?」
どうやらまた大袈裟になって噂が広がっているらしい。
土方さんが一瞬、喫煙を止めてくれたのは本当だけど、それは飴があるうちと、私に気を使ってくれたからであって、即ちそれが禁煙だとは当然言えない。
「あ、あめ…。」
「雨?」
怪訝そうに首を傾げる総悟さんに、私は飴を突き渡した。
「た、煙草の代わりに、って…。」
総悟さんは私の手に握られた飴を一つ掴むと包みを開けながら言う。
「アンタに貰った飴食って煙草吸うの止めたって事ですかィ?」
「そうです、他には何も、…ふ、んんっ!?」
「だーかーらァ。それが魔法だって言ってんでさァ。」
包みから出された飴を、総悟さんに口の中に捩じ込まれた。
指ごと突っ込まれてしまって噎せそうになる。
既に濡れている指先からは未だ降る雨の匂い。
総悟さんの腕を掴んで引き剥がそうとするも、やはり力では敵わない。
「んっ、…んん、」
「得体の知れねー女が差し出した物を食うわけねェだろうが。まさか自分が間者だってバレてねェつもりなんですかい?…それとも、土方さんはそれにも気付けねェくらい間抜けなのか。」
掌で私の顎を固定して、指先で口の中の飴を遊ぶように転がす総悟さんの声はどこか愉快そうで、私はされるがままになっていた。
「そ、う……っ、」
「あぁ、知ってると思うけど、土方さんが書いた文も"あのメモ"も俺が預かってやす。…なァ、誰に復讐しに来た?モブか?俺か?土方さんなら構わねェが、…万が一近藤さんだったりしたら、ここで殺すぞ。」
ギラリと光る、殺意を剥き出しにした目。
飴がカツンと総悟さんの指に弾かれ奥歯で止まるが、私の口に突っ込まれたままの指は私の舌に爪を立てた。
「ッい、…!」
「それとも、アンタ個人の恨みじゃなく、攘夷浪士共が差し向けた密偵か何かか?……言えよ。じゃないと、」
私の口の端から総悟さんの指に唾液が伝うのを感覚で悟った。
それなのに、口の中がカラカラに乾いたみたいに声が出ない。
だから、私は何も言えなくて。
いや、声が出せたところで何が言える?
総悟さんは私が真選組に害があると確信しているんだから。
このまま総悟さんに殺されるかもしれないのが怖くて、悔しくて。
その気持ちに、私は内心嘲笑していた。
(…悔しい?…悔しいよ。だって私は、また…。)
私は"また"頭の片隅で土方さんに助けを求めている。
土方さんは総悟さんの味方であって、私の味方じゃない。
分かってる、分かってるのに。

「真弓?」
遠くから呼ばれたその声に。
「ひじ、…た、…さ…。」
こんなにも。
こんなにも安心してしまうのは、どうして。
(この気持ちは偽りなんだ、偽りじゃなきゃいけないのに。)
この人をこれ以上好きになってしまってはいけないと分かっているのに。
「…ぅ、…うぅ…、」
涙が溢れてくる。
安心して泣くだなんて、一体いつ以来なのか分からない。

土方さんが私達に近付くより早く、総悟さんは舌打ちしながらも私を解放した。
「悪運の強ェ奴…。」
総悟さんはそう言って私の唾液が伝った指先をぺろりと舐めた。
その行為に私はただただ目を丸くして言葉を失う。
固まった私の横に、今のやり取りを知らない土方さんが戻ってきた。
「んぁ?総悟、戻ってたのか。」
「こんな悪天候で屋外業務とか、土方さんは本当に鬼でさァ。…で、コイツは?」
まるで初めて会ったかのように振る舞う総悟さんに、私は動揺が隠せない。
土方さんに気付かれないように、私は袖で乱暴に涙を拭った。
「あぁ、朝の定例会議でも言ったが、今日付けで副長秘書になった真弓だ。主には事務作業をさせている。…テメェの出した適当な報告書の直しとかな。」
「へー、そいつぁ失礼しやした。今度何か礼でもしねェといけやせんねェ…。」
浅く笑って総悟さんは私を見据えた。
今の言葉ひとつで、総悟さんは土方さんに違和感を抱かせずに私に接触できる権利を得た。
「それよりも礼をしなくて済む報告書を書きやがれ。…ったく、行くぞ。」
土方さんはまた私の鞄を引ったくるように持つと、背中を押して履き物を履くように促した。
「はい…。」
私はなるべく俯いて総悟さんの顔を見ないように玄関を出る。
「…土方さーん。」
わざと間延びさせた総悟さんの声。
「アンタら、ただの上司と部下じゃねェでしょう?…本当はどういう関係なんですかァ?」
「…………少なくとも、テメェが考えてるような関係じゃねェよ。」
土方さんは少し間を置いてからそう答えて、玄関の扉を閉めた。
「…だったら、何でソイツにそんなに構うんでィ。」
ぽつりと呟いた総悟さんの言葉は誰にも拾われず、雨音に消えた。


「何話してた?」
「…え?」
雨の降る夜道を並びながら歩いていると、ふいに土方さんが私に話し掛けた。
「…総悟に何か言われたンだろ?」
「どうして…。」
「ンな顔してて、誤魔化せてるつもりなのかよ。」
結局、泣いて赤くなった目を隠し通すことは出来なかったようだ。
「えぇと…、私、たぶん失礼なことしたんです…。」
「アイツの言う事は気にすンな。あれに口で勝てる奴なんざそうそういねェよ。」
(慰めてくれてるんだ…。)
鬼だなんて嘘だ、土方さんはいつだって私の心配をしてくれている。
だから、私は言わなくても良いことを聞いてしまった。
「…土方さんは、何で、飴食べてくれたんですか?」
「あ?それはお前が煙草の代わりにって叩きつけたからだろうが。今さら返せっつっても、もう無ェぞ。」
そう、土方さんは私が渡した飴、全て食べてしまったのだ。
…総悟さんが言う通り"得体の知れない女"が渡した飴を。
「土方さんこそ…、」
「? 何だ?」

土方さんこそ、もっと人を疑った方が良い、なんて。
思っても、流石に言葉には出来なかった。


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