【雨ときどき君】
 
空は曇天。
雨降りそう…なんて思った瞬間に降りだした。
バケツの水をひっくり返したかのような豪雨。
買い物は明日にすれば良かったな、と反省しても遅いので、突然の雨に慌てて走る人々と同じく、私も家路を急いだ。

こんな天気に暢気に外を歩く人間もいるはずがなく、世界に私一人みたいな感覚になる。
帰り道に必ず渡る橋がある通りに出ると、その橋の下で雨宿りしている人を見付けた。
気だるそうな、けれど間違いなくそこに色香が含まれている彼は、雨空を見上げながら紫煙を燻らせていた。
会うのはかなり久しぶりで、こんな場所にいるのが意外だった。
話し掛けて良いものか一瞬悩んだけど、無視出来るはずもない。
(…ちょっと脅かしてやろ!)
彼が目を向けているのとは違う方向から土手を下り、その背後に近付く。

「たか…、」
あと少しという距離まで近付いて名前を呼ぼうとした瞬間、ヒュッと煙管が私の喉に突き付けられた。
「あ、」
「! お前…、」
「あっつッッ!!!!」
当てられた煙管を右手で払うと、この豪雨の中濡れずに済んだ地面にカランと音を響かせた。
「オイ、何しやがんだ。」
「それはこっちのセリフ!!火傷!火傷した!!っていうか、振り向き様に煙管押し付けるってどんな教育受けてんだ、こらー!!」
吠える私を、ひどく冷静な眼差しでその男は見る。
まるで氷だ。
「…どんな教育も何も、お前と同じ、だろ?」
感情が全く籠らないその言葉の意味は嫌でも分かる。
「あーもう、女々しいな。私の方が松陽先生歴長いんだからね。…アンタだけじゃないのよ、今も引き摺ってるの。」
「…相変わらず銀時の次に煩ェ奴だ。」
「失礼な!辰馬の方がうるさいに決まってるでしょ!」
高杉は初めて表情を崩して、違いねェ、と薄く笑った。

高杉晋助。
過去の学友は、鬼兵隊の高杉として絶賛指名手配中。
そんな危険人物にこうやって話しかけているのは、寺子屋では一緒に松陽先生の元で学んだ仲間だったからだ。

(…大人になったなぁ、高杉。)
攘夷戦争に破れて、皆バラバラになってから会う事はほとんど無くなった。
背も、ほんのちょっとは伸びた?
声もあの時より落ち着いた低い声になった。
高杉がどんな事をしているかは、何となく耳に入っている。
…それが正しく私に伝わっているのかは、分からないけど。

皆、少なからず変わってる。
私も、銀時も、辰馬も、小太郎も。
…なのに、目の前の男だけ、前に進むのを拒んでいるように感じる。
実際そうなのだろう。
だって、高杉だけは先生に囚われている気がするから。

「…あ、通報しよ!今月ピンチだし。」
「小遣い欲しさにンな事するのか、オメーはよ。」
軽口が言い合えることに密かに安堵する。
高杉の表情も幾分か柔らかくなったかもしれない、なんて思うのは私の願望だろうか。
「まぁ、実際にはしないよね。今まで以上に高杉に会えなくなるのは残念だし?」
濡れて重くなった着物の袂を絞ると、ぼたぼたと水を滴らせた。
その様子を見ながら、高杉は溜め息混じりに言う。
「…変わンねェな、真弓は。」
「まーね。だって時間が経っても変わらない事もあるもの。…例えば、高杉が先生の事大好きだって事とか?」
「それ、」
「言っとくけど、私の方が先生の事大好きだから!結婚の約束までしたし!」

もちろん、先生が本気で返事をしてくれた訳じゃないのは分かってるけど、あの時の私は本当に嬉しかった。
だから、…うん、今でもショックだし辛いよ。
先生がいない世界なんて考えた事無かったから。
でも、知ってる。
私には他にも大切に思えるものが、この世界にはまだあるって事。
それは先生と比べるなんて事は出来ないけど、…高杉にはまだ分からないかもね。
私だって分かりたくもなかったし。

「……雨、すごいねー。」
ぽつりと呟いて空を見上げれば、高杉も黙ってそれに倣った。
二人とも黙ると、叩きつけるような雨音しか聞こえない。
話すことが無いならもう家に帰れば良いのだけど、なかなかに離れがたいのが本音。
銀時や小太郎みたいに江戸にいるわけじゃないし、辰馬みたいにたまに連絡してくれるわけでもない。
だから、私が次いつ高杉に会えるかなんて分からないし、もしかしたらもう会えないかもしれない。

「高杉は、さ。」
あぁ、これ言うと怒るかもしれないなぁ。
高杉が私に視線を向ける前に全部言い切ってしまおう。
「今、…ちゃんと幸せなの?」
「…。」
横目で見られるだけかと思ったけど、高杉は体ごとこちらに向けて私の話を聞いてくれるらしい。
「いいんだよ?高杉がやりたい事が今の生き方なら私は干渉できないし、しちゃいけないと思ってる。」
そして、一度深呼吸して続ける。
「ただし、私が護りたいものとアンタが壊したいものが重なったら、私は正面切って止める。」
「…だったら今止めりゃいいだろうよ。俺が何をしてるか知ってて言ってンならな。」
「今は止めないよ、善悪論をしたい訳じゃないの。私は、指名手配されてる高杉に言ってるんじゃない。アンタ個人に対して言ってるんだよ、"晋助"。」

私が晋助じゃなく高杉と呼ぶように変えてからどのくらい経つのだろう。
指名手配犯を親しげに名前で呼ぶわけにもいかないし、その事が追々晋助の枷になる訳にもいかなかった。
…勿論、一般論的には晋助のしている事は誉められたものじゃない。
けど、先生が殺されたあの時、こんな世界壊れてしまえと本気で呪った私にとって、晋助の行動原理は痛いほど分かる。
つまり、今の晋助は可能性としての未来の私の姿だったに違いない。

「…先生なら、止めるか?」
低くそう溢した晋助の言葉に心臓が締め付けられるような感覚がする。
本当の意味で晋助を止められるのは、きっと後にも先にも先生一人だけだ。
どうして先生は、もう、いないんだろう…。
私は松陽先生の顔を思い出しながら答える。
「…誉めてはくれないけど、止めないと思う。止めたいと思ってても。」
「それじゃ、お前と変わンねェなァ。」
ハッと吐き捨てるように笑った晋助の顔はどこか寂しげで、あぁ本当は一人にしちゃいけない人なんだって思った。


雨はまだ止まない。
通りを往く人もいない。
結野アナによるとこれはゲリラ豪雨だから、ある程度待てば晴れるらしい。
だけど、どうやらそれはまだのようで。
おかげで、晋助は橋の下に留まっている訳だけど。
「ねぇ、晋助は皆に会ってる?」
「………何も聞いてねェのか?」
質問に質問で返されて私は首を傾げる。
何かあったのかな…。
銀時達は何も言ってくれてないけど。
「もう昔の関係で会う事はあるめェよ。俺達は違う生き方を選んだ。」
「………。」
何があったのかは教えてくれないのに、皆との関係に亀裂が入ってる事だけ分かった。
銀時も小太郎も晋助も、それぞれがそれぞれに絶対に曲げられないものを持っている。
寺子屋の時からそうだった。
だから三人はよく衝突もしたし喧嘩もしてたし、その分、仲が良かったように思う。
銀時と小太郎の考えが同じだとは言い切れないけど、晋助がこういう風に言うのなら、これは仲直り不能な"喧嘩"なのかもしれない。

…晋助は、大丈夫なのかな。
銀時にはかぶき町の皆がいて、小太郎にはエリザベスさんがいる。
晋助にも今の仲間がいる事は何となく知っている。
けど、その苦しみを共有してくれるような、晋助と対等の仲間はいるのかな。
本当は銀時達に理解して欲しかっただろうな。
私なら理解してあげられた?
でも、あの銀時や小太郎が教えてくれていないんだから、私には立ち入れない危険な"喧嘩"だったんだろうと思う。

「………。」
「黙ンなよ。別に真弓がどうこうする話じゃ、」
「一人じゃないよ。晋助は、一人じゃないから。」
「は?何言って、」
「晋助がそういうの気にしないって事は知ってる。でも言わせて。一人じゃ、ないよ…。」
「………先生みてェな事言ってんじゃねーよ。」
晋助はうんざりしたような表情で息を吐くと、乱暴に私の頭を撫でた。
私も、自分で綺麗事言ってる自覚はある。
だから、晋助の心の奥に響いたりはしない事も知ってる。
単純に私が言わずにはいられなかっただけ。
世界にたった一人きりみたいに感じて欲しくない。
晋助には今の仲間がいる、銀時や小太郎ともいつか仲直り出来る。
それに、私もいる事を忘れないで欲しい。
頭の片隅で良いから、忘れないで欲しい。

雨は徐々に弱まってきて、遠くの空には晴れ間が見えた。
「あのよ、」
「………なに?」
私に話し掛けて、すぐに言葉を詰まらせる晋助の顔を覗き込む。
「…真弓が護りてェものってのは何だ?」
「それ、晋助はどうなのよ…。」
「聞いてンのはこっちだ。」
晋助の行動原理が松陽先生なら、護りた"かった"のは、先生がいた世界。
壊したいのは、先生を奪ったこの世界。
(…優しいね、晋助は。)
誰かをそこまで慕えたり大切に出来るなんて簡単じゃないんだって、気付いてる?
「私が護りたいのは、私に都合の良い世界。」
「随分下衆な回答だな、そりゃァ。」
呆れたような、困ったような、そんな顔を晋助がする。

ねぇ、あの頃から何も変わらないよ。
だから、だからね。
…いつか、あなたの選択が私を殺そうとも、怖くないんだよ。

「下衆で結構!私は私に優しい世界を望むもん。…私の周りの人が、幸せである世界。」
銀時なら何かしらリアクションをくれるんだけど、晋助はただ黙って私の話を聞いている。
「私の望む世界はすごいんだからね!何と!晋助が幸せに生きることを推奨してる世界なんだから!」
ダメだなぁ…。
いつか晋助に会えたら、地球に帰ってきてって言うつもりだったのに。
それを言う事は今の晋助を否定するみたいで言えるわけ無かったなんて。

「………変わったな、真弓。」
晋助が薄く笑いながら言った。
「えぇ!?さっき"変わらない"って言ったの晋助じゃない!?ねぇ、一応男なんだし二言は無しみたいな方が格好良いと思うよ?侍魂だよ?そんなシェフみたいな気まぐれさで良いの?晋助、シェフなの??」
「煩ェ。その口塞ぐぞコラ。」
言うと同時に晋助の大きな掌が私の口元を覆った。
色気のある展開にならないのが実に私と晋助らしいと思う。
「んー!?」
「"変わった"。…随分とイイ女にな。」
「!」
「このまま拐ってやろうか。…真弓、俺と来い。」
そう囁く晋助の隻眼はひどく真剣で、茶化してるなんて一瞬たりとも思わなかった。
だからこそ、私も茶化して答えちゃいけなかった。
「…足手まといを船艦に乗せないで。…気持ちだけ、貰っとく。」
何だかこれが正しい答えなのか、自分が望んだ答えなのかも分からない。
行くと答えれば、晋助は本当に船艦に乗せてくれたかもしれないし、冗談だと笑ったかもしれない。
雨空のように澱んだ私の気持ちとは裏腹に、ついに雨は完全に止んだ。
「………痕が残りそうだな。」
晋助は、煙管の火傷で赤くなっているだろう私の首を一度だけ指先で撫でた。
「出会い頭に女を傷物にするなんて、晋助は最低だねー。」
「………。」
「晋助?…っなに、」
ゆるりと私と距離を詰めた晋助は私の顎を掬い上げ、先程撫でた首筋に口付ける。
予想すらしていなかった行動に驚いて、抵抗する事すら忘れていた。
「…し、晋っ、助……っ!!」
数手以上遅れて、私は晋助の肩を押す。
火傷で熱を持った痕が、さらに熱くなるのを感じる。
「永遠に、痕が残っちまえばいい。」
そう呟いた晋助の表情は見えなかったけど、その声音に胸が痛んだのは私の方だった。
「…私は、」


「晋助様ァァァー!!こんな所に居たんスね!武市先輩が探してるっスー!!」
突然降ってきた声にビックリしてそちらを見ると、ピンクの着物を着た金髪の女の子がいた。
晋助は私から離れて、落としたままになっていた煙管を拾い上げた。
あぁ、行っちゃうのか…、だけど私にそれを止める権利はない。
きっとあの子は晋助を迎えに来たのだ。
今の晋助の仲間。
「ちょ、晋助様っ!その女は何なんスか!!」
真っ直ぐ私に突っ掛かってくるあたり、本当に晋助を慕ってるんだと分かる。
晋助にもちゃんと居場所があるんだって事が、悲しいようで、とても嬉しい。
「初めまして。…どうか。これからも高杉をよろしくお願いします。」
もう、今の私では晋助と一緒に居てあげられないから。
ぺこりと頭を下げると少女は怪訝そうな顔をした。
「はあァ!?晋助様、この女、本当に何、」
「…行くぞ。」
私と少女に背を向け、晋助は歩き出した。
「ま、待ってください!晋助様ー!!」
私には目もくれず、少女は晋助を追う。
横に並ぶ彼女は嬉しそうに笑っていて、きっと晋助の事が大好きなんだろう。
その姿を見て確信する。
私はもうあんな風に晋助の横は歩けないな…。
それはもうどうしようもない事実で、今さら何をしても変わらないだろう。
小さくなっていくその背中を見つめていると、突然晋助が振り返った。
「……。」
不敵に笑いながら、指先で自身の喉をトントンと数回叩くだけの仕草。
それも一瞬で、あの晋助の真意なんて易々とは掴めない。
ただ。
何だか、また会えるんじゃないかという気持ちになった。
それがいつかなんて分からない、数日後か数年後かもっと先か。
それでも晋助が私を忘れないでいてくれれば。
「…私は忘れないもの。その為に、残していったんでしょ?…痕が消えたって残るよ、こんなの。」
熱で疼く首筋に触れる。
あぁ、確かに今、晋助はここに"居た"んだ。


元気でね。
また会えますように。
…会えない方が幸せかな。

願わくば、この雨上がりの空のように。
穏やかに再会できることを。
それ以上に。
どうか、晋助が幸せでありますように。
「バイバイ。」
声に出したその言葉は少し切なくて、でも私はこの気持ちを大切にしたいと思う。


土手を上がり、橋を渡る。
橋の真ん中から空を見上げると、綺麗な虹が掛かっていた。
「ねぇ、晋助見てる?私が護りたい世界は、こんなに美しいよ。松陽先生を失っても尚、こんなに美しいよ…っ!」
ぽたりと頬を伝ったのは雨じゃない。
けれど、これが地面に吸われ、晋助の立つ地面に届けばいい。
なんて。
そんな事を思うんだよ。


end

 
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