40.predestined encounter (2/5)
ヨスガシティ
───ひとびとや ポケモンが あつまり
しょうぎょうの はってんと ともに
できあがった ゆうこうの まち。
商業の発展───そう言われるだけあって、その街は広く、大きかった。コトブキシティも中々都会だったが、それとはまた違った雰囲気を持つ街だ。
賑わい、輝くような街。華やかな街───。
人が行き交う、ポケモンが寄り添う、そんな道を、走る。独り、俺は走る。
「……は…っ」
吐いた息は白く霞んで溶けていく。眺めているなんて意味はなかった。ただ勝手に足が動く。
頭は、空っぽ。
なにも、考えちゃいない。
勝手に足が動く。それについていっている。連れていかれている。そんな感覚だ。アスファルトを蹴るこの足は勿論自分の意思だが。
何故、
自分はここにいるんだろうと、既に酸素切れの頭で考えた。
誰もいない、どこか遠くに逃げ出したかった。
あの、手持ち達よりも遠い、遠い、遠い場所に。
───それでも、頭にちらつくのは、茫然と立ち尽くし俺を見詰める、彼等の眼。
浅い息を繰り返す音は、辺りのざわめきに吸い込まれる。
頭が重かった。何もかもが遠く感じる。
自分はどこにいるんだろう。どこに向かって、どこを目指して、どこへ、なにへ、
そう考え出したらきりがなくて、止めどなくその疑問は溢れ出る。それはこの前───湖に飛び込んだあの時ととても感覚が似ていた。
「っ……れい…」
なぜ、なぜ、なぜ、と溢れた言葉を覆うように違う言葉を呟いてみれば、それはずっと追い求めていた名前だった。
そう、そう、そうだよ、俺は、ずっとレイを、レイ、だけを、
「れい、れい、れい……っ」
レイだけ居ればいいと思っていた。
レイが傍に居てれれば俺は生きていけると思っていた。
過去の記憶をどんなに消しても、それだけは覚えていて、
「レイ…………!」
眩しい笑みが見えた。気がした。
記憶の中で、ゆらりゆらりと揺れる。
───そんなレイの隣に、ユカリ、そして───ユカリよりは背が低いけど、俺らより遥かに背が高い、眼鏡をした男。
白い部屋の中、レイと、ユカリと、その、男、
エン、と、
笑っていた、自分がいた。
それが、なんで、
「なんで、」
なんで、今更──────思い出してしまったんだ。
───記憶の中で、二つの声が、重なって弾けて溶けた。
邪魔だと思った。そんな記憶いらないと思った。
それがどんなに優しくてあたたかい記憶だとしても、俺にとってはそれが──────重い。
ずるずると重い足を引き摺って、走り続ける。横腹が痛くてもう息も上がっていたけど、何にも気づけずに人ごみに紛れる。
肩と肩同士がぶつかってよろめく。怒声を聞いた気がした。遠くで。「どこ見て歩いてんだ」とか「あの女の子裸足じゃないか」とか「誰か助けろよ」とか。色んな声が聞こえる。そして、響いてくるのだ。頭に。こえが。
聲、が、
「…………………さ、い………」
まざ、って、まざって、まざって、
「うるさい………」
ノイズが頭を占領するノイズが頭を叩く。追い出したくて聞きたくなくて聴きたくなんかなくて、耳を抑え踞る。
降りかかる怒声、占領を始めるノイズ、腕を掴む汚い手、見下ろす無数の目、全て全て全て全て全て全て全て全て消えてしまえばいいのに。
───レオ!
───守ってやるからな!
───守ってやるよ。
───絶対な。
その声だけ、残って消えてしまえばいいのに。
「──────!」
「、?」
───ふと名前を呼ばれた気がした。
知らぬ聲、それが呼んだ気がした。
それはノイズとならず、俺の脳裏を過ぎていって───、
「なぁにしてんのさー!」
「ぇ、?」
優しい力で引き上げられて、顔を上げた。
気が付けば誰かに腰を掴まれ、抱き起こされていた。変に馴れ馴れしい触り方で、霞んだ眼をすがめて見渡す。
───今、やっと状況を受け入れた。
俺はどうやら、通行人とぶつかって、それで因縁をつけられていたらしい。そこでなにかを喚きながら俺を睨み付ける、汚い眼をした男がいた。俺がよくチンピラ狩りの標的にするような、そんなくだらない男だ。
それを初老、と呼んでもいいのだろうか。決して若くはない、黒髪に白メッシュが入った男が宥めていた。「まぁまぁ、オニイサンいいじゃないの。そうカッカしないの」と優しく声をかけつつも、しっかりとそのチンピラの肩を掴んでいる様子的に、何だかあの男は手慣れているように見えた。
周りの通行人がわざわざ足を止めて、それを見ながらカメラを構えたりコソコソと耳打ちしている。その真ん中に居て、注目を集めてしまっているのは間違えなく俺───そして、
「全く、勝手に病院抜け出してー、俺、すぅんごく心配したんだからねー!
彼氏に一言声掛けてちょーだいよ、全くー!」
───なんて、半分身に覚えのないことを言いながら、俺の腰を撫でてくる、この───青年。
真っ白なコートを着た、青年だった。青年が身に付けるペンダント、ピアス、服を飾る装飾等が、ちゃりん、と風に煽られ揺れた。
「…………」
「あっれ、無反応?」
傷付く〜、なんて青年は、端整なその顔でへらへらと笑っていた。
ふわりと、揺れた真っ白な髪。前髪の毛先が一部に赤───深紅に染まっている。
そんな前髪がゆれ、見え隠れする、眼。
スゥ、と細められた───浅葱色、の、眼。
「───!」
ギクリとした。
………見たくないものを見てしまって、見られてしまったような、そうだ、これは、アース相手に感じたものと似たような───、
ただ、気付けば俺は、その近い所にある体を殴り付けるように手で押しやると、身を引いていた。
「…………」
口角を上げながらきょとんとする、その青年のちょっと見開かれたその眼と視線は交わったまま逸らされない。
この空色の眼と、浅葱色の眼と、
空虚な眼と、硝子玉みたいな眼と、
視線が───、
ひゅっと誰かが息を飲む。俺も、そいつも、何故か言葉をなくし、しんと静まった空の下。一瞬の静寂だ。
どくりと何かが、何処かが訴える。
───この男は───、そう訴える、予感めいた、もの。
その静けさを破ったのは、初老の男に宥められていたあのチンピラだった。
「何だてめぇ! 俺が用あんのはそこの女だ!」
未だにその男は「そいつがぶつかってきた」やら「謝罪しろ」やら「慰謝料払え」やら喚き散らしてる。
ぶつかったのは確かに自分だ。だがだから何なんだという思いもある。
普段の自分ならあっさり謝ってさっさと逃げているだろうが、今の自分の頭にその考えは浮かばず、じっとそのチンピラを見据える。睨み付ける、の方が正しいだろうか。
ぴたりと、チンピラの動きが止まった。
それだけではないを辺りの空気が一瞬で凍り付く。
これは明らかに俺のせいで───ああ、この空気、覚えがある。と思い出す。ただただ、恐怖が支配するこの空気、これは、毎日のように“元の世界”で“経験していた”。
俺に恐怖する眼たち。それは、俺の日常。
───そこに、あたたかい眼も、あったんだ。
「(あぁ…………はやく…)」
はやく、かえりたい、な。
帰る場所は確かなのか分からないくせに、こうやって記憶を辿れば溢れる言葉はいつだってこれだ。従おうと、ひたりと踵を返そうとする。
それを阻止したのは、また、あの真っ白と深紅の髪の、青年だった。
ぐっと手を握られ、こちらを見据える───その、浅葱色の眼に僅かにたじろぐ。
「あー、お嬢ちゃんとお兄さん方?」
ちょいちょいとあの初老の男───黒髪に白髪を交じらせて、そして頬には大きな古傷のようなものがあって堅気には見えないような強面だ───が、俺とこの青年を見ながら手を降った。
その反対の手は気が付けば、あのチンピラを取り押さえている。ギリギリと手を後ろ手に捻り上げられているらしく「いでででで」と悲鳴を上げている。
あの初老の男は、正反対にふにゃりとした笑みで俺らに言った。
「此処は俺に任せときなさい〜」
「えー、その、大丈夫です?」
青年は眼を泳がせ笑いながら聞いた。
その泳ぐ理由は、初老の男が捻り上げているチンピラがこの数秒でぐったりしてしまったからである。周りの野次馬も顔を真っ青にしてざわざわしていた。何をしたんだと呟きが聞こえたが此処にいる、この初老の男を抜いた全員が思っている台詞だろうに、初老の男は柔らかく笑う。
「いいのいいの。若者は元気に遊んでらっしゃい」
きっとこの白髪の男は、このほわほわ笑う初老の男と、ふよふよと口から魂を放出してるそのチンピラとのイメージが結び付かなくて困っているのだろう。
俺もいつもならば思わずそのチンピラの心配をしてしまっていたかもしれない。いつもならば。(今はただその初老の男の眼を観察していたのみである)
「大人のヨユーだね! かぁっこいーねぇー!」
パチンッと指を鳴らしたのは白銀と紅の青年だ。ついさっきまで困惑気味だったというのに、深く考えるのを止めたのか彼は軽い口調で初老の男を褒めると「じゃ、シクヨロ!」なんてウィンクをして走り出した。
当然、俺の手を掴んだまま、
かと思いきや、
「はぁい、じっとしててねー!」
軽い口調の声と同時に手を離されたと思った次の瞬間、俺の体はふわりも空に向かって僅かに近付いた。
腰と膝裏に手を回され、持ち上げられた、らしいと気づいたのは、高い空をバックにした、あの青年の笑んだ顔を視界に飛び込んできた瞬間である。
そこに大したリアクションを取れた訳ではないが、数日前に自分を救い出してくれた銀髪の彼とリンクして見えた。
少し瞬きして見上げていた俺を落とさないように抱えながら「うわ、軽…本当に生きてるのこれ」だとか言いながら少し速く歩き出した青年に、後ろから声がかかる。
「あ、でもカノジョさんにはちゃんと怒りなさいねー?
こーゆーのは謝んなきゃ駄目よー」
「おじさんホントーにお節介だねー!」
思わずといったように小さく吹き出しながら、ちょっと振り返り青年は笑った。
彼は「ありがとー」と言いながら直ぐに前を向いたが、俺はがったんがったん揺さぶられながら、徐々に離れていく人だかりとチンピラ、そしてあの初老の男を見詰めていた。
きっと感情はそこにはなくて、ぼんやりと見るだけのその眼。
そんなものと、じっと小豆色の眼を合わせていた初老の男は、ぽつりと呟いた言の葉。地獄耳な俺はそれを辛うじて拾い上げていた。
「やっぱ、子供はあーあるべきたよな〜」
暢気そうに眼を柔らかく細め、小皺を深めて、初老の男はゆるりと手を振った。
「願わくば、
そのまま逃げておくれよ」
───その言葉は、聞こえはしなかったけども。
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