空契 | ナノ
36.静寂 (2/6)

   
   

今まで散々フラグを乱立させては折れずにきていた。なんて悲しいことだろうか。
今度こそはと意気込み俺は着掛けたコートを脱いだ。コートと伊達眼鏡で変装をしようと思った。だがやめておこう。
向こうではきっと、俺の事は藍髪眼帯黒コート眼鏡の子供という容姿で通っているだろう。だったら、今は藍髪眼帯の子供ってことで行ってみよう。……ムダだろうか。でもなにもしないよりはマシだと思うのだよ。

少し寒いが、フラグ回避のためだと俺はそのままの格好で歩き出した。アイクはそんな俺の行動を意味分からないと相変わらずの目付きで睨み付けると、スタスタと俺の前を先行していった。びっくりして「どうした」と問うと「うるせぇ、てめぇより俺の方が眼はいいだろ」と言った。……なるほど、俺より夜目が効くアイクが先導してくれるってことな。それはありがたい。
本来ならユウを出してフラッシュを使うべきなんだけどな、そう呟くと「俺がいるからいい」と返される。お前フラッシュ使えねぇだろーが。だがヤツはスタスタと歩いていく。徐々に光が届かなくなっていき暗くなっていく洞窟を進んでいく相棒に、置いていかれないように慌てて走った。

空気は冷たかった。

ぽちゃん、ぽちゃんと水が上から降ってくるようで、それが首に落ちてきて「ひっ!?」と間抜けな声を上げてしまった。一瞬足を止めたアイクが呆れるような碧眼をこっちにやる。

「寒い」

今のでぞわわと鳥肌が立って、アイクに寄り添うように体をくっつけた。幾分かはマシである。彼のドン引いた顔は殴っておく。殴り返された。鈍い音が冷たいこの空間に響いた。
お互い殴られた所をさすりながら悪態を付き合いながら歩いていくと看板が見えた。なになに? 東方向に進めば208番道路、ヨスガシティ。北方向に進めばテンガン山深部。
俺が今用があるのは北方向だ。分かれ道らしきものは見えないが、多分、こっちだろうと北方向に歩き始めた。ああ、これはやっぱりフラッシュがあった方が楽そうである。

「しかし、ホント寒いな」

ひんやりと肌を刺す感覚。それが何故かさっきりより強くなった気がするのだが、身を縮こませながら言うと洞窟に小さく響いて消えた。あ、ここでヤッホーって叫んでみたい。アイクに読まれていたのか頭を叩かれた。そんな音すら響く。

「一々口に出すな。寒ィのは同じだ馬鹿」
「ヤツアタリやめてくださーい、痛いですぅ」
「きめぇ」
「ひでぇ」

けらけらと笑いながら肘打ちを見舞いする。呻き声が小さく響く。彼はどうか分からないが少なくとも俺は心にもない冗談を口にしつつ、進む足音もコツコツと冷たい空気に響いていく。

「……いや、でも、なーんか違くねぇ?」

「何が」と碧眼は真っ直ぐ冷たい闇を見詰めながらぶっきら棒に言う。俺も同じように見詰めながら首を傾げる。

「なんかさ、空気が妙に重い気がしねーか?」
「……」

いつか通ったクロガネゲートも寒かったが、ここはまた違う気がする。あっちはただ単に肌寒い寒さ。コートが欲しくなるのだ。
こっちは、体の芯から冷えていくような感覚。これはコートがあっても正直ムダじゃないかと思う、そんな寒さだ。内部から、じくじくと侵食していくような、そんな寒さ。
それがなにかと似ている。忘れかけた、感覚、感情と似ている気がする。
……なんだか、変な感じがする。ぼそりと呟いた俺は辺りを注意深く見渡した。自分達の声と足音しか聞こえないほど静かなこの洞窟。
なにかがおかしいと眉を潜めた。それかは、空気が揺らいだように感じたのはコツリ、の足を踏み出した時。


─── ニゲロニゲロニゲロニゲロ!!! ───


「、…え?」

雑音と共に、声が頭に響いたのも束の間、俺が瞬きした瞬間アイクが当然息潜め、そして俺の腕を掴んだ。
そのまま強い力で引き倒された、のと、バサバサと物凄い数の羽の音が頭上を通過していくのはタッチの差だった。
バサバサバサバサバサバサと忙しなく羽をはためかせて休む事なく群れをなして脱兎の如く去っていくのを、上に覆い被さっているアイクの肩越しに見れば、速すぎて確実な姿は見えなかったが、青っぽい体に紫の翼。コウモリのような格好のそれは、紛れもなく今まで散々お世話になっていたズバットだった。
ズバット達が大群を成して掛けていく。更にそんな最中、
ざわりと空気が振動する。

大地が大きく揺れた。

「っ───!?」

ドクリ、
そう波打つように。
咄嗟にアイクを抱き締めて眼を瞑った。大きく揺れて、上から石がぼろぼろと落ちてきた。ズバット達の悲鳴が聞こえる。
その揺れが続いたのは僅か数秒で、ハッと眼を開いて身を起こすともうその揺れは止み、洞窟は何事もなかったかのように闇に包まれているのみ。ただ頭上を未だにズバット達がなにかに怯えて逃げ回っていて、ノイズがざわざわと煩いだけだ。

「…アイク、無事か」
「……てめぇは」
「アイ君に引き倒されたとき打った背中が痛、いってぇ! 蹴るなよ! 」
「チッ」

舌打ちヤメロ。肘打ちを食らわす。まぁこんないつも通りなやり取りをできるくらいだからお互い元気である。
しかし、それすらも気付かず、あるいは気付いていても構ってられるほどの余裕がないのか……ズバット達は我先にと飛び去っていく。
あの、俺らの姿を見た瞬間襲ってきたあのズバット達がだ。一体、どうしたんだと意識をズバット達に向ける。

すると、カチリ、と、なにかがうまく噛み合ったように音を立て、ノイズが消えた。


─── ニゲロ ───


「、また」
「レオ、?」

また、聞こえた。
───違う。
“心が繋げられた”んだと俺は頭を抑える。これだ。これのことだ。──ディアルガ、パルキアが夢で言っていたのは。
「空間を越えるのは強い感情、想いなんてのもある」「……てめぇが聴いたっつー、そいつらの想い、そして“明確に伝える意志”が強けりゃぁ……届くんじゃねぇのか」───これのこと。

俺の肩を掴んだアイクに片手で静止すると、俺は深く息を吐いた。そして吸い込む。冷たい空気が肺に広がる。───右眼を閉じた。意識を集中させて、その網を広げる───。

その網に絡み合う、声が、琴線に触れて音を奏でる。
様々な野生のポケモン達の感情の音だ。



───コワイ、コワイよ───

───ダレカ、ダレカ、ダレカ、───

───アレをダレカ───

───ニゲナキャニゲナキャ───

───ダレダあいつは───

───オレタチの住みかが───

───ニゲヨウよニゲヨウ───

───コワイ───

───ナニヲシテイル───

───“結界”がコワサレル───




「……結界」

数々の感情の声。それはズバットのみではなく、身を隠しているだろうポケモン達の声も一緒に、それをどうにか受け止めた俺は上げたままでいた口角を変えずに、右眼を開けた。最初に視界に入ってきたのは、眉間にシワを寄せてこちらを見据えるアイクの姿だった。
俺のどう考えてもおかしい様子になにか言いたげだが、その口が動くことはなかった。黙認、かな。それをいいことに、俺は立ち上がると理由を説明することもなく歩き始めた。
ズバットが逃げてきた方向へ、俺が用があった方向へ。

「誰か、いる」
「……」
「そいつのせいで今の地震がおきたみたいだ」

なんで、ともアイクは言わずにただ俺の後を追ってくる。
俺は、さっきの響いてきた声の持ち主はきっと誰となく訴えていた不安の声なんだろう、とか、だから少し歪な声だったのか、とか、その誰かって誰だろうか、ゲームの通りならばボスだろうか、とか思考を重ねながら早口に言う。

「ロアがここに“結界”があるとか言ってたよな」

アイクが無言のまま早足になってる俺の隣に並んだ。

「多分、その“結界”を破ろうとしてる、と思う。誰かが」
「……どうやってだ」
「それはわからねぇ。
ていうかその結界ってのもよくわからねぇし、壊す意味もちょっと意味ワカンネ」

けど、そう野生のポケモンの誰かが囁いていたし、俺もそう思う。
その結界とやらは、槍の柱への侵入者を阻むものだろう。ゲームのストーリーを思い返してみて、多分そうだろうと当たりをつける。どうやったら、あんな震れが起きるのかは分からないが、おそらく───北側のテンガン山で起こったという地震、落石もこれのせいだと思う。

「……で、そんな所に向かってんのか」
「おう」
「……なんとなく想像はつくが、何でだ」
「その誰かが結界破ってくれたら俺の運動量減って楽じゃん?」
「クズ」
「合理的と言おーな!」

隙ついて行けばいいだけの単純なお仕事です。いぇす! 俺ってばあったまいー!
卑怯なやつ、だとかアイクの眼が訴えてるが、お前もひとのこと言えるほど偉いわけじゃねーだろ。そうにやにや笑えば、悪どい顔で舌打ちしていた。その顔その顔!

というワケで、作戦は若干変更。息を潜めて、辺りに警戒しながら進む。
大分眼は慣れてきて、先の闇まで見通せるようになったからいいものの、きっとこれは俺以外の人間では難しいだろうと思う。軽く人外な俺は夜目も効くようになっていたのか。でもやっぱりポケモンであるアイクには敵わず、彼がやっぱり先導していた。
そのアイクが、突然足を止めた。続いて俺も止まり、見上げると彼は眉を寄せて黙っていた。どうしたか、と尋ねようと開いた口を抑え込んだアイクは碧眼で訴えた。
誰かがそこにいる、と。

「……」

闇の向こうをふたりして睨み付ける。洞窟の通路が広くなっている場があった。音や気配を消そうとしながら様子を伺うためにその場に顔を出した。

誰かがそこにいた。

「……、」

警鐘が、僅かに響いた気がする。

この先は行き止まりらしい、大きく開けた空間。30mくらい離れた所に、誰かがこちらに背を向け、壁に手をついているよう。
まじまじとその壁を見詰める。あの男が手をついているそこに、何かが描いてある。ここからじゃ確認できないが、多分、三湖に眠るポケモンたちに関する……。

「……(どうする?)」

あの背を指差してアイクを見る。
すると、碧眼がこちらを向き、ただそれだけで終わった。じっと物陰に隠れながら、その背を睨むようにしている。
眉間の溝が、いつもより深く見えるのは何故だろうかと思いつつも、俺もその背を見る。───あれは一体、誰だろう。

黒いコートを身に纏っている。
ここで遭遇するはずのイベントでは、ギンガ団のボスと垣間見る。それだけの筈だが、あんな奴は知らない。
───一瞬、ハクタイシティで遭遇したあの男かと思った。だが───雰囲気が、違う。
こんなにも、重く、刺々しい空気を纏っていただろうか。

俺はハクタイシティでのあの男を思い出すと同時に、ふとクロガネシティでの一件を思い出す。あの時、あの場所で、イレギュラーな事件が起こった。プテラが操られたあの事件。
解決したその後、ダイゴが言っていた言葉。「黒いコートを着た“誰か”を見た」それが唐突に思い出される。

警鐘が鳴り響く。

バンギラスを使いこなしてダイゴを欺いたその黒コートの誰か。
ハクタイシティでも黒コートの男と出会った。あの時はその男がクロガネシティでの誰かと同一人物だと思っていた。だが、

警鐘が、響いている。
あの背を見てから、じわりと感情が揺れた。
ヤバイ気がする。これ以上、ここにいては、あの誰かの傍にいては、駄目な気がする。そう本能が叫ぶ。頭を叩く痛みとなって訴えかける。

「っ、アイク、逃げるぞ」

今すぐここから、この山から逃げ出したい。小声で言って腕を引くとアイクは小さく首肯した。その頬に汗が一筋流れていて、表情は固い。
俺と同じことを考えていたのだろうか。本能が訴えているのだろうか。「逃げるぞ」と俺の腕を掴んだその言葉には、焦燥が滲んでいた。
その様子は珍しく、そして違和感を感じた。
一瞬、見えた碧眼には、ダイゴに向けたようなものと同じ感情が、あった気がした───。








「世界の始まりを、お前は知っているか」




踵をかえそうとした俺とアイクに、冷水のような声が降りかかって、
動揺した俺の存在を主張するように、笛のペンダントが、しゃらりと揺れた。




   
    

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