空契 | ナノ
55.鬼さんこちら、手の鳴る方へ、 (2/5)




闇の中、泣いている声がきこえたのだ。

悲鳴が、聞こえたのだ。





「っ、……?」


ぐらりと視界が揺らいでから、いくら経ったのか。
眠っていたのだろうか。頬と手に触れている感触は、固く冷たくて、ナミはふ、といつの間にか閉じていた目を開けた。

目を、開けたはずだった。
開けていても開けていなくても、何も変わらない。
まず、理解したのは、黒である。

闇だ。
闇がナミを包んでいた。

此処は何処だ。呟きは反響せずに消えていき、ナミは闇を探ろうとして、手を伸ばした。
その時漸く気付いたのだ。掴もうとしていた存在を、掴めていなかった事を。

「…レオ?」






ポケモンという生物は、人間より視力も聴力も優れている。幾つかの種に例外はあるにせよ、ナミも人間よりかは敏感だ。しかし、この闇には手こずった。
光がただ一つもないのだ。
影の中で、ナミは静かに辺りの空気に意識を向けて時間を費やした。そして、闇に目が慣れていった頃には、物について把握していった。

どうやら此処は、町中らしい。

町、と言っても雰囲気がどこか普通と違う。
それに、ナミの記憶では、先程まで自分は、己の主であるレオと、その手持ち達と───御霊の塔と呼ばれるものの前にいたのだ。

そして───影に突如として、襲われた。

明確な敵意を持った影だったと感じたから、近くにいたレオを抱き締め、守ろうとした……と言うのに。

「………レオ」

ぽつりと呟いた声に、返すものはない。
レオは、何処にもいなかった。
少なくとも、呼び掛けて、この声が届く距離には、居ないのだ。

「……アイク? ユウ、………サヨリ、シキ、……イル」

───あの緑の髪も、黄色が明るい髪も、オレンジの跳ねた髪も、茶色の落ち着いた髪も、白銀と紅の髪も、見えない。声も返ってはこない。



ナミはグローブを嵌めている手を、きつく握り締めた。
今、自分はひとりである。

守ろうと、反射的に手を伸ばしたレオ。
彼女にも、届かなかったらしい。

守れなかった、らしいのだ。

自身の求めていた力は、そこに使うと、分かったというのに。




「……いや、ナミ。
…何を落ち込んでいるのだ」


落ち着いているのは良い事だ。だが、落ち込んでいる暇はない。
そんな暇があるのなら、動けと、ナミは自分自身に訴えるように呟くと、握っていた拳をゆるく解いた。
そしてその両手を、上げると、バチンッとまるで伸ばしたゴムがはち切れるような乾いた音を闇に響かせた。ナミが、自分の掌で、頬を叩いたのだ。
物理攻撃に特化している、ナミの拳から放たれる攻撃は激しく重い。それを食らった頬は、手の形で真っ赤に残っている。ひりひりと痛みは勿論感じている。

しかし、その自身への叱咤激励。これは、ナミの、困り果てて萎縮していた体を奮い立たせた。

「───レオ」

此処は何処だかも分からない。
生き物が本能的に恐れる闇に包まれた所に、ナミはひとり。
前までの自分ならば、ポッチャマだった頃の自分ならば、ひとりで泣いていただろう。

しかし───また、レオもひとりで、この闇に取り残されている可能性があるのだ。
アイク、ユウ、サヨリ、シキ、イル達の姿も見えないが───彼等と合流していれば良いと願いつつ、願うばかりでなくナミは足を動かし出した。

得体の知れぬ、音も無く、風も無いこの闇で、怯える自分との葛藤はナミの中には溢れていたが、
この世界で目を覚ましてから彼が動き出したのは、僅か、二、三分の出来事だった。
右も左も、上も下も理解出来ない、ただ何処かの町とは察した闇の中を、ナミは何処だかも分からず歩く。


紛れもない独りというのは、随分と久しいように感じた。
ここ数週間ずっと、歩けば複数の足音と共にあった。
今は、ひとつの足音しかない。
寂しさと心細しさが皆無な訳では無い。訳でもなく───、


“ひとに頼ってばっかじゃ、世界を見ても、
なにしても、
なんも変わらない”


ナミは、いつかのレオの伝言を、ふと、思い出して、止まりそうな足を進めるのだ。







「………ほんと、ここどこ……っ」

は、は、と息を吐きながら、そのレオは、壁に身をあずけ項垂れていた。
壁は、冷たくもなく、ただ、硬いという感覚が背に感じるのみ。
なんだか、悪い夢を見てる気分だ、と少女は無意識に、胸のペンダントを握った。───今度は、ひんやりと冷たい、鉄の感覚が伝わってきた。

夢では、無いのだ。
無いのだ、が、ないのだが、
夢の中にいるような、ふわついた感覚。

この触れる壁───、この、日本家屋ばかりが並ぶ町も、
自身を“追っている”、あの“黒い影”も───どこか………悪夢の塊のようで、

その時、レオの耳元で、生暖かい吐息がこぼれた。



───みぃつけたぁ───



「………!」

びく、と瞼が震えた。全身から汗が吹き出し、レオの敏感な野生本能とも呼べるようなそれが警鐘を慣らして、考えるより先に足を走らせていた。
走れ走れ走れと、逃げろ逃げろと、言うのが、体中が、叫ぶのだ。
レオは知っている。こういう時の自身のこの本能は当たっている。

後ろは振り返らない。
“奴”がいる。
後ろは振り返らない。
少しの隙も与えてはならない。
音はない。
風はない。
自分の最小限に消した息と、足音しか聞こえない。
それでも“奴”が追ってきている。
それが分かる。
後ろは振り返らない。
夢中で走る。
走る。

此処は、“奴の世界だ”。



───だめ、にがさない───

───だめ───



おそれも、見せてはならない、
つけこまれる、
ふりかえるな、ふるえるな、まえをむけ、
それ、か、───ら、







ぶつん、

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