空契 | ナノ
45.Dawn (2/6)

 
   

大分慣れ親しんだ声が、耳元で響いた。
それと同時に、俺は抱き締められていた。温もりに。小さく震えた、ユウ、に。

「ゆ、ぅ、」

バンダナのような、ハチマキような黄色い布を翻して抱き着いてきたのを受け止めきれずよろけたのを、イルに支えられつつ、俺は上擦った声を上げた。たった二文字の名前。それを呼ぶだけで喉は乾ききる。
それでも構わないと、何度も彼は俺の名を呼ぶ。

「レオ、レオ、レオ、レオ……っ」
「っ、ちょ、ゆう、ま、て、」
「やだ、やだ、やだぁ………っ!」

抱き締める力が強くて息苦しい。必死に肩を押していたが、手を止めた。まるで駄々っ子のような声が必死に名を呼ぶ。……大きな瞳から、涙がぼろぼろと零れていたのだ。
ノイズが頭を締め付ける。ぐらりと眼が眩む。それに気付けるほど、ユウは冷静さを残していなかった。
目を震わせ眉を寄せ顔をくしゃくしゃにして爪が食い込むほど肩に力を込めて見詰めて、

「ごめんなさい、ごめん、なさ、い、………っ!」


───なぁ…………ユウ、
───キミは本当に子供だよな。
───自分が自分が、ばっかりでさ……うるさいよ。


あ、と、眼を見開いた。
彼をここまで追い込んだのは、俺、だ。

「ごめんなさいっ、ごめんなさい、もっと、もっと、つよくなるから、レオを、ちゃんと、まもるから………っ!」

違う、違う、きみが、このこが、謝る理由なんて、ない、
のに、

「お願い………っ!」
「ゆう……」
「っ………!」


ぼくを、すてないで。
おいていかないで。

───肩を掴んだまま力なく見上げた眼を見て、彼は……モンスターボールという狭い空間の中で、なにを思っていたのか、考えた。

おいていかないで。

その呟きが、懇願が、胸を重くさせ、た。

「………、ごめ、………ん」

ごめんね。そう言って彼の頭を撫でて、軽く抱き締め返すと、震えが伝わってくる。彼は強くすがり付いてくる。
───残された、気持ち。それが痛いほど、伝わってくる。
俺は、こいつに酷いことを、したのか。今更に自覚して、ごめん、以外の言葉が見付からなかった。
しかし、俺が残したのは、ユウ、だけではない。

「………レオ、」
「…なみ」

名前を呼んだ彼の肩に力が入ってる。精悍な顔立ちを、ぐしゃりと歪ませた青と黄色のメッシュが入った髪が震えている。鼻が、赤いように見えた。彼は近寄っては来ない。泣きそうに、唇を噛んで、俺を見詰めていた。


───ナミ。
───キミは弱いから強くあろうとしてるけどさ、
───俺を巻き込むのはやめてくれよ。
───鬱陶しい。


「………、な、」
「っ………すまな、い」

ぽつり、小さく溢して、ナミはそれっきり顔を逸らしてしまう。ぎち、とグローブが強く握られて震えているのが、見えた。かける、言葉は、見えない。
そのナミの後ろには、サヨリとシキも、ユウとナミと同じように擬人化姿で並んで立っていた。


───サヨリはさ、
───自分が達観してるとでも勘違いしてない?
───誰よりも我が強くて、それを隠してるだけなくせに。


「───、」

分かったような口調で指摘された彼は、色を失い顔を強ばらせていた。今も視線を寄越せば、いつものポーカーフェイスはどこにもない。さっと血の気の引いた顔で、片手で自身の腕を掴んで震えていた。口はジャージの襟に隠して、小さく縮こまる。

「レオ、さ、………っ、ご、無事で、本当に、良かった……!」


───シキ、
───キミは俺に忠誠なんか誓ってない大嘘つきだろ。
───自分だけ良ければいいんだろ、本当はさ。


大嘘つき。
俺がこう評した彼は、俺の姿を見て安堵したように眼に涙を溜め、口を押さえている。足を震わせて、床に座り込む様を見ていた。
心配。その感情がそこにはある。でも、確かに彼へと突き刺した自身の言葉、嘘偽りない俺の本音だった。
ユウにも、ナミにも、サヨリにも、シキにも、全て───俺の本音を、八つ当たりを突き刺した。
けれどそこにはなんの意味を持たぬ筈だった。

子供、弱虫、自分勝手、嘘つき、
だからどうした。という、叫び。
けれど俺は確かにこの子達を傷付け………掻き乱した、のか。
彼らを見る。皆が皆、歪ませている顔だ。こんな顔に、俺がしてしまったのか。


「ごめん」


それ以外に、かける言葉は、やはり見当たらなかった。
こういう時に限って、頭は回らない。口八丁。それは機能しない。
ユウ、ナミ、サヨリ、シキ、
暫くぶりに感じる名を、俺はひとつひとつ、ゆっくりと呼んだ。確かめるように。繋がりを。
そして、もう一度吐く言葉は、ひとつで、ごめんので。ユウの拘束が強まる。もう一度ごめんを吐いて、頭を撫でれば、こくこくと頷かれた。

「………」

これだけで俺は精一杯だと言うのに、

「───…」

視線を感じて視線を上げる。慌てたように、シキが体をずらした。サヨリもナミもワンテンポ遅れてだ。
俺は、向かう視線を、少し頭をぐらつかせながら受ける。ぐらぐらと目眩がおこりそうな、ずしんと重くなる、空気。
ひくりと空気を飲み干そうとすると、思いの外冷たかった。ドライアイスでも口にしたかのように、体の内側が焼けるような痛みが走る。

───そう感じざる終えないのは、俺が過剰反応してるからだろうか。
俺を見据える、彼の眼は、………碧眼は、相変わらず鋭い目付きをしていた。

「………」
「………」

彼は、………おれの相棒は、黙って俺と視線を交わす。
碧眼は静かな色を乗せる。眉間の皺はいつにも増して深いし、眉は少しだけつり上がっている。唇は薄く開かれ、そして閉じられた。
ドライアイスのような熱を溜め込む俺の顔と、そっくりだな、なんて思った。自分の顔は見えないものの、何故かそう思えた。

互いになにも口にしない。なにも言わず、まるで雨に濡れた猫のように尻尾を垂れさせているようだった。そんな猫同士が、行き場所もなく、互いにただ意味もなく睨み合う。それだけ。それだけ、だ。

「───、」


───………ほらな、
───化け物じゃねぇか。


口を開いた彼は、今はなにも語らずすぐに唇を閉ざす。
しかし彼は確かに言ったのだ。


───“化け物”。


彼の真意は知らない。


───“ディアルガ、パルキアから生み出された、身体を持ってる”。
───…………そんなこいつを、信じろって?


他人事のようにぼんやり、聞いていたあの台詞を思い返す。


───こいつの旅の目的の意味を、知ってる奴はいんのかよ!?
───こいつの、この女の! 正体を知ってる奴はいんのかよ!?

───アースとも、関係あんだろ!?


彼の言うことは、何一つとして間違っていない。
俺は化け物。
だけど、間違っていない、のだけど、その眼に、拒絶がはっきりと見えたんだ。
今は、静かな夜の色。

きっと、俺なんかでなければ、また違ってたのだろう。
もっと、違う言葉をかけれる。
弁解したりとか、説明したりとか。
でも、俺は───それを否定できもしないし、説明するほどの信頼もしてない。


───…………一族殺しの青龍?


だから、その言葉を叩き付けたのだ。
当て付けのように。






俺は、あの事について、なにを言うべきなのか。
この碧眼の相棒に、なにを伝えるべきなのか。

「……、ア、」

ひとつの深い呼吸後、相棒という関係である彼の名を口にしかけた。

───かけた、名前は、

「(あ、れ、)」

ぐらり、
眩んだ目の前。
掻き消されてしまった。

ぐらり、ぐら、ぐら、ぐら、ぐら、
足元からなにか、冷たいものが競り上がる感覚。
ぐら、ん、ぐらん、
瞼が重い。
重さには耐えきれず、緑色の彼が碧眼を見開いていたのを、ぼやかして見ていた。そして、いずれか、闇。

体から力が闇に奪われていき、薄れる意識の中で、聞こえていたのはノイズと、俺を呼ぶ声だ。





───レオ───

───レオ───


───レオ様───




おいでませ。
我等の元へと。





「レオっ!」

「レオ、っ、と……ぶな……」
『お姉ちゃ……っ、イルお兄ちゃん、お姉ちゃんは、』
「大丈夫。……これは、寝てるだけ、だね」

「レオっ、レオ!
レオ……っ」

「だから、そこの黄色い君も落ち着いて」

寝てるだけだってば。イルが笑うと、その黄色い、ユウが強い視線でイルを睨みあげた。
イルの腕の中には、レオがいる。レオが、力なく倒れている。受け止めたのは、その男。

「っ……あんた、誰」
「ヒッ」
「ちょ、怖いって。睨まないで睨まないで。
リゼちゃんも驚いてるからー」


幼いリゼを背中に庇いながらへらへらと呑気に笑う男、イルに思わず、だから誰だって聞いてるの!と怒鳴り声を上げた。
ユウの顔は酷いもので、イルが見てられないと肩を竦める。イルとリゼにはこの者達の境遇を知らないが、とりあえず分かる感情にどうしたものかと視線を巡らせば、その視線を受け取ったシキが助け船を出す。

「……詳しい事情は、後にお話致しましょう。お互いに」

まずは、レオを。丁寧で柔らかい物腰でそう言った彼も、複雑な顔をしているのを見つつも、自身の前で震えているこの黄色い少年と比べればマシかと息をついて頷いた。そうだ、まずは、この少女を。
レオを、すっかり慣れた様子で抱き上げてシキに案内されつつリビングを出る。
───やけに重く、ひやりとしたあの空気が漂うリビングで、このくたくたであろう少女を寝かすのは酷というものだと、神妙な面持ちで床を睨むばかりの少年青年達を一瞥してイルは心の底で呟く。そんな所に、リゼを置いてきてしまってはいるのだけども。

「喧嘩、ねぇ」

イルの呟きに、シキは無言で微笑んだ。眉を寄せて、唇は乾いていて切れている、という痛ましい顔立ちを見てから、しかし直ぐに逸らす。
別に、興味などはない。自分は、この者達を詳しく知らぬ。

ただ、腕の中で、呻き声を僅かに溢して、震える、
この少女の寝顔が、気になっただけ。
せめて、夢の中でのみでも幸せであってほしいと、思っただけ。



彼女は、悪夢でも見ているのだろうかというイルの懸念は、見事に当たっていた。
レオは、深い深い、闇の中、誘われ、誘われ、呼応し、
沈み。




───レオサマ───


     
    

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