#27.私たちにはその言葉が一番しっくりくる
 
「あの…、」
声は出るのに、続きの言葉が出てこない。
だって、何て言えば良い?
言いたい言葉はとてもシンプルなはずなのに。
(でも、今、告白したら確実に銀さんにこの気持ちを伝えられる。)
そこに誤解が入る余地は無い。
だからこそ、言い訳も言い逃れも出来ない。

…きっと、私はそれが怖いんだ。
もし、銀さんに拒絶されてしまったら?
もし、店員とお客様という関係すらも無くなってしまったら?
(それでも、言わなきゃ…。今言わなきゃ、臆病な私はずっと先延ばしにしてしまうかもしれない…!)

意を決して私は口を開いた。
「…あの、私っ、」
すると、思わぬ所から声が飛んできた。
「ちょっとォ、パー子こっちにいらっしゃい!アンタ挨拶まだよねェ!?」
声の主は西郷さんだ。
その横であずみさんも手招きしている。
どうやらお得意様の席に銀さんが呼ばれているらしい。
私は出かかっていた言葉を慌てて飲み込んだ。
顔を伏せていた銀さんは、漸く顔を上げて、恨めしそうな表情をその席に向けてから立ち上がる。
「このタイミングで呼ぶなんて、ちょっとは空気読んで欲しいわねェ〜…。」
そして、申し訳なさそうな声で私に言った。
「アドバイス要員で置いていかれたのに、中途半端になってしまってごめんなさいね。」
「あ、いえ…、あずみさんのは本当に誤解なので大丈夫です…!えっと…私のことは気にせず、行ってあげてください。」
銀さんを違う席に取られてしまうのは残念だけど、お仕事なのだから我儘を言ったって仕方がない。
(あぁ、でも、パー子さん姿はレアだから今のうちによく目に焼き付けておかなくちゃ。)
残ったイチゴオレ・カクテルを一気に飲み干す銀さんを見つめているとバチリと視線が合う。
すると銀さんは、少し静かな声で言った。
「…なァ、あの雨の日、無事に逃げ切ったら言いてェ事があるって言ったの覚えてる?」
突然、パー子さんじゃなくなった銀さんの言葉に驚いて、私はただ頷く。
(『……ああ。それが最適解だっつーなら、協力してやらァ。俺、真弓ちゃんに言いてェ事あるから、無事に逃げ切ろうな。』)
銀さんが私の目をしっかり見ながら言ってくれた言葉を忘れるはずがない。
私は思わず、とっくの昔にはずれた頬の絆創膏があった位置に触れた。
私の反応を見てから、銀さんはパー子さんの顔に戻ってにっこりと笑って言った。
「今日は一緒にお喋り出来て楽しかったわ。あんまり遅くならないうちに帰るのよ?」
ひらりと手を振って、銀さんは呼ばれた席へと向かった。


残されたのは、私と桂さん。
「はい、じゃあこれは返すわね。」
桂さんはそう言って笑って、私の手に銀さんと坂本さんの名刺を乗せた。
「…っ桂さんん〜〜!!」
改めて抗議の声を上げても、桂さんはニコニコと微笑むだけだ。
「桂じゃないわ、ヅラ子よ。人違いだわ。」
からかわれているのは分かるけど、こうやってまた桂さんと話が出来るなんて思わなかったから、それ以上責める気にはならなかった。
「…………でも、何で知ってたんですか?お財布に銀さんの名刺が入ってること。」
「知らないわよ?」
「えっ??」
驚く私に、桂さんはこう答えた。
「簡単な話よ。"好きな人から名刺を貰った" っていうのは聞いていたし、私はあなたの "好きな人" が誰か知っている。だから、彼の名刺を持ってるんじゃないかと思ったの。」
「な、なるほど…。」
「でも、あの日から何も進展してないとは思わなかったわ。私から見たら、二人とも既に…、」
ポツリと呟かれた言葉は最後まで紡がれずに消えた。

会話が止まる。
桂さんと沈黙の時間が続くのは、苦ではない。
だけど、何か喋っていないと桂さんがまたどこかに行ってしまいそうで落ち着かない。

「……こ、これは、友達の話なんですけど。」
突然切り替わった話題に桂さんは驚いた顔をしたけど、柔らかく微笑んで話を聞いてくれた。
「訳あって一緒に暮らしていた男の人が急に出ていくことになって、…友達は彼の事を少ししか知らないし、連絡を取る方法もなくて、元気なのかずっと心配で…。その、怪我もしていたので、その経過とか…。気にしてて…。」
「……優しい友達ね。そんなに心配してもらえるなんて幸せな男。同時に、心配させるなんて最低の男でもあるけれど。」
桂さんは少し困ったように笑う。
「きっと元気よ。今頃、恩の返し方でも考えているんじゃないかしら。…だから、いつか、」
その続きの言葉は無かった。
きっと、本来なら"戻る"とか"会える"とかが続く言葉だろう。
だけど続かない、適当な事は言わないから。
(本当に、桂さんは真面目で優しくて、ちょっとだけ残酷だなぁ…。)
何だか切ないようなあたたかい気持ちになる。
その気持ちに油断してしまった私はつい聞いてしまった。
「あの…、ヅラ子さんに会いたくなったら、また来ても良いですか…?」
言った後に失言だったと気付く。
案の定、桂さんは眉を下げて言った。
「…えぇ。いつも居るわけではないけれど、ね。」
私は、桂さんがかまっ娘倶楽部にいる理由を知らない。
あずみさんや西郷さんと空気感が違う事は分かる。
つまり、攘夷活動の延長線で偶々ここにいるだけで、いつもいるわけじゃないのは明白だった。
桂さんが私の家に立ち寄ることはもう無いだろうし、私は桂さんの所在を知らない。
(私の都合で会いたいなんて、桂さんを困らせるだけなのに…。)
"いつか"と希望を持たせてくれただけで充分だったのに。
そう、頭では分かっていたはずなのに。
何だか自己嫌悪。
私は小さく、ごめんなさい、と口にした。
「今の、忘れてください。困らせたかったんじゃないんです。」
すると、桂さんは私の頭を優しく撫でながら、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「気持ちはとても嬉しいわ。私も真弓さんに会いたいと思うもの。…だから、そんな顔しないで?」
優しく諭すような声で言われて、漸く私は普段を取り戻す。
「……何だかお母さんみたいですね。」
「ふふっ…、そうね。離れていても、私はあなたの事が大切で、大好きで、これからだってずっと味方よ。それだけは信じてくれるかしら?」
「はい…。」
そこまで言ってもらって心配させるわけにはいかないと、私は決意を改める。
「私も、桂さ…ヅラ子さんの事、大切だし本当に大好きだし、ずっとずっと味方です。ずっとです。」
私がそう言うと、ヅラ子さんは少しはにかみながら嬉しそうに笑った。

その後は、本当に他愛ない会話をした。
さっき、銀さんが"熱を出して倒れた"と言ったから、解熱にはこれが効くとか、体力が落ちても食べられるものとか、そもそも倒れるまで無理をするんじゃない、とか。
本当にお母さんみたいだった。
何だか少し懐かしくて、私はずっと笑っていた。

話が一頻り終わったタイミングで、桂さんも別の席に呼ばれてしまったから、私は残ったイチゴオレ・カクテルを飲み切ったらそのまま帰ることにした。
「最後まで席にいて、見送ってあげたかったのだけど…。」
少し名残惜しそうにする桂さんを心配させないように、私は笑顔を返す。
「大丈夫です、その気持ちだけで充分です。接待、頑張ってくださいね。」
私の表情を見て、桂さんは安心と複雑が混ざったような顔をしたまま立ち上がった。
座ったままの私に会釈をして、そのまま私に背を向けて席から離れようとした時。
「…あ。」
突然、脳裏にひとつの言葉が浮かんだ。
桂さんは、私が言い残したことがある事に気付いて、くるりと振り向いた。
「呼び止めてごめんなさい。…私、あなたの怪我が治ったら言いたかった言葉があったみたいです。それに今気付きました。」
言いながら、私もその場に立ち上がる。
どこかから桂さんを呼ぶ声が聞こえた気がするけど、桂さんはじっと私の言葉を待っていてくれる。
(あの雨の日、桂さんとお別れの言葉を交わしたのに、ずっとモヤモヤしたり悲しかったり苦しかった。)
もちろん突然の別れが辛かったというのが理由の大半だったけれど。
(今、やっと分かったよ。私が桂さんに言いたかったお別れの言葉は、"ありがとう" でも "さよなら" でもなかったんだって。)
深呼吸をして、この気持ちを笑顔に乗せる。
私は桂さんの目を真っ直ぐに見つめて言った。

「 "行ってらっしゃい" 、桂さん。」

それは本来、お別れの言葉じゃない。
けれど、私たちにはその言葉が一番しっくりくる。
きっと私は、桂さんをちゃんと送り出したかったんだ。
その背中を押してあげたかったんだ。

「……行ってくるよ、真弓殿。」

聞き慣れた声音に、呼ばれた名前に、じわりと胸が熱くなる。
桂さんは優しく微笑んでから、別の席へと向かった。

結局、私達は次に会う約束はしなかった。
それが正解なんだと思ったから。
私と桂さんの関係が無くなったりしないって分かったから。
だから私は、ちゃんと前に進むよ。


かまっ娘倶楽部から出た時には、外はすっかり暗くなっていた。
(あの日見たかぶき町の空は、重い雨雲が掛かって冷たくて寒かったっけ…。)
それはまるで私の心を表していたみたいだった。
(そう思うと、この夜空も今の私の気持ちに似ているのかも。)

そうして見上げた夜空は、温かくて、少し苦くて、切なくなるような。
月明かりが見守ってくれているような、そんな夜空だった。


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