#16. ただの女として出会っていたら
 
土方さんが私を抱き締めて背中を撫でてくれている。
もう、どれくらいそうしていたのだろう。
私より一回りは大きい手が気持ち良い。
私は安堵と緊張が混じった、矛盾の溜め息を吐いた。
「…話の続きをしても良いか?」
耳元で囁かれた声は、なるべく優しくと意識されたものだと気付く。
「っ、はぃ…、」
私の声は引っくり返ったけど、土方さんは気に留めずに私の顔を覗き込んだ。
「…と、まぁ、さっきの話を前提として、真弓に頼みたい事がある。むしろ、こっちが本題だから良く聞け。」
「……、」

ごくりと喉が鳴る。
本題。
私の処遇だろうか…。
可能なら、なるべく苦しくなく一思いに殺して欲しい。
…いや、それよりも。
父が殺された理由、父を殺した人物を教えて欲しい。
それを知らないままでは、私は死ねない。


「真弓、お前を真選組副長秘書として迎えたい。」


「…………へ?」
「勿論、給料も支払う。…まぁ、斡旋所と比べられちゃ困るけどな。」
自嘲気味に笑う土方さんの言葉が、私には理解出来ない。
土方さんは何を言ってるんだろう。
真選組副長秘書?私が?
「…なん、で……。」
「お前にとっちゃ願ってもない申し出だと思うが、……違うか?」
「っ!それは、」
待って、混乱して上手く頭が働かない。
土方さんの真意は何?
(考えろ、私。)
ここまで正体を追い詰められて、甘いだけの話なんてある訳がない。
「ンだよ、その顔。…くはっ、顔に出るのは相変わらずだな。」
今日初めて見る土方さんの本当に笑った顔。
どれだけ土方さんに恐怖や不信感を募らせていても胸が高鳴ったのは、もう自分自身誤魔化せない。
「わ、私、…あの、さっき土方さんが、その、…言った通り、で…!…っ、」
「バーカ、まとめてから喋れ。…ま、言いたい事は分かってっけどな。」
そう言いながら、土方さんが私に触れていた腕を退けた。
「この話のメリットを挙げてやろうか。まず、お前が"仕方なく"やっている斡旋所を辞めても真選組に出入り出来る。」
「!」
辞めれる…斡旋所を…。
ほっとしたという事は、やっぱり私は無理してたんだなと思う。
続けられていたのは、それしか選択肢が無かったから。
「事務作業メインで色々手伝ってもらう事になると思うが、運が良けりゃ欲しい情報が手に入るかもしれねェぞ?他隊士を経由する手間がカット出来る上に、俺の秘書って肩書きがありゃ妙な手も出されねェ。」
「………っ。」
土方さんが提案してくれる言葉は、私に都合が良すぎる。

だからこそ、鵜呑みにしてはいけない。

「…聞いても良いですか?」
「何だ、給料や休暇についてか?」
やっぱり、私が気付かなければこの人は言う気が無いんだ。
ずるい、ずるいですよ…土方さん…。

「…勿論、デメリットについて。」
私がそう言うと土方さんは、流石にそこまで馬鹿じゃねェか、と呟いた。
「そうだな。一言で言えば…、お前は俺の監視下に入る、って事に尽きる。お前の屯所内での行動は全て俺が把握する。」
「!」
「だから、さっきのメリットにも必然的に矛盾が生じる。…お前が欲しいと思う情報や行動が完全に自由とは限らない。」
…それには納得がいく。
この前の書類整理のように、見られても問題無いものと、機密事項のものがあるのは当然理解できる。

何故かは分からないけれど、土方さんは最初から私が斡旋所にいる事を良く思っていないから、私が斡旋所に留まる理由を汲んだ上で今回の提案なのだろう。
正直に言えば、この条件は首を縦に振る以外の答えが思い付かない。
メリットとデメリットを確認しても尚、私には願ってもない話なのだから。
だから…忘れちゃいけない。

"前提として"の話が大きな意味を持つことを。

「何で、私なんですか?前提がそもそもおかしくはありませんか?」
土方さんは気付いていない。
私が真選組に求めているのは情報じゃない。
父を殺した隊士を暴いて復讐することだって。
「…ンだよ。それじゃまるで"今すぐに斬ってくれ"って言ってるようなもんだぞ?つーか、それを望んで俺等に近付いた訳じゃねェだろ。……それでも殺して欲しいなら、殺してやるよ。」
「ッ!」
最後の言葉だけ声の低さが変わって、思わず呼吸が止まった。
土方さんの刀は向かいの席にあるけれど、一般の女一人なら素手で簡単に殺せるだろう。
綺麗なのに鮮やかではない深い蒼の瞳に映っているのは私で、今更ながら距離の近さに驚いた。
「……くくっ、悪ィ。わざと意地の悪ィ事言ってみただけだ。ま、単純に考えりゃ"その前提"は有り得ねーよなァ。」
土方さんはポンポンと私の頭に手をやってから立ち上がって、もとの向かいの席へ戻った。
「ま、食え。とりあえず、俺の用件はそれで終ェだ。返事は今すぐで無くていい…。気長に待ってやるつもりはねェがな。」
土方さんは再び料理に箸をつける。
…でも、それが煮物なのか漬け物なのかはマヨネーズのせいでまったく分からない。
その様子をぼんやり見ながら、私も箸を握る。
(疑わしい私を、疑惑のまま傍に置くつもりなの?)
正気じゃない。
どこまで気付いているの?
それとも、本当に気付いていないの?
段々、味が分からなくなってきた。
(勿体無い…。)
土方さんはちゃんと味分かってるのかな…。
全部マヨネーズ味だろうけれど。

お互いが無言で食べ進めていると、着信音が鳴る。
私の携帯じゃなくて、土方さんのだ。
「……悪ィ、出ても構わないか?」
「は、はいッ!!構わないです!ど、どうぞ、ごゆっくり!!」
慌ててそう答えると、土方さんは穏やかに笑う。
ただの女として出会っていたら、私はもっと分かりやすくこの人を好きになったに違いなかった。

「もしもし?…どうした総悟?」
「!!」
お仕事の電話だとは思ったけど、まさか総悟さんの名前が出るとは思わなかった。
あの後、総悟さんはどうしたんだろう。
私に会った事を土方さんに伝えたんだろうか…?
「…あァ?近藤さんが居ねェ!?マジかよ、とっつぁんも到着してンだろうが!…チッ、分かったすぐ戻る。隊士全員に捜索させとけ!」
眉間に皺を寄せたまま電話を切ると、落ち着かせる為なのか煙草を一本取り出して火を点けた。
「慌ただしくてすまねェな。」
「い、いえっ!…あの、大変そうですけど大丈夫ですか?」
「あー…、どうにも大丈夫じゃねェな…。お前、書くもん持ってる?」
聞かれて私はすぐに手帳とペンを取り出して土方さんに手渡すと、さらさらと何かが書き込まれる。
「俺はもう戻らなきゃなンねェけど、お前はゆっくりしていけ。後の事は全部ここの女将に伝えとくからよ。」
「土方さん、私、」
「…イエスを期待してっけど、どうするか決めたらここに連絡してくれ。」
戻された手帳には土方さんの名前と電話番号が書かれていた。
「じゃ、"また"な。」
坂田さんが言ってくれた言葉を思い出してしまうその言葉に、すぐ返事が出来なかった。
声を返す代わりに頭を下げる。
襖が閉まる音が聞こえて、私は漸く頭を上げた。

冷えてしまったけれど、お料理はどれも美味しかった。
(お父さんも、連れてきてあげたかったな…。)
そういえば、叔父さんは無事だろうか。
きっとまだ拘束されたままなんじゃないだろうか。
何も言わずにオーナーの指示のまま引っ越してしまったから、連絡のつけようがない。
携帯もこれまたオーナーの指示で解約してしまった。
…もしかしたら、叔父さんが紹介してくれた家には何か連絡が入ってるかもしれない。
(行ってみよう。)
私は女将さんに何度もお辞儀をしてから、久しぶりにあの家に向かった。


「……、ただいま。」
少しの間だったけど、私が過ごした家。
もしここも真選組の手が及んでいたらどうしようかと思ってた。
でもそれは杞憂らしくて安心した。
「大家さんー、いらっしゃいますかー?」
管理人室の扉をノックする。
…返事が返ってこない。
「大家さ…」
「オイ。」
呼ばれた声に振り返ると、見た目がいかにもな男の人達。
攘夷浪士、だ。
「っ、あの、大家さんに用が、あって…!」
きつく睨まれて体が竦む。
真選組とは真逆の志を抱いている人たち。
その迫力に圧倒されて、紡ぐ言葉もつっかえてボロボロになる。
「……おい、コイツ見たことあるぞ。」
「…あぁ、確か…、有村の一人娘じゃなかったか?」
(! この人たち、父の事を知ってる…!)
偽りだらけの生活に身を置くようになって、父を知る人など会う事なんて無かったのに。
「父を…知ってるんですか…!?あの…!わ、私、叔父さんの事が心配で…何か聞いてませんか!?」
必死に訴えると攘夷浪士達はお互いに顔を見合わせて何かをヒソヒソと話し合った。
「知ってどうするんだ?」
「…っ、もし、まだ真選組に冤罪で捕まっているなら、助けたいんです。私は父を殺した真選組を許せない。…もし、彼らのした事が世間的には正義だったとしても、許せないです。」
話しながら目頭が熱くなってきたのが分かる。
すぐに視界が滲んで、思いがぽろぽろと零れ落ちた。
私のそんな様子を見ながら浪士の一人が私の肩に手を置いて言う。
「…有村さんやアンタの叔父さんの事は話には聞いている。俺等も真選組をぶっ潰してェんだ。その為ならどんな手段でも使うが…。内部に侵入して救出するのは、」
「私、なら…。内部に侵入出来ます。叔父さんは、私が助けます。内部情報も、流せるだけ流します…だから、」
そう言うと浪士達は目を丸くしたが、すぐに友好的な笑顔を浮かべてくれた。
「はは…、最初はてっきり通報されんのかと思ってて恐い声出してすまなかったな。アンタも自分の父親を殺した真選組が憎いんだよな。斬る方は俺等に任せろ。何かあれば大家の郵便受けに一報入れておいてくれ。通信機器は足がつく。」
「あ、ありがとうございます!!私頑張ります!!」
頭を下げて、私はアパートを後にした。
攘夷浪士の人達は皆笑顔で送り出してくれた。

私の正体を知った人が私の味方でいてくれる事が、こんなに心強いとは思わなかった。
私は一人じゃない。
女の身で力が及ばないところは助けてもらえる。
…それに、風化しそうな気持ちが崩れずに維持出来た。

真選組は、敵。

それは最初からだし、本当は今も変わらない。
私が弱いから、その気持ちが揺らいでしまっただけ。
もしかしたら、あの気持ちは恋心だったかもしれない。
でも、きっとそれは偶然なんだ。
弱っていたところで優しくされたら、心を開きそうになるのは仕方の無いことなんだから。
「お父さん、叔父さん…待っててね。私は、ちゃんと頑張るから。」
持っていた鞄から携帯を取り出す。
オーナーの番号しか登録されていないそれに、新しく番号を登録する。

"土方十四郎"

登録を終え、さっそくその番号に電話を掛ける。
呼び出し音の一定のリズムより早く鳴る私の心音が耳に煩い。
なかなか応答が無くて改めて掛け直そうかと思った時、やっと通話状態になった。

『…もしもし?』
「っ、土方さん、ですか?あの、先程はご馳走様でした…!あ、真弓です!…分かりますか?」
『……分かンねェ。』
「えっ!?ど、どうしよう…!あの、以前、斡旋所で…、」
何て説明しようかと慌てていると、電話の向こうで喉を震わせて笑う声が聞こえた。
「土方さん…?」
『悪ィ…、まさか本気にするとは思わなくてな…。』
言いながらもおかしそうに笑う土方さんの声を聞くと、…何でだろう、安心する。
『で、どうした?お前は暫く悩むんだと思ってたが、決めたのか?』
余裕のある声は、私がどの選択をしたか分かってるからなんだろう。

土方さんは知らない。
さっきの攘夷浪士とのやり取りを。
ドキドキと煩い心音を落ち着かせるように、小さく深呼吸をした。
「はい。先程のお話、受けさせて下さい。」
『…分かった。そう言ってもらえると助かる。話は通しとくから明日、斡旋所辞めてから一度屯所に来い。』
「よろしくお願い致します…。」
そう告げて電話を切った。

私の願いに一歩近付いた。
絵空事だった夢が、少し形になってきた。

なのに。

嘘を吐いたのはこれが初めてじゃないのに。
土方さんを騙したような、裏切ったような、そんな苦い気持ちになるのはどうして?

こんなに悲しい気持ちになるのは、どうしてなんだろう…。


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