#6.私がいつも通りでいれば、
 
銀さんと普通に会話出来たことを噛み締めながら家のドアを開けると、当然のように中は真っ暗だった。
ううん、いつもだったら当然だけど、今日はそうじゃないはず。
「…桂さん、居ますか……?」
外は真っ暗だから、電気くらい点けても良いのに。
そう思いながら、ある予感にギクリとした。
(桂さん、もしかして出て行ったんじゃ…。)

パチリと部屋の明かりを点ける。
「嘘…。」
玄関で桂さんが使っていた布団は綺麗に畳まれていて、間仕切りを開けた私の部屋にもその姿は無かった。
(本当にあんな怪我で出て行ったの…?約束したのに。)
少し悲しくなる気持ちを何とか振り払う。
家の鍵は閉まっていたんだから、桂さんはやっぱり居る。
(でも、どこに…?)
その時、そよ、とカーテンが揺れた。
よく見ると薄く窓が開いているようだった。
「桂さん…?」
窓の先は小さいベランダがある。
(居た!)
桂さんは座り込んで…、どうやら眠っているみたいだ。
「桂さん、こんなところで寝てたら体調悪化しますよ。起きてください。ご飯食べましょ?」
外ということもあり、なるべく小さめの声で話し掛けて、眠っているその肩を揺らす。
だけど、起きる気配は無い。
こんな場所でも寝れてしまうくらい、体は疲れ果てているんだと思う。

仕方なく私は桂さんの横に座る。
湿布と薬の臭い、それと多分ちょっとだけ感じるこれは血の臭い。
寝顔は穏やかだった。
それは、ここが少しでも桂さんにとって安らげる場所だと自惚れても良いのだろうか。
(夜風が気持ちいい…。この時間にベランダにぼーっといる事って無いもんね。)
一昨日からの緊張の糸が切れたのか、私も段々と眠たくなってくる。
(銀さん、いつもと変わらなかった。私が大好きな銀さんのままだった。)
今日一日を頭の中でもう一度再生する。
…とても幸せな気持ち。
だけど、ひとつ思ってしまうことがある。
"昨日、何かあった?"と聞かれたあの時、私がこの気持ちを銀さんにぶつけていたらどうなっていただろう。
少なくとも、お互い今と全く同じではいられない。
(私がいつも通りでいれば、変わらなければ、銀さんはきっとこれからも優しくしてくれるかもしれない。)
なんて。
そんな諦め方を一瞬でも考えようとするなんて、幸せな人魚姫は、私にはまだ早いようだ。

「…ミイラ取りがミイラになってはどうしようもないな。真弓殿、こんな所で寝ていては風邪を引くし、寝室を分けた意味もないぞ。」
「ん…。あ、ごめんなさい。何だか桂さんの隣、安心しちゃって…。」
どうやら本当に眠ってしまっていたらしい。
時計に目を落とすと、時間は数分だけ進んでいた。
「全く、油断しないでくれと頼んだばかりだというのに。」
そう言いながら、桂さんはゆっくりと立ち上がり、私に右手を差し伸べる。
「何やら昨日よりいい顔をしている。中で話を聞かせてくれ。」
私は頷きながら、桂さんの手を握った。

二人で遅めの晩御飯を食べながら、お互いの今日の事を話した。
桂さんはテレビで見たニュースの話とか、私は銀さんに優しくされて嬉しかった事とか。
桂さんにとっては、昨日今日出会ったばかりの人間の片想い話なんて面白くもなんともないだろうに、ニコニコと私の話を聞いてくれた。
数日前まで攘夷志士なんて野蛮な人ばかりなのだと思っていた事が恥ずかしくなるくらい。
こんな人と理想に向かえるって素敵なんだろうと思う。
「桂さんの仲間の方が羨ましいです。」
「ほう、ならば一緒に攘夷するか。」
桂さんは怪我をしている左腕を指差して悪戯っぽく笑った。
「そ、それは遠慮しますけど…、きっと今頃すごく心配してますよね。連絡手段ってありますか?」
私がそう聞くと、桂さんは暫く思案してから真剣な顔になる。
「正直、定期連絡が出来ると有り難いが…。外出許可は出るまい。」
「う…。でも、桂さん、今の状態で警察に見付かったら逃げるの大変ですし…。」
「分かっている。真弓殿は、充分よくしてくれている。俺の事は気にしなくて良い。」
そうは言っても、仲間からすると桂さんの安否は早く知りたいんじゃないだろうか。
桂さんをここに軟禁したい訳じゃないけど、もし、道中で真選組に見付かってしまったら今度こそ捕まってしまうだろうし…。
「桂さん、拠点の場所教えてください。私が桂さんの無事を伝えに行きます。」
「それは…、承諾しかねる。」
ピシャリと否定の言葉を突き付けられて一瞬怯んでしまったけれど、ここで引くわけには行かない。
「心配しないでください。絶対に拠点の場所を真選組にバラしたりしませんし、迷惑になるような事はしません!」
一気に私の気持ちを伝えると、桂さんは驚いたように私の顔を見ながら優しく笑った。
「拠点や真選組などそんな事は心配はしていない。真弓殿が危険な目に遭うといけないと思っただけだ。」
「お願いします、桂さん!」
「…本来お願いするのはこっちなんだがな。くれぐれも無理はしてくれるなよ?」
桂さんは私に紙と筆を貸してくれと言い、仲間に手紙を書き始めた。
「俺達が出会ったあの路地裏が定期連絡の場所なんだが…。覚えているか?」
「はい。」
「明日の夜、仲間がその場所に来るはずだ。そいつにこれを渡して欲しい。」
渡された手紙には『エリザベスへ』と書かれていた。
攘夷志士と聞いていたからてっきり日本人しかいないと思っていたけど、外国人の仲間もいるみたいだ。
「それと…、真弓殿が疑われぬように、これを持っておいて欲しい。」
手紙と共に渡されたのは『攘夷志士筆記試験問題集・改』と書かれた冊子だった。
確かにこんなの普通は持ってない、つまりこれが私が桂さんの使いで来たことの証明になるんだろう。
というか、攘夷志士になるには筆記試験が必要だなんて知らなかった。
(真選組と書いて何と読むか、か。一般常識問題なのかな…。)
「分かりました。明日の夜、仕事終わりに寄ってみます。」
「あの辺りは最近、治安も良くないからな…。少しでも危ないと思ったら、諦めてすぐに逃げてくれ。」
頭を深々と下げて桂さんは私にそう言った。
頼ってくれるのは本当に嬉しい、私は桂さんの為に全力で頑張るだけだ。


食事の片付けを終え、私はぼんやりテレビを見ていた桂さんに話しかける。
「あの、お願いがあるんですけど…。」
私が言いにくそうにしているのに気付いてか、桂さんは柔らかく微笑んだ。
「俺に出来ることであれば。」
「…桂さんの髪の毛、洗っても良いですか?」
最初の日に濡らしたタオルで体を拭いてあげたけど、髪の毛は泥や血がついて汚れていたし、タオルには限界があるはず。
たぶん気持ち悪いだろうな、と思っていたのだけど、桂さんの反応は私の想像と違った。
「む、臭うか…?」
「あっ、いえ、そうじゃなくて…。」
本人はあまり気になってはいないみたいだった。
男の人だから、なんだろうか?
「せっかく綺麗な髪なのに汚れたままなの嫌じゃないですか?まだお風呂に入るのは難しそうですけど、頭だけなら洗ってあげられるかなって。無理にとは言いませんけど。」
「自分の髪でもないのに、…そういうものなのか?」
桂さんは不思議そうな顔をしていたけど、真弓殿のしたいようにしてくれ、と言ってくれた。

「痒いところはありませんかー?」
「無い。」
セレブの家にあるようなシャンプードレッサーはうちには無いから、桂さんには浴槽にもたれ掛かるように座ってもらい、私が浴槽の中に入って髪の毛を洗う作戦だ。
「桂さんの髪、やっぱり綺麗ですね。すごく洗い甲斐があります!」
「それなら良いが、真弓殿の服が濡れてしまってはいないか?」
「あ、服と言えば、桂さんの替えの服も必要ですよね。このチャイナ服も洗濯したいですし。」
私がシャワーで泡を洗い流しながらそう言うと、桂さんは吹き出すように笑った。
「さっきから他人の事ばかりじゃないか。怪我が治ったら返さなきゃならない恩が増える一方だな。」
「そんなの桂さんこそじゃないですか。汚れた服でも着てくれているのは私に気を使ってですよね?シーツで大丈夫だったら出せますから、もうこの後チャイナ服洗っちゃいますね。」
「…参ったな、好きになりそうだ。」
「え、…えぇ!!??」
桂さんの言葉に驚いてシャワーを手放してしまって、私も桂さんもずぶ濡れになってしまった。
「きゃー、ごめんなさい!!すぐにタオル持ってきます!」
私は慌てて浴室から飛び出して用意していたタオルを手に取った。
(いきなりあんな事言われたらビックリしちゃうよ。…いや、主語無かったし、私の思い上がりだったら恥ずかしすぎる。)
冷静になる為、数回深呼吸してから浴室の戸を開けた。
「桂さん、ごめんなさい。髪の毛拭きますね!」
同じ体勢のまま待ってくれていた桂さんに駆け寄ると、ふいにタオルを奪われた。
「また他人の事ばかり。…こっちにおいで。」
微笑みながらそう言う桂さんがとても綺麗で、動揺しつつも私は言われた通りにする。
すると、ふわりと私の頭にタオルが落とされ、優しく包まれた。
桂さんは動かせる右手だけで、器用に私の髪を拭いていく。
「お母さんみたい…。」
「せめて父親にしてくれ。…よし、出来た。濡れたついでだ、俺はもう出るから、真弓殿も風呂に入るといい。」
「…そうですね、そうします。」
立ち上がる桂さんに肩を貸して、私達は浴室から出た。
桂さんにはそのまま待ってもらって、押し入れからシーツとタオルを数枚取ってきた。
「ごめんなさい、本当にシーツですけど今日だけ我慢してください。」
「謝らなくていい。世話になっているのはこっちだ、…本当に感謝している。」
そう言って、桂さんは浴室から出ていった。
(適当に男物の服を用意しなきゃいけないかなぁ…。下着も替えがないと不衛生だよね…。)
濡れて重さを増した服を脱ぎながら、そんな事を考えていた。


超ご都合主義のハッピーエンド、か。
私は、銀さんに言われた言葉を思い出していた。
(そんな結末を想像する事は許されますか?)
…大丈夫。
銀さんは優しい。
今は、それで充分だ。

その日はなるべく幸せな事を考えながら眠りについた。


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