空契 | ナノ
26.選ぶべき道 (2/6)

   

 


夜が空け、闇に暖かい太陽の光が針のように突き刺していく。
森が光を浴びる度に命が吹き込まれていって、ざわざわと木々が揺れる。
闇と共に夜行性のポケモンは眠りにつき、その他のポケモンは日常に戻るように眼を覚ましつつある。
昨日まで降らせていた雨雲はいつの間にか過ぎ去り、太陽がきらきらと薄い空に浮かんでいく。
木々の葉から、つぅ……と雨水がきらびやかに輝きながら落ちて、地面に落ちて弾かれる。
早起きな鳥ポケモン達の声が、静かな森に響く。

───その音を用心深く聞きながら、深緑色の髪をひとつの三つあみで束ねた女性が、そろそろと草を掻き分けて進んでいた。
朝のこの涼しげな、マイナスイオンが溢れだ清風に気分がほっと和むが…………ざわざわざわ……ざわ……。背後の木々が静かに騒ぐ。……そこに誰か、人がいるような気配があった。なんて錯覚してしまう。
──────誰もいる筈はない。4時半の早朝だというこの森に、自分以外の人間がいる筈はないのだ。
パートナーであるラッキーは寝坊な性格の為、まだ目覚めていない。
野生のポケモンもまだ少ないこの時間帯。静かなハクタイの森。
自分しか人間はいない。野生ポケモンはいる筈なのに、ハクタイらしさを見せる深い森に、何故か恐怖を覚える。
確かに、木々の隙間から光は届いてくるが、怪しげな影も所々存在する。そこはまだ夜のようで、闇が眠りについていないらしく、恐ろしかったのだ。

立ち止まりそうになった足を、躊躇しながらも進める。と─────ガサガサ─────背後で、誰かの気配が草木を揺らした。

ひっ、と息を飲む。気のせいじゃない。やっぱり、先ほどから誰かいる……?
……誰かってなんだ。人? こんな時間に、誰かいるの?
…………心霊スポットとして有名な、この森に? こんな朝早く来る人って一体どんな人………………って、私もだ……。
でもでもでもでも……どうしても、マイナスの方向を考えてしまう。考えたくない。ぞくぞくと背筋を震わせながら、動きを再開させた足は速歩きを刻む。
一刻もは早く、ここから出たい。こんな所、ひとりでいると発狂してしまう。……もう、未だ気持ち良さげに眠ってるラッキー、叩き起こそうかな? モンスターボールをシャッフルすれば嫌でも出てくるよね。
よし、実行してみよう。ほぼ投げやりで、やけくそな考えにたどり着いたが疑問に持つ余裕はなくて、モンスターボールに手を伸ばした。

その時だった。
ひた……っ、肩に手が、置かれ、た。ピシィッと凍り付く。僅かに首筋に触れた指先は、溢れ日とは真逆のように氷のような冷たさを含んでおり、この世のものではない。そう悟ったのは身体が先だった。

「キャァーーーっ!?」

背後の気配は人間のようには思えず、化け物を感じて危険を察知した身体の反応は早く、手を振り払うと身を翻しながら後退。腰に身に付けていたモンスターボールに手に掛ける。その動きはまるで猫のようにしなやか────────────、

──────の、ようには……悲しきかな……、
ならず、

ずてんと音をたて、彼女は尻を地面で汚してしまった。
身を翻したまでは良かった。そこまでは猫のようにしなやか……というより怯えた子猫の如し、過敏には反応したのだ。
しかし、突然な反応に充分についていけなかった身体が傾き、なす術もなく草むらへと突っ込んでしまった。
かなり強く打ってしまった尻を涙目で慰めている女性。────に、差し伸ばされた、指無し手袋をはめた白い手。

「あぁ、ごめんごめん」

冷たい、生気すらも感じられない……というのは言い過ぎだが、少なくともこの女性より体温が低く感じた手。それと似合いそうもない、軽い謝罪。
それは子供のもの。驚いてハッと顔を上げると、身を屈め自分の顔を覗き込んでいる、少女がらそこに居た。
深い藍色(あおいろ)の髪を溢れ日で輝かせ、ばさりと揺れる黒いコート。木々の隙間から垣間見えるあの薄い空色と同じ右眼……。
左の眼に眼帯がしている以外は、ただの愛らしい子供の少女であり、彼女の浮かべている優しそうな笑顔に、心を縛り上げていた緊張の糸をほどいてしまった彼女は、子供好きである。

少女は、そのままの笑みで、茫然とした女性に言った。

「ごめんよ、そんなに驚くとは思わなくて……」
「変質者だから仕方ねぇ……」「……同感……」

「お二人とも、ナミさんとユウくんを見習って黙ってよーか。
……あ、怪我とかねー?」
「え、あ、は、い……大丈夫で、す……」

みっともない所を見られた羞恥と、何故こんな所に子供がという疑問と、人間が傍にいたという安心と、不思議な気配がする右眼への違和感などで訳が分からなくなった。しどろもどろに答えると、少女、レオは満面の笑みで頷いた。

「よかった」






緑髪の女性がある程度落ち着いた所で、レオとそのトレーナーは、お互い名乗り合った。コケの生えた石に腰掛けながら。
女性は、モミ、という名だそうだ。レオはその名前に心の中でやっぱりと呟きながら、自分も名乗る。すると彼女は一瞬目を瞬きして動きを止め、ドキッとしたもののそのまま話は続けていた。少し心配してしまった。あのダイゴの回し者かと思って。
だが、そうではないとほっとしながら、レオは横目でモミの姿を確認する。その彼女の姿は見たことがあるのだ。ただし、現実ではなくゲームで、だが。

「(あーハクタイの森を抜けるために…主人公と行動したんだったな……)」

と彼女の目的を分かりつつも、

「モミさんはなんで朝っぱらからこの森に?」

「サンサイ摘み?」とレオが尋ねると、モミは「山菜は山の話ね」と笑いながら少し照れたように頬を赤らめた。

「ちょっとハクタイシティで友人と会う約束してたんだけど…………迷子になっちゃったの」

なにそれ可愛い。

「複雑に入り組んでるって有名なハクタイの森で、迷子になるのは目に見えてたから朝から来たのに…………迷子に、なっちゃったの」

やだそれ可愛い。
ブフォッと吹き出しそうで緩んだ口元を手のひらで隠しながら、咳払いをして誤魔化すレオに生暖かい突き刺すは、主から距離をとった後ろを歩きながら、様子を見ている擬人化姿のアイク、サヨリである。同じく擬人化姿のナミは、モミのパートナーであるラッキーと交流していた。
小さな小さなピチュー──────ユウも、ナミの頭の上で彼女と会話を弾ませるが、どうにもその表情は固い。憂いを含んだ目で、大人の女性という擬人化姿を披露するラッキーを見詰める。
……自分には、できない。
否、そうじゃない。
自分は────、
──────ユウは目を伏せ、前の方をモミと並んで歩く、愛らしい笑顔の少女を盗むように見詰めた。

「…モミさん……ひこうタイプのポケモンとかは?」

森なんて通らないで飛んでくればいいのに。レオの台詞はごもっともで、モミはいるんだけどとため息をついた。

「………今回の待ち合わせ相手とは違うんだけどね……友人の家に遊びにいってたのよ……その時、ここ通る話をしたらね…なんか……確信犯というか、ドSというか、鬼というか、天然というか……そんな人に“へぇ、モミはやっぱり方向音痴だから森なんか行けないんだね”とニコニコ超絶笑顔で言われてね…………」

「ムキになって来ちゃった……みたいな?」
「うん…ほんと…あたし…馬鹿なのね……ていうかノせられたのかしら…」

確信犯で、ドSで、鬼で、天然なあいつに。うずくまって茫然と呟いたモミに同情する視線を送りながら、ふと固まる。あれ、そんな最強な人、どっかで会ったことがあるぞ。
アイクに視線を送ると、彼も覚えががあるらしい。いつもの眉間のシワを深くして、苦虫を噛み潰したように口を歪めていた。嫌そうなその顔。だけども、あの御曹司やオカッパ集団に向けるような、あの嫌悪とは違う。
ただ単に苦手なんだろうな、と苦笑しながらレオは青い顔のモミを見て尋ねた。
もしかして、確信犯で、ドSで、鬼で、天然なその人は、

「若い男の人?」
「え? あ、うん、そうよ?」
「で、なんか藍色な帽子とコートを着てる?」
「え、うん」
「で、Sだけどウブなルカリオが手持ち?」
「あ、うん、そう……変な所でウブなのよね、彼……」

ああ、あきらかに彼だ。こんなヤツ、彼しかいない。

「あー……その人…ゲンさんって人だよな?」
「え、ええぇっ!? なんで分かったの!? もしかしてあなたユンゲラー!?」
「いや、人間だし、そもそも色違うし」

さてはこの人鈍いな? かーわいーなぁと安定の感想を抱きつつ、擬人化!? あなた擬人化してるポケモン!?と大きな勘違いをしているモミを、いじめたくなる気持ちをなんとなく理解してしまったレオである。
わたわたと慌てふためくモミを、にまにまと笑顔を浮かべながら傍観する彼女も、ゲンの事は言えないだろう。
すると、突然モミが閃いたように、ぽんと手を叩いて動きを止める。「あ、そっか!」

「ん?」
「そうね! あなたゲンに会ったのね!」
「あ、やっとか」

勘のいいレオならば、とっくに気付いていただろうが、モミはどうやら脳の思考回路が遅いらしい。
だが、やっと辿り着いたようだと苦笑していると、彼女はばーんと胸を張って言うのだ。

「道理で似てると思ったのよ……あの人と」
「………ん?」
「あなた! お兄さんいるでしょ!」
「…………んんー?」

おかしな方向へと全力で突っ走るモミはどや顔だ。
今、何か確実におかしな単語を聞いた気がしたが、モミは気付かず名推理、いや、迷推理を口走り続ける。

「うぅん、その右眼が誰かに似ていたのよ!
綺麗な色ねーあのイケメンさんもあんな感じだったわ。そっかそっか、だからあんな辺鄙な所まで行ってゲンさんに会いに行ったのね! お兄さんとは会えたかしら? 彼、恥ずかしがりやで可愛いわねー」

「え? え? ちょ、待っ!
タンマタンマ!」

足を止めて叫ぶとガサガサとレオの頭上、木々で鳥ポケモンたちが羽ばたいていった。
それからモミも立ち止まって、不思議そうな顔で振り替えると、レオは両手をストップと言いたげに付き出して顔を俯かせていた。
こてん、クエスチョンマークも欠かさず浮かべると、レオが顔をあげた。少し眉間のシワが刻まれている。笑みは空笑いに近いものでハハハ……という乾いた音が聞こえた。

「あの、モミさーん?
……お兄さん……って言った?」
「え?……うん、言ったわよ?」

それがどうしたのと心底不思議そうなモミ。確か、モミと似たような事を話す者は、他にもいた気がする。後ろでレオと同じように立ち止まった、少年たちが顔を見せあっている。青年は、唯一の相棒は、碧眼をすがめる。ピチューは、俯いた。
それぞれ、浮かべた情景に想いがあったのた。そう、それはつい最近の出来事。


─────“あの方”とそっくりだわ。


誰のことだよ。意味が分からないと口のなかで呟いて、レオは首を横に降った。

「あのー……俺、血縁な兄弟なんていないッスよ?」
「え? …………そうなの?」
「あぁ」

似たような事はマーズにも言ったが……モミはキョトンと目を丸くする。一々動作が可愛らしいが、レオからしたら何故そうなったと是非とも問いたいものだ。
空色の右眼を、細めた。

「(こんな世界に家族なんか……ていうか、知り合いすらもいないだろ)」

ましてや、いる筈もない兄や弟? そんな血の繋がりは存在はないと、レオは断言した。嘘ではなく事実だと。
忘れそうな家族のことを、少しだけ思い浮かべながらレオは息を吐きながら、歩みを再開させた。モミも慌ててついてくる。

「え? え? 本当に? 本当にあの人お兄さんじゃないの?」
「違いますよ……ていうかいねーし……」

いないんだから、違うもなにもないと乾いた笑み。

「そもそも、その人って誰ッスか……」

ゲンやダイゴだなんて言い出さないか不安なレオが名前を尋ねる。あの二人と同類だなんてレオからしたら嫌すぎるオチである。自分の方がまだノーマルだと言い張る彼女だが正直、手持ち達からしたらあまり変わらないものである。ゲンもダイゴも、そしてこの少女も、質が悪い。(ナミ、ユウ、サヨリはゲンを知らないものの)

「──────いや、まさかさ……」
「?」
「モミさん…その人の名前って……、
まさか、アース…なんかじゃあ、ねーよな?」

───口にしたその名は、重く感じた。いや、重かったのは口だ。言い知れぬ緊張を勝手に抱いていただけだ。
その緊張感でピンッと張り詰める。朝の清々しかった空気が少しだけ居心地が悪くなって、アイク達が再び足を止めていた。視線が、鋭い。

「……え?」

だが、そんな事さえも気付かない。露知らず状態で、モミははて?と小首を呑気に傾げるのである。
指先を唇に当て、言った。

「───そんな名前じゃあ、なかったかなぁ?」

何ともあやふやな口調だが、その瞳は確かに“アース”という名前に否定的だった。
それにレオは少なからず、ほっと胸を撫で下ろした。アースというイレギュラーな名前を聞かずにすんだからだろうか。
だがしかし、

「確か………名前は…そう、
ディンフェクタ」

「誰っ!?」

予想の斜め上をロケットで飛んでいった。
すぱーんっと突っ込みを入れるも彼女は「ゲンは、ディン、って、呼んでた……かなぁ」なんて爆弾を投入してきて、レオのHPゲージは既に限界である。
確かな情報をくれと切実に願うし、そもそも、誰だそいつは。でぃんふぇ……なに!? 英語!? しかも、あやふや。本当に誰だ。
またしても聞いたことも覚えもない名前に頭を抱える。まさか、またイレギュラーな存在が?
そして、そのイレギュラーな存在が、レオと眼が似ているらしい。本人からしたら、それは有り得てはならないのだ。
意味が分からないし、想定外すぎるオチにレオが振り替えると、手持ちの中では唯一ゲンという者を知っている彼の、据わった碧眼と目線が合った。視線で軽い会話を交わしたが、彼は知るかと言う風に舌打ちをする。
レオとアイクが、不本意ながらも鋼鉄島を訪れたとき、そこではゲンとルカリオしか見ていなかったが…………あそこに、ディンフェクタなどという者は居たのだろうか。見てはいないが、そこにいたかもしれない。いや、いなかったかもしれないが、この世にイレギュラーな者が存在する…。
モミの「ゲンの近くにいて…その時はコート着てフードを深く被ってた…かなぁ?」という言葉に、どこの不審者だと呟いたレオだが、アイクのてめぇもなという言葉に脱力する。そういえば、自分は黒コートを着ていたんだった。
こんな所で共通点が見付かってしまったのだ。そんな馬鹿な、とレオは仰け反って嘆く。

その姿に首を傾げるだけのモミは、ふと視線を巡らせてナミの頭の上に乗る、黄色の小さな彼を見付ける。
他の皆が擬人化をとっている中、彼のみ原型。ピチューの姿……。
そんな彼がじっと見詰める先は、頭を抱えて唸る笑顔を攣らせる眼帯の少女だ。
モミはその目を、ぽけーとした瞳で見詰める。いくら鈍いモミでも、気付いた。いや、覚えがあった…と言えるだろう。
あの揺らめく目──────漠然とした暗い感情がそこにはあった。
自分の意志を否定された子供……みたい、なんて何となく分かった。

だが、やはり彼女はそこまでしか理解しておらず、お腹が減ってるのかな?くらいしか思わなかったが。



  
   
     



 *←   →#
2/6

back   top