「待たせたな。」
スラッと襖が開いて、掛けられた声に体が震えた。
医師…?
そんな訳無い。
私は声だけで、この人が誰かを言い当てられる。
「土方…副長様…。」
急に喉が乾くのに、体はどんどん冷えていく。
彼は隊服を纏っていて、あの日、あの現場で見た土方副長の姿だった。
…見つかってしまった。
わざわざ見廻りでいない事を調べたにも関わらず。
「……どうしてここに居る?」
「…ぁ。」
声が震えて音にならない。
土方副長の声は明らかに怒気を含んでいて、射るような目で私を見ている。
先日優しかった土方副長のそれとは全てが真逆。
「……。」
俯いて喋れなくなった私の前に、溜め息をつきながら土方副長が腰を下ろす。
「俺が前に言った事、覚えてるか?」
「……はい。」
「あの額じゃ足りねェと?」
「! …ちっ、違いますっ!」
バッと顔を上げると、思ったより近い位置に土方副長の顔があって視線がぶつかる。
真剣な瞳。
だけど、それはもう怒気を感じないものだった。
「あんな大金…受け取れません…。まだ手を着けていないので、すぐにでもお返しします。」
「って事ァ、辞める気はねェんだな?」
「………。」
もう嘘はつけない。
肯定の代わりに沈黙を守る。
「目的は何だ?金じゃねェなら、仕事自体にハマっちまったか…?」
「違っ…!……っ。」
否定したかった。
この場合の仕事は、自分の体を売る、決して綺麗とは言い難い仕事を指す。
だけど否定する事は、別の理由を付けなくてはいけない。
話せるわけがない。
今の私には復讐心しかないだなんて。
「まだガキのくせに自分を安売りしてんじゃねェよ。」
溜め息と共に吐き出される言葉は、一体何度目なのか。
そういえば、先日から土方副長は私の事をガキだの子供だの言う。
たぶん、歳はそう変わらないはず…。
「あの、…勘違いなさってるかもしれませんが、私、とっくの昔に成人してます…。」
そう告げると、土方副長は目を丸くしたと思ったら、すぐに眉を寄せた。
「嘘つくんじゃねェ。どう見たって、」
「…よく言われます。身分証明書は、お見せ出来ませんが、本当です。」
そういえば坂田さんも私の免許証見るまで信じなかったなぁ。
もうそれすらも懐かしいように感じる。
土方副長は、とりあえずは私の言い分を信じてくれたようで、そうか、とだけ呟いた。
それに安堵していると、ふいに土方副長に腕を掴まれる。
「こんな目に遭っても続ける価値のある仕事なのか?」
手首に残った赤い痕を見て眉を顰めるこの人は、やっぱり優しい人なのだろう。
「…申し訳ありません。この仕事に関しては譲れません。」
「…はぁ。…お前がそこまで言うなら強制はしねェけどよ。」
諦めたように溜め息をつく土方副長に頭を下げる。
「ありがとうございます…。」
「礼なんて必要無ェよ。俺はお前の味方になった訳じゃねーからな。」
「!」
…笑っちゃうな。
今の言葉は、縄で縛られるより、殴られるより、痛かったなんて。
「温かいお言葉を頂いた事は、感謝しておりますので。」
「……お前の目的は真選組への出入りか?」
突然、心臓を鷲掴みにされたような感覚に目眩を起こしそうになる。
そうだった、土方副長はここの頭脳なんだ。
私なんかの考えを見通すなんてきっと造作もないだろう。
逃げ道を塞がれた私は黙る以外に術がない。
「答えられねェって事は、肯定なんだな?」
でもここで何も言わなければ、本当に、終わりにされる。
「……全部。」
「あ?」
「全部です。お金も欲しいし、欲も満たしたい。だから真選組案件は譲れません。…軽蔑して構いません。土方副長様の目には触れないように致します、私を見逃しては頂けませんか?」
もう何でも良い。
本当の理由を隠す為なら、どう思われようが構わない。
そもそも何故、土方副長に嘘を吐く事に躊躇ってしまうのか。
まっすぐ土方副長を見つめると、視線がぶつかったまま、お互いに目を逸らせないでいる。
「………………そうかよ。」
重い沈黙を破ったのは、土方副長だった。
「お前が強情な事は分かった。どうせまた辞めるって約束させても、今日みたいに反故にすンだろうしな。」
声音が少し冷たくて胸が痛むのだけど、これは耐えるしかない。
この人には嫌われたくない、なんてどうかしている。
真選組の、副長なのに。
今からでも大部屋に間に合うかもしれない。
もう、ここから逃げ出したい。
そして、私が何故ここで足止めされていたのか思い出した。
「あ、の。ひとつお聞きしたい事が…。お医者様が診察に来られるって事なんですけど…、!!」
途中まで言っててハッと我に返り、部屋の隅に身を寄せる。
「…どうした?」
「っあ、あの、私、ウイルス感染の疑惑がありまして、ひ、土方副長様に、感染してしまうかも…!!」
慌ててそう告げると土方副長は一瞬目を丸くしつつも、くはっと笑い出した。
「山崎の奴、よくそんな出鱈目で引き留められたな…。まぁ、引っ掛かるお前もお前か。」
そう言いながら、土方副長は私に近寄る。
…って、え?ち、近い!!
気付けば肩を掴まれ、そのまま畳に縫い付けられる。
(押し倒された…?)
私が理解するより、土方副長の行動の方が早い。
私の両手首を頭上でまとめたかと思うと、目の前には土方副長の顔。
(え、うそ…、いきなり…!?)
パニックになって思わずヒュッと喉が鳴る。
…そして。
「いったぁああぁ、痛っ…!な、何するんですか!」
土方副長は顔を近付けて最終的にはゴチッと音がするような頭突きを私にした。
コツンじゃなくて、ゴチッだから!痛い!
「アレは俺が留守の間にお前が紛れ込まねェように足止めさせただけだ。忘れて構わねェよ。」
さらりと言われても、私はポカンとするだけ。
「何で…。」
「…お互い詮索は無しにしようぜ。その方が、お前も良いんじゃねェか?」
「…。」
確かに、その通りだ。
「ま、今日はウイルス感染で早退って事にしてやるよ。また文書を書いといてやるから、」
「そ…!そんなの駄目です!何もせずには帰れません!!」
私がそう言うと、土方副長は面倒くさそうに思案する。
「…分かった。じゃあ、別案件だ。一晩、俺の言う事を聞け。」
こんな至近距離でそんな事を言われて動揺しないわけがない。
「わ、…分かり、ました…。」
真剣な目も、少し低めに発せられた声も、私を緊張させるのには十分すぎるものだった。
私の手首を解放すると、付いてこい、と短く促される。
私は土方副長の後を静かに付いて歩いた。
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