空契 | ナノ
37.激突 (2/8)

     
    


ここで死ぬのかな、なんて思っていた。
死んだとして俺は後悔なんてあるんだろうか、とか、俺にそれすらも残らないんじゃないか、とか、どうせそれすらも忘れるんだろうな、とか、俺が死んだら残された奴らはどうなるんだろう、とか、どうでもいいか、とか自分勝手な思いが巡った。

走馬灯の代わりだろうか。
その巡る想いの中、声が聞こえた。

相棒の声だ。「何勝手に死のうとしてるんだ」と咎めているようなものにも聞こえたのは俺の気のせいか。

ふわりと浮く感覚。身体を温もりが掬い上げる。
───そして背後で地面が叩き割れる音が聞こえた。反射的に近くの温もりを抱きしめ、デジャブを感じる。ああ、こんなこと、前もあった。

「あい、く……」
「チッ……生きてるか、レオ」

見上げてそこに碧眼がある。
煩わしそうに眉を寄せる彼がいる。
その事に心底驚いた。

口を開く直後、ヒュッ、と俺の前、つまりアイクの後ろから聞こえた風の音と見えた赤。それが何だか分からないほど気は抜けてはいない。
アイクが横に跳ぶのと同時に俺はナイフを投げ付けた。せめてもの目眩ましだが、力の入らない腕で投げたナイフは弱々しくあってないものだった。ギィン! 弾かれた音姿。

その間に俊足を活かして距離を取ったアイクに、追撃しようと赤い体が跳躍しかけた。


「待て」

『───主殿』


静かな男の声にぴたりとハッサム、江臨は動きを止めその主の姿を顧みた。
荒れる空気にコートをはためかせ、ゆらゆらとそこにいる。
フードの下から覗く唇。先程までは余裕そうに笑んでいた口、それは引き伸ばされ結ばれている。

そして、こちらからは見えない───一瞬だけ、さっき見えたあの、不思議な、朱い眼───それが、じっと見据えてくる。そして、次にアイクを見据える。「……碧眼の、か」……アイクを知っているようだ。やはり、そこまで情報が行き届いているらしい。
そして再び感じた視線、そしてあの朱眼を思い出し───ぞくりと背筋が震えアイクの服を掴んだ。

「……レオ?」
「……アイク、なん、で」
「…知るか」

体はもう悲鳴を上げて、これ以上は動けもしないが力を振り絞ってアイクに抱き付くと、じんわりとあたたかい。サイクリングロードで感じたような、安心感が俺を包む。この温もりが近くにある。ここにある。それが不思議で問い掛ける。
俺は、彼を、相棒をボールから出した覚えはない。

「なに……ポケモンって勝手に出てこれんのボールから…」

この白いバックにアイクたちのボールは入れてあるが、触る暇もなかった。ボールの開閉スイッチに触れる気力さえない。
なのに勝手にアイクは出てきて俺を救ったのだ。なに、なんなの? アニメ使用なのかボールは。

「勝手に開いた」

そういえばアニメ……サトシの手持ちとか、ロケット団のムサシのソーナンスとかよく勝手に出てたな、と思い出していると、アイクは「勝手に」と言った。

「強い、何か力に抉じ開けられて、そのまま、……つー感じだ」
「……え、なにそれ不思議…」

なんのイリュージョン?
奇跡が起こった。故に俺は救われた?……そんな解釈でいいのだろうか。
いまいち今起きた出来事にピンと来なくて、首を捻っている俺。───そして、何故か動かない敵方。

『……主殿、いかがなさった』
「…………  、」

アースは腰元───コートの下に、モンスターボールが装着されたベルトがあるらしく、それを指先で触れ、口がなにか、2文字を呟いた。それを聞き取ったのは江臨のみらしく、彼は眼を細める。俺らは聞き取れない。
その間に、アイクは俺を少し荒々しくも庇うように地面に降ろすと、一転、彼は原型姿のジュプトルに姿を戻す。構える。

冷たくゴツゴツしている壁に背をつけて、息を吐きながらその後ろ姿を見詰めた。紅が、俺にも、ジュプトルの姿にもある。

「は、ぁ………アイク…っ…大丈夫か…。
やれる、か…?」
『……少なくとも、てめぇよりは大丈夫だ。馬鹿』

…確かに俺よりは動けるだろうが。
俺はもう、しばらく動けない。斬られた肩と腹からどろりと流れた紅に手が汚れる。どくどくと熱を持つ。かたかたと震える。痛みで笑みが引き攣り汗が頬を伝った、この状態。
それと比べたらそりゃ大丈夫かもしれないが───……そして、ちらりと辺りを見渡す。───ユウ、ナミ、サヨリ、シキが倒れていて戦闘不能───彼らよりも、重症では、ない。

だが、それでも、アイクには決して軽いとは言い切れないダメージが既に蓄積されているのだ。
シザークロスや追い討ちなどで傷付いた姿に眉を寄せた。

彼は、引かないだろう。───例え、勝算がとてつもなく低いと、俺もアイクも分かっていても。

俺に背を向けるその姿は、
俺を庇いながらしっかりと、逃げることもなく───ギンガ団幹部、アースと名乗った男と、その手持ちらしいハッサム、江臨を睨み上げるその姿は、
俺を信じて戦おうとするように見えたのだ。

「………アイク…」
『ボールの中からある程度情況は伝わってきた。
…今てめぇは、自身のペースを乱しすぎだ』

「……う、ん……………そ…だな…」

落ち着け、強い口調だけど宥めるような言葉に苦笑しつつ頷く。
───それはまるで、アイク自身にも言い聞かせるような言葉だった。
頬に汗が滑る。冷たい。震える。それは、どちらも同じ。…………お互い、今、動揺している。


『あいつらは死なねぇ』


そして、俺も。

───だから落ち着けと言って、こちらを向いた碧眼。
…………いつも、俺を宥めてくれる、夜空の色。
今日もまた自然と心が揺らぎ、そして静まる。荒れていた心、が。
「そうだな」冷静装ってるみたいに頷いて言った。


「俺も、死ねねぇよ」


『…そうだな』お互い、冷静装ってるみたいに、頷いて、言った。


動揺、し過ぎていた。お互い。何故、だろう。

こんなこと、他にもあった。
例えば、クロガネシティでダイゴと出会う直前。谷間の発電所の廊下、そして人質を取られた時。ユウが、俺のせいで傷付いて、俺のせいで死んでしまったと、思ってしまった時。
俺は笑みを浮かべることも苦しく、痛く、できなかった。

アイクは、コトブキシティでギンガ団を見た時。クロガネシティでダイゴと会った時。

そして今。
アースと名乗る、ギンガ団の幹部らしき男の前で。

これがどんな意味をもたらしているのか。もたらすのか。俺には分からなかったが、ともかく危険だった。動揺し感情任せに動くのは、俺もアイクもらしくない。
俺らはいつだって冷静に、状況を判断して、戦ってきた。
ゲン、ロア、ヒョウタ、ナタネ…………レベル差があったって、タイプの相性が悪くたって、どうにかなった。どうにか、した。運が良かったり、運を掴んだりしていた。

今回も、きっと、
大丈夫。笑って頷いて、顔を上げた。
まだ立つことはできない、力の入らない体だけど、右眼に再び光を灯す。

落ち着け。落ち着いて、周りを、見ろ。
力任せで、がむしゃらになんてやって、勝てない。勝てやしない。


───そう、誰かに言われたことが、あった。


「っ、」
『…レオ』

ザザと頭を掠める音と映像に顔を歪める。ああ、ああ、駄目だ駄目だ駄目だ思い出してしまう。
忘れてしまえ。そうやってどこかに追いやった、そして無かったことにしたその感情、記憶、が、

『レオ』

…………ああ、それは俺の名前だ。
額を押さえながら頭を振った。やめよう。やめよう。考えるのをやめよう。
考え出したら冷静でいれなくなるのは分かっていた。分かっていたが、どうしてだかは分からなかった。分かりたくなかった。
ごめん、と謝りかけた時だ。


「───小娘よ」


コート下のベルトを撫で、何かと対話するように黙っていたアースが突然顔を上げ、口を開いた。
ぴりりと空気が再び張り詰める。警戒は解いてはいなかったものの、再び感じた威圧に指先が延びる。
フードの下から感じる視線。落ち着きかけていた俺とアイクの息が僅かに乱れる。

そんな俺らに気付いたのか、アースは嘲笑うかのように唇を吊り上げる。

「命拾いしたな。
どうやら俺は、貴様を此処で殺してはいけないらしい」
「…は………?」

『…………宜しいのか、主』
「江臨、そう怖い顔で睨むな」

突然のアースの台詞に真意を掴みかねたのは俺やアイクのみではなかったらしい。
先程まで俺を、明らかに殺しに掛かってきていたハッサム、江臨は不服そうに低く言った。ポケモンの言葉はアースには届いていない。
それでも江臨は『しかし』と更に言い募った。

『……奴を、信じて良いものか某、図りかねます』
「ふむ………何て言っているのか、これだから不便だ。
…………小娘」
「…………」
「こいつ、江臨は何と」

「………………、……“やつを、信じていいものか、図りかねる”……って」

やはり俺がポケモンの言葉が分かるという事実は、彼ら───ギンガ団の中では周知の事実らしい。
隠すこともアホらしくて素直に聞こえたものをそのまま、俺も意味がよく分かっていないまま口にするとアースは「疑うのか、江臨」……有無を言わさない口調で、彼の隣に控えていた江臨を見下ろした。

「陽恵を、俺のパートナーを疑うか、江臨よ」
『……申し訳ございませぬ』

「……?」

何故、そこで突然陽恵という───ハクタイシティのギンガハクタイビルで出会った、あのエーフィの名が出てきたのだろうか。
俺には分からず、そして当然アイクにも分からず、ただただ隙を探そうと躍起になる。それでも相手に隙は生まれない。自然な様子で隙を消しているのだ。片手をあげて笑う、奴は。

「やはり貴様のその能力…………ポケモンの言葉が分かるというのはとても素晴らしい。
俺は確かに波動使いだが、ポケモンの言葉など分かりやしない。分かるのは感情や大まかな想いのみ」
「…………」
「当然、貴様の波動も視える」

「奇妙な波動だな」と言う奴の眼には、俺の波動が視えているのだろう。
視線を逸らさないまま奴は、自分に問い掛けるような口振りで、怪訝そうにしながら言う。

「何だろうな。
次元が、そもそも違うというか、禍々しいようで優しく、人間な筈なのだがポケモンのようでもある……。
白に近い紫色、のような、奇妙な色。
…………何なんだ、貴様は?」

俺は、波動使いにはそう視えているのか。この身体は。力の入らない手で胸元をなぞる。そこにある、笛のペンダントを掴んだ。
この体、この存在は、異質に視えているらしい。そう思ったのと同時に、ゲンさんのあの姿が思い浮かぶ。彼も、俺を見てそんな奇妙な感覚を覚えていたのか。
そして、同じ疑問を向けられていた筈。

───俺はなんと答えるべきか。いつだって、俺はこうとしか答えられない気がする。
顔を上げて、アースを見上げ笑って言ってやる。


「…………俺は、化け物だよ」


それ以下もそれ以上もない。


───ちゃりん、
しばらく吹くことをしていなかった笛が揺れ、音を立てた。
それに、僅かにアースの反応が生まれ、微かに隙がそこにあった気がした。





    
「アイク!
種マシンガン!!」

     
     

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