空契 | ナノ
32.懇願 (1/6)

    
   


俺は今、どこにいるんだ。






「……朝かー…」

どっぺりと垂れ込んだ黒の幕が少しずつ、白くなっていく。
そんな空を見上げてぽつりと呟いた俺は、この通りに自分以外の人間がいないことを確かめて、目深に被っていたフードを取り上げた。ばさりと藍髪が流れ落ちてきて、手で払いながら軽く伸びをする。
朝の冷たい風がコートの裾を揺らした。火照った頬を撫でる。少し寒かったが“運動”をした後だ。これくらいが調度いい。

いつも通りのように、就寝して、だが3時頃の夜中に目が覚めてしまった。起きた瞬間、全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出していたことから、また悪夢でも見たんだろうか。……自分自身のことなのに、よく分からない。ただ、それでいいし、どうでもいいと思うのは、ユウがいなくなったあの時抱いた感情と何故か似ていた気がした。

モヤモヤと渦巻く胸の奥底。吐き出したくて、誰にも気付かれないように泊まっていた部屋を出て夜風に当たっていたのだ。だが、運悪く、質の悪い集団と遭遇してしまった。
描写する必要性も見出だせない、妙に口が煩くてイカツイ風体な男達。ただのチンピラ。モブ顔である。それらに絡まれるのは毎度お馴染みで、今更だったけど、なんだかそのときは無性に腹が立った。故に、ケンカを今まで以上に嬉々と輝く眼で買い取り、今まで以上に、暴れまわった。
怪我を負うなんてミスはしない程度に、相手へと一気に攻め込み、軽く引いて、また蹴り飛ばして、得物を使ってきたからナイフで応戦した。
男達は、こちらが空しくなる程に弱く、すぐに路地裏で伸びきってしまい、そこから離れたのが今である。

誰もいない、広場のような所へやってきて静まり返った空気に浸った、今、冷静になってついさっきまでの自分を思い浮かべて、苦笑した。犯罪臭いなと。でもいつも通りすぎて、違和感などない。
血のついたナイフから無意識の内に目を逸らしながら、腕を振り汚れを払う。ぴぴっ、とアスファルトについた紅も、知らぬふりでナイフを仕舞う。のんびりとした歩調で歩き出した。

この世界に来てから、毎朝このような事をするのが、日課となっていた。
好きでやっているんじゃない。……とは言えない。そうじゃなきゃ、わざわざケンカなんて買わない。逃げるさ。自慢の脚力で。でもそれをしないのは、こうやってストレス発散になるから。今日はしなかったけど、引剥でもすれば金にもなる。……最低な理由だけども、この世界での主の理由はそれだ。
……だからと言って、ケンカが嫌いじゃないわけでもない。傷付くのはなんとも思わない。それは自分も、相手も。だって自業自得だもの。それは、相手が男でも女でも。

───しかし、“自分”の“この手によって”傷付くのは、少し、嫌だ。
本来の、ここの世界に存在するであろう運命とやらには“レオ”なんて者は存在しない筈だし、故に傷付くこともないのだ。普通なら。

「俺が存在することで、ないはずのできごとが、
つくはずのない、傷跡が…………って、な」

嘲るように笑って眉を潜めた。
そういえば、確か、前に夢の中で誰かに言われた気がする。
そう、確か、歪んだ運め……、


「歪んだ運命の元凶。
それがキミなんだね───!」


「…………え?」

空を眺めていた顔を、前へと戻した。声が聞こえたのだ。子供特有の少し高い声。
男の子の声だろうか。歩みを止めた。自分の足音しか聞こえなかった広場が静まり返っていた。朝の冷たい空気、冷たい雰囲気。そんな広場に視線を巡らす。
───すると、大きなとある物が目の前に飛び込んできた。
歪な形をした、巨大なポケモンの像だ。
一般人が見たら、それがなんなのか、ポケモンなのかすら分からなそうな見た目をしているその像が、この広場の中心に、崇められるように飾ってあった。
一瞬、その逞しい像がそんな可愛らしい声を発したのかと錯覚してしまったが、ふと人影を見付ける。大きなポケモン像の肩に、小さな誰かが腰掛けていた。
───不思議な、気配。それが、とても、

「…? ……キミは…」
「アルセはアルセだよ!お姉さん!」
「アル、セ…?くん?」
「うん!」

“アルセ”と名乗ったその誰かの顔は、認識できなかった。上がってきた太陽の朝日に照らされ、真っ白にキラキラ輝いていた。その小はこくっと頷いて嬉しそうに笑った、気がする。
この子は、今、なんと言ったか。

「……キミ、今、」
「ねぇねぇ! お姉さんお姉さん!」

なんと言ったのか確かめようと、子供に向けるための優しい笑みを浮かべた。しかしその子供が上げた高い声に遮られる。

「ねっ、お姉さんはこのポケモン、なんだか分かる!?」

と弾むような声を上げながら、バシバシとそのポケモンの肩を叩いた。なんというか、罰当たりだなと、分かる俺は失笑する。

「えぇっと、それ、カミサマだよ」

だから叩いちゃダメなような……。
と思いつつ、自身もそのカミサマを指差して“それ”呼ばわりである。まぁ、俺はあれだ。この世界の人間じゃないからいいんだ。信仰とか色々。

「時間と空間のカミサマ、だけどさ……それ」
「へぇー! ジカン、クウカン、カミサマ……!」

……一応、分かってはいるのかな? 俺はゲームでは勿論、ミオシティにある図書館でも調べていた。この世界での神話とか、信仰とか。
それが子供にどれくらい浸透しているのか……高い声が弾んで、面白そうな手付きでぺちぺちと銅像を叩いていた。効果音が子供らしくて可愛い。……やべ、これ所謂ショタコ……ごほごほっ。

「だーからね、少年。
カミサマの上に乗っちゃダメだぜー」
「ダイジョウブだもん! アルセのほうがスゴイから!」
「わぁ、この子カミサマ越しちゃったー」

トンッと胸を張ってどや顔をしているだろうその子は、とても子供らしかった。コートを着ているらしく、裾がばさぁっ翻る。わー、まぶしー。眼を細めて笑う。
子供は、こうだ。なんの根拠もないけど、テレビに映るヒーローとかを見て、自分もきっとなれると思う。そして、自分が強くて、なんでもできると思う。

そして、なんににでも、愛されてると思ってる。

そんな純粋な子供が、眩しい。真っ白な、汚れなんてないよう───そんな子供が、そこに居た。
羨ましい、というのか、なんというのか。そんな懐かしい気がする時期は、もう過ぎ去ってしまって、自分にはないものだろう。そう思うと少しだけ寂しい。
それと同時に、あの子供を見ていて……またそれとは違うなにかを少し抱いた。

「……ね、キミ」「あーるーせ!」「……アルセ、くん?」
「なぁーに! お姉さん!」
「……俺ら、どこかで会ったこと、あるか?」

寒い、冷風が足元を吹き抜けた。
男の子は、相変わらず楽しそうに足をぶらぶらと動かしながら笑った。

「なんで?」
「いや……なんとなく……。
ていうか、キミ、」「アルセ!」
「…うん、アルセくんは、ポケモン?」
「へぇ、分かるんだ!」

これもなんとなく、だ。気配が少し違うように感じる。
俺とは、なにかが違う。
人間ではないとは分かった。……だが、なんとなく曖昧。ポケモンと言い切れないなにか、不思議なものがそこにある。
でも、否定はせず「お姉さん、凄いね!」と笑うその子は、やっぱりポケモンなのだろうか。
……けど、アイクやユウのような気配とは違って感じる。もっと、透明感、みたいなものがあって、冷たくて、なんだろ……研ぎ澄まされた真剣、みたいな鋭さが、あって。

「(……アイクは、ナイフかな)」

サバイバルナイフだ、きっと。あのギラギラした碧眼と気配を思い出しながら俺はじっくりと、あの子を眺めた。真っ白なあの子供。もう少し、銅像へ近寄れば顔も見えるのだろうけど、不思議とそうする気がなかった。なんとなく、心が拒否をしている。
───変な感覚だ。相手はどう見ても自分より、遥かに年下なのに、恐怖のようなものを感じているのだ。

そう感じてしまう相手を、どこか懐かしいような……そう思ってしまう。
ちょうど、昨日の出来事。
……昨日、陽恵というエーフィと出会ったとき、感じたとうな…………どこかの誰かと似ている。懐かしいような、気配。この感覚。

「キミは、誰だ?」



──歪んだ運命の元凶。
それがキミなんだね───



どくりと、あの言葉に、震えた。

「あの言葉は……、」

一体。
見上げた俺の眼を、真っ直ぐとあの子は見詰め返してくる。
そしてだ。朝日が一瞬、雲って薄暗さが俺と、あの子を包んだ。その一瞬だけ、──────あの子の、アルセ、の、口が、ぐにゃりと歪んで三日月を描いた。ように、見えた。





「レオ様!」
「っえ?」

魅せられてる自分の意識を、後ろから自分の名前を呼ぶ声に引き戻された。はっとして振り返った。そこに、少し焦ったように汗を頬に濡らす、綺麗な顔立ち、立ち振舞いの、彼がいた。

「…あれ、シィさん?」
「……あれ、ではございません」

俺よりも綺麗で美しい顔を少し困ったように歪ませて、レオ様と呼んだ。俺はそんな風に呼ばれる程のことなんて、彼、イーブイにはしていないはずで、居心地が悪い。……けど、それ以前に、彼はなんでここにいるんだろう。こんな朝一に。

「…そんな不思議そうな顔はお止めください。私達は心配していたのですから」

顔に出していたから、シィは軽く息を吐いた。だが、更に不思議になって首を傾げる。心配って?
彼は俺がなにも理解していないと知って、また息をついた。

「……はぁ……レオ様、お戻りくださいませ。
朝起きたら貴女様がいらっしゃらなくて……ナミさんはお怒りで、ユウさんもご心配なさってます。
…アイクさんは、もっと……」
「察した。いや、言わなくていいよシィさん」

どうせ、俺の相棒は寝惚けモードに入り、やらかしているんだろう。シィのあの「あのアイクさんが、あんなに素直になられて……」「レオ様をお探しに……」うんぬんのセリフでだいたい分かる。
しかし、もうナミとユウは起きているのか。この広場に設置されている時計を見見上げる。まだ、6時だ。確かに俺以外で早起きなのはあのふたりだが……この時間はまだ寝ているはずなのだが。
ぬかったか、とこの後の説教タイムを想像して苦い笑みを浮かべる俺に対して、彼は正反対の優雅な笑顔。「私が早くに起きたのです。その時、レオ様がいらっしゃらなかったので、皆さんを起こさせていただいたのです」とのこと。
くそ……見た目通り几帳面な性格のようだ。優しい笑顔の下で強かに……ってやっぱり、自分の苦手なタイプじゃないか……。

「しかし、何故このような所へおいでに?」
「いや、朝の散歩で……」
「レオ様の朝のお散歩とやらは、血の臭いを纏うものなのでしょうか。存じ上げてませんでした」
「……」

しかもケンカしたことバレてるし。
咎めるような灰色の目はスルーして、誤魔化すように視線を逸らす。

「……ま、それでなんか迷子らしい子とお話してたのさ」

だから多目に見てくれとぬかしながら、俺はポケモン像を見上げた。いや、迷子とは決まってないんだけどさ……。
あの子供はポケモンらしい。擬人化をしていると言うことはトレーナー持ちだろう。としたらこんな朝にひとりでいるのは迷子らへんじゃね?と自分は棚に上げると──────瞬きをする。

「迷子……、とは?」
「……え、いや、」

シィも俺の視線の先、ポケモン像を見上げて首を捻っていた。それもそのはず、そこに誰もいなかった。太陽が上がってきて、俺の視界を白く染める。そんな太陽しか見えなかった。
あの男の子は、気配も残さず、消えていた。
ただ、ポケモン像が、どっしり構えるようにそこに立っていたのみである。
辺りを見渡しても、しんと静まり返り誰もいない。俺と、笑みをきらきらと輝かすシィのみである。えっやだ怖い。

「……レオ様」
「えっ。いや、その怖いオーラやめてくんね! なにこの俺が嘘言ったみたいな空気!? えっ、待って嘘じゃない嘘じゃない!」
「……いえ、構いません。お戻りしましたら、私も恐縮ながら、ナミさんとご一緒に申し上げますので。
さぁ、お帰りなりましょう」
「いや待とうぜ! 俺無罪! 本当に! 真っ白な男の子がいたんだって! ポケモンの擬人化した男の子!」
「はい、承知しております故、さぁお戻りしましょう。
3時間後にはジム戦をお希望するのでしょう? なのでその前に談議やお食事を終わらせなければなりません」
「談議って遠回しに言ってるけど説教ですよね知ってる」

そして、それが死亡フラグだとも知ってる。
こうして俺は笑顔が素晴らしいシィさんに「御無礼をお許しくださいませ」と引き摺られるようにポケモンセンターへ帰宅した。
そう、この数時間後、俺はハクタイジムを受け、無事勝利を納める事となる。







「クスクス…………」


小さな、笑い声が、ポケモン像の上から聞こえた気がした。


    
    
 

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