【何度だって】
 
意識が沈んでいる。
それが少しずつ浮かんでくるこの感じは、夢から覚めるのに少し似ている。
ただの夢から覚めるのと違う点と言えば、何故かやたら体が痛む事くらい。
意識がハッキリしていくにつれて、その痛みもハッキリしていく。

「………ッ。」
「おい、大丈夫か!?」
まだ少し霞んだ視界で最初に捉えたのは、銀髪の男性。
…髪の毛がくるくる跳ねてる。
彼越しに見える太陽の光に反射するそれはキラキラ輝いて、とても綺麗。
「派手に落ちたけど、骨とか折れてねェよな!?」
骨は大丈夫そう、…そう答えようと思って気付く。
彼は地面に立て膝になっていて、私はその膝に座らされて密着するように抱き締められていた。
「ッ!」
慌てて飛び起きようとしたらバランスを崩して地面に落ちた。
この全身を打ち付けるような痛みは、体が覚えている。
なるほど、私の着物は土埃で汚れているし、目の前には階段があることから、踏み外して落ちたのは間違いない。
それをこの男性が見付けてくれたのだ。
「おい、急に暴れンなよ!アザだらけになっちまうだろうが。」
「あ…、す、すみません。」
でも、目覚めて見知らぬ男性に抱き締められてたらビックリするのは仕方ない事だと思う。
私がゆっくり立ち上がると、銀髪さんも立ち上がった。
「あの…、介抱して下さってありがとうございました。失礼します。」
ぺこりとお辞儀をして、足早にその場から立ち去る。
…それで、この件は終わるはずだった。

なのに、その人はついてきた。
道が同じなのかもしれないし、変に意識しないようにはしてみたけど、一定の距離で私の後ろを歩いている。
身長や歩幅を考えたら、私なんかとっくに追い抜けるはずなのに…。
私は足を止めて振り返る。
…すると、やっぱり銀髪さんも足を止めた。
「……あの、この辺に住んでる方ですか?」
「…いや?…何でそんな、」
聞いているのは私なのに、銀髪さんは私より不思議そうな顔をしている。
でも確信した。
この人、やっぱり私の後を着いてきてる!!
「心配して下さってるなら、ありがとうございます!でも、もう大丈夫ですので!!」
「ちょ、おい…ッ!!」
お辞儀をした瞬間、全力ダッシュ!
まさか本当にストーカーでは無いと思うけど、少し気味が悪かった。

そのまま私は大江戸スーパーに飛び込んだ。
(そういえば、お米切らしてたな…。)
ついでだから買い物して帰ることにしよう。
買い物かごを持って店内を物色する。
えーと、アイスコーヒーといちご牛乳と、…。

「……あれ?」
私、いつもいちご牛乳なんて飲んでたっけ??
やたら手に馴染むいちご牛乳のパックを暫く見詰める。
「私が飲まないんだから、いらないよね??」
私はいちご牛乳を陳列棚に戻す。
どうして自然に手が伸びたのか、私には理解できなかった。

お米はいつもの2kgで良いかなぁ?
そう思って私の頭より高い位置にある米袋に手を伸ばすと、私の後ろから伸びてきた腕にそれを取られた。
「…なに優雅に買い物してンだ。寄り道すンなら病院行け、病院。」
「!! さ、さっきの…!」
振り返ると、米袋を片手で軽々持つ銀髪さんが立っていた。
(え、何でここにいるの!?やだ、怖い…!)
銀髪さんは暫く私をじっと見詰めた後、私の手から買い物かごを奪って中に米袋を入れた。
「…俺が持つ。何かお前様子おかしいし、今日は体辛いンだろ?」
「? 今日は?」
「え、だって、二日目だろ?お前。」
「ッ!?」
うそうそ!?え、どうして?何この人!?
(何で私の生理周期知ってるの!?)
一瞬、何を言われているのか分からなかったけど、実際に二日目なんだから、それの事を言われているのは間違いない。
恐怖で全身がゾッとして、微かに震える。
「…っ、た、助けて頂いたのは、感謝してます。謝礼金目当てですか?ちょっと相場は分かりかねますが、」
「ンな訳あるかよ。なァ、お前やっぱり、」
「じゃ、じゃあ!もう、これ以上私に付き纏わないでくださいっ!」
銀髪さんが目を見開いたのを見て、私はそのまま逃げた。

寄り道は駄目だ。
苦しいけど、走る足は止められない。
このスーパーには暫く立ち寄らないようにしよう。
普段使わないような路地も駆け抜け、自宅を目指した。
私は何度も何度も振り返って、銀色の影が着いてきていない事を確認しながら、漸く帰宅した。

きちんと玄関を施錠して、深呼吸。
喉が乾いて冷蔵庫を開けるけれど、飲み物は何も無し。
さっき買い物できなかったのは痛いな…。
もう今日は出歩きたくないし、晩御飯どうしよう。
心臓が落ち着いてくると、次第に頭も働くようになった。
「砂まみれ…。お風呂入ろう…。」
もう緊張は完全に解けていて、今更ながら階段から落ちた体が悲鳴を上げ始めた。

「うー…しみる…。」
湯船に使って自分の体を見ると、あちこち内出血起こしてるし、切り傷もあるしで、全身ボロボロ。
あんまりにも痛みが引かないなら、病院にも行かなくちゃ行けないのかもしれない。
(それにしても…。)
あの銀髪の人、何だったんだろう。
怖いからと逃げてきたけど 、本当に怖い人だったの?
銀髪さんの腕の中は、すごく温かくて安心した。
それは何故?

そんな事を思案していると、携帯の着信が鳴り響いた。
お風呂に入ってるんだし、今はゆっくりして後でかけ直そう。
…そう思っていたのに、鳴り止まない。
一定の時間鳴り響いては、切れて、また鳴り響く。
私は慌ててお風呂から上がり、発信元を確認してから電話を取った。

「もしもし?どうかしました?沖田さん。」
『…あり?俺が誰か分かってやす?』
「え?そりゃ声でも分かりますし、ディスプレイに名前表示されてますし、…それで?」
私の携帯に名前と番号を登録してくれたのは沖田さんだったけど、お互い掛ける事は無いと思っていたのに。
(…ん?私、何で番号を教えられたんだっけ…。)
確か、最後だから、って。
(…何が最後だったんだっけ…。あれ?)
とにかく、沖田さんが私に電話を掛けてくるなんてよっぽどの事なんじゃ…。

『いや?有村の飯が食いたくなっただけでさァ。』
「!」
至極真面目にそう言い放った沖田さんの言葉に、恥ずかしいような嬉しいような気持ちになる。
…なんて、まぁ私"達"の仕事が皆のご飯作ることだったから、この言葉に他意は無いのだけど。
「あはは、何言ってるんですか。ビックリしましたよ、もう。屯所内食堂に来たらいつでも、」

…いつでも?
頭の裏がチリチリと痛むこれは、…階段から落ちた傷の痛みではない。

『まぁ、アンタだったら歓迎ですし、いつでも戻って来なせェ。』
「…あ、」
そうだ、私こないだ退職届を出したんだ。
こないだ?
違う、それはきっと"昨日"だ。
なのに、その理由が思い出せない。
…そんなの有り得ない。
だって長く働いたあの場所を辞める理由が思い出せないなんて、ある訳がない。

「沖田さん、私、」
『あー、そうかそうか。お前もう有村じゃねェんでした。…しっかし、まさか旦那が本当に旦那になるとは、世の中ってやつァ何が起きるか分かりやせんねィ。』
「…あの、沖田さん?一体何の話を…?」

旦那が旦那になる?誰の事?何の話!?

『正直、寿退職なんざ、まだ納得しきれてねェ奴もいるにはいるけど…。アンタがそう決めて、引き留める近藤さんも土方さんも捩じ伏せて、最終的にはよく考えろって言ってた旦那にも首を縦に振らせた。いやはや、女ってのは怖ェや。』
「………ねぇ、沖田さん。旦那って、私の旦那さん?」
『妙なこと聞きやすねィ。つーか、今日辺り届け出しに行くって言ってたじゃねェですか。』
「!?」
頭の裏のチリチリの正体が段々見えてきた。
(私、何かを、忘れてる…。)
正確には忘れてる、という表現は間違っている。
私は思い出せないんだ、大切な何かを。

『つーか…、あー…。自分がどこの誰かとか、屯所でどう働いてたかとか、覚えてんですかィ?』
「え?…う、うん。私そこまで馬鹿じゃな、」
『馬鹿でさァ。とんでもねー大馬鹿野郎ですぜ、有村。』
呆れた溜め息を大袈裟に吐き、沖田さんは暫く黙ってしまった。
私は沖田さんの言葉の真意が分からず一緒に黙る。
『…頭。』
「へ?」
『多分強打してると思いやすが、痛みとか平気ですかィ?』
「な、何で、それ…っ!?」
頭は今のところ特別痛いなんて事は無いけど、…まるで私が階段から落ちた事を知ってるみたい。
『"坂田銀時"。』
「さかた、…ぎん、とき??」
『たまたま旦那に会って、本人から聞きやした。"有村の様子がおかしい。恐らくあれは、

 記憶喪失。"

…で、念の為、真偽を確認するために電話してみたんでさァ。』
「さかたぎんとき…。」
何度もその名前を反芻する。
その名前はやけにしっくり自分の中に落ちるのに、それを示す人物を思い出せない。
『その様子じゃ、本当に記憶喪失らしいや。よりによって旦那の事だけごっそり抜け落ちちまってる。』
「……どんな人、なんですか?その、旦那さん、は。」
『んー…、説明し難い人なんでさァ、旦那は。つーか、記憶無くす直前まで一緒にいたんじゃねェですかィ?』

記憶が無くなる、直前まで…?
もし、私が本当に階段から落ちて記憶を無くしてしまったのだとしたら、その時一緒にいたのは。
「銀髪、さん…?」
『あらら。顔見ても誰か分からなかったってマジでしたか。…そ。それがアンタの選んだ男でさァ。』
「…ッ!」
ズキリと頭を握り潰されたような痛みが走る。
沖田さんはきっと嘘は吐いていない。
だから、あの銀髪さんは私にとってとても大事な人のはずなのに。
…彼に纏わる何一つも思い出せない。
「あ、の…。今、その人と一緒ですか…?」
『もうとっくに行っちまいやしたよ。…結構ダメージでかいみてェですぜ、ありゃァ。ストーカーで通報されたら世話になるかも、なんて自嘲していきやしたし。…らしくねェ。』
それは私のせいだ。
怖かったのは本当だけど、あんな露骨に拒絶してしまったのだから、絶対に傷付けた。
やけに親身だったのは、私の事を大切にしてくれていた人だったからなんだ。
何故かふと、見た事も無いはずの銀髪さんの悲しそうな顔が思い浮かんで胸が苦しくなる。
『だから言っておいてやりやしたよ。感謝しても良いですぜ?』
「な、何をですか…?」
『次に会ったら無理矢理にでも抱いちまいなせェ。それで思い出すかもしれやせん、ってな。』
「!!!」
そ、それは、通報しちゃう…!
元は恋仲だったのかもしれないけど、今は…知らない人だもの。
「……沖田さん、教えてくれてありがとう。実感無いけど、あの人が何者なのかは分かって良かった。」
『どーいたしまして。もし有村が旦那の事を思い出せなくて嫁の行く宛が無くなったら、俺が貰ってやるから安心しなせェ。』
「っ、相変わらず末恐ろしいですね、沖田さん。一瞬ときめいちゃったじゃないですか。…一応、病院に行ってみます。包帯とか傷薬のストックもありませんし。」
『…ま、協力出来る事はしてやりまさァ。…でも正直、寿退社に一番納得してねェの俺なんで、期待されても困りやすがね。』
何かあれば遠慮せずに電話してきなせェ、と締め括り、通話は終了した。

(記憶喪失、か。)
自覚は無いけど、一つ分かった事。
銀髪さんは、私にとって怖い人じゃないって事。
「失礼な事しちゃったなぁ…。でも、…うん、やっぱり思い出せない。」
それでも正体が分かったのは大きい。
(安心したら、お腹空いてきちゃった…。)
もう一度買い物に出掛けよう。
今のところ銀髪さんに関する事以外は忘れてないようで、部屋のどこに何があるのか、近所に何があるのかはちゃんと覚えているみたい。
私は軽くメイクをし直すと、手近にあった着物を身に纏って、玄関のドアを開いた。


「……あ。」
「!! きゃっ、…!?」
もう、それは一瞬の出来事。
玄関を開けて、すぐのところにその人は居た。
座り込んでいたから、彼が声をあげるまで気付かなかった。
思わず叫びそうになったところを、今こうやって手で口を塞がれている。
「んんー、」
「悪ィ、怖ェかもしンねーけど何もしねェから。…今だけ、逃げないでくれ。」
銀髪さんがあまりにも苦しそうに言うから、私は頷く以外の行動は出来なかった。
「体、痛いとこ無ェか?後で大事になるかもしンねーから、少しでもおかしいと思ったら必ず病院行けよ?」
私を真っ直ぐに見据える彼の赤い瞳は、優しくて温かい。
こくこくと何度も頷くと、銀髪さんは安堵の表情で私の口から手を離した。
ふわりと笑う彼の笑顔に胸が高鳴ったのは、消えたはずの私の記憶なんだろうか。
「一体、いつからここに…?」
私がそう聞くと、一度目を泳がせて銀髪さんは言った。
「…シャワーの音が聞こえる前から。あ、違っ、別に覗こうとかそんなんじゃねーから!?…お前が出てくンのを待ってただけで。…あぁ、いやいや!そうじゃねェな。何つったら良いンだ、これェェ!!」
「…いえ、大丈夫です。通報したりしないですから。…それより、何でチャイム押さなかったんですか?」
「あ?…そりゃ、オメー。…出ないだろ?」
「え…??」
「最近セールスがしつこいからって、日時指定配達以外のチャイム無視すンじゃん。」
「!!」
そんな事まで知ってるんだ。
っていうか、私が話したんだよね、きっと。
「今、俺ァ完全に不審者だろうし、…家の前にいるの分かったら、怖がらせたろ?通報されたらされたで仕方ねェし。…これ、忘れモン。」
私の目の前に差し出されたのは、大江戸スーパーの袋。
中を覗くと途中まで私が買い物してたコーヒーやお米、それから沢山の救急用品が入っていた。
「あり…がとう、ございます…。」
「…おー。…あのさ、一応確認させて。…俺が誰か分かるか?」
「さかたぎんとき、さん。…ごめんなさい、それ以上のことは…。」
銀髪さんは曖昧に笑うと、そっか、と小さく呟いた。

「あの、私達って、」
確認を取ろうとして、沖田さんに聞いた事を思い出した。
『次に会ったら無理矢理にでも抱いちまいなせェ。それで思い出すかもしれやせん、ってな。』
急に顔が熱くなる。
まさかそんな展開にはならないだろうけど、…けど。
「あー…、知り合いっつーかダチっつーか…。うん。仲は良かったンだよ、信じらんねーだろうけど。」
「!」
何故だろう…。
恋人、って返ってくると思ったから予想外だった。
銀髪さんのその言葉に胸が痛くなって、…ただ切ない。
「っあー…、だからっつって俺と仲良くしろって言ってる訳じゃねェんだ。出会いからやり直すのは俺の主義じゃねーし。…もうゼロからスタートする自信もねェしな。」
「銀髪さん…?」
「……。正直、どこかほっとしてる自分もいンだよ。本当に俺で良かったのか、上手くやってけンのかって。…だから、もう一度俺を選べなんて言えねェよ。」
小さく呟く銀髪さんの言葉は全部拾う事は出来なかったけれど、漠然と、彼は私から離れるんじゃないかという気がした。
「…安心しろ、もうお前の回りウロウロしねェから。俺が居たら落ち着かねェだろうしな。」
眉を下げて笑う銀髪さんの笑顔は見ていてこちらが苦しくなってくる…。
「ッ別に、」
「そもそも、平静保ってらンねェよ。…今、これでも大分無理してる。」

離れたくないけど、私の為に離れると言ってくれている。
じゃあ、私から離れずにあなたの事を思い出させてよ。
そう思うのは、きっと私の我儘。
自分の事を忘れた人と一緒にいて、平気な訳がない。
しんどいのは私より彼だ。
それは、分かってる。でも。

「…っ離れていかないで。」
「真弓…?」
彼が私の名前を呼ぶ声は心地良くて、私の耳に馴染んでいる。
思い出せないだけで私はやっぱり好きなんだ、この人を。
「……お、沖田さんが、あの、」
「あー、連絡取ったのか。だから俺の名前分かった訳ね。記憶戻ってねェのに呼ばれたから妙だと思ってたンだよ。つーか、俺を忘れてサド王子は覚えてるってなァ心外だわ。」
「う、…ごめんなさい。…それで、その、沖田さんが、思い出すかもって…、」
「…何?」
「む、無理矢理…、そ、そういう事、すれば…、」
言葉に詰まるのは仕方ない。
だって、目の前のこの人は彼氏かもしれないけど、今は初対面の人なんだから。
「ッ、しませェェェん!!今のお前にンな事したら、完全に通報モンだろーがッ!!」
私はベシッと割りと重めのデコピンを喰らった。
ったァ!きっとおでこ真っ赤になってる…!
脳天が揺れたと思う、そのくらいめちゃめちゃ痛かった…!!
…痛い、痛いすごく。痛い。

「くそっ!アイツ余計な事ばっか話しやがって!つー事は、俺等の関係バラされてンじゃねェか!」
「………万事屋、」
「お?何、それも聞いたのか。万事屋っつっても、記憶戻してくれとか依頼されても方法分かンねーぞ?分かるなら俺がとっくに、」

…何だろう、この感じ。
痛い。痛い。
だけど、すっと脳に溜まった血が降りていって全身を循環するような感覚。
視界が、開けるような。

「…万事屋さんに、依頼があります。」
「ちょ、おい、人の話聞いてたァァァ!?」
「欲しいものがあるんです。」
「あァ?…記憶は無理だって。あ、まさか買い忘れか!?だったら財布預けてもらわねェと、俺もう金無ェよ?…で、何が欲しい訳?」

「銀ちゃん、あなたの名字が欲しいです。…財布を預けたら、手に入りますか?」

私のその言葉を聞いて銀ちゃんは暫くフリーズしていたけど、はっと我に返って私の肩を掴んだ。
「真弓?お前、記憶…っ!!」
「…デコピンが痛すぎて思い出しちゃった。…心配させたよね、ごめん。」
「っ、……よか、…ったぁぁ…!」
私の肩を掴んだまま、へなへなとその場に崩れ落ちる銀ちゃんの腕に手を添える。
記憶を失っていた時の事も覚えてる。
私はこの腕を振り払ったんだ。
「…銀ちゃん?おーい?」
俯いたままピクリともしない銀ちゃんに声を掛ける。
顔は上げないまま、唸るように返事が返ってきた。
「…財布如きじゃ、俺の名字はやれねェよ。」
「嘘っ、婚約破棄!?…って、もしかして私の事、嫌いになっちゃった!?」
「違ェわ!…つーか、名字はもう売約済みなんですぅー。お前にやるって言ったし、返品は受け付けてませーん。…。だから、財布要らねェから俺に真弓の全部を頂戴。もう俺から離れたら許さねェからな。」
がばっと起き上がった銀ちゃんは私を抱き締めた。
「…うん、離れない。だから、銀ちゃんも私を離さないで。」
「今の言葉、記憶無くしてもそれだけは忘れンじゃねェぞ?」
あぁ、やっぱりこの腕の中はあたたかい。
安心する。


「…あれ?いちご牛乳も入ってる。銀ちゃん、自分の買い物もしてたの?」
「…いや、ほら、カルシウム?最初は二日目だからイライラしてンのかと思っ、」
「それまだ引っ張る!!?……家、上がる?もう役所閉まってるし、依頼は明日で構わないよ、万事屋さん。」
「おー…。お前、銀さんを家に上げる意味分かってンだろうな?つー事でお邪魔しまァーす!!」

一度手離す形になった、大切な日常。
ねぇ、こんな事言うと銀ちゃんは怒るかもしれないけれど。
…きっと記憶が無くなっても大丈夫。
だって私は銀ちゃんに二度目の恋をしていたと思うから。

何度君を忘れても、私は何度だって君を好きになる。


end

 
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