#12.桂さんみたいな人を好きになったら
 
とても懐かしい事を思い出していたら、頬を水が滑り落ちた。
(雨…。)
細く弱い雨がパラパラと空から零れてくる。
公園で遊んでいた子供たちはもういなかった。
(こんなに早く天気が崩れるなんて…。)
私はふらりと立ち上がり、ひとつ深い息を吐き出す。
帰り道はゆっくり探せば良いと思っていたけど、この雨が強くなる事を考えるとあまり時間はかけたくない。
(とりあえず、傘を調達しなきゃ…。)

しかし、どこの店に寄っても傘は売り切れ。
予定より早く降り始めた雨に、皆傘を買い求めたらしい。
(困ったな…。こうなるんだったら、早めに傘は諦めて、ずぶ濡れ覚悟で家に帰れば良かった。)
今更後悔しても遅いくらいに着物は重く濡れてしまっている。
(せっかくのお休みなのに、散々だなぁ…。)
大人しく桂さんと家にいたら良かったのかな。
そんな、もしも、を考えてしまって自嘲。
銀さんについては、遅かれ早かれこうなっていたに違いないのだから。

私は閉店してしまっている煙草屋さんの軒先で雨から身を守る。
まだまだ弱まらない雨に溜め息を吐きながら、頬の絆創膏を撫でる。
(こんな掠り傷、銀さんにとっては全く関係無い事なのに。)
傷なんかより、その優しさが今の私には痛い。
(…なんて、悲劇のヒロインか何かのつもり?嫌になるなぁ…。)
暗く重い雨空を見上げながら、これからどうしようかと思案する。
あと一軒くらいお店を見て、傘が無かったら走って帰るのが一番良いのかもしれない。
(銀さんは、今頃彼女や神楽ちゃんや新八君とのんびりしてるのかな…?)
そんな事をついつい考えてしまうのは、もうクセなのかもしれない。
そのくらい、私は銀さんに片想いしていて、ずっと一挙手一投足に振り回されている。
(…はは。頭を冷やすのに、この雨はちょうど良いのかも。今更傘を買ったところで、ずぶ濡れなんだし変わらないよね。)

それでも、その前に。
私は銀さんにもらった名刺を、財布の中心部の絶対濡れない場所にしまい込んだ。
(未練がましいかもしれないけど、私にとっては大事なものだし…。)
その横には先日の坂本さんの名刺が入っていた。
坂本さんはこの雨雲よりもっと高い所にいるんだなぁと思うと、私の悩みなんて何てちっぽけなんだろうとも思う。
鞄の奥に指を伸ばすと、ハンカチに包まれた月の石が入っていた。
お守りとして持ち歩いていたけど、それは私が勝手にそう決めたのであって、坂本さんは文鎮とか護身用とか言ってたから、恋の御利益は当然無い。
私は月の石を少し眺めてから、また鞄の奥にしまった。
(お腹空いてきちゃった…。そりゃそうか…カフェに入り損なったから、いちご牛乳しか飲んでないし…。)
時計に目を落とすと、もうそろそろ晩御飯時だった。
早く帰らないと、桂さんを心配させてしまうかもしれない。

「………。…桂さんみたいな人を好きになったら、良かったのに。」

ぽつりと零れたその言葉は雨音に掻き消されたのに、何故か私の頭の中に大音量で響いた。
(何で…こんな…。桂さんの優しさに甘えるような最低な事を思っちゃったんだろう…。)
桂さんが私に優しくしてくれるのは理由があって、限定的なものである事はちゃんと分かってるはずなのに。
(…やっぱり、傘はもういいや。私、本当に頭を冷やさなきゃダメみたい。帰ろう。)

軒先から一歩踏み出すと、叱るような雨が私を叩く。
胸の前で鞄だけ濡れないように抱き締めて歩いた。
(交番まで行けば地図看板があるはず…。)
彷徨っていた時に見付けた交番を、記憶を頼りに探す。
目的地があるだけで、随分真っ直ぐ歩けている気がする。

何回か角を曲がると見覚えのある道に出た。
(あった、交番…!えっと、今ここだから…。)
地図を確認して最短で帰れる道を探す。
(ここからなら、大通り沿いに行けばあのカフェまで行けそう。)
カフェまで行ければ家に帰るのは難しくないと思う。
さすがに傘無しなのは辛いけど、鞄の中さえ濡れなければ問題はない。

最終確認で看板を見上げると、突然雨が止んだ。
「ちょっとアンタ迷子?こんな雨の中、風邪引いたらどうするの?」
どうやら私は傘の中に入れてもらえたらしい。
「あ、すみません。ありが、」
振り返ると綺麗な着物を着た長身の女性。
だけど、その顔を見て驚いた。
(オカマ…?あ、いや、オネェっていうのかな?ビックリして言葉止まっちゃった…。)
桂さんは顔も中性的だから本当に女性かと思ってしまったのを思い出して、ちょっと懐かしくなった。
「何?あんま人の顔をジロジロ見るモンじゃないわよ?」
「あ、いえ、何だか懐かしくて…。傘に入れてくれて、ありがとうございます。」
「懐かしい…?知り合いに同業者でもいるのかしら?」
女性?は、少し考えた後、にっこりと笑って私に提案した。
「私、今から出勤なんだけど店までついてくる?タオルとか傘とか貸せると思うわよ。」
「ほ、本当ですか!?…すみません、すごく助かります。」
突然の申し出に驚きつつも、お言葉に甘えようと思った。
鞄の表面が想定より水に濡れてしまって、それ以上濡らさない為にはやっぱり傘があるに越したことはない。
「アンタ、この辺の人間じゃないでしょ?名前は?」
「あ、有村と申します。お姉さんは…?」
「あずみよ。苗字なんて味気ないわねぇ。後で下の名前も教えなさいよ。」
そう言いながら、あずみさんは私の肩を引いて傘の中心に移動させる。
掌の大きさや骨の感じは、やっぱり男性のものだった。
「あの、お店って居酒屋さんとかですか?」
「…大体は当たりね、一応バーだから。私の見た目で分かると思うけど、"かまっ娘倶楽部"っていうおかまバーよ。」
(かまっ娘倶楽部…。)
何でだろう、どこかで聞いたような名前だ。
おかまバーなんて全く詳しくなんてないのに。

「着いたわ。タオル持ってくるから、そこで待ってて。」
あずみさんは私を店の中に招き入れると、店の奥へと消えた。
(新八君や神楽ちゃんもそうだったけど、かぶき町の人って優しいなぁ…。勝手に、眠らない町とかギラギラしてそうって思ってたけど、改めなくちゃ。)
店内を見渡していると、後ろから声を掛けられる。
「あら、アゴ美の友達?」
「あ、いえ、…突然お邪魔してすみません。」
私の後ろにはすごく貫禄のある人が立っていた。
(アゴ美…アゴ美…?もしかして、あずみさんのあだ名なのかな?)
あずみさんはどちらかというと細身だけど、この人は服の上からでも筋肉隆々なのが分かる。
「困った時はお互い様。生憎の雨で暫くはお店も暇になるだろうし、ゆっくりしていきなさいな。私はオーナーの西郷よ。今度は是非お客様として来て頂戴。」
「あらやだ営業?…ほら、タオル使いなさい。」
奥から戻ってきたあずみさんがふかふかのタオルを差し出してくれた。
「ありがとうございます。本当に助かりました。」
「そういえばアンタ、大事そうに鞄抱えてたけど、中身は大丈夫?」
「…はい、ちょっと中も濡れちゃってますけど、一番大事なものは無事だったので良かったです。」
髪の毛を拭きながら答えると、あずみさんはにやりと笑った。
「ははぁん、さてはオトコね!オトコから貰ったプレゼントが入ってるんでしょ!?」
「!」
さすがというか、改めて男の気持ちも女の気持ちも分かる人達なんだと思った。
「合ってます…。プレゼントじゃ、無いんですけど…。」
「…ねぇ、もしかして片想いしてるの?んもー!健気ね!応援したくなっちゃう!!」
私の肩をバンバンと叩きながら嬉しそうな声を上げるあずみさんに、何というか救われたような気持ちだ。
そんな会話を聞きながら、西郷さんは私に温かい緑茶を用意してくれた。
「すぐに傘を渡して追い出すのも薄情だと思うから、温まってから帰りなさい。」
「…お母さんみたいですね。」
「その返し、嫌いじゃないわ。」
少し照れたような複雑な笑顔を浮かべて、西郷さんは営業準備の為、店の奥に行ってしまった。
(お母さんみたいっていうか…桂さんみたいだな…。)
さすがに帰宅してなきゃいけない時間になっていた。
家に固定電話はなく、電話は私が持ってる携帯だけだから、桂さんに連絡する手段がない。
(出来立ての晩御飯が食べられないのは残念だけど、私も桂さんも大人だし、私の帰りが遅いくらいじゃそこまで心配しないかも。)
むしろ、家捜ししないって言ってくれてるなら、家主がいないこのチャンスに一人でゆっくりしてもらった方が良いのかもしれない。
淹れてもらった緑茶が体の中から私を温めてくれているのが分かる。

「さ、客が来るまでガールズトークしましょうよ。」
「あずみさん…。何から何まで気遣ってくれてありがとうございます。えっと、ガールズトークって具体的には、」
「恋バナよ!恋バナ!!ね、その想い人から何貰ったの?見せて見せて!」
「ちょ、貰ったっていうか、…その、名刺なので、そんなに面白いものでもないですってば!」
あずみさんに鞄を奪われて中の物を全て取り出される。
机に置く前にタオルでひとつひとつ丁寧に拭きながら。
「名刺ぃ?………え、本当に?そんなもの守る為に、アンタずぶ濡れになってたの?」
「馬鹿みたいですよね。…もう、嫌われちゃってるんですけど。えへへ…。」
誤魔化すように笑う私に、あずみさんは呆れたような顔をして言った。
「馬鹿じゃないわよ、恋はハリケーンっていうじゃない?本当に好きだから馬鹿になっちゃうのよ。見込みがあろうが無かろうが、そういうモンよ女って。」
「そう…なんですかね…。」
「嫌われたって今日の話?あんなとこに居たくらいだし、相手はこの町の男なのよね?……ねぇ、名刺どこ?この町の事は大体分かるから、力になれるかもしれないわ。」
あずみさんは鞄の真ん中で守られるように入っていた財布に気付き、私に目配せをしてから財布を開いた。
親や友達にも話してないこと、話せないこと、あずみさんはどんどん理解して共感してくれる。
(これが、かぶき町の夜の蝶…!蝶…?でも、すごい…!)
「あ、免許証見っけ。…ふーん、真弓ね。素敵な名前じゃない。」
「や、やだ!免許証の写真、自信無いから見ないでください…!」
「分ぁかったわよぉ!揺すらないで頂戴な。…さて、ここかしら〜?」
まるで昔からの女友達みたいだ。
「えぇと…、これかしら?坂、」
あずみさんが名刺を引き抜いたのと同時に、裏口の扉がガラリと開く音がした。
「……あら?今日、私より遅く出勤の人なんていたかしら?客が入り口間違えたのかしら?」
「納品とかでも無いんですか?」
私が質問すると、あずみさんは首を傾げて裏口の方を見た。
私も同じ方向を見ると、意外すぎる人物が現れた。


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