車内では誰も喋らず、ずっと無言だった。
もしかしたら話し掛けられたのかもしれないけど、覚えていない。
パトカーは、銀さんと彼女さんがデートしていたカフェの前を通り、少ししてから真選組の屯所に到着した。
「着いたぞ。降りろ。」
シートベルトを外しながら土方さんが私に言った。
私はのろのろと自分のシートベルトに手を掛ける。
土方さんが降りて、沖田さんが車外に出てからも、動く様子の無い私を見て溜め息を吐いたのは沖田さん。
「こんなとこまで来ておいて、今更拒否出来るとでも思ってんですかィ?とっとと降りなせェ。」
嫌々私の横のドアを開けたが、私は動かない。
動けない、が正解かもしれない。
(何でだろ…力が入らない…。)
沖田さんは舌打ちをして、私の腕を掴んで引きずり出そうとする。
私の体は半分外に出た後、そのまま重力に従ってどさりと地面に落ちた。
「総悟ッ、お前何して、」
「っ、誤解でさァ!コイツが勝手に転んで、」
二人が話している声が何故か遠くに聞こえる。
(昨日からよく転ぶなぁ…定春くんに跳ねられて、高杉さんに倒されて、…今度は真選組かぁ。)
他人事のように思っているうちに、私は意識を手放していた。
たぶん、夢を見た。
誰かに優しく撫でられる夢だった気がする。
その夢がやけに温かすぎて、何故か悲しくなってしまう。
分かってるからだ。
それはもう現実には無いってことが。
(それなら、これはきっと桂さんの手だ…。)
もう伸ばしても届くことの無い、桂さんの優しい手。
それでも、伸ばさずにはいられなくて。
「かつらさん…。」
「じゃなくて悪ィな。」
夢と現実の狭間で握った手は、桂さんの手ではなかった。
「ぎ、銀さん…!?」
「…よォ。」
私は慌てて握った手を離した。
寝起きという事もあって、状況が理解出来ない。
私、どうなったんだっけ。
確か、真選組の屯所に来て、……駄目だ、そこから覚えてない。
「パトカーから転げ落ちたらしいけど、どっか体痛ェとこある?」
一度私から離された銀さんの手がゆるりと頬に触れる。
昨日、絆創膏を貼ってくれた場所だ。
「大丈夫…だと思います…。沖田さんが腕を掴んでたから全身で落ちた訳じゃないみたいですし…。それにしても、転げ落ちるなんて、私ドジですね…。」
「仕方ねェよ、熱あってボーッとしてたンだろ?」
そう言った銀さんの手のひらが私のおでこに触れた。
ひんやりと冷たい。
「んん…。銀さん、すごく気持ちいいです…。」
「…違うって分かっても、その台詞煽られっから気ィ付けな。」
「煽られ…?」
「っ、何でもねェよ。つーか、やっぱ熱ィな。」
あんまり実感はないけど、銀さんがそう言うならきっとそうなんだろうと思う。
(そんな事より、銀さんにこんなに長く触れられてるの緊張する…。)
桂さんの事で泣きすぎてぼんやりしてるんだと思ってたけど、どうやら昨日の雨に打たれて単純に風邪を引いたらしい。
「一応説明しとくと、ここは屯所の仮眠室だってよ。…この待遇って事は、作戦は成功なのかもな。」
銀さんが小さい声でそう言った。
「…俺その辺で待ってるから一人で帰らないよーに。送ってくから。」
そう言って銀さんは私の頭を軽く撫でて部屋から出て行った。
(…さっき見た夢と撫で方、同じだった。)
あまりにも突然の出来事で、何で銀さんがここにいたのか聞き逃してしまった。
銀さんと入れ替わるようにして部屋に入ってきたのは土方さんと、局長の近藤さんだった。
最初に口を開いたのは土方さん。
「やっと意識が戻ったらしいな。体調悪ィなら出勤してンなよ。昨日の今日だぞ。ちゃんと休め。」
「す、すみません…。」
思わず謝ってしまったけれど。
(意外…。これは心配してくれてるのかな…。)
横になったままは申し訳ないと、ゆっくり体を起こそうとしたけど、それを制したのは近藤さん。
「ああ!そのままでいいから!…正直に言おう。我々は君が桂一派の人間である可能性は低いと判断している。些末な手伝いはしていたのかもしれないが、今回それは許容される事になっている。」
銀さんがさっき言ってた、作戦成功、っていうのは本当らしい。
あんなに怪しまれていた私にお咎めが無しだなんて。
驚いたまま二人の顔を交互に見つめると、近藤さんがしみじみと語りだした。
「恋は盲目。分かる、分かるよソレ。桂の事が好きになっちまって、近付いたらその恋心を利用されて駒にされてしまったんだよな!?奴が攘夷浪士と知っても、惚れた男の為にと危険を省みず力になりたかったんだよな!?それなのに、それなのに!都合が悪くなったらあっさりと切り捨てて逃亡!可哀想すぎる…!そんな娘を誰が罰せようか!?否!俺は貴女の味方ですからァァァ!!!」
「近藤さん。頼む、落ち着いてくれ。」
段々ヒートアップしてきた近藤さんを土方さんが宥める。
(あれ…、近藤さんって結構人情派なのかな…。昨日は貫禄たっぷりな感じだったけど。)
私は二人を眺めながら、ゆっくり体を起こして壁に背を預けた。
まだ少しくらりとするけど、大丈夫そうだ。
「話が逸れるから、単刀直入に言う。お前は桂の被害者という扱いになった。どうやって出会って、何をさせられていた。」
遠くで近藤さんが吠えている中、土方さんは変わらず冷静だった。
「出会ったのは、偶然です。…路地裏で。私は桂さんの被害者なんかじゃないです。何も指示されていません。私が勝手に桂さんの役に立ちたかっただけです。」
正直に答えるのはきっと得策ではない。
でも、嘘でも桂さんを悪者にしたくなかった。
「…何で今になって嘘を吐くのを止めた?今からでもお前の立場が不利になるとは考えねェのか?」
「私が嘘を吐こうが、本当の事を言おうが、もう、…どうでも良いんです。」
本音だった。
それに、どうせその場しのぎの嘘を吐いたって、この人たちは暴いてしまうだろう。
土方さんは私の目をしっかりと捉えて念を押す。
「あんな裏切り方をされたのに、か?」
「………あんな別れ方だとしても。」
思い出すと、胸の奥がキュッと苦しくなる。
沈黙は数秒。
そして、土方さんは溜め息を吐きながら言った。
「裏切られたとは言わないわけか。…重症だな。同情の余地すらある。」
「…意外と優しいんですね、真選組って。」
「"カリスマ"だからな。」
さらりと返された言葉に思わず笑ってしまう。
真選組の前で笑えるなんて、想像もしていなかった。
「なんでィ。笑いが起こる取り調べとは斬新すぎやしやせんか。」
言いながら部屋に入ってきたのは沖田さんだ。
「…さっきは無理矢理腕を引いて悪かった。」
ぽつりと言った言葉が私宛てだと気付くのに少し遅れた。
「えっ、……あ、いえ。腕を離さないでいてくれたから頭から落ちずに済んだので…大丈夫です。」
「…ずっとムカつく女だと思ってやしたが、改めまさァ。」
大きい溜め息を一つ吐いてから、沖田さんは私のベッドに腰を掛けた。
近くで見る沖田さんの目は澄んでいて、今までの敵意は感じられなかった。
「桂の話はもう良いんで、もうひとつの方、話してもらいやしょうか。」
「もうひとつ…?」
私に桂さん以外の話を求められるとは思ってもなかったけど、…何の事を言われているのか分からない。
「ここですっとぼけるのは無しですぜ。辻斬りの事を聞いてるんでィ。」
ずいっと沖田さんが距離を詰めてくる。
思わず逃げようと体を捩ったのは、今日までの条件反射だ。
「辻斬りは…、真選組が捕まえてくれたんじゃないんですか…?ニュースで見ましたけど…。」
必死で頭をフル回転させる。
(辻斬りの話は、桂さんの不利にならない?)
気付けば、騒いでいた近藤さんも静かにこっちを見ていた。
「大体の事は万事屋から聞いてるんだ。君の尽力で奴を倒す事が出来たと。」
万事屋…、銀さんの事だ。
銀さんはどういう風に説明したんだろう。
「私は何も…!むしろ、銀さんが来てくれなければ殺されてたかもしれません…!」
(銀さんがどこまで話したか分からないけど、月の石の事はややこしくなるから黙っておこう。)
でも、大体の話の流れは分かってきた。
辻斬りの手柄を真選組に差し出す代わりに、協力した私を見逃すように言ってくれたのだろう。
(どういう交渉をしたら、それで真選組を納得させられるんだろう…。やっぱり、銀さんってすごいな…。)
改めて銀さんの話術の凄さに感心していると、土方さんが言った。
「…ま、次は逃がしてやらねェから、くれぐれも怪しい行動はすンじゃねェぞ。」
「すみません…。」
私が謝ると、調子が狂う、と土方さんはあきれたように笑った。
結局、桂さんを悪者にしたまま、私の疑いは晴れた。
私がいくら桂さんを庇おうと、盲目で洗脳状態だったと思われて終わりだった。
きっとそれは、銀さんや桂さんの思惑通りなんだろうけど、…少し悲しい。
ふっと自分の手に視線を落とした。
"「体に気を付けてな。」"
昨日、桂さんに言われた言葉を思い出して、ぽろりと言葉が零れる。
「風邪引いてないといいな……。」
(私は早速、こんな状態なのは笑っちゃうけど。)
真選組の三人は私の言葉に不思議そうにしていた。
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