空契 | ナノ
38.On my way home, (2/6)

   
      
   
    

「レオ?」

「───、え、っ?」


かかった声と、ドクンと震える心臓に驚いて、俺は慌てて眼を開いた。
びくりと跳ね上がった上半身は、どこかの机に臥せっていて、自身の腕を枕にしていた。───なんで?
なんで自分がこんな体制にいるのかの意味が分からず、ぼんやりしながら視線をさ迷わす。
自分が臥せっているからか、低い視線。そこに映り込む木と鉄パイプで作られた無数の机とイス。教卓。黒板。

それを照らす、夕陽の光。

「───っ、え!?」
「きゃあっ」

───意識がはっきりしないまま、バンッと机を叩きながら起き上がった。ひらりと黒いスカートが舞う。
勢いよく立ち上がる際に、イスを大きな音を立てながら押し倒してしまったらしい。その音と突然の俺の動きに真横に立っていた、その子が悲鳴を上げて少し身を引いていた。

「ちょっと、どうしたのよレオー!」

驚かせないでよっ、と黒いセーラー服のスカートを握りながら抗議する彼女の姿を見て、体が固まった。
かなり驚いた、というよりも、元々臆病な性格であるからか涙がうっすら浮かんでいる、その茶色の瞳でこちらを困惑げに見てくる、その少女の名を、小さな声で、呼ぶ。

「……レイ、?」
「そうだよ?」
「………」
「………、レイ?」
「いや、だからそうだってば」

橙色に近い茶色、琥珀色髪と、首から下げるその橙色の笛のペンダントが、夕陽に照らされキラキラ輝いていて、マジマジと見詰める。

───レイだ。そう、紛れもなく、レイ、だ。

しかし疑問と違和感が芽生えてきて、きょろきょろと辺りを見渡した。
───この部屋、否、学校の教室の窓を見ると、
茜色の空が広がっていた。

「…………ゆう、がた……」

「うん、もう夕方だよ?」
「げっ……」

呆れを含んだ、彼女、レイのため息で全てを悟った。
笑顔のまま硬直した俺の様子に彼女は、ぷぅと頬を膨らました。

「もー……また授業寝てたでしょ?
というか、また! 夜更かししてたんじゃないの? ゲームとかでさー」
「……あはははー、そんなワケなぁいじゃーん!
俺に限ってそんなーバカなー」

ダメだよ!と腰に手を置いて額を軽く小突かれて、誤魔化しの言葉を咄嗟に浮かべた。
すると、彼女は更にしかめっ面をする。

「なによーその“変な顔”!」

ピシリと凍り付いた。
弧を描き緩んでいた頬をレイにつつかれ、ばつが悪くなるも、彼女は更に追及する。
ちょっとふて腐れたような表情で。

「“ユカリの笑顔”の“マネ”なんていらないわよ!」

───じわり、じわりと、凍り付いた表情が溶けていく。

「あなたはレオなんだから!
ウソつくのはダメだよ!」

───からんと音をたてて、氷が溶けきった。
……笑みを浮かべている理由を失った気がする。そのクセの意味もなくなった気がする。…俺は俯いて、眉を下げた。やっはり、彼女には敵わないと、小さな笑みを溢した。
失笑のような、小さく、思わず溢れた、笑みで頷いた。

「……うん、ごめん。……レイ」
「よし! 許すわ!」


───満足げに大きな口でふわりと笑ったレイは、
茜色の中、キラキラ輝いてた。
俺の中で、永遠の、輝きを残すその笑み。

綺麗で、綺麗で、キレイで、
俺の大好きな、そのあたたかさ、


「一緒に帰ろ!
レオ」


真っ直ぐ手を伸ばしてくる───その親友の手。
恥ずかしくって、嬉しくって浮かんだ笑みなんて、気が抜けててへにゃへにゃで、情けない顔だったけど、

「……おう!」

強く握って、学校の制服のセーラー服のスカートと赤いスカーフ、そして自身の空色の笛のペンダントと、橙色の笛のペンダントを翻しながら、駆け出した。







カツン、カツン、カツン……、
冷たい鉄色の床、並ぶ教室、廊下、セーラー服を揺らして、歩く、歩く。
茜色の光の中。茜色に染まる景色。茜色の風景。
茜色の中、並んで歩む。


「───あれ、レイ?
なんか背伸びた気がするんだけど?」

「ふふふ……そりゃあ日々成長してるもの!」

「いや、なんか……俺より20cmは小さかったような」

「140cm以下!?」


茜色の中でキラキラ輝きながら歩むレイと、俺が背を並べてみると、レイと俺の身長差はそうなくて違和感を覚えたのだ。
試しに彼女の小さな頭に手を伸ばしてみるも、まぁ当然俺の方が背は高いので楽々撫でれるがなんとなく、高い気がする。頭のその位置が。
俺の感覚的には、もっと下だった気がする。そう、こんぐらいと平手を振ったのは俺の目線の高さく。俺のこの右眼と眼帯の高さくらい。レイは「それ何歳の頃の話よ……」と眉を寄せて胸を張る。ないけど。

「私が10歳の頃は……まぁ確かに、140cmいかなかったくらいだったけど………、
今は12歳よ! あなたと同じ歳!」

「人は成長するものよ!」とどや顔を決めた。それでも彼女はまだ俺より背が小さくて、細い体。俺と違って鍛えるなんて無縁故だ。
それて、これも違う。痛みきったこの髪と違って、彼女の柔らかく細い髪を撫でれば、彼女の綺麗な絹のような髪が茜色に溶けそうになりながら流れ落ちた。


───レイ自身がとても大切にしている髪だ。

───そして俺も今、髪を腰まで伸ばしている。
彼女が…彼が………親友が「レオは髪が長い方が可愛いんじゃないか」と言ってくれたからだ。

─────あいつは、どうでも良さげにしてたけど、


指に絡めた琥珀色の髪に少し羨望を感じつつも、離して俺はその手で彼女の指先に触れ、そのまま握った。
形を確かめるようにゆっくりと。

「どうしたの、レオ。
いつもより甘えたじゃない?」

からかう口調でくすりと微笑みながらも、レイが俺の腕に自身の腕を絡ませてきた。
ぎゅっと近付くお互い。優しい距離感、優しい感情。茜色に頬を染めつつ俺は眼を細めた。そうだ、いつもより距離が近いかも。いつも以上に…………レイの傍に居たいと願っているのかも。
それはなんでだろうと考え込む。数秒間、俺ら以外の陰もいない廊下に足音だけが響いていた。

「───夢を、見てた、気がする」

「夢?」復唱するレイがじぃっと俺を見詰めてくる。その茶色の大きく子鹿のような瞳が、俺を映しているのを一瞥してから、横を見詰めた。
窓の外の茜色に染まったグラウンドは、何故か誰もいなかった。この夕方でも部活動をやっている所もあるだろうに、何故かそのただ広いグラウンドはがらんと人の気配がない。敏感に違和感は感じたものの、意識はぼんやり逸らされる。
窓ガラスに映る俺は、無表情とまではいかなかったものの、いつもの笑みはなかった。それも、気にならなく、記憶を漁る。先程見た夢を。

「…変な夢だったなぁ。
ポケモンの夢だったような気もするけど…」
「ポケモン!? いいじゃない羨ましい!」

レイも俺の影響からか、ポケモンファンである。ゲームも良くやってるけど、一番好きなのはアニメのサトシなんだってさ。
サトシくん出てきた!?と瞳を輝かすレイも、窓ガラスに映っていて、思わずぷっと笑みを吹き出す。しかし残念ながらそういう夢ではなかった。

「なんつーか…………理不尽な世界だった気がする。
周りに、誰もいないんだ」

俺ひとりで戦ってた気がする。
真っ暗闇の中で、がむしゃらに。

「レイが、傍にいなくて、ユカリも、いなく、て、」

「───エン、も?」
「…………うん、いなかった」
「……それは、さみしいね」

茜色が、空を染めていく風景を見詰め誤魔化すように言っても、レイには悟られたらしい。あの胸の内に溜まったあの感情、を。
でも、と首を振った。

「誰にも寂しいとも………悲しいとも、言っちゃダメだったんだ」
「どうして……?」
「…なんか、その夢で、レイとケンカ、したらしくて…………、
なんか、みんなのこと、傷つけた……らしくて……」

「………後悔してたの…?」

───無言で、建物が逆光で影って真っ暗に見える、そのコントラストを見詰めて歩いた。
後悔? どうだろうか。

「ほら、“あいつ”の口癖あるじゃん?
後悔とか、懐旧だとかはムダだって」

多分、それかなぁ。

「…………後悔、しないように、
してたんだろうなぁ」

夢の中で、俺は。
思い出して、ああ、最低だ思って肩を竦める。そんな自分が歩む世界なら、どんなに理不尽でも、それは仕方ないんじゃないかとも思う。

「…ねぇ、レオ!」

所詮夢の話なんだけど頭が重くなってきたような感覚。俯いていたら、レイは俺の前に立つとスクールバックを持っていた手も掴んで仁王立ちした。
ちょっと、瞳を細めて、眉を持ち上げて、優しくレイは言って俺の手を取ると、俺のペンダントに触れた。


「“約束”、
覚えてるでしょ?」


とくりと揺れた音がした。
もちろん、もちろん、覚えてる。

「俺は、キミと………あいつらに……」

約束、した。
忘れるものか。

「俺は…………、
キミを、絶対に、ひとりにしない…」

……にこりと、レイは嬉しそうに優しく微笑んだ。

「最期まで、いてくれるって、言ってくれたじゃない
あたしはそれを信じてるよ」

だから、

「あたしもあなたの傍にいる。
絶対に、あなたをひとりにしないわ」
「……レイ」

茜色に、視界が染まった。
光の中で微笑む彼女は、聖母のようにあたたかい。
眼を奪われるとはこの事で、眼を逸らせないでいた俺の頭に彼女は手を伸ばすと、少し背伸びをした。
今度は、俺が頭を撫でられる番だった。小さな手で、よしよしと宥めるように触れてくれている。自然と顔が綻んだ。
───しゃらん、
手を離した笛のペンダントが、音をたてた。俺とレイの視線が笛に落ちる。この色違いのペンダント。

「───それにねさ、
絶対に、助けるって、守るって、
それがこのペンダントの証じゃない」

だから大丈夫。

「あたしが、───、」



「俺らが守ってやっから。
ゼッタイに、さ!」
    
     

    
      

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