#18.言い訳の必要はもう無い
 
私は寒さで目を覚ました。
散々泣いた後、そのまま床で寝てしまったらしい。
窓の外は明るい。
(お風呂入ろう…。)
ぼんやりとそう思って浴室へ向かう。
そこで鏡に映った自分を見て、改めて酷い姿だなぁと他人事のように思った。
目は泣き腫らして真っ赤だし、髪はぐしゃぐしゃ、服もヨレヨレ、何だか笑っちゃうほど散々だった。

湯船に浸かると、じわりと傷に染みた。
ぼんやりとした思考とは逆に、その感覚だけが鮮明だった。
お風呂から上がる頃には、新八君が手当てしてくれた絆創膏も、銀さんが優しく貼ってくれた絆創膏もふやけて剥がれ落ちていた。
まるで、そんなもの最初から無かったかのように。

着替えながら、出勤までまだ時間に余裕がある事に気付いた。
何となくテレビをつけると、芸能ニュースや星座占いに挟まれて、辻斬り犯確保のニュースが流れた。
そうなんだ…という感想しか出てこなかった。
そもそも、あの日の事実とは違ったからだ。
辻斬りは薬物中毒の気が触れた男で、真選組に路地に追い込まれ、狂気のまま自殺。
そこには高杉さんの名前も銀さんの名前も出て来なかった。
あっさりとコーナーが終わったのを見届けてから、私は台所に向かう。
保温されたご飯の三分の二をタッパーに入れ冷凍庫へ、一人分のハンバーグを冷蔵庫へ入れた。
残ったご飯を茶碗に移して、冷蔵庫に入れなかったハンバーグを温め直す。
冷蔵庫からサラダも取り出して、デザートは…夜にしよう。
色んな緊張から解放されて、突然お腹が空き始めたらしい。
昨日、ほとんど食事らしい食事をしてなかった私はそれらをぺろりとたいらげてしまった。
(桂さんと食べたかったな…。すごく美味しいって言いたかった…。)
とても悲しい気持ちになるのに、一晩寝たからなのか涙は出てこない。
ううん、正確には桂さんが帰ってこないという実感が無いだけ。
色んな事が落ち着いたら帰ってきてほしいと思うのは、私の我儘だ。
(そもそも、怪我が治ったら桂さんとお別れしなくちゃいけなかったんだし、…それが突然になってしまっただけで、結果は同じなのに。)
深い溜め息を吐いて、私は桂さんがいた痕跡を隠し始めた。
万が一、真選組に自宅を調べたいと言われた時の為に。
衣類は箪笥の一番奥へ、来客用の布団も片付けた。
たったそれだけで、桂さんがいなかった頃の私の部屋に戻った。

私はベランダの扉を開けて、すぐ傍に腰を下ろす。
桂さんと夜風に当たったのが遠い遠い昔みたいに感じてしまう。
見上げた空は月明かりのある星空ではなくて、昨日の雨が嘘みたいな雲ひとつ無い青空がどこまでも続いていた。
(銀さんや桂さんが私を日常に戻す為に体を張ってくれたのに、いつまでも落ち込んでちゃいけないんだよね…。)
そう理解はしているのに、なかなか気持ちがそのようには変わらない。
やっぱり、時間が経って今までの事が思い出にならないと難しいのかもしれない。
私はゆっくり立ち上りベランダを後にした。

出掛ける為の準備を一通り終え、玄関に立って…振り返る。
(…これは習慣になってしまったけれど、未練にもなってしまったんだな。)
返事が返ってこない事を理解しているけれど。
今日だけ。
今日だけ、あえて。
誰もいない部屋に向かって私は言った。
「行ってきます。」


辻斬りがいなくなったと報道されたからか、道中が子供達で賑わっていた。
今まで外で遊ぶのも怖かっただろうから、本当に嬉しそうだ。
そんな微笑ましい光景を眺めながら、私はお店に到着したのだった。
「おはようございます。」
「おはよ、…!?どうしたの、その顔!?」
「目が真っ赤じゃない!」
出勤した私の顔を見て、店長も先輩も驚いていた。
散々泣き腫らしたけど、冷やしたり化粧で誤魔化せてるつもりだった。
でも、二人の反応を見るとバレバレらしい。
「昨日、休みだったんでしょ?…何かあったの?」
店長がとても心配そうな顔で私を見たけど、本当の事は言えるわけがない。
「あ、分かった!何かすっごく泣ける映画とか見たんでしょ!?どんな話!?」
私が答えるより早く、先輩は閃いたという顔をしてそう聞いてきた。
前も似たような状況があったなぁと思いながら、私は言った。
「そう…ですね…。主人公が、自分の世界とは違う世界を生きる人と偶然出会って仲良くなって、でも突然その人が元の世界に帰っちゃう、みたいな話ですかね…。」
「何それ。今そういう映画やってるの?」
私の話だと知らない先輩は不思議そうにしている。
自分で言ってて、まるでファンタジーみたいだなと思った。
「知ってる近い話だと、かぐや姫みたいな感じかしらね?どうやら主人公はかぐや姫じゃなくて、見送った人みたいだけど。」
なるほど、店長の言葉は的確だった。
(かぐや姫…。うん、何かしっくりきちゃうのが悔しい気もするけど、桂さんが月のお姫様か…。)
かぐや姫ならぬかつら姫、なんてくだらない事を考えて少しだけ口元が緩んだ。
「真弓ちゃんさえ問題なければ、今日厨房やらない?」
私が笑える程には元気だという事が分かったのか、店長がそう提案する。
シフト通りだと、本来、私はホールの日なのだけど。
「そ、そんなに目、すごいですか…?」
「うん、かなり。」
間を置かず先輩が真顔で答えた。
接客の度にお客様を驚かせるのも申し訳ないし、今日は厨房に引っ込んでいた方が良いのかもしれない。
「安心しなって!もし、有村さんの好きな人が来たら代わってあげるし!」
「……見せれる顔じゃないみたいなので遠慮させてください。」
必ず銀さんが来るという保証はないけど、何だか…どんな顔をして良いのか分からなくて、会いたいという気持ちがあまり湧かなかった。
そんな私の言葉に店長と先輩はただ顔を見合わせていた。

私は厨房で黙々と盛り付けや下拵えをこなしていく。
店長は書類作業で事務所へ。
他の従業員はホールに出たり、休憩に入ったり。
特に忙しくない時間帯だから、厨房は私一人でも全然問題はなかった。
むしろ相当酷い顔になってるらしいから、一人にしてくれるのは助かる。

『気休めにもならねェかもしンねーけど、続編でも考えてみたら?超ご都合主義ハッピーエンドの。』

ふと思い出したのは、あの日、銀さんに言われた言葉。
(超ご都合主義ハッピーエンド…。)
そういえば、まだ考えてすら無かったな。

人魚姫は王子様に想いを伝えて結ばれる。
かぐや姫は月に帰らずにずっと地球にいられる。
…考えたところで、実際の物語の結末は変わらないけれど。

溜め息を吐いたのと同時に厨房に注文が入る。
「有村先輩、パフェお願いします。あの、いつもの人です。銀髪の常連の人。」
「!」
最近入った新人の女の子は、私が銀さんを好きだと知らない。
(銀さん、お店に来てくれるの久しぶりな気がする…。)
私を心配してきてくれた…訳ではないかもしれないけど。
一応、後輩ちゃんに言っておいた方が良いかな…。
「あっ、あのね、もしも!もしもなんだけど、私が出勤してるか確認してくる人がいたら、お休みですって言ってくれる?」
「? 何でですか??」
「えぇと…、こ、こんな顔で人前に出たくないから…?」
「あ!確かに!分かりましたー!」
ちょっと苦しい言い訳だったかなと思ったけど、後輩ちゃんは納得したようだった。
(確かに!って、そこまで酷いの!?私の顔!?)
目の周りだけじゃなくて、顔全体も熱をもってきた感じがするし、……後で鏡で確認しよ。
後輩ちゃんはホールに戻らず、パフェの完成を待っているみたいなので急いで取り掛かる。
「そういえば、銀髪の人、やたらキョロキョロしてたし、誰か探してたのかなぁ…。あ、でも、新作メニューのポスター貼ったばかりだし、そっち見てたのかなぁ…。」
「んー…ポスターかなぁ……。甘いもの、本当に大好きな人だから……。」
仮に私を探してたとしても、昨日の今日だったら単純に安否確認しに来ただけで、私が嬉しがる理由では無いと思うし。
臆病な私は、それを期待して外すのが怖い。
「あ。」
「ん?あ、完成ですね!持って行きまーす!」
後輩ちゃんはパフェをお盆に乗せると、さっとホールヘ戻っていった。
(しまった…。銀さんの事考えてたら、アイス余分に乗せちゃった…。)
普段、調子に乗ってこっそりサービスしていたのが裏目に出てしまった。
(はぁ……、これじゃ、出勤してるって自分で言ってるみたいなものじゃない…。)
私、どうしたんだろ。
そっとしておいて欲しい気がするし、私を心配していて欲しいし、会いたくないし、会いたい。
(昨夜からの混乱がまだ続いているのか、頭がぼーっとして、ぐるぐるする…。)
私は調理器具を洗いながら、水が流れていくのをじっと見つめていた。
(冷たくて気持ちいい…。落ち着く…。)
暫くそうしていると、休憩していたはずの先輩が慌てて厨房に入ってきて私に声をかけた。
「有村さん、何したの…!?」
「あ、え、ごめんなさい、水出しっぱなしで…。」
「厨房代わるから。…有村さんにお客さんよ。」
会話が噛み合わない気持ち悪さを感じながら、私は水を止め、厨房から出た。
(私にお客さん?)
やっぱりさっきのパフェで銀さんに出勤がバレたのかもしれない。
こんな顔で会いたくはないんだけど。
…でも、色々と助けてもらったお礼は直接言いたい。
そのままホールに出ようとすると、後ろから声を掛けられた。

「オイ、堂々と背を向けて逃げようとするたァ良い度胸だな。」

聞き覚えのある声の方へ振り向くと、そこには土方さんが立っていた。
「どうして…。」
「こっちが聞きてェよ。ここのどこをどうしたら"かぶき町"で"居酒屋"って言えンだろうなァ?」
あの夜、銀さんが私を庇うためについた嘘。
調べたらやはり本当の事はバレてしまうみたいだ。
「…すみません。」
「らしくねェな。そこは言い訳のひとつでもしておくべきじゃないのか?」
確かに、と思ったけど、言い訳の必要はもう無い。
だって桂さんはいなくなった。
どこにいるかも分からない。
なら、私のせいで桂さんが不利になる事はないはず。
「取り調べ、ですよね?」
「…まぁ、形だけだ。話を聞かなくても、ンな顔でいるのが答えなんだろうし、…それに色々と事情が変わった。」
「え…?」
今まで怖い土方さんばかり見ていたから、少し意外な言葉だった。
「という事は、拷問されたりはしないって事ですか?」
「…して欲しいならしてやるが、ここで無駄話をしていても仕方無ェ。裏に車を停めてあるからついて来い。」
「分かりました。」
私は特に抵抗もせず、土方さんの後をついていく。
途中で、店長が心配そうな顔をしながら出てきたので、仕事抜ける形になってすみません、とだけ伝えた。

お店の近くにはパトカーが停まっていて、運転席には沖田さんが座っていた。
土方さんが後部座席のドアを開けたので、私は従ってパトカーに乗り込んだ。
「よォ、酷ェ顔してやすねィ。」
横目で私を見た沖田さんがそう言った。
「………。」
本当の事だし、私は何も言い返さない。
このパトカーに山崎さんが乗っていない事が不安になってしまったけど、乗り込んでしまったものは仕方無い。
助手席に土方さんが乗り込むと、パトカーはゆっくりと発進した。

私はぼんやりと流れていく窓の外の風景を眺める。
何だか今日はあんまり頭が働いてない気がする。
変なこと言わないように気を付けなきゃ…。

車内は無言のまま、目的地となる真選組屯所へと向かった。


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