じゃんけんで負けたなんて理由で丁こと鬼灯が雪江の所へ住むようになって一年が経過した。初めこそ警戒していた冷静な子鬼も雪江と父親の暖かさに触れ、少しづつではあるものの黄泉へ慣れつつある。
 今朝も現世にいる頃では考えられなかった白い白米をたくさん平らげて、彼は烏頭、蓬と四人で教え処へと向かった。強面な教師が雪江は少し苦手で、近づくと怯えた顔をするのだが鬼灯としては貴女の父親もそう変わらないと言ってやりたい。けれどそんな事を言う暇もないほど初めて触れる学問に丁は夢中になった。現世では一生かかっても触れる事のなかっただろう様々な知識は少年を魅了して止まなかった。

 その内、雪江には女友達が出来た。同い年くらいであると言うのにやけに大人びた綺麗な少女は名前はお香と言って、彼女は初めて出来た女友達に夢中になった。鬼灯自身、大人びたお香の事は友人として好ましく思っていたし、雪江が喜ぶから良いと思っていた。しかし、こうもずっと一緒に遊べないとなると話は違ってくる。
 苛々として石を蹴る鬼灯に髑髏を持ちながら烏頭と蓬は表情を引き攣らせた。二人の背後には黒い子鬼の蹴った石が壁に穴を開けている。

「ほ、鬼灯どうしたんだよ」
「別に何もありません」
「なんでもなくないと思うんだけど…」

 また一つ、蹴りあげた石が壁に小さな穴を開けた。この年でもうこの脚力、将来が恐ろしい。

「最近雪江さんが構ってくれません」
「ああ」
「女友達とぺちゃくちゃ喋ってばっかだもんなー」

 少し前までは雪江は何をするにも三人の後をついて来た。女であるのに木登りもしたし、髑髏蹴りだってした。それなのに今は女友達とままごとやお喋りに夢中になってしまっている。最近めっきり聞いていない雪江の心配する声が恋しかった。

「私、雪江さんを迎えに行ってきます」
「あ、おい!」

 新しい石を池へ落として走り出した鬼灯の耳には蓬の制止の声なんて聞こえていない。いつの間にか出来上がってしまった休み時間は男子は外、女子は中なんてルールがなんだ。何か言われれば口で反抗してやればいい。
 教え処の中へ入ると一斉に女子の視線が鬼灯へ向けられた。普段冷静な少年が肩で息をしてじっとこちらを、正確にはお香の横の雪江を見ている光景は彼女たちの興味を強く引いた。これが烏頭ならば何で入ってくるのよと文句の一つでも言ってやる所であるが、相手が相手だけに彼女たちはこそこそと話すだけに留めているようだ。
 くすくすと笑う声に眉を寄せながら大股で女子の群れを掻きわけて、中心で座る雪江とお香の前に立つ。そして鬼灯は見上げる雪江の腕を強く引いた。

「来てください」
「え、あ…っ!」

 絵巻物みたいね。そのまま走り去った二人に女子の誰かが呟いた言葉に、隣の寂しくなったお香は大人びた笑みで一つ頷きを返した。



 鬼灯は烏頭たちの所へ帰ろうとはしなかった。行く宛てなんてないのに林を駆け抜けて、開けた地に辿りつくまで彼は雪江の腕を離そうとはしなかった。
 黄泉には珍しい青々とした草原が広がる大地で二人の子鬼は大きく息を吐き出す。こんなにも全力で走ったのは、教師に叱られた時以来だった。

「雪江、さん」
「な、に?」
「たまには私とも遊んでください」

 幼いながらも自尊心は人一倍ある。だから寂しいです、なんて本音は言えなかった。それでも充分に勇気を振り絞って告げたつもりだ。
 何だか気恥しくなってその場に座り込んでそっぽを向く。すると横で草を踏む音がして自分よりも小さな手が熱い自分の手へと触れた。
 首をそちらへ巡らせる。鬼灯のわずかに赤くなった目尻を見つめて艶やかな髪を揺らし、雪江は満面の笑みを浮かべていた。

「私も鬼灯くんと遊びたい」

 なんてことない言葉に歓喜する。笑みを向けられると、彼女の関心が自分へ向けられると嬉しく思う。
 理由なんて幼い少年には分からない。だから鬼灯はむずむずする胸を掻いて重なった手を握り返す。あの日と同じようにお互いの手をぎゅっと握りしめ続けた。
 鬼灯が、胸の理由を知るのはこれから数百年も後の事である。

150525