#29.私の答えはずっとずっと前から決まってる
 
昨夜はすごく満たされた気持ちで眠れたからか、とても目覚めが良い。
(桂さんをちゃんと送り出せて良かったなぁ…。これからは、あんな大怪我せずに済みますように。)
ベッドから体を起こしながら、私はそう祈る。
攘夷浪士である以上、簡単ではないかもしれないけれど。
「さ、仕事に行く準備しなくちゃ。」
今日はお昼過ぎからの勤務だから、私はゆっくりと遅めの朝食をとってから着替えを済ませる。
癖になっていた "行ってきます" は、いつの間にか言わなくても平気になっていた。


「あ。さっきメールしたんだけど、遅かったかぁ〜…。」
従業員入り口のドアに手を伸ばすと同時に、中から先輩が出てきた。
先輩は制服ではなく私服で、どうやら帰り支度が済んでいるようだった。
「あれ?もう上がりですか??」
「そう。まぁ、せっかく来たなら見た方が早いかも。」
先輩は、お先〜、と後ろ手を振りながら帰ってしまった。
(メールしたって言ってたな…。)
鞄から携帯を取り出して確認すると、確かに先輩からメールが届いていた。
「…え?臨時休業!?」
私は携帯を鞄にしまうと店の中に入った。

客席に明かりは点いておらず、厨房に店長と数人の男性がいるだけだった。
「何かあったんですか…?」
「あら、真弓ちゃん。実は開店してすぐに、冷蔵庫の調子が悪くなって、今日の営業が難しくなっちゃったのよ…。」
開店後すぐのお客様が帰ってから臨時休業にしたらしい。
店長以外の人は冷蔵庫を直しに来た業者さんのようだった。
「明日の営業までには直ると良いんだけど…。連絡間に合わなくてごめんなさいね。」
「いえ…、早く直ると良いですね。」
明日の営業についてはまた改めて連絡する、という事で、私は着いたばかりの店から出た。

(さて、どうしよう…。)
突然休みになってしまって、すぐに予定が立てられなかった。
よく晴れ渡った空。
このまま帰るのも勿体無いけど、特に行きたい所も思い付かない。
それでも足はゆっくりと元来た道を歩く。
ずっと通っている、いつもと同じ道。
…きっと、心境の変化ってやつなんだと思う。
今まであえて通り過ぎるようにしていた場所で自然と足が止まった。
(あの日あった血の後は、もうずっと前から消えていたっけ。)
私は、桂さんと出会った路地裏の前に立っていた。

 きっと、近付かないのが正解だった。
 それは今でもそう思うし、あの時もそう思った。

正解だった、けど。
私はあの時に正解を選べなくて良かった。
この時間に見る路地裏は、遠くまで見通せて何も怖くない。
時間帯が違うだけで全く違う道みたいだった。
(確か…、あの辺りに桂さんが倒れていたんだっけ…。)
立ち止まったまま、目だけであの日の場所まで歩いた。
(今更だけど、私、結構無謀なこと沢山したなぁ…。)
それが少し、今でも信じられなかったりする。
「ちょっと…!」
「えっ?」
突然、肩を掴まれた。
驚いて振り返ると、そこにいたのは…。
「銀さん!?」
「…よォ。」
少し焦ったような表情をしながら、彼は返事をしてくれた。
昨日、パー子さんとして会ったばかりだけど、銀さんとして会ったのはちょっと久しぶりな気がする。
「こんな所で銀さんに会えるなんてビックリしました!あ、今日はお店臨時休業なので気を付けてくださいね。」
「いや、もう行っちまったわ。…つーかさァ!」
掴まれた肩を強く引かれて、私はよろよろと銀さんの方に引き寄せられる。
「銀さ…?」
「昼間とはいえ、路地裏に入るの禁止。はぁ…、真弓ちゃんを呼び寄せる物怪でも居ンのかね、実際。」
困惑に近い表情の銀さんを見て、私はつい笑ってしまった。
「何。」
「ふふっ、大丈夫ですよ。ただ見てただけなので。」
「見てたって何を!?やっぱ何かそこに居ンのォォォ!?」
まるで幽霊が苦手みたいに振る舞う銀さんが可愛かった。
何だか、あの日、顔色ひとつ変えずに辻斬りに立ち向かった人と同一人物じゃないみたいだ。
(あんな表情をするくらい心配してくれたんだと思うと、大袈裟な気がするけど、嬉しいな…。)
路地裏から優しい風が吹いて、私の頬を撫でていく。
ふわりと揺れた銀さんの髪は太陽の光を浴びてキラキラと輝いた。
「…あのさ。この後、時間ある?」
「あ、あります…!」
良かった、と笑う銀さんに心臓がドキドキと暴れだす。
こんな明るい時間に銀さんと一緒にいるなんて、まるでデートみたいだ。
(って、何考えてるんだろう、私!…でも、昨日の今日だし、私が銀さんのことを好きだって分かってて言ってるなら、)
言ってるなら、きっとその返事を言うつもりなのかもしれない。
(自信が無い…。)
好きか嫌いかで言えば、好きな方に入れてくれてるとは思う。
いつも甘味をサービスしてくれる店員、としては。
私個人はどうなんだろう。
気にかけてくれてるとは思う、けど。
あんなに可愛くて綺麗な姫様にすら靡かなかった銀さんが、私に興味を持ってくれているんだろうか。
(ううん、辛いことは辛い状態になったら考えよう。私には、応援してくれる人がいるんだから。)
私はもう一度だけ路地裏に目線を向けた後、銀さんの背中を追った。


「嫌じゃなければ、ここに入りたいんだけど。」
他愛ない会話を繰り返しながら到着したのは、あの日、銀さんに他人として振る舞われたカフェだった。
「えっと…、」
複雑になった気持ちを誤魔化せなくて、返事が濁った。
幸いに列は出来ていなくて、すぐに中に入れそうだ。
「ここ、結構美味いンだよね。真弓ちゃんの事だから、この前は勉強しに来てたンじゃねーかと思って。」
「そ、そうです…けど、」
銀さんにズバリ言い当てられて、嬉しいやら恥ずかしいやら、ますます取り繕えなくなってきた。
「……って言うのは表向きの理由。」
戸惑う私を見ながら、銀さんはゆっくりと私に目線を合わせた。
「正直なとこ、この店の前を通る度に、あの日の真弓ちゃんの顔を思い出してしんどいンだよね。だから上書きさせて欲しいのが本音。…助けてくれる?」
紅い瞳が一瞬不安そうに揺れた。
助けてと言われて助けないわけが無いし、そもそも私だって、あの日のつらい記憶とこの店を結びつけたくはない。
「銀さん、ずるいです。…私も、上書きしたいです。」
言い終わると同時に、嬉しそうに笑う銀さんに手を引かれた。
たったそれだけで心臓はドキドキするし、体温が上がる。
結局、席に案内されるまで手は離してもらえず、どうにか冷静になる為、私はひたすら嫌いな食べ物の事を考えていた。

(銀さんの手、ちゃんと堪能すれば良かった…。勿体無いことしちゃった…。)
なんてね、と、そんなことをメニュー表を見つめながら悶々と考えてしまう。
向かいに座る銀さんは、顔色ひとつ変えずけろっとしている。
(知らないことが多いからっていうのもあるけど、銀さんって何考えてるか読めないなぁ…。)
私はカフェの一番人気と書かれていたケーキセット、銀さんは舌を噛みそうなくらい長い名前のパフェを注文した。

「あー、今更だけど、ヅラと高杉のこと助けてくれてありがとな。…あんなんでも一応腐れ縁だからさ。」
注文が終わって、店員が席を離れてから銀さんが言った。
「いえ、少しでも手助け出来たなら良かったです。」
「…けど、出来ればもう助けようとしないで欲しい。真弓ちゃんが優しいのは解ってっけど、アイツ等に限らず、ああいうのに関わって無事でいられるとは限らねェし。」
「はい…。」
銀さんが心配してくれるのが痛いほど伝わる。
多分、桂さんや高杉さんの身よりも私の身を案じてくれてる。
(確かに、高杉さんには本当に殺されそうになったし、桂さんだって最初は私に敵意を向けていたっけ…。)
今までみたいに銀さんに迷惑を掛けたくないし、それが正解だと知っているのに。
銀さんに、目の前の人を見捨てろと言われているみたいで、何だか少し納得出来ない気持ちにもなってしまう。
「そんな顔すンなって。別に見ぬ振りしろって訳じゃねェから。…そういう場面が来たら、必ず俺を呼んで。すぐ行くから。」
「!」
「つー訳で、連絡先教えて?新手のナンパみたいな頼み方で悪ィんだけどさ。」
(銀さんの連絡先…!!それって携帯の番号を交換するってこと!?)
何だか変なことを口走ってしまいそうで、私は無言で何度も頷く。
お互いの番号を交換し終えた頃、ケーキセットとパフェがテーブルに届いた。

「美味しい…っ!」
見た目も華やかなケーキは、よく言われる甘さ控えめでは無かったのに、理想的な甘さだと感じた。
(何でもかんでも甘さ控えめだと味気無いし、ちゃんと甘いもの食べたいって時は丁度良いかも…。)
私が一口食べて感動している間に、銀さんはかなり巨大なパフェを食べ進めていく。
うちの店の2倍以上のサイズだと思われるそれを選んだ銀さんは、本当に甘党なんだなと再確認した。

銀さんとは何の話をしても楽しい。
桂さんと出会ってから起きたことも話せたし、万事屋の皆が元気だって話も聞けたし、道中で散々話したのに尽きることの無い他愛もない話も。
(こんな時間がずっと続けば良いのにな…。)
セットのケーキと紅茶を楽しみつつ、ふと顔を上げると銀さんの口元にクリームが付いているのに気がついた。
(何てお約束な…。……え、私が言わなくても気付く、よね?)
多分、友達相手ならすぐに伝えられたと思うのに、私が銀さんに気があるから言えなかったんだと思う。
そして、この躊躇ってしまったのが良くなかった。
銀さんはクリームに気付かないし、私はどんどん言うタイミングを逃し続けた。
すると、会話を一旦止め、銀さんが言った。
「何、そんなじーっと見つめられっと、銀さんの顔に穴空くかもよ?」
「! あっ、ご、ごめんなさい。その…、顔にクリームが付いてて…。」
「うお、マジでか。」
銀さんは慌てて自分の顔に触れる。
(やっと言えた…。)
私は安心してカップに入った紅茶を飲み干す。
それにしても、そんなに見つめてたのかな、私。
チラリと銀さんの顔を覗き見ると、目が合ってしまった。
「………あ。」
「ごめん、どの辺?」
クリームは銀さんの手から上手く逃げたみたいにまだそこにあった。
(これは、覚悟を決めて取ってあげた方が早いかも…。)
私は椅子から立ち上がり、銀さんの顔に手を伸ばした。
銀さんは少し驚いたようだったけど、そのまま動かずにいてくれた。
「これです。」
人差し指で掬ったクリームを銀さんの目の前に示す。
…今思えば、私のその行動も悪かったと思う。
「ん。」
「!!!?」
私の人差し指は、クリームと一緒に銀さんの口の中に迎え入れられた。
伝わってくる舌の柔らかさと温かさに、頭が混乱して硬直してしまう。
(な、なななな、舐められた…!!!)
ぶわっと全身の体温が上がったのが分かる。
慌てて手を引こうにも、いつの間にか手首を掴まれていたせいで、私は身動きが出来ない。
「…ぎ、…銀さん?」
「…………あ"!!!」
呼び掛けると、銀さんは低く叫んだ後、捲し立てるように言った。
「いや、違っ、条件反射っつーか、不可抗力っつーか、別に変な気を起こしてやったンじゃねェっつーか、事故…そう事故!!何か気付いたらこうなってましたみたいなアレで、」
「わ、分かりました、分かりましたから!」
銀さんは驚くほど狼狽えてて、顔も耳も赤くなっていた。
(手を繋いでも、抱き締められても、間接キスの時だって平気そうな顔をしてたのに…。こんなに動揺してる銀さん、見たことない…。)
きっと私も負けないくらい真っ赤なんだとは思うけれど。
私たちはお互いに言葉を見付けられないまま、沈黙した。

「あの…、そろそろ手を離してもらっても、」
「ッ、悪ィ…!」
動揺からか解放されないままの手を指摘すると、銀さんははっとしたように言った。
けれど。
「……銀さん?」
解放されるどころか、掴まれた手首に力が入れ直されたのが分かる。
「あー…、うん、…あのさァ。」
目線を泳がせながら、銀さんは歯切れ悪く言葉を続けた。
「本当はもっと良いタイミングがあンだろうとか、色々考えてたけど、…駄目だわ、気持ちばっか焦ってちっとも分かりゃしねェ。」
あの銀さんが緊張しているのが手首から伝わってくる。
「今、勢いで言うのは俺の弱さと笑ってくれて良い。俺は、」
銀さんの紅い瞳がまっすぐに私を捉えた。

「真弓ちゃんが好きだ。だから、俺を選んで欲しい。」

告げられた言葉に頭が真っ白になって、意味を理解した時、体が震えた。
(銀さんが、好きって言ってくれた…?店員としてじゃなくて、私個人として…?)
素直に受け取れないのは、今まで散々悩んで、諦めて、諦めきれなくて、諦めてを繰り返してきたからだ。
だってこれは、私が一番夢見てた言葉だからだ。
ドラマとかだと、ヒロインが満面の笑みで「はい」と言うシーンだ。
なのに、私ときたら。
「…ぅ、無理だ…出来ない〜…。」
「え、ちょ、真弓ちゃん!?」
急にぼろぼろと泣き始めてしまって、銀さんを驚かせる始末だった。


「落ち着いた?」
「…はい、取り乱してすみませんでした。」
結局あの後、私はろくな言葉を発することも出来ず、銀さんに手を引かれて、今はかぶき町にある公園に来ている。
銀さんは知らないだろうけど、ここはあの雨の日に立ち寄った場所だった。
(まさか銀さんと二人で来ることになるなんて、想像すらしてなかったな…。)
並んでベンチに座っているから、向い合わせよりも随分と距離が近くて、正確には "落ち着いた" 状態ではないのだけど。
「いや…、実際は俺の方が取り乱してたわ。泣かせるつもりは無かったし。心臓止まるかと思ったからね、マジで。」
いつもの軽口みたいな言葉なのに、その表情はどこか弱々しい。
「無理だ駄目だ出来ないって聞こえてンのに、首は縦に振ってるしな。どっちなんだっつー…。……。あー、突然で驚かせたと思うし、別にすぐ返事が欲しい訳じゃねェから安心して。」
ぼそりと呟かれた言葉は後半しか拾えなかった。
私がゆっくりと隣を見上げると、銀さんと目が合った。
(私の答えはずっとずっと前から決まってる。)
夕暮れ時の光は赤みを帯びて、私達を照らす。
銀さんの髪にも赤が落ちて、優しい色に輝いていた。
「まァ、欲しい返事なんて "銀さんが良い" の一択だけど、」
「…嫌です。」
「へ…?」
「私、銀さんじゃなきゃ、嫌です。銀さんが好きです。」
言うと同時に、私は銀さんに抱き締められていた。
(あぁ、私、銀さんの特別になれたんだ…。)
それでも実感はまだ無い。
恐る恐るその背中に腕を回すと、銀さんがぽつりと言う。
「また心臓止まりかけたわ。あんな返事、反則過ぎだろ…。」
「? …ごめんなさい?」
「ふはっ、"最高"ってこと。やっぱ、真弓ちゃんにゃ敵わねェな。」


好き。
…いつから?
そんなこと、どうだって良かった。

本名も、年齢も、住所も、職業も、…何も知らない。
分かるのは、その綺麗な銀色の髪と、甘いものが大好きだってこと。

彼の名前は…、「銀さん」。
それが、私が知る彼の全てで、…私が彼に惹かれるには充分だった。


気付けば、空が少しずつ夕焼けから夜空へと切り替わり始めていた。
「そろそろ帰る?」
「…ですね。今日はありがとうございました。」
「こちらこそ。」
銀さんは穏やかに笑った後、立ち上がって私に手を差し伸べた。
私はその手を取って銀さんの隣に立つ。
繋いだ手に視線を落とした後、銀さんは悪戯っぽく言った。
「真弓ちゃんはすぐ路地裏とか危険な所に行くから、しっかり繋いでおかねェとな。」
「…はい、だから離さないでくださいね。」
「ふははっ、すげェ殺し文句だけど、…あの、不安になるからそこは否定して?」


私達は手を繋いだまま、公園を後にした。
さっきまで暖かい色に染まっていた銀さんの髪は、今は月の光を受けて静かに輝いて綺麗だ。
色んなことがあった。
それは、きっとこれからもそうなんだろう。
そして、これからも、こうやって一緒に歩いていきたい。
今はそれだけが願いで、それだけで充分だと思う。

月明かりが照らす道には、少し重なった二人分の影が長く伸びていた。


end

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