#12.生憎、私は、
 
土方さんの部屋を出て、すぐに捕まらないように足は止めなかった。
本当に御手洗いに行きたかったわけじゃないけれど、顔を洗って一度気持ちのリセットするのは必要かもしれない。
(あ、食堂ってどこなんだろう…。)
私が今まで歩いた廊下沿いに無いなら、もうひとつ奥にあるのかもしれない。

歩いた記憶がない道を選択していくと、襖が全開にされている部屋があった。
部屋には誰もいなかったけど、どうも換気をしているらしい。
(色んな匂いがする…。)
お酒、煙草、香水。

…あぁ、そうか。
ここが、私がずっと辿り着けないでいた大部屋なんだ。
土方さんの部屋から、そんなに遠くもなかった、な。
もちろん中で行われている事が丸聞こえなんて事は無いんだろうけど。

「どうして…。」
どうして私の心はどんどん冷えていくんだろう。
拳を握ると、くしゃりと音がして、さっきの紙を握りしめたままだったのを思い出した。

可能性の話だ。
復讐を成し遂げて、逃げ延びれるとは端から思っていない。
だけど、私が敵討ちをして刺し違える事すら。
それは無謀な夢だったんだ。
だって、復讐者は気付かれた段階で殺されるんだから。
どちらが早いだろう。
気付かれないのと、気付かれるのとは。
殺すのと、殺されるのは。
…考えるまでもない、後者だと思った。

大部屋を通り過ぎて、ふわりと良い匂いがしてきた方に向かって歩く。
食堂では朝御飯の用意が始まっているのか、御味噌汁の優しい匂い。
(お父さんは私の料理、美味しいっていつも言ってくれたな…。)
母がいなくて私が料理を出来る年になるまでは父が作ってくれていたのだけど、不器用な人だからこっちまでハラハラして見ていた記憶がある。
もう戻らない日々を思うのは心を苛むだけなのに。

(御手洗いは…、あった。)
女中さんがしっかり掃除してるからなのか、思ったより綺麗。
「……はは、ひどいかお。」
鏡の前で笑顔を作ってみても歪むばかりで、確かに私は土方さんが言うように顔に出やすいのかもしれない。
手洗い場の蛇口を捻って、その水で顔を洗う。

(冷たい…。……。私、いつの間に、こんな…。)
頭の中が復讐だけじゃなくなってしまった?
風化する、…それは分かってた。
でも、それは今じゃない。
こんなに早いはずじゃなかった。
バッと顔を上げると、濡れたままの私の顔が鏡に写る。
その顔はどんどん歪んで、目が真っ赤になって、涙を流した。
「ばかだ、…私は、馬鹿だ、っぁあ…ッ!!」
鏡を殴り付けても鈍い音がするだけでヒビすら入らない。
―そんな私が、真選組を殺す?
現実を見てから言いなさいよ…っ。
―何で風化した?
あぁあぁ、分かってる、分かってしまった。
だって、最初からおかしかった。
こんな場所で、真選組の人間の前で、私は最初から油断していた。
……今も。

もう言い逃れ出来ない。
私は、土方さんに。
"心を許してしまっている。"
恋愛の好きかと聞かれれば、辛うじて違うと言える。
でも、…一緒にいると、安心する。
一緒にいて、心が温かくなる。
「土方さんは、…真選組、なのに。ね?」
鏡の前の私に話しても答えは返ってこない。
……なんて、情けない顔。

こんな顔じゃ、こんな気持ちじゃ、土方さんの部屋には戻れない。
うつ向いたまま御手洗いから出ると、私は何かにぶつかって転んだ。
「いった…っ。」
「オイ、前見て歩きなせェ。」
上から落ちてくる声に顔を上げると、
「おきた、…さま?」
「沖田様ァ?何でィ、その呼び方。」
あ、しまった。
沖田派の先輩方がそう呼んでいたから、それに慣れてしまっていた。

――沖田総悟。
真選組の斬り込み隊長。
剣の腕は土方さんより上らしい。

「…あぁ!アンタ、斡旋所の女?昨日はとんでもねェ声で啼いてやしたねィ。俺も交ぜて欲しいもんでさァ。」
「沖田一番隊隊長様は、未成年とお聞きしておりますが…。」
「何だその長ェ名前は。アンタみてェなガキが働いてるのに、年齢をとやかく言われたくありやせん。」
…あ、いつものだ。
私は立ち上がりながら、いつも通り返す。
「成人してるんですってば。…ずっと前に。」
ふーん、と信じたんだか信じてないんだか分からない返事。
私の声は消え入りそうで、完全に真選組に萎縮してしまっているのが自分で分かった。
目の前の可愛い顔した男は、真選組の中で、誰よりも人を斬っているに違いないならば。
気付くタイミングひとつで私は今この瞬間に死ぬ、殺される。
「…何?そんなに俺が怖いんですかィ?…男を見て怯えるくれェ、一晩で一体何をされたのやら。」
「生憎、私は、」
言い掛けて、やめる。
土方さんの名前を出したら、きっと彼にも余計な迷惑が掛かる気がして。
(ほら…、やっぱり私、土方さんを特別視してる…。どうして?)

「…なぁ、もしかして、アンタが真弓?」
「……!?」
突然呼ばれた名前に体がビクッと反応してしまった。
だけど、どうして…。
「沖田一番隊隊、」
「それやめて下せェ。…その反応は肯定と取っても?」
「…。」
「へェ、アンタがそうなんだ…。」
沖田隊長は上から下まで品定めをするように私を見る。
そして遠慮無く私に近付き、やっぱり、と言う彼の声はさっきより低い。
口角は上がっていて、新しいオモチャを手に入れた子供の様。
「ちょっと付いて来なせェ。」
「いえ、…っや!やめて下さい!痛い、離してッ!」
「拒否権あるとでも思ってんの?」
「!」
すごい力で手首を捕まれた私は抵抗も出来ず、引き摺られる。

私は慌てて着物の袂に、くしゃくしゃになった紙を隠した。
どうして、何で…!?
何で私の名前を知ってるの?
それが持つ意味は?
どこに連れていくの?
覚悟はあった、それは嘘じゃない。
でも、今の粉々に崩れた心は恐怖をやり過ごせない。

(…きっと試されてる。今出来なきゃ、私はもう二度と立ち向かえない。)

ぐっと噛み締めた唇から血の味がした。


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