#30a.俺は何処にいても君の幸せを願っている
 
とても稀有な経験だった。
これが友愛なのか家族愛なのか、はたまた恋だったのか、今となってはどうでも良かった。
そう思ってしまえるくらい、この出会いは無二のものだった。

真選組とやり合うこと自体は、特に珍しいことでもない。
怪我を負ったのは、ほとんど俺のミスだ。
それでも、エリザベスと合流出来る場所までは辿り着いた。
人通りの少ない時間と視界が悪い、路地裏という場所。
…だから、そこで見たものは夢か幻だと思っていた。
見知らぬ女が俺の横で救急車を呼ぼうとしている。
俺はそれを拒否したところで本格的に意識を手離した。

目を覚ますと見知らぬ部屋にいた。
どうやらエリザベスとは会えなかったらしい。
自分の身形を確認するとかまっ娘倶楽部の衣装のままで、特に拘束もされておらず、完全ではないが血の跡は拭き取られている様だった。
(一体何の為に…。)
部屋の雰囲気から留置場でないことは明白で、誰かが生活に使っている気配がすらある。
(俺を女と勘違いした変態が、俺を囲う為に拉致でもしたのか…?)
犯人の目的がハッキリしない気持ち悪さを感じる。
何にせよ、ここにいるのは得策ではない。
監視の有無は分からないが、どうやら今は無人らしく逃げるならこのタイミングだろう。
そう思った矢先、玄関側の扉が開く音がした。
俺は間仕切り奥の部屋の壁に体を預け、死角に身を潜める。
(こうなっては仕方無い…。やるしかないな。)
まず間違いなく骨が折れて本来の力が出せず、足の具合も良くない状態でどこまでやれるかは分からないが。
足音が間仕切りを越え、俺に気付かず通り過ぎる。
「あの手負いで、どこに…、」
「動くな。」
俺は背後に回って腕を掴み上げ、その背中に強く縫い留めた。
(……女!?)
足音から予感はしていたが、この部屋の主はこの女だろうか。
捕まえた女が、抵抗するどころか震えて泣き始めたことに内心焦りながら、俺は彼女を解放した。

…そんな録でもない出会いをして、共に過ごして、俺はこの家から去る事になる。

あの日、かまっ娘倶楽部に来ていた真弓殿が、俺に言いたかった言葉が分かったと言った。
その言葉は彼女なりの決意のようなものに感じられた。
『行ってらっしゃい、桂さん。』
そう言われた時、駆け寄って抱き締めたいと思ってしまった。
果たしてあれはどういう感情だったのだろう。


思い出に浸りながら夜道を歩いていた時だった。
「ひゃあ…っ!」
少し先の暗闇から小さく聞こえてきたのは女の声。
(人気の無い道を選んだつもりだったが先客がいたのか。)
それにしては、随分足元から聞こえた気がするが。
昔、この路地裏で殺された女の生首だけが化けて出たとでもいうのか。
(銀時が聞いたら恐怖で吐くかもしれんな。)
侍なら、幽霊の一人や二人にいちいち驚いてどうする。
逆に声の正体でも暴くべきだろう。
どうせ盛った男女が暗闇で乳繰り合っているに違いな、
「桂さん…?」
「ッッ!!??」
……不覚だ、盛大に驚いてしまった。
足元で女の生首が俺の名前を呼んだ。
(いやいや、違うそうじゃない。)
一瞬、幻聴かと思った。
けれど、この声は。
絶対に忘れることの無い、この声は。
「真弓殿。何故地面に伏して…、」
言いながら、真弓殿の上に男が覆い被さっているのに気が付いた。
「貴様ァァァ!!どこの馬の骨だ!楽に死ねると思うなよ!!」
「あぁあぁぁ、待って桂さん違うんです、これには訳が…!」
男の肩を掴んで真弓殿から引き剥がす。
こんな暗闇で、か弱い女性を押し倒すとは卑劣極まりない。
「あの、それ、」
引き剥がした男が地面に体を打ち付けると同時に真弓殿が言った。
「銀さんなんです…。」

横目で自分が投げた男を確認すると、なるほど見覚えのある着物の柄と銀髪だった。
簡単に投げ飛ばせたのは、元々酔い潰れていたといったところか。
「はぁ…、きちんと説明してもらうぞ。」
俺は真弓殿を抱き起こして、衣服に付いた砂埃を払ってやる。
真弓殿はされるがままで、容易に体に触れることを許すのは、まだ俺を信頼してくれているからなのだろう。
「この前、西郷殿達に聞いたよ。…真弓殿の想いは成就したと。おめでとう。」
「あ、ありがとう、ございます。何というか、桂さんの応援のおかげと言いますか…、」
どこかぎこちない会話に違和感を覚えつつ、俺はそのまま話を続ける。
「浮かれたくなる気持ちも分からなくはないが、だからと言って、こんな所でというのは感心出来んな。」
「ぁ、えっと、それは、誤解でして…、」
違和感が拭えない原因は喋り方だけじゃなかった。
向き合って喋っているはずなのに、目が合わない。
(もしや、合意ではなく銀時が一方的に襲ったのではあるまいな?)
俺は少し体を屈めて顔を覗き込むと、口を横一文字に結んだ真弓殿とようやく目が合った。
「真弓殿…?」
「ごめんなさい、分からなくて…。私、今、変な顔してませんか?」
困惑が顔に出ている。
どうやらこの違和感と銀時は関係無いようだ。
「してないよ。…久しぶり、達者にしていたか?」
「はい…。桂さんも、怪我してないみたいで、良かったです…。」
そう言ったきり、真弓殿は言葉を飲み込んだ。
(俺は意地が悪い。どうしてなのかは、あの時から薄々理解しているというのに。)
それでも俺は彼女の言葉をじっと待つ。
真弓殿は、やっと諦めたかのように話した。
「多分、顔に出ちゃうと思うので、観念して先に言います…。私、桂さんと再会できて嬉しいって思ってます。…ごめんなさい。」
(あぁ、やはり。)
俺は知らないうちに彼女を思い詰めさせていたのだ。
言葉の代わりに笑みを返すと、真弓殿は少し遅れてから笑った。
それを見届けて俺は真弓殿に言った。
「もう会えないと、会ってはいけないとでも思っていたのか?」
「そ、れは、当然じゃないですか。私と桂さんは住む世界が違うし、迷惑掛けちゃうから会いたいなんて思っちゃいけないって…。」
「そう俺が言ったのか?」
「…言っ、てない、です。…言ってないですね。…って、え??」
驚いたような慌てたような、ころころと変わるその表情に覚えるのは懐しさと愛しさだ。
「ちゃんと送り出したつもりだったから、ちょっと格好悪いんですけど…、私が桂さんに会うのって迷惑になるんじゃないですか?だって、かまっ娘倶楽部の時は、」
「察してくれ。あの姿はあまり見せたいものではないからな。特に真弓殿には。」

あの日、"また会いに来て良いか"と聞かれて、言葉を濁した。
俺がいつもいるとは限らないし、かぶき町という場所柄 真弓殿にとってはあまり安全とは言い難い。
そんな所に通わせる訳にはいかないと、そう考えていた。
…いたのだが、その表情には拒絶されたと書いてあったのを、俺はそのままにしてしまった。
一生会わないなど、望んでもいなければ決意もしていない。
しかし、真弓殿のことを思えば、会わないという選択が最善なのは間違いなかった。
(自分がこんなに未練がましい人間だとは、思わなかったな。)
こっそりと苦笑して、改めて真弓殿に言う。
「ヅラ子も言っていただろう?俺はまだ、真弓殿に恩を返していないのでな。」
"だから、いつか、"
また真弓殿の前に現れることになると。
「恩だなんて…、私、桂さんには助けられてばかりだったのに…。」
「奇遇だな。俺も真弓殿には助けられてばかりだったよ。」
そう伝えてから、俺は懐に入れていた物を取り出した。
「一応、真弓殿にかけてもらったであろう金に色を付けて常に持ち歩いていて、」
「う、受け取れません…!というか、封筒の厚みがおかしいんですが…!?」
予想していた反応ではあるが、受け取ってもらわなければ俺が困る。
俺が回復に専念出来たのは、不便がないようにと真弓殿が色々と尽くしてくれたからだ。
それも伝えながら受け取るように頼んでみるが、頑なに受け取ろうとはしない。
何度も左右に首を振る真弓殿を見つめながら、俺は代替案を出すことにした。
「しかし、そうは言っても何も返さないのでは俺の気が済まない。ならば、金銭以外で望むものがあるなら聞こう。」
ランプの魔人宜しく恭しく頭を下げてみれば、真弓殿は口元に手を当て、真剣な顔をして考え始めた。

真弓殿が望むなら、何なりと。
現金が嫌ならば、服でも家具でも何でも贈ろう。
何時間も並ばないと買えない甘味もいくらでも揃えよう。
俺の気配が近くにあっても良いなら、留守中の家事でも、身辺警護でも、何でもやろう。
攘夷志士として人生の全ては渡せないが、人生の半分は捧げてしまっても良い。
(…まぁ、流石に重すぎてそんなことは言えぬがな。)

真弓殿は、答えを求めるように空に浮かんだ月をじっと見つめていた。
望むものが多いのであれば、一つとは言わず、二つでも三つでも構わないのだが。
そうして散々悩んだ後、真弓殿は言った。
「…うん。どっちにしようか迷っちゃったけど、お願い決めました。」
直感で分かってしまった。
迷って切り捨てられた方が真弓殿自身の願い、選んだ方は自分以外の者の為の願いなのだと。

「銀さんを、万事屋まで運んでもらえませんか?」

本当にそれで良いのか聞き返そうとしたが、その瞳を見て言葉を飲み込む。
「タクシーにでも放り込んでおけば良さそうなものを。」
「あはは…、今日、万事屋に誰も居ないらしくて。」
「? ならば、真弓殿が家に上がればよかろう?」
何気なく言ったつもりだったが、途端に真弓殿が赤くなって黙り込んでしまった。
(これは、どういう反応だ…?)
酔い潰れた恋人を家で介抱するだけなのだから、普段の真弓殿なら進んでやり遂げるだろう。
(…まさか銀時のやつ、酔った勢いで乱暴をしたことがあるとでもいうのか?)
さすがにそれは飛躍しすぎだと思うが、俺はただ望まれたことを叶えるだけだ。
「分かった。俺が責任をもって、銀時を万事屋に放り込んで戸締まりしておこう。」
「ありがとうございます!」
にこりと笑う真弓殿の顔を見て、この娘の前では銀時であれどそんな無体が出来るわけ無い、と思う。

俺は銀時を背負い、真弓殿と路地裏から出た。
「じゃあ、私はこれで、」
「何を言う。ここで会ったのだから、家まで送らない訳にはいかないだろう。」
一人で帰路に向かおうとする真弓殿の襟首を掴んで言うと、驚いた顔をして振り返った。
「え、でも、私の家と万事屋、ここからだと逆方向じゃないですか。桂さんを余計に歩かせてしまいますよ?」
「なるほど、真弓殿は俺と一緒に歩くのは嫌だと。」
「そっ!?そんなこと無いです!!…お願いします。」
申し訳なさそうな声量だったが、口元は緩んでいて嬉しそうだ。
真弓殿の歩く速度に合わせて隣に並ぶ。
少し歩いた後に、真弓殿がハッとして俺に聞いた。
「桂さんは、あんな所で何してたんですか?もしかして、何か用事があったんじゃ…。」
「いや、偶々あの道を歩いただけだ。」
「それなら良かったです。」
心底ほっとした様子の真弓殿を見つめながら、俺も同じ質問をする。
「…真弓殿こそ、あんな暗がりで、」
「! そうだった!誤解です!あれは電話が鳴って横にいたらどうしてかあんな風に、」
「分かった。落ち着いてくれ。」
慌てる真弓殿を宥めて、順を追って話を聞いた。

今日の業務を終えた真弓殿は、帰り道、銀時に電話をかけた。
すると、すぐ横の路地で着信音が鳴り、電話を切ると着信音も止まった。
まさかと思って音の鳴った方へと歩みを進めると、壁にもたれ掛かって眠っている銀時を発見。
起こそうと隣にしゃがんで肩を叩いたところ、バランスを崩して真弓殿の上に倒れ込んだらしい。
そのタイミングで俺が通りかかったという訳だ。
「酔い潰れて、その辺で眠り落ちてるなど、幻滅しただろう?」
「いえ…、初めて会った時もそんな感じだったので…。」
そういえば真弓殿と銀時の馴れ初めは聞いたことは無いが、碌な出会い方はしていないようだ。
(それは俺も同じか。)
道中、真弓殿は色んな事を聞かせてくれた。
近所に新しく出来た猫カフェの話、甘味処に新しい商品が増えた話、銀時に内緒で日中かぶき町を探索してみた時の話、俺がいなくなった後に起きたことを全部伝えようとするみたいに話してくれた。
いつまでも聞いていたいと思ったが、真弓殿の家に着くまでは、存外あっという間だった。
「…えっと、…送ってくれてありがとうございました。」
「どういたしまして。」
少し寂しそうな顔を見て嬉しくなるなど、俺も銀時のサドが感染ったのかもしれない。
「あ、そうだ。これ、銀さんに渡したくて。もうひとつあるから、桂さんにも貰って欲しいです。」
真弓殿は鞄から赤い物が詰まった小瓶をふたつ取り出した。
「今日、苺の納品が多かったからジャムにしたものです。苦手じゃなければ良いんですけど。」
「ふっ、真弓殿が作ったものなら何でも美味いさ。…銀時、礼を言わなくて良いのか?」
少しだけ屈んで、目線の位置を真弓殿に合わせてやったが、んー、と小さく唸るだけだった。
「お礼を言われる程の出来じゃないから大丈夫ですよ。でも、今度感想は聞いてみたいかな。…おやすみなさい、銀さん。」
真弓殿は優しい手つきで、銀時の頭をふわふわと撫でる。
その表情は今まで見たことがないくらい幸せそうで、些か嫉妬しそうになった。

「じゃあ…桂さん、銀さんのこと、よろしくお願いします。あと、夜道に気を付けてくださいね。怪我しないでくださいね。ずっと元気でいてくださいね。」
「分かった分かった。」
返事をして背を向けたが、真弓殿が家に戻る気配は無い。
俺の姿が見えなくなるまでは見送ってくれるつもりなのだろう。
「…ああ、そうだ。俺も言いたかった言葉があったな。」
言いながら空を仰ぐ。
俺はあの日、空なんて見上げている余裕など無かったが、真弓殿と出会ったあの日もこんな月が出ていただろうか。
くるりと振り返ると、月明かりでキラキラと輝く真弓殿と目が合った。
「真弓殿、…またな。」
「! はいっ!」
月明かりに負けない程キラキラとした笑顔に、俺もつられて笑った。


真弓殿に見送られながら、角を曲がったところで足を止めた。
「…で、一体いつまで俺に背負われているつもりだ銀時。」
背中の男に声をかけると、言われなくても今降りるわ、と若干呂律の回らない返事とともに体が軽くなった。
「最後まで寝た振りを続けるとは…、俺に気を遣ったつもりか?」
最初に銀時を背負った時から、目覚めているのはずっと気付いていた。
恐らく俺が投げ飛ばした時に衝撃で起きたのだろうと思う。
銀時は大きく伸びをしながら、曖昧に笑う。
「お前にじゃねェよ、真弓ちゃんにだ。久々の再会に水を差すほど野暮じゃねーし。…いや、思ってた以上仲良さそうでビビって入れなかったとかじゃないからね。勘違いしないでよね。」
酔ってるくせによく回る口は相変わらずだ。
いや、特にふらつきもせず立っている様を見ると、酔いもさめてきているのかもしれない。
俺はそんな銀時に先程預かったばかりのジャムの小瓶を手渡す。
「本当は直接お前に渡したかった物だろうが。…あ。銀時お前、真弓殿に何か乱暴を働いたりはしておらんだろうな?」
「はァ!?ンな訳あるかよ。ごっさ大事にしてるっつーの!」
それはそうだろうし、そうでなくては困る。
でもそれならば、銀時と二人きりは真弓殿とて望む事だったのではないか…?
(やはり、真弓殿の反応は俺の気のせいだったかもしれんな。)


銀時が自分で帰宅出来ると判断した俺は、万事屋まで送ることなく、かぶき町手前で分かれることにした。
「じゃーな。あー…、何つーか、今日は面倒かけて悪かった。」
「珍しいな、明日の天気は槍の雨か。」
しおらしくしている銀時がおかしくて茶化すと、返ってきたのは盛大な溜め息だった。
「…そうかもな。礼として、今度、真弓ちゃんの店に連れてってやるわ。お前、一人で甘味処なんて行かねェだろ。」
意外な申し出だったが、それは願ってもないことだった。
「うむ、それは良い案だな。是非とも頼む。」
素直にそう伝えると、銀時は一瞬目を丸くした後、
「りょーかい。それまで捕まンじゃねェぞ。」
と強めに俺の肩を叩いて去っていった。

銀時とは別の道を歩きながら、ジャムの小瓶を夜空にかざす。
「俺はいつも真弓殿に貰ってばかりだな。」
優しく降り注ぐ月の光の下、穏やかな気持ちになる。
「『離れていても、私はあなたの事が大切で、大好きで、これからだってずっと味方よ。』…か。」

友人でも家族でも、ましてや恋人でもない。
だが、そんな事、最初から俺達には関係なかった。
ならば、改めて誓おうじゃないか。

「俺は何処にいても君の幸せを願っている。」


end

 
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