23,5.朽ちた遠き未来 (1/1)
────嗚呼、
遠い、記憶。
遠い過去。
遠い未来。
そこにいる筈の、
あなたを想った。
私は、
共には居られないけど、
─「******」─
この短い時を、
共に過ごしてみたいと願った。
─「******」─
私は、
あなたを──────、
「陽恵」
「、………はい」
その男の声で、ハッと目を覚ました。
深い眠りに落ちていた。
そんな感覚にいつまで経っても慣れない。
水色の水晶のように美しい輝きを放つ目を開けると、いつも通りの部屋が見えた。自室である。
視線を巡らすと、扉を開けた男の姿を確認した。
「…アース様…。
お戻りでしたか…」
食堂に行っていたと人伝てだが聞いていた陽恵。
だが────アースと呼ばれた、フードで隠された…緑に染まった毛先と薄い口元、スッと通った鼻しか見えない、顔。
やはり、そんな不審なあのままの格好で彼は食堂に行ったらしい。
黒コートを着込み、フードを目深に被ったままの格好を、この建物に居る者は皆知っているから問題はないが…。
そんなおかしな状況でも、陽恵はクスリともせず無言でソファーから立ち上がった。
「戻ってきたのはお前の方だろ、陽恵。
おかえり」
「………はい…只今戻りました」
陽恵は任務を終え、ここに帰ってきたばかりで、真っ先にこのアース兼自身の部屋に向かった。一番最初に、自分の主人に会いたくて。
そんな陽恵の想いを知ってから、知らずか、アースは陽恵の座っていたソファーに落ち着く。
立って控えようとした陽恵の手を引き、隣に座らせた。
背もたれに寄りかかり、すらりと長い足を投げ出したアースとは正反対に、陽恵はぴんと背筋を伸ばし、膝に手を添えている。
真面目だな、と笑う事はしなかったがからかうような口調でアースが言った。
「………出会った頃から言っているが、そんなに改まる必要はない。
歳など知らないが……お前の方が上だろう」
「…いえ。
あなた様はご主人ですから」
「…お前と、メイとコロナぐらいだ。
俺にそんな態度を示すのは」
「…申し訳ございません」
「誉めているんだ」
「…ありがとうございます」
「…………お前は、まったく…」
素直すぎる。アースは額に手を当て、軽く溜め息を吐く。
彼女は大人らしい見た目や立ち振舞いに反して、純粋な子供のような言動をする事がたまにある。
思えば、自分と陽恵に出会った時も、彼女は何故か泣いていたか……。
そんな回想をする今では、それを見ているのが楽しい日課になっている。
だが、どうにも読めない事もある。
「………意識が飛んでいたな」
「……」
「……また、“視た”のか?」
帰ってきた時、アースはソファーに座ったままぼんやりと空中を見詰めている陽恵の姿を見た。
まるで眠っているかのように、反応がなく、アースが帰ってきた事すら気付いていない陽恵。そんな現象は、昔から度々ある。
故に慣れてしまっているアースの問い掛けに、陽恵は無言で首肯した。
彼女は“視て”きた。
だが、アースはそれについて深く追及しようとはしない。
それが陽恵にとってはせめてもの救いだった。聞かれても、答えられない。
───あんな未来なんて。
「ところで、陽恵。
任務はどうだった」
「…今回はホウエン地方で捕獲したポケモンを移送するのみですから。
…メイさんも私も、問題はありません」
フードの下で何を思案したのか、話を転換したアースは「そうじゃなくてだな」と僅かに苦笑する。
そういう、事務的な事を聞きたい訳ではなかったが…、怪我はないという事は間違いないだろうか。
アースがどうだったかと聞いたのは、無事を確認したかったという意味もあったが、もうひとつ確かめたかった事があった。
沈黙の中、アースは眼を細めると口を開く。
「………サギリから聞いたが…、
ナックラーが、1匹逃げたようだな」
「……そのようですね」
「その後、
そのナックラーが人間に協力して、マーズと接触したとか」
「……マーズさんから聞きました。
その人間は“あの”少女だと。
…やけに興奮した様子でした」
「マーズは可愛いものが好きだからな」
「………。
…それが、何か」
「…………気にならないか?」
「…」
「…ナックラーはどうやって逃げたか、に」
「……………檻を破壊して逃げたと聞いております」
「どうやって?」
「…それはどういう意味ですか」
「お前も分かっているだろう。陽恵。
あの檻は“俺”と“お前”が発明した最上級に頑丈な檻だ。
ナックラーごときの攻撃で壊れるはずかない」
「…そうですね」
沈黙。
お互い、視線を前に向けたまま沈黙を少し守って、破る。
「……あれは、お前が壊したのか。
陽恵」
沈黙。
───彼女は表情を変える事をしない。アースの、確信に染まった問い掛けに対しても。
「………私は、ナックラーが脱走した際には、
もうあの発電所から遠く離れており、ずっとメイさんと共にいましたが」
「予め“みらいよち”で未来に攻撃を送り込んでいれば問題ないだろう。
本物の“未来予知”ができるお前なら、簡単な話じゃないか」
「……………」
なぁ?と微かに弧を描いていた口元が見えて、陽恵はやっとアースに視線を送った。
しかし、頭にかかっている赤い球の装飾品が揺れたのみで、彼女は眉をぴくりともさせない。無言は肯定とも言うが、今回の場合はどうだろう。
空中で交わる視線。……先に折れたのは、アースだった。
「───まぁ、いいだろう。
お前も何か考えがあっての行動だろうからな」
長い沈黙の後、肩を竦めてアースはソファーから立ち上がった。
ゆらりと黒コートが揺れる様子を見詰めながら、陽恵は首を少し傾けた。それで、いいのですか。と。アースは歩き出しながら微笑した。
お前がそれを言うのか。
「お前は昔から、俺の不利益になる事はしないからな」
だから信用したまでだ。
理由などそれで十分だと言って、アースは自室へ戻っていった。今はもう遅い。彼は寝るのだろう。
陽恵は無言で、閉じた扉を見やった。
彼は、昔からそうだ。陽恵を疑う事はない。きっと今回の事も、この組織のボスに報告するつもりはないだろう。
自分は信用を得ているのだろう。…陽恵は水晶の眼を、閉じた。
────アースの言っていた事は、
何一つ間違っていなかった。
それは“みらいよち”を含め、全て彼の推測通り。
彼の為の行動、というのも、間違いではない。
嘘ではないのだ。
紛れもない真実。
その意味に、
彼が気付く事はないと思う。
────なくていい。
それでも、私は──────、
朽ちた遠き未来
(愛しています)
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