【赤の曲線】
 
彼に付いてきて一ヶ月が経った。
何度も何度も言おうとはしてたんだけど、タイミングが悪いのか、彼は出払っている事が多く、なかなか会えない。
運良く会えても忙しいのか後回しにされる事が多く、今更になった。
だから、今日こそは言おうと、見付けた背中に声を掛ける。
「…あの、万斉さん!私、」
「あぁ、真弓。悪いが後でも構わぬか?晋助に呼ばれていてな。」
「…はい。」
彼がそう言う時は大体"後"なんて無い。
結局、私は今日も言葉を飲み込むのだった。


「真弓、随分元気がないねェ。」
「岡田さん…。何で分かるんですか?」
私に声を掛けてきたのは、岡田似蔵さん。
盲目だと本人に教えられたのだけど、日常生活で不便そうにしているのを見たことがないし、今だって物音すら立てていない私に気付いた。
ここでその事に驚くのは私だけらしく、岡田さんは私の事を逆に珍しがっている。
「見えないから分かるのかもねェ?」
「んん…?哲学みたいですね…。どこか向かわれるところですか?」
「おや、河上万斉から聞いてないのかい。ちょっとした"仕事"さね。」
という事は、万斉さんも"仕事"があるから行ってしまったんだろうか。

「何してんスか!晋助様待たせてるんだから、とっとと出発するっスよ!」
遠くから掛けられた女性の声。
「来島さんも"仕事"ですか?」
「そうっス。つーか、真弓。そんな危ない奴といたら、いつ斬られてもおかしくないっスよ!」
「酷いねェ。そんな事は想像の中でくらいしかやらないよ。」
さらりと言われた言葉に、ぶわっと恐怖で鳥肌が出た。
…そう、この人たちの"仕事"は人間の生き死に関わる事がほとんど。
(その事に関して、万斉さんに話したいことがあるんだけど…。)
一ヶ月も叶わずにいるなんて、あまりにタイミングが悪い。
「んじゃ、留守は任せたっス。」
「あ、はい。気を付けて。」
来島さんは岡田さんと一緒に私の前から去った。


********

私が万斉さんに弟子入りを志願したのは一ヶ月よりちょっと前。
公園でたまたま背中合わせのベンチに座ったのが最初。
彼は機嫌が良かったのか鼻歌を歌っていたのを覚えている。
憧れていた人がすぐ傍にいる、それに気付くのに時間は掛からなかった。
それからは、自分でも驚くほどの行動力だった。
「あの、私を弟子にして下さい!!」
「……人違いではござらんか?」
「いいえ!ずっと貴方に憧れていました、間違いません!…名前を出してはマズイんですよね?」
「お主は、」
「私は有村真弓と申します。これから、よろしくお願い致します!」
頭を下げて、次に顔を上げると彼はいなくなっていた。
「うそ…。いつの間に…!?」
(これは完全にフラれたってことだよね…。)
もちろん、私はそんな事で諦めたりはしなかったけれど。

その後は毎日彼を探して追って、弟子入りを志願する日々。
何度も逃げられ、断られ、最終的には疑いの目を向けられた。
多分、週刊誌とかそういう記者だと思われたのだろう。
公の場に姿を現さない人間なのは分かっているから、私の正体を怪しむのは仕方無い。

そんなある日、屋形船に乗り込む彼を見付けて、こっそりと乗船した。
貸し切りなのか、操縦者と屋形には知らない男が一人いるだけだった。
(誰だろう…。派手な着物…胸元すごく開いてるし…。)
襖の隙間から覗いていると、突然襖が大きく開いて、私は中に転がり込んだ。
「痛っ…!」
「…何をしているでござるか?」
背後から聞こえたのはよく知っている声だった。
多分に呆れを含んだその声に、中にいる男が言った。
「万斉、お前の知り合いか?」
「知り合いというか…、」
「これから弟子にして頂く予定です!」
私の言葉に、はぁ、とため息を吐きながら彼は困ったように眉を下げる。
「助けてくれ、晋助。」
「…いいじゃねェか、弟子。」
晋助と呼ばれた男は、クククと意味ありげに笑うと興味を手元の三味線に移した。

晋助さんの助け船により、私は晴れて彼に弟子入りをした。
…盛大な勘違いをしているとも知らずに。

********


「だってまさか、"人斬り河上万斉"だなんて思わないじゃないですか…!」
「おや、またその話ですか。」
今回の仕事の役割が終わっている武市さんが私を見付けてくれて、それから一緒にお茶をしていた。
私がここに立ち入ってから、何かと気にかけてくれる。
彼曰く、フェミニストだから、らしい。
「武市さんから話してくれませんか?人違いでしたって。」
「…言っても構いませんが、貴方はこの船艦に長く居すぎましたからね。ただで帰れるかどうか。それに、散々彼を追い回してついてきた訳ですから。今更、人違いでしたというのも…。」
「う…。それは、そう、なんですけど…。でも、私が弟子入りしたかったのは、つんぽさんで…。」
そう、私はあの日、彼の鼻歌を聞いて、つんぽさんだと確信していた。
最初はお通ちゃんの楽曲が好きになって、何回も何回も繰り返し聞いていた。
正直、お通ちゃんの歌は聞く人を選ぶ。
でも、私は彼女の歌で曲で、笑顔になったし、泣いたし、頑張ろうって勇気をもらった。
そして、プロデューサーとして彼女を輝かせた存在を知った。
(あまりにも情報が少なかったから、色々調べたり、楽曲の癖からどんな人なのか想像したりした。)
だから、鼻歌だけだったとしても、私がつんぽさんを聞き違えるわけがない。
私の夢は、つんぽさんの元で楽曲制作やプロデュース業を学んで、音楽業界を発展させていく事。
(その為につんぽさんに弟子入りしたのであって、決して河上万斉に弟子入りした訳じゃないんだけど…。)
彼の本業が人斬りだと知っていたら、私はこんな所まで来なかったに違いない。
「今は鬼兵隊も忙しい時期ですから、彼も楽曲作りしている場合じゃないでしょうしね。…あぁ、そういえば、再来週に補給の為、一度地球に寄りますからその時に運が良ければ帰れるかもしれませんよ。」
「本当ですか!?…良かったぁ。」
帰れる、という言葉にほっとする。
つんぽさんに弟子入りするという私の夢は曖昧になってしまうけど、音楽業界に関わるなら他の人に師事するとか、別の方法もあるだろう。
「色々お話しして下さって、ありがとうございました!私、部屋に戻ります。」
「はい、さようなら。…くれぐれも寄り道はしないように。」

万斉さんを追ってここに転がり込んだから、降りる時は万斉さんに相談しなきゃいけないんだと思ってた。
でも、再来週に地球に戻るのなら、無理して万斉さんに説明しなくても良いのかもしれない。
(私の話を聞いてもくれないし、勝手に降りても気付かないかも。…それはそれで寂しいけど。)
そんな事を考えていたら、通路を一本間違えていたらしい。
話し声が聞こえる。
「あの女、結局何だって?」
武装した数人の天人がいた。
武市さん曰く、今の計画で手を結んでいる宇宙海賊、らしい。
「幹部の周りをうろついてるが鬼兵隊じゃないらしい。」
「誰かのツレか…?今回の作戦が終わったら人質にして鬼兵隊を潰せるかもしれねぇな。」
そう楽しそうに話す天人の言葉に全身の血が下がっていくのが分かる。
(もしかして、私の話してる…?)
気付かれないようにじりじりと後退りする。
"くれぐれも寄り道はしないように"
武市さんの言葉を思い出す。
勝手に船艦内を徘徊してはいけないと言われて、闊歩出来るエリアが決められていた。
これは万斉さんからの言い付けだった。
(やっぱり、こんな所にはいられない…!)
私は走って自分の部屋まで逃げる。


無事に部屋に辿り着いたタイミングで腰が抜けてしまった。
見上げた窓の外は、暗闇と遠くにある星の光しか見えない。
(地球がどの辺りかも私には分からないけれど。)
何だか落ち着かない私は鞄に手を伸ばし、楽曲用ノートを取り出して思い付いた言葉と音で埋めていく。
(何だか全部、万斉さんだったらこうかなって型が染み付いちゃってる気がするなぁ…。)
集中していると、さっきまでの恐怖心が和らぐのが分かる。
(そう言えば、晋助さんは何故私が船艦に乗る事を許してくれたんだろう。あの"高杉晋助"なのに。)
私でも名前くらいは聞き覚えのある有名な鬼兵隊総督。
…会ったのは、あの屋形船が最後だけれど。
武市さんは、運が良ければ帰れる、と言った。
(運が良くなかったら、どうなるんだろう。)
窓の外にはただただ宇宙が広がっていて、その景色を見つめたまま、気付いたら私は眠りに落ちていた。


「真弓。…真弓。」
「…ん、……っ!?つん、…万斉さん!?」
「好きな方で構わぬよ。」
床で寝てしまった私を見下ろしているのは、間違いなく万斉さんだった。
いつもの革の服じゃなくて、黒い着流しを纏っていて一瞬誰か分からなかった。
私は慌てて体を起こして身なりを整える。
突然の万斉さん登場に動揺しながらも質問した。
「ど、どどどうして部屋にいるんですか?私、鍵掛けたはず…、」
「外から呼び掛けても返事が無かった故、強行突破させてもらったでござる。」
チャリ、と音の鳴った万斉さんの掌には鍵の束が握られていた。
「無事で良かった。」
ふっと柔らかく笑う万斉さんにドキッと心臓が跳ねる。
(こんな表情、初めて見た…。)
目の前にいるのは人斬りなのに。
「や、でも心配だなんて大袈裟ですよ!今朝挨拶したばかりなのに。」
「それは昨日の朝の話でござるよ。今は…真弓からみて翌日の夜といったところか。」
「……………え?」
それって、一日近く眠っていたって事?
地球に帰れるかもって安心したから?
(緊張の糸が切れて気絶したのに近いのかも…。)
万斉さんは私の横に座って話を続けた。
「拙者がいない間、真弓の事は武市に管理してもらっていたでござるよ。昨日、共に茶を飲んでから、夜、朝、昼、夜、一度も食堂に現れてないと聞いて、さすがに何かあったのではないかと。」
「管理、ですか…。」
「今、この艦の治安は良くなくてな。…晋助は親切じゃなく面白半分でお主をこの船艦に乗せたのだ。故に、ここで真弓が生きようが死のうが晋助の娯楽になるだけでござるよ。」
「!」
人の命を何とも思ってない冷酷さは、聞き覚えのある高杉晋助の印象と合致した。
震える私を見て、万斉さんはやれやれと溜め息を吐いた。
「別に晋助は真弓をどうにかするつもりだった訳ではござらん。拙者が困っているのが面白かったのでござろう。」
「あ…。」
私は、つんぽさんが正体を明かしていないのに付き纏わって困らせたけれど、私を避けていた本当の理由は考えられなかった。
生きている世界が違いすぎる事を。
万斉さんが、私の為に私を避けていた事を。
「万斉さんも晋助さんも、私があの時つんぽさんだと思い込んでいた事に気付いていたんですね。…万斉さんは、どうしてこんな面倒な奴、気に掛けてくれたんですか?」
「…嬉しかったからでござるよ。拙者の鼻歌だけで、正体を見破ったのはお主が初めてでござった。たくさん曲を聞いてくれたのだろう?」
万斉さんは優しく笑うと、開いたままのノートを拾い上げた。
「弟子を取ることは出来ぬが、地球に戻るまで、拙者の全てを真弓に叩き込むつもりでいるから覚悟するでござる。…いつか拙者がいなくなっても、任せられるように。」
最後にぽつりと呟かれた言葉だけ、私は聞き取れなかった。


それから地球に戻るまで、万斉さんは時間を見つけては私の部屋に立ち寄ってくれるようになった。
仕事が落ち着き始めたのと、この前の約束があるからだ。
雑談もするけど、基本的には万斉さんの業界座学と私の曲作りの添削。
「万斉さん、私すっごく幸せです。」
「フッ、期待に応えられているなら何よりでござる。」
万斉さんは添削用の赤ペンを指先でくるりと回しながら笑う。
(人斬りってだけで怖くなってたけど、やっぱり本当は優しい人なんだろうな…。)
彼が音楽を愛しているのは、見ていれば分かる。
私は、少しだけその心に近付けたんじゃないかなと思うと同時に、ある不安も抱いていた。
「万斉さんは、いなくなったりしませんよね?」
「……。」
万斉さんは私を弟子にはしないと言ったけど、こうやって学べば学ぶほど、つんぽさんの代わりを作ろうとしているのではないかと感じる。
「私の夢はつんぽさんに弟子入りする事ですけど、つんぽさんと一緒にお仕事するって夢がまだあるんですから、…逃がしませんからね。」
「ふむ、まるで告白でござるな。」
「そう聞こえませんでしたか?」
私の答えを聞いて、万斉さんは声をあげて笑った。


「お世話になりました!」
地球に着いて私を見送ってくれたのは、万斉さんと武市さんと、少し離れた所から手を振ってくれる来島さんだった。
「もう付いていく人を間違えてはいけませんよ。」
「はい、これからも間違えません!」
武市さんの言葉にそう答えると、武市さんと万斉さんは目を丸くした後、穏やかに笑った。
「真弓。…ありがとう。」
私は差し出された万斉さんの手を、両手で握り返した。
「っ、ありがとうはこっちの台詞です。」
「告白には応えよう。それが師匠の甲斐性にござる。」
「! 弟子として精一杯精進します!」

この補給が終わったら、暫く地球には寄らないらしい。
暫く、という曖昧な期間にひどく不安になったけれど、私はその度、赤ペンだらけのノートを繰り返し読んだ。

宇宙で万斉さんに添削してもらった楽曲のひとつがお通ちゃんのアルバムに収録されるのは、それからもう少し先の話。


end

 
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