【不良と委員長】
 
これは、私が銀魂高校に入学して最初の秋のお話。
そう、夏休みが終わって、日々の授業を受ける毎日に体が慣れ始めた頃の。

(ふぁ…、眠たい……。)
欠伸を噛み殺しながら、私は黒板消しを左右に動かしながら授業で書かれた文字を消していく。
今日の日直は『有村』と『坂田』。
( …つまり実質、今日の日直は私一人って事だ。)
別に文句は無い。
むしろ坂田くんと協力して作業をしなきゃいけない可能性がある方がしんどい。
彼がどんな人物かを説明できる程、私は彼の事を知らないのだけど。
髪の色は遠目にも目立つ銀色で、授業をよくサボっているし、他校の不良と毎日のように喧嘩してかすり傷ひとつ無いなんて噂もある。
ただ真面目なだけで、皆がやりたがらなかったクラス委員長を押し付けられて断れなかった私とは真逆の人物だろう。
そんな坂田くんは当然のように朝から見かけていない。
今日、登校してくるかも怪しいところだ。

「あ、委員長、これ返しといてー。」
「えっ?」
クラスメイトの声に振り返ると、ふわりとバスケットボールが飛んできた。
「次、自習でその後昼休みじゃん?俺等カラオケ行ってくるわ。戻ってくるか分かんねーけど。」
私は受け取ったバスケットボールとクラスメイト数人を交互に見ながら言った。
「いや…、体育倉庫まで往復してたら、授業間に合わないから…。」
「えっ、授業じゃなくね?相変わらず真面目だねー。んじゃ、よろしくー。」
そう言うと、私の横を通り過ぎて、教室から出ていった。
教室にいる生徒は同情の目を向けてはくれるものの、何も言わないし、何もしない。
(…まぁ、私でもそうしちゃうだろうし。)
私は黒板上の時計をサッと見て、体育倉庫まで走ることにした。

私が体育倉庫に踏み込んだタイミングでチャイムが鳴ったのを聞いて、小さく溜め息を吐く。
予想通りというか、片道で精一杯だと思っていた。
「だから嫌だったのに…。」
それでも、バスケットボールを気にしたまま自習する気にはなれなくてここに来た訳だけど。
外では体育の授業をしているクラスの賑やかな声が聞こえている。
この時間に体育が無ければ倉庫は開いていなかっただろうから、今返しにきたのは正解ではあるのだろう。
私は、小さい窓から光が差し込むだけの薄暗い体育倉庫のバスケットボール籠に持ってきたボールを入れた。
「これで、」
「誰。」
突然、暗闇から低い声で呼び掛けられて私は声にならない声で叫ぶ。
「ッ!?!」
急いで倉庫から出ようと扉に手を伸ばしたけれど、足が縺れて体ごと派手に扉にぶつかってしまった。
(どどどどうしよう、オバケ?不審者?!)
打ち付けた体が痛すぎて、蹲って震えることしか出来ない。
「なァって。」
「ひっ…!!」
何かに肩を掴まれた。
「こっち見て。」
それはさっきの声と同じだけど、少し困惑の色が感じられて、私はゆっくりと顔を向ける。
逆光でキラキラと輝く銀髪、宝石みたいな紅い瞳、肩に置かれた温かい掌、微かに甘い匂い。
「…坂田、くん?」
「そ。」
「………良かった。」
安心したら、また力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
「いや、何も良くねェだろ。ホラ、立て。」
坂田くんは有無を言わさず私の腕を引いて起こしたかと思うと、そのまま肩に担いだ。
急にきた浮遊感に驚いて固まっていると、私の体重など意に介さないように坂田くんは歩きだし、体育倉庫の奥に敷いてあるマットに私を下ろした。
そんな私に覆い被さるように、坂田くんはじっと私を見下ろしている。
(えっ…何…、この体勢…、えっ、ええええ!!?)
身の危険を感じて慌てて体を起こすも、坂田くんに頭を押さえ付けられて元の体勢に戻ってしまう。
(いや、まさかとは思うけど、私このまま据え膳なんじゃ…。)
ぎゅっと目を閉じると、おでこに冷たいものを押し付けられた。
「ひゃっ!……これ、アイスの袋?」
「後で鏡見な。すげー腫れてっから。…あと、擦り剥けてるとこ絆創膏で良いか?」
アイスの袋を押さえながらゆっくりと頭を上げて坂田くんの様子を見ると、私の足に絆創膏を貼ってくれているのが見えた。
(もしかして、私を手当てする為に運んでくれた…?)
悪い噂しか聞かなかった坂田くんは、とても優しい人なのかもしれない。

何だかんだで5分以上この場所に時間を取られてしまった私は、半分は溶けてしまっただろうアイスを坂田くんに返す。
「迷惑かけてごめんなさい。アイスのお金、今度払いますから…。私、教室に戻ります。」
私はゆっくりと立ち上がり、扉に向かう。
そして、開けようと力を入れて気付いた。
(……え?嘘、開かない!?な、なんで!?)
さっきは鍵も掛かってなくて、この短時間に施錠されたなんてことも無いだろう。
それは、つまり。
(私がぶつかって、扉が歪んで開かなくなった…?)
ガタガタと引き戸の扉を動かしてみるけど、大袈裟な音が鳴るだけで少しも動きそうにない。
「帰ンねーの?」
いつの間にか私の後ろに立っていた坂田くんの声が頭の上から落ちてきて、その距離の近さに心臓が跳ねた。
「あ、あの、扉が、開かなくて、」
私のせいで坂田くんも出られなくなってしまった。
怒らせてしまうかもとビクビクしていると、坂田くんは興味無さそうに言う。
「ふーん。それ、帰ンなって事なんじゃね?」
「…それって、どういう、」
意味、と言い切る前に坂田くんはマットに座ってチョコレート菓子の箱を開けて食べ始めた。
体育倉庫に似合わない甘い匂いの原因はこれのようだ。
「なァ、委員長もこっち来て座れば?一応、怪我人だし?」
不良にしては、あまりにも普通だと思った。
それにしても。
「坂田くん、私のこと分かるんですね。ちょっと意外です。クラスメイトのことなんか絶対に覚えてないと思ってたから…。」
「いや、クラス全員は覚えてねーよ。俺、あんま登校してねェし。」
そう言いながら、自分の横のマットを叩く。
ここに座れという意味なのだろう。
困惑したまま立ち尽くす私を見て、坂田くんは眉を下げて言った。
「あー…、悪ィ。優等生からしたら、俺みてーなのは怖ェよな。俺が向こうに、」
「あ、だ、…大丈夫です。」
坂田くんが示した場所より少し離れてマットに座る。
これは、坂田くんに偏見を抱いていた事への罪悪感からだ。
私が素直に横に座ったのが意外だったのか、坂田くんは目を丸くした後、声を上げて笑った。
「委員長は良い奴だな。」
「っ、それは、坂田くんの方ですよ…。」
「マジ?そんなの初めて言われたわ。」
坂田くんの笑顔は少し幼く見えて、自身の緊張が解けていくのが分かる。
「俺、今かなり気分良いから、特別に食っていいぜ。」
そう言って坂田くんは私の目の前にチョコレート菓子の箱を突き出す。
「ありがとう、ございます…。」
私は恐る恐る箱に指を入れ、1粒取り出して口に放り込んだ。
(美味しい。)
学校で、授業中で、体育倉庫で、お菓子を食べてるなんて不良になったみたいだ。
甘いお菓子で心を落ち着かせて、ちょうど良い気温と、グラウンドから聞こえるちょうど良い喧騒。
(何だか、眠たくなっちゃうな…。)


「……、……長、委員長。」
「!?」
突然、耳元で坂田くんの声が聞こえて目を見開いた。
肩に置かれている手は、私の手より一回り以上大きい。
「う、わ…、もしかして、私、寝てました…!?」
「らしいね。5分以上動かなかったから俺にビビって固まってンのかと思ってたけど、…ふはははっ。」
坂田くんは涙を浮かべるくらい笑った。
「はー…久々にこんな笑ったわ。委員長って意外と肝が座ってンのな。いやでも、知らない男の横で寝ンのはどうかと思うよ、マジで。」
「ご、ご迷惑をお掛けしました…。」
「別に?…つーか、睡眠不足?委員長、頑張り過ぎなんじゃねェの。色々押し付けられてそうだしな、さっきみてェに。」
すぐに言葉が出なかった。
毎日顔を合わせてるクラスメイトにすら掛けられたことの無い言葉を、数えるくらいしか顔を見たことなかった坂田くんに言われたのだから。
(入学して最初の2週間くらいは登校してたよね…。その後はまばらで、気付いたら授業に出てて、気付いたら帰ってて…。)
どうしてなんだろう。
私は今、すごく坂田くんの事が知りたい。
「睡眠不足は私の責任だけど、委員長になっちゃったからには、やれることはやりたいと思ってて…。あの、坂田くんはクラスで困ってる事ってありませんか?」
「いや、特に…。委員長、俺の事まで気に掛けてくれンの?優しいねェ。」
茶化すような言い方に、私ははぐらかされた気がして少しだけ食って掛かってしまう。
「事情は色々あるのかなと思います。詮索もしません。でも、せっかく高校生になったんだし、もし、来れるようなら、クラスにも来て欲しいです。」
言い切った後に、急に恥ずかしくなってしまって俯いてしまった。
これで坂田くんの気分を害して、殴られたりしてしまわないだろうか。
しかし、意外にも坂田くんは少し考えるように黙り込んで、ようやくポツリと言った。
「まるで教師みてェな言葉。」
「! 偉そうなこと言って、すみませんでした!」
「……。俺みてーなのが居て、クラスの空気悪くならねェ?」
何となく弱々しく聞こえた坂田くんの言葉に私は慌てて答える。
「なりません!私も、そうならないように頑張ります!」
「……損な役回りだな、クラス委員長ってのは。」
もしかして坂田くんは、本当はクラスに来たかったのに噂が広がっているのを知って、私達を怖がらせないようにする為にクラスに来ないのかもしれない。
今日は登校したけど、クラスに行くのを躊躇って、こんなところで時間を潰しているのかもしれない。
あくまで憶測でしかないけど。
いや、本当の本当に、ただ登校したくないだけなのかもしれないけど。
「クラス委員長だから、じゃないですよ。私がそう思ってるだけです。……誰にも話してないですけど、私、将来は先生になりたいんです。だから、困ってる事があれば力になりたいですし、押し付けられた役職も、後で経験値になるかもって…。全部ただの自己満足です。」
私みたいなのでは、坂田くんには頼りなく見えるだろうけれど。
坂田くんは、私の瞳をじっと見つめてから、呆れたような感心したような声で言った。
「真面目だねェ。…なら、有村先生が最初に更生させた生徒は俺ってことだな。」
「!」
先生、という言葉が少しくすぐったい。
更生なんて大袈裟なものではないけれど、坂田くんの心が良い方向に動いているなら、単純に嬉しい。
(……って、あれ??)
「坂田くん、私の名前、覚えてたんですか?」
「は?いや、最初に委員長の事は覚えてるっつったじゃん。」
お互いにきょとんとしてしまって、そして、お互いにそんな顔を見て笑ってしまった。
「委員長だからって、結構、俺への伝達とか課題とか押し付けられてただろ?たまに登校すると机の中に説明のメモが入ってて、アンタなんだろうなって感謝はしてたんだよ。礼を言うの、遅くなっちまったけどな。」
柔らかく笑う坂田くんを見ていると、初めて委員長になって良かったかもと思った。

暫くして、坂田くんは天井を仰ぐと、真面目な声で言った。
「なァ、今日だけ俺に時間を頂戴。そしたら、明日から登校する。」
「う、…うん。そうですよね、心の準備もありますよね。私、待ってますから、」
「よし、じゃあ今日は早退ってことで。学校サボってメシ食いに行くのも、後で経験値になると思わねェ?」
坂田くんに力強く腕を引かれ、私はふらりと立ち上がった。
(えっ、時間を頂戴って、考える時間って意味じゃなくて、私の時間!?何でこうなったの!?)
あまりの驚きに言葉が上手く紡げない。
内心パニックになりながらも、導かれるまま、私が壊して開かなくなった扉の前に来た。
(そうだ。この扉が開けられないから、私はここに滞在することになって…。)
授業が終われば、先生か生徒が気付いて開けてくれると思っていたけど。
「ちょっとだけ離れてて。」
坂田くんは私から手を離すと、勢いよく扉を蹴り付けた。
扉は鈍く大きな音を立てて向こう側に倒れる。
「嘘…。」
「ホラ、早く行かないと弁償させられっかもよ?」
(あの物騒な噂、事実なんだろうな…。今まではすごく怖かったけど、今もビックリはしてるけど…。)
普段なら先生に謝罪しに行くし、自習してる教室にすぐ戻ったと思う。
(坂田くん不良が感染ったのかも…。)
自分でも不思議なほど、躊躇うことなく差し出された手を取って、私達は突然の轟音にざわつく学校を後にした。


――――――――――――――――――――――――――


「もー、探したよ。部活に来ないって、私のところに連絡が来たんだからね。」
私が坂田くんを見付けたのは放課後の屋上だった。
彼がここで漫画を読んだり、寝ていたり、煙草を吸っていたりするのを、私はよく知っている。
だから今日も一番最初にこの場所に来たのだった。
「いやー、アイツらだけで平気でしょ?生徒の自主性を育てる素晴らしい教育だと、」
「言い訳は良いから。早く行きなさい、坂田先生。」
その手から漫画を奪い取ってそう告げると、坂田くんはムッとした表情で私との距離を詰める。
「ち、近い近い…っ!」
「真弓〜、二人きりの時は名前で呼ぶ約束じゃなかったっけ?破ったらチューするって言ったつもりだけど、もしかして、シて欲しかった?」
「っ、ここ学校だから…、私が悪かったから…!」
この男は、大人になっても高校生の時から何も変わらない。
そう、あの体育倉庫の日から、ずっと。
「…………許して、銀八。」
「はぁぁぁ…、何でそんな嗜虐心を誘うような…。マジで今夜覚悟してもらうからな。」
少し頬を赤く染めた坂田くんは、渋々私から離れて伸びをした。

あの日、私達は学校を早退?サボって?、一緒にファミレスでご飯を食べた。
色んな話をたくさんした。
坂田くんの噂がどこまで本当なのかとか、私が先生を目指したきっかけとか、今授業はどこまで進んでいるのか、とか。
私が想像していたより、坂田くんはずっと話しやすかった。
真面目に生きてきた私にとって、この日は一生忘れられない日になった。

高校三年生になって進路を決める時、坂田くんは私と同じ大学に進学を決めた。
理由を聞いても「教師って仕事に興味が湧いた」とか「有村と一緒が良い」とか、聞く度に答えが変わって、本当の事は分からなかった。
でも、こうやって、一緒に先生を目指して、実際に先生になる事が出来たのは嬉しい。
それも、母校である銀魂高校で。
そして配属が決まった日、坂田くんに告白された。
高校からの友達にそれを話すと「あの不良の坂田と!?」とか「まだ付き合ってなかったの!?」とか、祝福よりも驚かれてばかりだった。
確かに、恋人みたいな接触は無かったけど、いつも一緒にいて、クリスマスやバレンタインも二人で過ごしていたから、今更な気もしなくはない。
後で坂田くんにそれとなく聞いたら、私の夢が叶うまで邪魔したくないから我慢してた、とのこと。
告白があっても無かっても、坂田くんとはずっと一緒にいられると漠然と思っていたものの、大学に入ってからは坂田くんは分かりやすくモテていたし、何というか…気になっていたのは私だけじゃない事に安心して、ちょっと泣いてしまった。

そんなことを思い出しながら、私は無防備な背後から坂田くんを抱き締めて言った。
「頑張ってきてね、坂田先生。」
「……お前な、」
「結婚したら、もう坂田くんって呼べなくなるかもしれないから、いっぱい呼んでおきたいの。」
「! その言葉、絶対に撤回させねェからな。有村先生?」
坂田くんは振り返らずに、ひらりと手を振って屋上を後にした。
表情は見えなかったけど、耳まで真っ赤だったから、そういうことだろう。
私自身も、大胆なことを言ったと思い出し、一人、顔が熱くなるのを感じた。

「……あれ?」
私は屋上の扉の裏側にバスケットボールが落ちているのを見付けた。
きっとサボってここでボール遊びに興じていた生徒がいたのだろう。
(ふふっ、いつの時代も似たようなものね。)

あの日、坂田くんが体育倉庫にいなかったら、私があの時間にボールを返しに行かなかったら、自習を抜け出した生徒がいなかったら、私がクラス委員長じゃなかったら…。
何かひとつ違っていたら、今の私はいなかったのかもしれない。
そう思うと、全部私にとって必要なものだったんだろう。
(大切にしていこう…これからもずっと…。)

私はボールを拾い上げると、体育倉庫へと向かった。


end

 
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