【嘘つきは恋の始まり<後編>】
 
リビングのソファーに真弓を座らせて、どうも茶を淹れる雰囲気でもねーし、俺はそのまま真弓の横に座った。
真弓はゆっくり深呼吸をして、真っ直ぐに俺を見つめて言う。

「銀さん、………私をフッて下さい。」
「……はいぃ?え、俺がフラれるんじゃなくて?は?」
てっきり別れたいと言われると思っていただけに、俺からフれってのは驚いた。
「お願いします。」
真弓は深々と頭を下げた。
顔は見えないが、体が小刻みに震えている。
また泣いてるのかもしれない。
ここまで真弓を追い詰めたのは自身なのだから、真弓が頭を下げるのは違う。
「…俺が別れて真弓を解放してやったら…、お前は今までみたいに笑えンのか?」
「えっ…?」
「記憶に無ェとか無責任だと思うけどよ。…付き合いたいって言ったのは本心で、俺はお前にそんな顔させたかったンじゃねェよ…。むしろフラれんのは俺だろ?無理させてごめんな。」
「ちっ…違うんです!銀さんは、私の事なんて好きじゃないんです…!」
パッと顔をあげた真弓の泣き顔を見て、息を飲んだ喉がぐっと鳴る。

好きじゃない?
誰が、誰を?
……それこそ、"有り得ない"。

「確かに今日のは誤解されても仕方無ェって言うか…。いや!断じてやましい事はしてねー訳だけども!…俺が真弓を好きじゃない?ンな訳あるかよ。こっちは現在進行形だっつの!」
「…そんなはず無い。…ごめん、なさい。私、なんて事を…。」
「真弓?」
様子がおかしい。
何か、取り返しのつかねー事をしちまったみてェな顔をする真弓に、なるべく優しい声で名前を呼ぶ。
「銀、さん…。私、嘘吐きました。どうかしてたんです、私。あんな事言うなんて…!」
「おい、落ち着け!」
真弓の肩を掴むと、掌に震えが伝わってくる。
(細ェ肩…。俺はきっと、あの日から、コイツを護りてェって思ってた…。)

「……ってないんです。」
「え?何、」
「言ってないんです。銀さんは、…私に"付き合え"だなんて、言ってないんです。」
「………………へ?」
ん?あれ?え?どういう事!?
俺が理解してないのを見通して真弓は言葉を続ける。
「あの日、銀さん記憶飛ばすくらいベロベロに酔っぱらってて…。つい言ってしまったんです。"銀さん、私に好きだ付き合えって言ったの、覚えてますか?"って。…もちろん、銀さんは私にそんな事言ったりしてません。」

記憶の欠片をパズルのように繋ぎ合わせていく。
確かに記憶は無かったし、俺は真弓の言葉をそのまま鵜呑みにした。
……あぁ、でもそうか。
あの時の真弓、何となく落ち着きがなかった気がする。
それは、突然ただの飲み友達だった男から告白されて戸惑ったからだと思ってたが、嘘を吐く罪悪感から来ていたのかもしれない。

「何で、そんな嘘…。」
「…私、銀さんの事は以前から知っていました。お登勢さんやキャサリンさんから色々聞いていたので。」
おい待て、余計な事言ってねェだろうな、アイツら。
「…上手くいかない自分の恋愛と対比するみたいに、私はまだ会った事も無い銀さんに惹かれていました。私も努力したんですけど、…彼の気持ちを取り返せなくて破局して。」
「気持ちを取り返す、って……じゃあ、」
「浮気、って言えばよくある事ですよね。相手の女性とはもう婚約まで進んでるみたいで…、長い間二股されてたのに気付かなかったんです、私。お登勢さん達は随分前から別れるのを勧めてくれたんですけど…、信じたかったんですよね、彼を。」
「…………。」
過去の事だからと、まだその傷は乾いてないからと、敢えて聞かなかった真弓の話は俺が気楽に構えていたより重かった。
つーか相手の男、四分の三殺しにしてやりてェわ、マジで。
あの日、コイツがどんな泣き方してたかも知らねーで。

「……初めて会った銀さんは、私が想像してた通りの人でした。他人の傷にすごく敏感で優しい。…私も彼の事は責められない。私はすぐに銀さんが好きになってしまったから。」
「!」
「銀さん、ビックリしたでしょ?告白した記憶なんてないから。…私も、酔っててあんな事言っちゃって、すぐに嘘だって言うつもりだった。でも、銀さんは、」
「"言っちまったらなら仕方ねーか。真弓の返事聞かせて。"」
「そう。私の答えは決まってる。銀さんは言ってない言葉の責任を全うする為に私と付き合う事になったのに…。卑怯だと思ったけど、嘘だって言えなくなった。」

引っ掛かってた違和感の正体が暴かれて色々合点がいった。
真弓の嘘から生まれた俺の告白は実在しないんだから、俺が真弓の事を実際に好きだとしても、コイツの中ではそれは存在しねェ訳だ。
だから、いつまでも変に敬語が抜けねーし、AVとか他の女とホテルの前に俺がいても、自分にはそんな資格が無ェみたいな何でもない顔をしてやり過ごすしかなかった。
『私じゃ、駄目ですか?』
あれは、嘘を嘘と言えなくなっちまった真弓のSOSだったと今になって気付く。

「そういう事なので…。今まで騙しててごめんなさい。許される事じゃないのは、分かってます…。」
そう言って、何かを思い出すように身を硬くする真弓を見て、もしかしたら例の男から暴力を受けた事があるんじゃないかと感じて奥歯を噛み締める。
俺が言葉を返さねェから不審に思ったのか、恐る恐る顔を上げた真弓が俺の顔を見て目を見開いた。
やべ、今こんな顔になってンのは、お前に対してじゃなくて…!

「き、…気が済むかは分からないけど、殴っても、大丈夫、ですから…。」
「っ…。」
色を失ったような虚ろな瞳なのに、それは涙で潤んでいて。
気付いたら俺は真弓をソファーに押し倒していた。
呼吸が浅くなり、顔がどんどん青ざめていく真弓を見下ろして、俺はその暴力は一度や二度じゃない事を理解する。
(あー…、きっとこうやって押さえ付けられて殴られた事もあるな、これは…。)

どうしてそんな奴と付き合っちまったんだよ。
どうしてそんな奴を信じようとしたんだよ。
…どうして、コイツが傷付く前に俺は出会ってやれなかったんだ。

「銀、さん………?」
「…よくもまァ、証拠の取れねェ嘘で騙してくれたな。鵜呑みにするとこだったわマジで。」
「ごめ、なさ…ッ、」
ビクリと体を震わせる今の真弓に、どんな言葉を掛けるのが正解かなんて分かりゃしねェ。
きっと慰めの言葉も、許す言葉さえもミスリードだ。
だが、たとえ言葉を間違えようが、この気持ちを間違えるようじゃ俺も仕舞ェだわ。
不安げに俺から視線を逸らしたままの真弓の頬を一度だけ軽く撫でる。
…ったく、こっちは触れるのをずっと我慢してたってのに。
もっとこう、ちゃんと待ってやって真弓の傷を取り払ってからとか考えてたのが馬鹿みてェ。
俺の方こそ余計な気を回し過ぎたな。
傷が開こうが、俺達は一度向き合わないとそもそも前に進めなかったっつー事だ。

「…ま、嘘を吐いたのはお互い様だな。お前こそ、あの日の事、何も覚えちゃいねーだろ。」
「? 覚えてない訳ない…。だって、」
「あの日、真弓も結構酔ってたろ。お前、覚えてねーかもしれねェけど、……俺、確実に言った記憶あンだよ。"好きだ付き合え"ってな。」
「た、確かにいつもよりは酔ってたけど…。それでも、銀さんがそんな事言ってくれたら私絶対に一生忘れる訳ない!変な嘘吐かないで下さい…!」
「何言ってくれちゃってンの?お前今さっき自分で、私は嘘つきです、って言ったんだぞ?」
「っ!」

俺が掛けた言葉が予想外だったのか、真弓の顔からは恐怖より混乱が浮かんでいる。
それでも、俺に押さえ付けられたままの肩は微かに震えて、このまま食っちまえそーだな、と内心苦笑する。
真弓に掛ける言葉はきっと訂正より上書きが有効で、つまり俺は真弓が吐いた嘘自体を嘘に変えるつもりでいる。

「わ、私が吐いた嘘は"銀さんが私に告白した"って事だけです…!それ以外は嘘なんて吐いてない!」
「証明出来ンの?それ。」
「出来る訳っ、…銀さんだってさっき"証拠が取れない"って言ったじゃないですか!銀さんこそ"私に告白した"っていう証明出来るんですか!?」
「……当然。けど、お前が忘れてるなら再現してやらなきゃな。」

俺は真弓の肩を押さえ付けたままだった手を離して、その体を起こしてやる。
「真弓。」
「銀、」
「好きだ。絶対に幸せにするから、俺と付き合って下さい。」
真弓が、それ…、と言い掛けた言葉を俺は唇ごと塞ぐ。
内心不安が無ェかと聞かれればすげーある、あるに決まってる。
ただそれを表に出さねーのは、…あー、男の意地ってやつだ。
とりあえず拒絶されなかった事に安堵。
唇を離して、真弓の赤い顔を覗き込む。
青くなったり赤くなったり、忙しい奴…。
そんくらい言葉も素直になってくれっと助かるんだけどな。

「どうだ、思い出したか?」
「っぎ、ん…さん…。」
「…それとも、この言葉は嘘にしちまう?お前が嘘だって言うんなら嘘にしておくし、お前が本当だって言うなら…これは正真正銘の本当だ。」
真弓は俺の真意を探るように泣き腫らして赤い目で真っ直ぐ俺を見つめる。
多分、今頃真弓の中で不安とか希望とか疑問とか色んな感情がぐちゃぐちゃに湧いてる事は、顔を見れば分かった。
だから俺は、真弓の言葉が紡がれるのをじっと待つ。
そして。
「ほ、本当がいい…っ、嘘になっちゃ、やだ…っ!」
真弓は嗚咽をあげながら俺の肩に顔を埋める。
俺はその背中をなるべく優しく撫でて、真弓の気の済むまで泣かせてやった。


「ちゃんと目ェ冷やしとけよ。」
「……うん。……ありがとう。」
結局声が嗄れちまうまで泣いた真弓に水で濡らしたタオルを渡す。
ソファーに体を預けて目を冷やす真弓を見ながら、明日からはちゃんと笑ってくれンだと思うと顔が緩むのは仕方無ェよな。
「……銀さん。」
「ん?」
「私、…ずっと銀さんに言いたかった事があるの。……言っても良い?」
「おー。彼女なんだし何でも言え。」
「彼女…。そっか、私、今度は本当に銀さんの彼女になったんだ…。」
そう嬉しそうに笑う真弓を見るのは本当に久しぶりで、俺がずっと見たかったのはこれだったと確信する。

「あの、ね。私が来る時だけで良いから、えっちな本とかDVDはちゃんと隠してね?」
「っあ、お、おう!…つーか、今後あんまり必要ねェかも……。」
「ラブホテルは、…うん、他の人とはもう行かないで欲しい。さっきの、悲しかった。」
「そ、それに関してはマジで勘違いだから!真弓がいるのに他の女とンなとこ行かねーよ!!」
「………ねぇ私、わがまま?」
「いーや、それ位ェならむしろ、銀さん愛されちゃってンなー!って嬉しくなるから、どんどん言ってくれ。」
しかし安心した。
単に俺に興味が無くてスルーされたンだと思ってたが、ちゃんと嫌だって思っててくれた訳ね。
真弓を悲しませるのは本意じゃねェし、今後は身の振り方気を付けねーとな……出来る範囲で。

「…ねぇ、銀さん。」
「お、次はなんだ?いっそもう全部吐き出しちまえ。」
今日くらいは真弓が今まで言えずに溜め込んできたモンを全部出させてやりてェ。
「銀さんの告白って、……プロポーズみたいだね。」
そう言って照れたように笑う真弓を見ながら、それを今後も護っていかなきゃなんねェ使命感みたいなモンを感じた。
まァ、そう言われちまうと重たい気もすっけど、その位ェの気概だっつー事だ。
「それを受けちまったンだから、そう簡単に逃げられると思うなよ、真弓。もう嘘にはなんねーぞ?」
すっかり温くなったタオルを指先で遊びながら真弓は、そうだね、と小さく笑った。
「うん、言葉では誰も銀さんに勝てないもの。……銀さん、ありがとう。幸せにするからって言ってくれたけど、私はもう幸せになっちゃった。」
「! こんなんで満足してたら、これから大変だぞー?」
「じゃあ、お登勢さんとこ飲みに行こ?」
「…………へ?」
え、真弓さん、マジですか?
この空気でババァんとこ行っちゃう?
…有り得ないって泣いてもいい?いいよね?

「銀さんと仲直りした事も伝えたいし、……また銀さん酔わせて既成事実作るよ。」
「ったく、この子は。そんな子に育てた覚えはありませんよー。……せいぜい、逆に既成事実作られないように気を付けな。」
「ふふふ、私にお酒で勝てるとでも?うん、燃えてきました!」
「いやあの真弓チャン?銀さん今日もう既に1軒行った後だからハンデ、」
「お登勢さーん!今から二名行きますー!」
外の階段をカンカンと鳴らす真弓の足音と、弾む声を聞きながら俺は一度浅く息を吐く。
「これでやっとスタートラインだな。」
今夜、真弓が言う嘘は全部俺がひっくり返して、本当に変えてやる。
嘘から出た真ってやつだな。

「銀さん、まだー?」
「おー、待ってろ。今行く。」

俺は慌ててブーツ履いて階段を駆け降りる。
初めて出会ったのがババァの店なら、ここから始まるのも悪かねーな。
カウンターに座る真弓の顔はもう泣き顔じゃない。
俺は差し出されたグラスを受け取って、その横に座る。

もうすっかり真弓にも酒にも酔ってるが、今夜は長期戦になりそうだな、とバレねェように俺は笑った。


end

 
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