空契 | ナノ
30.選んだ道の果て (2/4)

    
    


ぼそりとした呟きに、またジュピターは固まった。
あー可愛いと思ってけらけらと笑うと、キッと鋭い視線で睨まれた。その表情に隠しきれていない苛立ちが浮かんで募っているのが見て取れる。
俺はそんな様子を見つつ、飄々とした態度を止めずに、その「なら何故此処にいる」と尋問するような視線に答える。
答え?……そんなの、簡単だろ。

「……後悔、したくなかった」

───あの誰だかも分からない、黒コートの者に言われて、俺は認めたのだ。
自分でも、中途半端に隠していた、気付いていたのに気付かぬ想いを、認めてしまったのだ。
それを、一度、纏めてしまったこれをさ、

「忘れたくなかった。
無かったことにしたくなかった。
……全部を零に、したくなかった」

───にこりと浮かんだ笑みは、もしかしたら、自嘲気味だったかもしれない。
でも恥じることはない。
俺はこの道を選んだのが、間違いだったのか、正しいのか、分からないけど、


「だからここに居るんだ。俺は」


───後悔するよりは、マシだろ?
なぁ? と俺は多分、遠い誰かに尋ねたんだ。答え? そんなの望んじゃいない。
いつもの飄々とした様子が戻ってきたようで、堂々と言い放った俺の表情はぎこちないながらも、不敵な笑みを浮かべていたはずだ。それにジュピターは鼻で笑うように息を吐くと、「あっ、そう」と興味も無さげに捨てた。興味も無さげ。だが、その端麗な顔立ちにはじんわりとした怒りが滲んでいるのはすぐに分かった。
馬鹿らしい。静かな声が零れていた。

「…貴女のそのどうでも良いような都合で、理由で、意思で、感情で、
ここまで引っ掻き回されるのは気に食わない」

「そして、」とジュピターは足を固い床に軽く叩き付けると、彼女も、また、

「貴女のそれらは私達には関係ないのよ。
貴女がどうであれ、私達───ギンガ団は、」

不敵に笑う。その顔は俺のイタズラっぽい、子供のようなそれとは違う……悪人の顔。
───ああ、それはこれの事だなと、背筋に感じる薄ら寒さに眉をひそめて思った。
はっきりと隠すことなどないように放たれた言葉は、俺の意思なんざ無視するものである。そして、きっとこれから続く言葉も。
ざわりと明らかに空気が変わった。軽く反応するのみで俺は感情を抑える。後ろのナミが大きく肩を揺らした。アイクの舌打ち、それが今は凄く落ち着く気がする。サヨリは表情こそ変えはしなかったが、じっとジュピターを見据える。それぞれの反応の中で、張り詰めた空気。
そこにジュピターが、取り出したモンスターボールを───投下し、ポケモンを放つ。

「───貴女の“捕獲”を望むのだから」

自信を抱いてそう言い放つジュピターの前に立ちはだかるのは、紫と白の毛並みを持ち大きな体を持つポケモン。───スカタンク。
スカタンクは、放たれるのと同時に鋭い爪で襲いかかってくる。弧を描くジュピター。
それを横目に俺はサヨリに砂地獄で足止めを頼むことで、後ろへと飛び退き攻撃は避ける。
……ちっと舌打ち。アイクの静かな感情とは違う。爆発しそうな感情が籠ったそれは彼女のものである。
それでも、ジュピターは俺を嘲笑うように、艶かな唇を歪める。鋭く尖った視線をこちらへ向けながら。ピリピリとした気配に、ぞっと身震いした。───捕獲? …なんだ、そりゃ。

「……なんか、珍獣みたいな言い方だな」
「十分珍獣じゃない。
ポケモンの言葉が分かるなんて……アース様が興味を持たれたのも仕方ない」

……ここでも、聞くとは。アース、の名前を。

「…そのアースとやらに目をつけられたから?
だから、俺はあんたらに捕まんなきゃなんねーの?」

無言で微笑むジュピター。つまり肯定───という事は、そのアースが居なかったら、存在していなかったら、こんな奴にこんなケンカ売られるなんて、なかったのだろう。
じり、と苛立ちが燻る俺に、ジュピターは嘲笑う。

「貴女が捕まり、おそらく実験台にはされると思うけど、仕方ないわよ。
───アース様のご意志だもの」

なんだそれは。理解できない意志である。
見開いた眼を細めた。鋭く尖った空気。きっとアイクのものが主だがナミ、サヨリからも「理解不能だ」という感情と共に吹き出していた。
多分、この重苦しくて、空気が吸いづらいこれは殺気。元の世界ではこんな感情も気感じたことがなかったから曖昧だが、おそらくこれが、そう。
俺が苛立ちと共に発火したこれも、きっと、そうかな。

「…なんなんだよ、そのアースって野郎は」
「アース様は素晴らしきお方よ」

歪んだ笑みと低くなった俺の声に対し、すかさずそう言った彼女はうっとりした顔だった。
夢を、花畑を見る少女を思わせる声音でジュピターは、言うのだ。

「彼が、このギンガ団を変えてくださった……」

───聖者を崇めるようだった。
ほんのり赤く色付いた頬に、憧れよりも濃い感情が浮かぶ目。そんなジュピターに得体の知れない恐怖を感じて、思わず足を低く。
なんだあれ。明らかにあれはマーズさんが、そのアースとやらに抱いていた感情とは違う。寧ろ正反対だ。
これは……と、思わず後ろの手持ち達に視線をやると、彼等も似たような反応だ。ナミは鈍いから様子は変わっていないが、アイクは気持ちが悪そうに顔を歪めている。サヨリは引いていた。
───まぁ、つまるところ、恋愛、ってやつなのかなぁ……。ジュピターさんが、アースとやらに抱いているのは。

しかし残念ながら、俺が抱くのは、マーズさんが持つものと似ている。───水滴がこぼれ、じわりと滲んで広がっていく薄紙みたいに、くしゃくしゃになりつつある感情。
殺意というか……うん、まぁ、消えてはほしいかな。そいつ、アースってやつ。怒り?呆れ?多分そのへん。

だってさ、つまり、
そいつが、この世界を変えた、ってコトじゃねぇの……?

「……そいつのせいなのかぁ。
プテラを使って、俺を襲わせてさぁ……」

こんな面倒なことに、なってさ。
記憶に蘇るクロガネシティのあの騒動。赤い目。ああ、まだ忘れてない。それほど強く残った記憶。
ジュピターは「いいえ」と笑った。

「全て、貴女のせいよ」

どくり、心臓が跳ねて息の根が止まる感覚を覚える。手足が固まった。

「貴女が、
コトブキシティで私達、ギンガ団に喧嘩を売った。
だから、目を付けられたんじゃない」

違う?
圧力を込められたような目に、否定なんてできなかった。いや、そんな圧力がなくても、こんなに空気が重くなくても、否定なんてできないし、呼吸も、できない。
ざざざとノイズの音と息が混じる。

「貴女の、せい」

彼女の、にたりと艶やかな唇が動くのを、茫然と見詰める。なにもできないで。

「貴女のせいで、プテラはあなたを襲撃するようにアース様に操られた」

──ああ、やっぱりそうなんだ。アースがそれを仕組んだんだ。
いつもなら、予想通りだとひとつの推測に区切りをつけている。いつもなら、笑って違うことを尋問する。
そのいつもができなくなった。
やばい、俺、今凄く、動揺してる、かも。

「貴女のせいで、そのピチューは傷付いた」

どく、ん、
ざわり、
ザザザ───、
あ、やば、い。やばいなと遠くで思う。らしくないというのは分かってる。いつもなら、俺はどうした?いつもなら、笑って、ただ、笑って、そうだな、って笑う。それが、どうした。だからなんだ。そう、開き直っていた筈だ。
───おいおいマジかよ。できない。否定できない。否定できない。その事実に、確実に追い詰められていく。
さっきまで、余裕取り戻しかけていた筈なのに、ノイズが占める脳内はうまく機能しない。

この時は気付かなかったが、俺は隙を作っていたのだ。
あの時、このピチューのぐったりとした姿と、血を見た瞬間、穴を開けてしまったのである。心に。アイクに止めてもらって、落ち着きを取り戻ししていたが、適当に埋めた穴は再び崩れていく。
それが、俺の判断力を凍結させ───、

「なっ、レオ!?」
「え、」

はっと、我に戻った時には、眼前にスカタンクの爪が迫っていた。
眼前。それは比喩なんかではない。眼に、この右眼に、ナイフを思わせる鋭い爪が迫っている。
明らかに急所を狙いにきている。ぞくりと粟立つ全身に指令を出す。どうにか避けろと。
だが、ノイズが思考を鈍らす。
反射神経のみが上手く作用して体が横に避けようと作用し始めた。時だった。

ぴくりと、自分が抱き締めていた黄色の体が、震えた。

そして気が付けば、その黄色は、自身の腕から飛び出していた。

小さな、背中。

小さな、黄色。

ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、遠くに、スカタンクに向かった、その背。

手を、伸ばそうと、一歩、踏み込んだ。
丁度、その時だった。


『───動かないで───っ!!』

「───ぁ、」


いつかと同じ、幼い声が聞こえ、

───ズガァァアンッッッ
大地を揺らさんばかりの轟きが、俺達の耳を、つんざいた、のだ。
その場に居た誰もが目を剥き、でも辺りを照らす凄まじい光が眩しくて、耳を塞いで目を閉じた。
それに俺も例外ではなく、でも、何故かほっとしてる自分もいて……音が止んで静寂が訪れてから、右眼を開いた。
焼き焦げた匂いが鼻を掠める。その匂いが、やけに懐かしく感じる。ぐちゃぐちゃになっていた感情が吹き飛んだようで、視界がクリアになったようだ。
その視界に映り込むのは、思わぬ反撃で驚愕しているジュピターの顔と、少し焼け焦げたスカタンク。
戦闘不能にはなっていないようだが、今の閃光───技、雷、を直撃して体力を大分削られたようだ。そんなスカタンクの前に、立ちはだかる、小さな背中。

ユウ、と、心の中で呟いたこの声に、気付いたのだろうか。
ぴくりと、その小さな黒い尻尾を震わせた。

『あぁ、もう……黙って聞いてればさぁ……』

こちらを振り返る事はなく、低い声で唸りを上げる彼はジュピターを睨み上げているようだ。
その低い声に俺らは眼を丸めた。初めて聞いた声だったと思う。モミさんに怒鳴っていたものと、似てるようで違う。
あのときは、悲しみと怒りが混ざりあって、くしゃくしゃになっていたが、今は寧ろ───、

『ごちゃごちゃとさ……勝手なことばぁああーっかり言って……なんなんだよ! うっざ! このオバサンうっざ!』
「わぁ口悪」

気の抜けた声で呟く。びっくりである。
今のは、寧ろ愚痴というか……単純な怒りである。ひくひくと米神を引き攣らせ、青筋を浮かべるような怒り。
それと、真っ直ぐな、本音だ。

『どいつもこいつも変な勘違いばぁーかり!』

彼は赤裸々に、叫び声を上げた。
ポケモンである自分の声がジュピターに届くわけはないと分かっている筈なのに、訴えるような否定の言葉───それに、俺は息を飲む。

『あの娘の……レオのせい……?』

何も知らないくせに! あんたは! レオの何も知らないくせに!
彼の言葉が反響する。
彼は、小さなピチューは、はっきりと迷いがない口調で言う。
『悪いのは全部僕だ!』と。
『僕がこの道を、選んだんだよッ!』と。
俺は、声が出せなかった。

『だから、僕はこんな風になったことに、
後悔なんて、してない』


…俺がいなかったら、キミは傷付かなかったのに…?
心の呟きが聞こえたように、彼はこちらを、振り返って───静かに否定した。

『キミがいたから、僕は自分の弱さに気付けたんだ』

───瞠目した。
彼が、穏やかな顔で、微笑んでいた。いつもの子供っぽいものではなくて、大人びた、綺麗な笑みに眼が釘付けにされる。
ありがとう。そして、ごめん。という彼の言葉が、信じられなくて、動けなかった。
なにそれ、それは、俺のセリフだろ。

『レオ』

あぁ、やめて。そんな優しい声で俺を呼ばないで。まだ、俺はキミを呼べてないんだ。
彼は、少し困ったような顔になった。大丈夫、そう笑った気がする。
そして、強い視線になってスカタンクを睨んだ。ぐっと前足に重心を起き警戒する姿は、まるでこれからバトルするようで、

「っ、待て! まだ傷がッ」
『大丈夫だよ、レオ。
僕は弱いけどさ……信じて』


ナミの手当てで大分楽だからさ。と告げる彼の小さな背中は、何故か大きく見えたのは、なんでだろう。
あんなに、ボロボロなのに、信じたいなんて、なんで、だろう。

『レオ』
「!」
『お願い。後悔、したくないんだ』

そんなの、俺も同じだ。後悔なんてしたくない。
けど、後悔する道がどれとか、分からない。違う。こんなこといつもは悩まない。感情の思うままに、動いていただじゃないか、いつも。
それが今できないのは、脳裏にちらつく紅のせい。後悔なんて、したく、ない。

『大丈夫』

やめろよ。大丈夫、なんて、嘘だ。

『大丈夫。
だから、そんな顔しないでよ』


そんな、ってどんな。今、俺はどんな顔をしている?
きっとうまく笑えてなんかいない。
歪んで、アイクみたいに眉間の皺をきざんで、弧を描こうとしてる唇は震えて、眼が熱くて、凄く、醜い顔なんだろう。

その時、突然の反撃で怯んでいたスカタンクが立ち直って、ジュピターの命によりピチューへと反撃に出た。
鋭い爪を剥き出しに、走り出そうとするスカタンクに構えながら、彼は叫ぶ。

『僕の名前を呼んで!』

───僕を信じて───
想いは心に強く響く。なにか確信を抱いたような言葉。
心臓の音と吐息が、スローモーションの中でゆっくり聞こえる。大丈夫? 信じて? そんな曖昧な言葉に突き動かされそうになる。
だが、と臆病な心が待ったをかけて咄嗟に、あとで捨てようと思っていたピチューのボールが入った鞄へと手を伸ばす。その瞬間、後ろからぽんっと背中を叩かれた。

どくん、
振り向かなくても、何故か分かった。
アイクが不機嫌な顔で、ナミが力強い顔で、サヨリが少しだけ眉を寄せて、俺の背を押していた気がした。

そして、ナミが無言のふたりの気持ちを代弁するように、ぐっと拳を握って、大丈夫!と、言うのだ。
そんなビジョンが心に広がり、不安が風化していく。


───キミの名前は、  な。
───OK?


ああ、そう名を押し付けたのは、自分じゃないか。
なのに、なんで今更躊躇するんだ。

俺は顔を上げて、スカタンクの切り裂くを受ける寸前の彼に、ピチューに、叫ぶように名を呼ぶ。


「───結……っ!!!」


繋がりを、叫ぶ。


「───10万ボルトで、ぶっ飛ばせ……!!」


待ってたと、ユウは嬉しそうに言って、光に包まれた。


   
      

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