49.麗しき誓いを立てる弱虫は (2/5)
その村は、一夜で滅んだ。
彼が消し去った。真っ紅に染めて。
後に、
彼は、その少女を最初に出逢った森に埋葬すると、逃げるように村を飛び出したと話した。
それからは、あてもない旅。
各地をふらふらと、目的なんてない。
人間の姿を借りて、ふらふらと。
人間の姿を借りる、擬人化という能力を有してから、彼の旅は楽になった。人間の姿の彼は美しい青年で、ひと受けが良かった。
紅、と名乗って、
人間のように振る舞って、
人間を、愛そうとして、
生活に困ったときは愛を振りかざして、女の元に入り浸り、
愛を求め、
でも、長居をすれば、また失ってしまうのだろうと恐れ、
また、逃げて、
ずっと脳内で、あの少女の顔が、声が響いてたと彼は呟いた。
ずっとずっと、
少女が、笑っていたと。
あかいろがすきだと。
はなびがみたいと。
にんげんがすきだと。
そとがみたいと。
しあわせになってと。
ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐると、彼女の言葉が回っていた。
まるで呪いのように。
鎖のように。
その傀儡のように、紅は生きていた。
「───なんで、その話、を、」
俺に。
───イルの美しい横顔を見詰めながら聞いていた話を、ひとつひとつ思い浮かべながら、そう尋ねた。
紅ではなく、イルだと、彼は言った。それは、何故か?
彼は横顔のまま、やはり何処かを見詰めて、ふと表情を透き通るような…儚げなものにした。
「…俺はね、レオ、
君から名を貰った時に、思ったんだ」名はふたつも必要はない、と。
「……」
「紅は、もういらない」囚人のように彼は、言う。解放された、と。
イル!と呼ばれた瞬間に、
鎖から、呪縛から、あの少女から、
解放された気がした。
だからこそ、誰かを手にかけてしまう恐怖、自分の力が空回ってしまう恐怖、助けれない恐怖、その全てを押さえ付けて手を貸せたのだ。
ずっと背負い込んでいた荷が、どこかに落っこちたみたい、で。
───すき。
もういらない気がした。
「……イルとして、生きていく、のか」
こくん、と彼は頷く。
「…そう。
………それは、過去を、忘れたいから……?」
こくん、彼は、笑って、頷く。
こんな弱虫を笑ってくれと、促されているように感じた。
勿論俺は笑えるほど余裕がある筈もなく、歪むだけだ。膝を抱えた。
沈黙を、それをあかいろの彼は待っているのか、黙って空を見ていた。
そして今更気付いたのは、俺の隣を座っていたユウ。それと、近くで同じく座っていたナミ。…ふたりが俯いて、肩を、拳を震わせて、泣いていた、ということ。
シキとサヨリも眉を寄せて、あかいろの彼が話した物語を読み砕くように考え込んでは、時折悲しそうに眼をすがめていた。
彼は、悲しませるために、話したわけではないだろうに。
彼の横顔は、苦笑で曇っている。
───あかいろの過去。
真っ紅に染まる、過去。
悲しいできごと。
「(悲しいことは、存在しないほうが、いい)」
はず、だ、と、俺も、理解している。
だから、違う名で、前の自分を捨てて、新しく、明るく、強く、生きたいのも、
過去なんて、忘却したいのも、
分かるのだ。
「……思い出なんて、
どんなによくても、綺麗でも、優しくても…、
過去になれば、すべて、重いだけ……」
「…」戻れない日々に、胸が痛む。
───重いと、感じる。
だから、分かるのだ。忘れてしまいたいという、嘆き。…しかしと、俺は彼の横顔を、浅葱色の瞳を、見詰めた。
それから、以前までの彼を脳裏に宿してみた。俺をエスコートして、面倒を見てくれて、優しくしてくれた、あの甘い甘いデートの一日を。
「……」
「っ、」おもむろに、手を伸ばして頬に触れた。びくりと彼の肩が跳ねて、俺を見る。浅葱色の瞳。
彼が俺を見るその必死のは、いつも、優しく、あたたかくて、でも時に冷たく───、
冷たいと言っても、暗い感情では殆んどなく、寧ろ何かを抑え込むような───無機質。
硝子玉。
「……俺も、忘却が正しいんだって、
さっきまで…思ってたよ」
忘れてしまえと、彼が囁いてた、あの日から、ずっと。
今まで。
「でもね、」
しかし、俺は気付いてしまったのだ。無機質にしようとした硝子玉の瞳。それに隠しきれずに滲み出る……切なさ。
あと、拭いきれない懐古。…それが彼にはあったこと。
今も、ほら、
「悲しい顔をしてるきみを見てたら、」
瞳を覗き込むと、俺の顔がうつりこんでいた。その、無表情のような俺の顔の向こう、はっと見開かれた瞳の奥で、ぐちゃりと、瞳の中で混ざりきった色。
怒りや憎しみ、そして、愛おしさ。
それらの感情を、忘れることに対しての、悲しみ。恐怖。が、そこにあるんじゃないか。
水面のようにうつされた、俺。
俺も、こんな眼を、しているのかな。
───だとしたら、
わからなく、なってしまった。
ぽつりと呟いて、手を離すと彼は眼を逸らした。瞳が揺れている。困惑しているのだろうか。
「…悲しいんじゃ、ないのか」
悲しがっているということに、困惑しているのだろうか。
忘れることに対して、恐怖を覚えている、ということを……。
本当は、その子を、……忘れるのが、嫌なんだ。
「…でも、
……でも、覚えていても、苦しいだけだ」「…うん」
そう、だから、俺も、
「…………俺も、大切なひとを、親友を、家族を………忘れることにしたんだ」
二年前。
───まっかな炎の前で、忘れよう、と、思ったんだ。───あいつの面影を残すものは、全て、燃やして───。
エンだけを忘れるなんて、器用な真似はできなかったから、あいつのいた記憶は、全部、全部、空っぽに、した。
空っぽになったら、苦しさも忘れた。痛みも忘却した。
救われた気でいた。
「けど、違うんだろうなって、」
最近、思い出してから、気付いたんだ。
「忘れようとしても、忘れてなかった。
消せたつもりでも、ずっとこびりついてた」
だから夢を見るのだろう。いつもいつも、エンが現れる、悪夢を見る。
───夢はそいつにとって大切なものを観せるんだよ。
───その捨てちまった記憶が、てめぇの足を引っ張って形になる、
今まではそんな夢すらも忘却して生きてきたけれど、いつまでもあの夢は襲ってくる。
いつまでも、自分は彼を追い掛けている。もう、何処にもいないのに。
いない、筈、なのに、
「……あいつは……忘れてもいいって、言ったけど、
本当に、それは正しいのかな」
「…」「悲しそうに笑う、きみを見てたら、そう思ったんだ」
疑うことなんてなかったけど、疑問を抱いた。
答えは、分からずにいる。
───あいつはどんな意図を持って、忘れてもいいなんて言ったのかな。
天を仰いで、もうどこにもいない筈の、彼を思った。バイクでデートに行こうなんて言って、促されるままほら、記憶は全く色褪せることもなく、残っていた。
きっと───
「だったら、どうしろって言うんだよ…」……震えて掠れて言った、彼、も。
彼、は、両手を震わせ握り、きゅうと眼を閉じて喉奥から絞るように言った。
「俺は、前に進みたいんだ……っ」「……ん」
自分もだと頷いた俺に、彼は苦しそうに呻いた。
「俺は、……俺も、
あんたの助けになりたいんだよ」眼を、見張った。ばさばさと風が真っ白のコートを翻し、ちゃりん、ちゃりん、それぞれのブレスレット、ペンダントが音を奏でる。
彼は自身の胸元を掴んで、前のめりになってそう言った。…今にも泣きそうな顔をしていて、俺は言いたい言葉を思わず飲み込んだ。彼は更に言い募る。
「あんたが前を向こうとしてるのに、俺だけ後ろを向いてるのは嫌なんだよ…」と。
彼には俺が、前を向こうとしているように、見えたのだろうか。視線を落とす。
前って、どっちだか、分からないのに。
「過去に引き摺られてちゃ、前なんか……進めないだろ」違うのか。彼の問いに、俺は眉を寄せて黙るしかなかった。
嗚呼、エンなら、なんて言うのかな。無意識にあいつを求めて、目眩がした。俺は彼のように強くない。
強くない。
──あ、と、その時俺は眼を丸めた。強くない。そう何度めかの再認識をした時、ならば、と思ったのだ。それは……ナミも同じらしく、ナミはゆっくりと二本の足で立ち上がると、俺らを見据えて、しかしこの場にいる全員に言い渡すように言った。
「ならば、
強くなろう!」と。
……忘却が正しいのか分からないと呟いても、だからと言って打開策があるわけでもなく、成す統べもなくぼんやりとしていた俺らに、ナミの叱咤にもよく似た、声がかかったのだ。
立てた片膝を抱えるように座って、ずっと黙っていたナミだ。今は空に一歩近付くように立った。下から眺めているから、だろうか。彼に全員の視線が集まる。見上げたナミは、とても眩しく、大きく見えた。
「なにかを救えないのなら、
過去を背負えるほど弱いのなら、」ばっ!
彼は大空を背負って、両手を広げた。
「強くなろう!」やけに凛々しい声だった。
やけに熱い眼をしていた。
やけに、力強かった。
しかし、
「……共にだ!」そう付け加えて、でも堂々と胸を張って、言い切ったナミに────言葉はすっかり奪われてしまった。ナミに。前まで、あんなに小さかったあの子に。
俺の顔はだらしなく緩んで、ぽかん、と音がしそうな間抜けな顔になっていた事だろう。安易に分かったのは、他の者たちみんなそんな顔や、眼をしていたのを見たから。きっと俺もあんな顔してる。
「や、…ぱり、きみ、」「む、?」「……どの辺りが、」ぽかんと音を落とし、面を食らっていたあかいろが、ナミを見上げながら「弱虫なの」と呟くと、あの子はふにゃりと苦笑した。
弱虫。それは何処からそうあかいろが呼んだのかは定かではないが、確かだ。彼は臆病で泣き虫だ。った、はず。で。
強くなりたいという意志を、願いを掲げているのは知っていた。
───それが、気が付けば、強くなろう、と俺らに訴えていて。
「私は弱い」ナミは何でもないように言った。
自分は強くはない。弱いんだ。弱虫だと。
「だからこそ、強くなる」ナミは自身の首に巻かれた包帯に触れながら、更に言う。
弱いことを嘆いていても仕方がない。
「強くなろう」と。
「それは難しい事かもしれない。
傷を背負うのは痛いし苦しい」だけれど、
「弱いままではいられないだろう」違うか?と純粋な、その輝く瞳で言う。
強くなる方法が分からない。そう小さな声で嘆けば
「バトルをしよう!」───単純な、言葉。
ナミの強い光を宿した瞳と、強い言葉。眩しいと眼を細める。
───あの日、クロガネシティの出来事を、ふいに思い出した。
操られたプテラと対峙し、俺は大怪我を負ったものの、俺は一刻も早く元の世界に帰りたくて帰りたくて、クロガネシティを出ようとしたのだ。そんな俺を止めるため、そして己を変えようとするため、ナミはこう進言した。
「ジムバトルをしたい」と。
強い瞳、強い言葉。それがあまりにも眩しくて、あの時は眼を逸らした。今は、しっかりと見詰める。
「……お前は、……なにか……つかめた、のか」
「…」あの時と同じ、真っ直ぐな感情だったが、───以前とは何かが違っているように思ったのだ。
多分俺にも、……あかいろの彼にも、他の者達も分からないそれ。尋ねれば、ナミは静かに笑った。
きっと、お前達も理解している筈だ。そう呟いて。
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