【針と鋏とリボン】
 
時折、攘夷戦争時代の夢を見る。
あれから十年以上経っているというのに。
自陣での比較的穏やかな夢というより、戦場にいる夢だ。
色褪せた風景に鮮烈に広がる赤い色。
生きるか死ぬかの世界で、手段なんか選ばなかった時もある。
辰馬の武器調達が安定する前は、刀以外にも農具や包丁やでかい鋏を使った事もあった。
そういう夢を見る時は、決まって反り血を多く浴びてから目が覚める。
現実では反り血ではなく、大量の汗をかいている時がほとんどだが。

この夢を見た後は、…真弓を恐ろしく感じる事がある。
真弓は普通の女だし、出会ったのも俺が万事屋を始めた後だから攘夷戦争とは関係が無い。
だから、天人でもないし強いわけでもない真弓に抱くべき感情でない事は理解しているつもりだ。
(…理解している、か。)
多分それは、理解出来ない事への恐怖に近い。
かといって、霊的な物への恐怖とも違う。
(いや、別に霊とか怖くねェし!理解出来ないものの一般的な例えなだけだしィ!?)

一人でツッコミすンのも虚しくなってきたところで、真弓が俺に声を掛ける。
「銀ちゃん、今ヒマ?」
「ジャンプ読んでっから暇じゃありませーん。」
「あのね、ボタンの縫い付けお願いしたいんだけど。これ、糸と針。」
「あれ?俺の声聞こえてない?聞こえてないのかな?」
「背中のボタンね。デザインは可愛いんだけど、着るの手間取ってたら爪引っ掻けたみたいで…。」
「あのォ、もしもーし。俺の声聞こえてる?そもそも、俺の姿見えてる?」
「? 聞こえてるし、見えてるよ?そのジャンプ、昨日読み終えたやつでしょ?」
きょとんとする真弓を見て、その頼みをきく以外の選択肢が無い事を思い知った。
「ハイハイ。…で、ボタンが何だって?」
「ここ。銀ちゃん器用だからこのまま縫ってもらえるかなって思って。」
真弓がくるりと背を向けると、確かに丁度背中の真ん中辺りのボタンが一つだけ無くなっていた。
「いやいや、脱げば済む話じゃね?」
「ううん。私が脱いで縫って着直すより、銀ちゃんにこのまましてもらった方が絶対に早いもん。…だめ?」
俺がなかなか動かないから、真弓は不安そうな顔をした。
駄目じゃない。
真弓の頼みなら、何だって叶えてやりたいと思う。
だけど、…俺はコイツのこういう所が怖い。

「…絶対に動くンじゃねーぞ。」
針に糸を通して、外れてしまったボタンを元の位置に当てる。
真弓は、はーい、と気の抜けた返事をして姿勢を正した。
(背後に針を持った男がいて、平気なんかねェ。)
あの時代は幕府側の間者が部隊に紛れ込むこともあった。
仲間だと思ってた奴に、後ろから刺されて死んだ奴もいる。
勿論、直ぐに仇は取った。
それ以来、背後を誰かに任せる事は出来なくなった。
(あったけェな…。)
真弓の背中に手を添えながら思う。
この数cm先には心臓がある。
針の長さが倍あれば、そこに針を刺し入れる事は難しくない。
…真弓はそれを考えたりはしないんだろうか。

真弓に針が刺さらないように注意しながらきつめにボタンを縫い付け、余分な糸を切ろうとしてアレが無いことに気付いた。
「なァ、鋏は?」
「あ、持ってくるの忘れてた。噛み切ってくれても構わないけど…。」
「そういう無防備な事言わねーの。服だけ持ってきたなら俺だってそうしてっけど、絵面考えろや。変なスイッチ入ったら責任取れンの?」
言い終わるか終わらないかのうちに真弓がくるっと振り返った。
(あっぶね…!手を引くのが遅れたら、針が当たるとこだったわ…。)
心臓がバクバクと動揺している。
「鋏持ってくるから待っててッ!」
真弓は俺の横をすり抜けて隣の部屋に裁縫道具を探しに行った。
(想像させちまったかな…。顔、少し赤かったし。)
と、そんな顔を見てしまったら、俺だってムラムラしちまう訳だけど。
針を分かりやすいように机の真ん中に置いて、真弓が戻ってくるまでとソファーに腰を下ろした。

(鋏か…。)
夢にも出てきたな。
先を研げば刺すのはそこまで難しくねェし、刃が大きければ切断にも使えた。
(…今日は随分、夢見を引きずっちまうな。)
はぁ、と溜め息を吐くと同時にピタリと冷たいものが首筋に当たって、俺は思わずソファーから立ち上がる。
振り返ると真弓がソファーを挟んで真後ろに立っていた。
手には鋏が握られていて、俺の首に触れたのは、持ち手のプラスチックの部分だと知る。
「あ…。ごめん、そんなにびっくりするとは思わなくて…。冷たかった?」
「……いや、ちょっと寝惚けてただけだ。貸して。…って、お前これ。」
真弓から受け取った鋏は糸切り用の小さい鋏ではなく、俺の掌よりでかい断ち切り鋏だった。
「普通の鋏も見付けられなくて。大きいから使いにくいかなとは思うんだけど。」
ソファーの後ろから俺の目の前に移動してきた真弓は、当たり前のようにこちらに背を向ける。
「とりあえず、それでサクッとお願い。」
「……。こんだけ厳つい鋏だったら、耳とか指もサクッといけそうだな。」
「あはは、そうだね。でも今は糸の方を切ってほしいかな。」
思わず物騒な事を言った俺に対して、真弓は面白そうに笑って答えた。
(疑う事を知らねェというか、警戒心が無さすぎるというか…。)
俺だったら、知り合いでもこんな鋏持ってまま背後に立たせたりしない。
信頼だとしても、そこにはある程度の境界線はあるはずだ。
真弓は俺が鋏を使うのを待っているのか、じっとして動かない。
その背中も、腕も、首も、耳も、見るからに柔らかくて簡単に刃物が入りそうだと思った。
(…はは、何考えてンだ俺は。そんな猟奇的な性癖なんて無ェだろ。)
俺はボタンを縫い付けた生地の部分をなるべく真弓の体から離して糸を切った。
シャキンと重たいのに鋭い音が鳴る。
とりあえず鋏を懐にしまって、ボタンを締めてやった。
しっかりと固定してあるし、位置も丁度良いみたいだ。
「ホラ、出来たぞ。つーか、こんな妙なデザインの服どっから持ってきたンだ。」
「この前、お妙ちゃんと買い物してる時に九兵衛ちゃんに会って、自分は絶対に着ないからって貰ったの。で、一回合わせてみようかなって。」
なるほど。
あの変態が九兵衛に着せようとした服か。
確かに細部が細けェ作りになってるし、裾に小さいフリルが付いているのが如何にもだ。
真弓は自分の背中に手を当ててボタンが付いたことを確認すると俺に満面の笑顔を向けた。
「さすが銀ちゃん!きちんとボタン付いてる。ありがとう。」
「おー。」
この笑顔を見れるのなら、ボタンの1個や2個くらいいつでも付けてやる。
「この服どう?可愛い?似合ってる?」
「あー、うん。可愛い可愛い。」
「何か嘘っぽいなぁ…。もっとちゃんと見てから言ってよー。」
いや、だって、可愛くない訳ねェし。
俺は針の横に鋏を並べて置いた。

頼まれ事を終えた俺はソファーに体を投げて、読みかけのジャンプを手に取る。
確かに真弓の言った通り昨日全部読み終えているが、他にやる事もねェし、新しい発見もあるかもしれねェし?
「銀ちゃん、またジャンプ?」
「そーです。ジャンプは2周目からが本番…、あ?リボン、縦結びになってンぞ。ふはっ、相変わらず下手な、お前。」
真弓の首元に結ばれたリボンは片側が上に向いていて、不格好になっていた。
背中にボタンだわ、フリルだわ、胸元にでけェリボンだわ、これを九兵衛に着せようとした勇気はいっそ讃えてやりたい気もするが。
「えぇ?さっきまで綺麗に出来てたから成功したんだと思ってたのに…。もー。」
真弓はリボンを確認すると、少し残念そうな顔をしながらリボンを解いた。
そして、そのリボンを俺に手渡す。
「…ん?え、何?」
「お願いします。」
ソファーに座っている俺に高さを合わせるためか、真弓は俺の足の間に入り、膝立ちして首筋を伸ばす。
少しだけ上目遣いになっているが、たちが悪い事に計算ではないのだろう。
要するに、俺にリボンを結べという要求だ。
(にしても、細ェ首…。)
そろりと真弓の首筋に触れる。
異形の天人とは違う、…絞めやすそうで、折りやすそうな首。
とくとくと微かに首が震えるのは血液の流れ。

「…銀ちゃん?」
「!」
気付いた時には、俺は真弓の首を両手で絞めるような形で触れていた。
俺は慌てて手を引っ込める。
(有り得ねェ、有り得ねェだろ…ッ!今、本当に無意識だったなんて…!)
真弓の事が怖いなんて言ってる場合かよ。
俺の方が比べ物にならねェくらいに狂ってる。
「わりィ…。ちょっと俺、今日はどうかしてるわ…。」
少しでも距離を取れるようにソファーにめいっぱい深く背を預け、真弓から目をそらして自嘲。
その様子を真弓がじっと見ている気配がする。

「銀ちゃん。」
そう言って真弓は俺の腹辺りにぎゅっと抱き付いた。
「ちょ、真弓離れて。本当に今日は、」
「大丈夫だよ。大丈夫。」
俺の言葉を遮って、真弓は抱き付いたままポンポンと俺の背中をあやすように軽く叩く。
「よく分かんないけど、嫌な夢見たんでしょ?…戦争の夢、かな。誰かに殺されちゃう夢?殺しちゃう夢?…それとも、私を殺しちゃう夢だった?」
当たりでもないが、外れてもいない。
普段、のほほんとしているが、こういう時の勘はやけに鋭い。
俺が言葉を返さないから、真弓は複雑な顔をする。
「あれ?もしかして、最後のが正解?ちょっとショックかも…。でも、私、殺されたら毎晩枕元立つけど良い?銀ちゃん、夜中トイレ行けなくなるんじゃない?あ、日中もずっと横にいるから耳鳴り止まらないかもしれないけど良い?」
「いや、何で殺された側が俺の精神面の心配してくれてンの。」
つーか、何これ、死んでからも俺と一緒に居たいって事?
(コイツまた無意識で言ってンな…。そういうとこ天使のフリした小悪魔だわ。)
抱き締められてるからか、真弓が笑うとその振動が体に伝わってくる。
「ふふっ。なーんて、銀ちゃんがそんな事するなんて全く思ってないんだけどねー。」
「お前の…その根拠の無ェ俺への信頼は何なの…。」
恐る恐るその頭に触れて撫でてみると、真弓は顔を上げて嬉しそうに笑った。

改めてリボンを手に取り、真弓の首に回す。
「…あ、今、リボンで首絞めちゃうの想像した?」
「ちょっとな。…オイ、何笑ってンだ。」
真弓に突飛な事を言われたが、残念ながら事実だった。
たかが夢のせいで、今日一日はずっとこんな調子かもしれない。
目の前に真弓がいるから真弓で想像してしまうだけで、多分これが新八や神楽でも同じ事だろう。
けど、実際にそうなってしまった時、二人は俺を殴って逃げられるだろうが、真弓にその力は無い。
真弓は笑うのをやめると首に回されたリボンを俺の手から抜き取り、俺の首へと回した。
「っ、何、」
「…今、私に首絞められると思った?」
「……。思わねェよ。驚いただけだ。」
真弓は、銀ちゃんも私の事を信頼しちゃってるねー、と悪戯っぽく笑ってリボンを机に置いた。
「うん、リボンは後で良いや。今から銀ちゃんと一緒に寝ます。って事で銀ちゃんの布団出して。」
「えっ、…何なにィ、こんな昼間からそんな積極的な、」
「違っ!そ、そういうんじゃないから!怖い夢を上書きしに行くの!銀ちゃんが望んでないなら、私は絶対に銀ちゃんに殺されてあげないって証明するから安心して。」
握り拳で自分の胸を叩いて、真弓は頼もしい笑顔を浮かべる。
その証明も、根拠のない励ましだと理解はしている。
何故なら俺の過去は変わらないし、夢を操作する事も真弓に出来るわけ無いからだ。
だけど、真弓がそう言い切ると、俺はそれを信じたくなる。
「はは、敵わねェな…。んじゃまァ、いっちょお願いすっかね。」
俺はソファーから立ち、真弓の手を取る。
「…でも、俺の布団に入るなら、それなりの覚悟だけはしとけよ?無事でいられるかは分かンねェぞ。」
「銀ちゃんこそ、覚悟してよね。抱き枕にしてやるんだから!」
「っ、」
真弓の抱き枕にされるのは存外悪くねェなと考えて反論が遅れてしまった辺り、改めて俺は真弓に惚れ込んでいるらしい。
俺は真弓に言われるがまま布団を敷き直した。


その後に見た夢は、やっぱり攘夷戦争時代の夢だった。
違ったのは自陣の一室での出来事で、目の前の大福を食べようと手を伸ばしたら金縛りに合って食べられない、という何とも気の抜けた夢。
その理由は起きてから分かった。
目が覚めると俺の腹の上に真弓ががっつりのしかかっていた。
(寝相どうなってンだ、これ。)
だが、無理に引き剥がす必要も感じないし、そのままで真弓の寝息に耳を澄ます。
すると寝息に紛れて寝言が出てきた。
「……、まめだいふく……。おいし…。」
「(あ、コイツ俺の夢の中の大福食べやがった。)」
証拠はないが、そんな気がしてならねェ。
…まぁ、真弓にだったらたまには譲ってやってもいいか。
新しく別の夢を見たせいか、今朝の夢は薄まった気がする。
「お前のおかげで夢の上書きが出来たみてェだわ。あんがとな。」
そろりと手を伸ばし、真弓の頭を軽く撫でる。

もしかしたら、あんな夢を何度も見るのは自分への警告なのかもしれない。
もうこれ以上大切なものを失わないように生きろと。
「…もう二度と失わねェよ。」
俺はそう呟いてから、真弓を起こさないように布団から抜け出した。

「目ェ覚めたら、次はちゃんとリボン結んでやる。」
窓から血のように赤い夕日が差して真弓を染めたが、綺麗だとは思えど恐怖を感じることはもう無かった。



end

 
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