#14.助けてくれなくて大丈夫ですから
 
ふらりと吸い込まれるように路地裏に向かおうとする私の肩を桂さんが掴んだ。
「…………。」
どうした?とも、行くなとも、言われなかった。
ただ、無言で私を見つめる瞳からは困惑が伝わってくる。
「桂さん、私…。」
「…また恐い目に合うかもしれないんだぞ。」
それは、この前の真選組の事でもあっただろうし、きっと血塗れで倒れていた自分の事を言っているのだと思った。
「でも私は、進んで得られた事もあったから。っていうのじゃ、駄目ですか?」
私には分からなかったけど、桂さんにはこの路地裏がどうなっているのか予想がついているみたいだった。
そしてそれは、あまり良くないものが待ち受けているという事も。
「………この先に、誰か手負いの人がいるんですね?…桂さん、ごめんなさい。」
私は桂さんの手からするりと抜けて路地裏に踏み込んだ。
「真弓殿ッ!」
小雨とはいえ、怪我をして雨に打たれているのは危ないんじゃないか。
そう思ったら足が勝手に動いてた。
もう私は気付いてる。
誰かを助ける事で、私が助かりたいんだって事に。
自分で心の傷を癒せないから、誰かの傷を癒して、癒された気になりたいんだって事に。
私には、そのくらいの動機が身の丈に合ってる気がした。
(何より、銀さんだったら絶対に助けるはずだから。)
銀さんに恥じる自分にはなりたくない。


路地裏の暗がりの影に、人の足を見付けた。
壁にもたれ掛かって座っているところを見ると、やっぱり怪我をしているみたいだった。
…さっきの桂さんの雰囲気からすると、一般人じゃないのかもしれない。
「あの、大丈夫ですか?」
力なく俯いているその肩に手を伸ばそうとした瞬間だった。
「……ッ!?」
「触るな。」
袖を引かれたかと思ったらその場に倒され、私の身動きを止めるために背中を踏み付けられていた。
声から察するに男性だった。
私が倒れた場所に丁度水溜まりがあったのか、上半身が水に浸った。
冷たい雨水と、微かに血の匂い。
掛けられる体重に容赦は無い。
「不審な女だ。騒がれる前に殺す。」
「……!……!」
抗議したいのに、胸が圧迫されて空気が上手く吸えなくて言葉にならない。
話し合う余地を与えてくれないのは、完全に想定外だった。
男は冷たい目で見下ろしゆっくりと刀を私に向ける。
(嘘…!私、こんなところで死ぬの…!?)
だけど、桂さんの制止を振り切ってここに来たのは私の責任だ。
思わず恐怖に目を瞑った、…その時。


「真弓ッ!」


私の名前を呼ぶ声と同時に体が軽くなった。
どうやら私を踏み付けていた男性は、誰かに蹴り飛ばされたらしい。
だけど私は、咳き込んで地面に倒れたまま動けないでいた。
(また、助けてくれた…。分からない。どうして、冷たくしたり、優しくしたりするの…?)
私を助けに来てくれたのが桂さんじゃないのは声で分かった。
当然、それが誰なのかも。

「無事かッ!?オイ、しっかりしろッ!!」
力強く私を抱き起こして、必死に呼び掛ける。
「……ぎ、…んさ……。」
ゆっくりと目を開くと雨粒でキラリと光る銀髪と、紅い目。
「…あ、…私、着物濡れてて…、銀さんの服が汚れちゃう…、」
「いいから。」
銀さんは私を抱き締めるように、ぎゅっと腕の中に強く閉じ込めた。
(苦しい…。本当に心配してくれてるんだ…。)
私、今、銀さんって呼んじゃったけど、嫌がられてないかな?
それに、さっき私の名前を呼んでくれた?
気のせいかな、呼び捨てだった気がする。
(あたたかい…。)
この距離は、銀さんに初めて会った日に車から守られたあの時以来だ。
私はまた顔が真っ赤なのだろう。
月明かりの無い路地裏で、それに気付かれる事は無いと思うけれど。

「銀時ィ…!」
蹴り飛ばされた男は、呻くように銀さんの名前を呼んだ。
「探してたぜ、高杉。…その様子だと"紅桜"の回収に失敗したみてェだなァ。」
銀さんは私をしっかりと腕の中に収めたまま、高杉と呼ばれた男性と会話を続けた。
真選組と同じく、この人とも知り合いなんだろうか。
「鉄子が最近の辻斬りに関して調べて欲しいっつってたから、まさかとは思ってたが、あの時の"複製"を勝手に持ち出した奴がいるらしいな。」
「…随分詳しいじゃねェか。」
「そりゃな、そのせいでこっちは迷惑な依頼いくつか抱えてンだよ。自分の部下の管理くらいちゃんとしといてくンねェ?…まァ、いいわ。"複製"について聞きたい事もあるしな。」
二人は知り合いらしいのに、その空気は険悪で、銀さんは私を背中に隠すと普段から持ち歩いている木刀を握り締めた。
ほぼ同時に、高杉と呼ばれた男性も刀を構える。
(まさか、本気で斬り合うつもり!?)
私には会話の内容がよく分からない。
あの人が辻斬りに関係しているのなら、それは絶対に許せない。
でも。
「銀さん、ダメです!」
私は銀さんの左袖を掴んで訴えた。
銀さんは一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐに厳しい口調で言った。
「真弓ちゃんは分かンねーかもしれねェけど、アイツかなりヤバイ攘夷志士だから。情けはいらねェよ。」
「違う!攘夷志士にだって優しい人はいます!」
思わず大きい声を出してしまった。
だって私は、攘夷志士が悪い人ばかりじゃないって知ってしまった。
握った袖は離さずに、私は銀さんの目の前に立ちはだかる。
「…あの人、腕怪我してるんです…、手当てしなきゃ…。もしかしたら、足も痛めてるかも。」
その言葉に銀さんは驚いたように目を見開く。
「何で、そう思った…?」
「……同じだから。悟られないようにしてるけど、腕に怪我を負ったあの人と立ち姿勢や、腕の庇い方が同じだから。」
それを私は近くでずっと見てきたから分かる。
「銀さん、ごめんなさい。私、嘘吐いてました。…あの問題集は元々私が持っていたものです。」
私の告白に銀さんは何も言わずに、私の話を聞いている。
私の無実を信じて庇ってくれた銀さんには、とても申し訳ないと思う。
「あの時、助けてくれたの、本当に嬉しかったです。…本当に。だけど、もう無理して助けてくれなくて大丈夫ですから。」
私は銀さんの袖から手を離すと高杉さんの方に歩み寄りながら言った。
「高杉さん、ですね。私の知り合いに攘夷志士がいます。きっと貴方の怪我を手当てしてくれます。私の事は信用出来ないかもしれないけど、彼の事は信じるに足ると思います。だから、」
「はッ、あんな目に合わされて、お人好しが過ぎる相当に馬鹿な女らしい。」
私の言葉では、高杉さんの心を開かせるのは無理なようだ。
睨み付けられて、思わず足が止まる。
警戒されているから、身の安全を考えるとこれ以上は近付けない。
躊躇っていると、私の目の前に大きな白い塊が降ってきた。
見覚えがある、確か…。
「エリザベスさん…!?」
『この間はどうも。』
エリザベスさんはくるりとこちらを向いて、あのプラカードを出した。
「どうして、こんな所に?」
『桂さんが貴女を逃がせと。ここは危ない。』
そのメッセージを見て、血の気が引いた。
だって、私に危険が迫ってるなら、桂さんが伝えに来てくれれば良いのに。
意地になって勝手に路地裏に踏み込んだ私を見捨てて帰ったのでなければ。
私を追ってきてくれなかったのが呆れじゃなくて、追えなかったのだとしたら。
(桂さんの身に何かあったんじゃ…!?)
可能性として考えられるのは。
「真選組が…近くにいるの…?」
声に出したら、体が震えた。
エリザベスさんはこくりと頷く。
困惑する私とは対照的に、随分と冷静で余裕のある笑い声が上がった。
「"複製"とはいえ、奴等如きが取り抑えられる訳あるめェよ。こいつァ見物だな。」
銀さんの言ってた事は、正しいのかもしれない。
こんな状態で真選組に見付かったら、この人も桂さんみたいな事になるかもしれないのに。
(とても話して分かり合える気がしない。桂さんとはまた違うタイプの攘夷志士なのかも…。)

真選組が近くにいる理由を考える。
辻斬りが起きたのか、桂さんが見つかってしまったのか。
片方なのか、両方なのか。
そして今の最善は何かを考えた。
高杉さんは攘夷志士だから、真選組に見つかってはいけない。
エリザベスさんは私が逃げないと困る。
銀さんも一度、私といて真選組と揉めてるからここにいるのは危険。
「エリザベスさん、お願い。高杉さんを安全な場所へ。…そうしたら、私は一人で逃げられるから。」
私のお願いに一瞬悩んだように見えたエリザベスさんだったけど、大きく頷いてプラカードを出す。
『承知した。気を付けて。』
「ッなに勝手に、」
高杉さんは驚いていたけど、言い終わらないうちにエリザベスさんが担いで闇に消えていった。


小雨が降る路地裏には、私と銀さんだけ。
足元には一連のゴタゴタで落とした私と銀さんの傘が転がっている。
銀さんにこの場を離れてもらおうと、彼の方を振り返ると、木刀を腰に差し直しているところだった。
「…さっきのアレ、何だよ。"無理して助けてくれなくて大丈夫"って。」
静かな声なのに、雨音には掻き消されなかった。
銀さんの怒っている声、私に向けられたのは初めてだと思う。
「そのままの意味です。もう私に構わなくて良いって意味です。…お店では、ちゃんとしますから。」
銀さんがじっと私を見詰める。
心の内を暴かれそうで、先に目を逸らしたのは私の方だった。
「攘夷志士と繋がりあるんです、私。だから、銀さんは帰ってください。こんな時間に真選組が近くにいるって事は、事件が起きてるって事です。そんな危ない所にいたら、きっと新八君や神楽ちゃんや、彼女さん、心配すると思います。」
彼女という言葉を無意識に強調してしまった。
でも、銀さんは何の反応も示さない。
(分かってたけど、否定しないよね…。)
あずみさんは告白しても良いと言った。
だけど、告白せずに悶々とした方を選ぶ人もいるとも言った。
私の言葉は、喉のところで引っ掛かって止まってしまっている、どっち付かずな状態。

「何も知らないくせに。」

沈黙の後、ぽつりと銀さんが吐き捨てた言葉は、とても鋭利で私の心に深く刺さる。
(何も知らない、か。)
本名、年齢、住所、職業。
それ以外のこと。
私、本当に今日まで何も知らなかった。
今日知ったのだってほんの些細な事だけ。
でもね、知る前も知ってからも、私の気持ちは変わらなかった。
店長の新作に心踊ったし、桂さんの優しさに救われたし、色んな人に出会った。
それでも、そのどれにも心の中に銀さんの事があった気がする。
(銀さんも、知らなかったでしょ?)
私だって、ここまでだとは思わなかった。
…こんなにも、私が。

息を吸う、溺れそうな程、空気を取り込む。
人魚姫は想いを伝えられなかった。
何らかの方法で伝えていれば、結末は変わった?
ここからは、絵本には書かれていない。
私は真っ直ぐ銀さんの瞳を見詰めた。
あえて笑顔を作ったのは、決意と心の弱さに負けない為。

「知らないです。私は銀さんの事、何にも知らないです。…でも、銀さんも知らないじゃないですか、私の事。…私が銀さんの事、ずっとずっと好きだったの、知らないじゃないですか。」

今まで、頭の中で何度も銀さんに告白する想像はしていたけれど、そのどれとも違った。
こんなに可愛くない告白になるなんて想像すらしていなかった。
「…さよなら。」
付き合ってください、なんて言えなかった。
代わりに出た言葉がそれだった。
返事は無かったし、分かっていても聞きたく無い。
私は自分の傘を拾い、銀さんの横を逃げるように通り抜けた。


路地裏から出て、桂さんと別れた場所に来たけど、やっぱりそこに桂さんはいなかった。
さっきと違ったのは、雨はまだ止まないのに雲の切れ間から月が見えた事。
(落ち込むのは後だ…、桂さんを探さなきゃ…!)
月明かりで光る水溜まりを辿るように、私は走った。


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