これ不良品だからあげるわ、でもきっと鬼灯様は気に入ってくださると思うわ。

 そんな事を言って夫の待つEUへと戻って行った世界悪女の会のトップに鬼灯は内心とても感謝している。彼女が不良品だと渡してくれたコレのおかげでこんなにも良い思いが出来るとは思わなかった。
 恥ずかしがって天照のように布団と言う岩戸に閉じこもってしまった妻を上から抱きこみながら彼は珍しく僅かにではあるもののその硬い頬を緩ませていた。



 タダより高い物はないとは昔からよく言うもので、渡してきた相手があのリリスであるのだから警戒心も強かった。こんなものはさっさと捨ててしまおう、そう心で決めたはずなのに仕事の忙しさに感けて家に持って帰ってしまったソレを雪江が口にしてしまったのは紛れもなく鬼灯の責任である。
 けれどリリスの責任もあるかもしれない。なんといってもこの不良品、見た目は美味しそうなキャンディーなのだ。ご丁寧に桃味と書かれていた包装紙が床に落ちて、瞬く間に視界から消えた妻に鬼灯は愕然とした。

「…なんてことでしょう」

 床に広がる着物の裾と解けて体に巻きついただけの帯、そして今にも泣きだしそうに見上げる大きな瞳、とこれだけ書けば艶っぽいのだが現実はそんなのではない。
 愕然とした鬼灯の視線は床の方を向き、そこに座りこむのは紛れもなく、

「う、うわああああああん」

 出会った当初の姿の雪江に他ならなかった。
 火がついたように泣きだした雪江に咄嗟に腕が伸びて抱きあげてしまったのは、甘えん坊な娘を持ったせいだろうか。自分でも随分と所帯じみたものだと内心呟きながら彼は嗚咽をもらす子供の背中を撫でる。そして床に落ちたままの包装紙を持って眉を顰めた。ピンク色の可愛らしいそれには"これで貴方も合法ロリに!(場合によっては脳まで退化する恐れがあります)"と小さな文字で書かれていた。

「随分まあとんでもないものを作ってくれたな、あの人妻ビッチ」

 こんな汚い言葉を吐いている場合じゃない。とりあえずは雪江を泣きやませて、あとそろそろ帰ってくるだろう子供たちへの状況説明を考えねばならない。
 その辺にあった焼き菓子を一つ雪江の口に放り投げ、彼は重々しいため息をついた。

「まあ、お母さん可愛くなりましたね」

 タイミング良く雪江が泣きやんだと同時に帰って来た娘と息子は初め、某座敷童子の時と同じく父に隠し子がいたのかと騒ぎたてたものの、状況を説明するとすぐに理解を示した。特に性格も父親似な喜子は随分と可愛らしくなった母親を抱き上げて柔らかな頬をプニプニと指先でつついている。まだ幼い喜子からすると夢にまで見た妹が出来たような心境なのだろう。
 対して未だ状況の掴めていない息子多喜に鬼灯は先ほどの包装紙を無言で手渡した。まだその手の事には疎い息子であるが意味は理解しているらしい。顔を真っ赤にさせて包装紙をゴミ箱へ投げ捨てた多喜は顔を両手で押さえて「うわー」と暗い声をあげている。

「…なにしてんですか?」

 するとその時、パシャとシャッター音が響いて彼は顔を上げた。問いかけてはいるものの答えは最初から分かり切っていた。携帯片手に娘と今は幼い妻とを見つめるかがちの瞳が今は爛々と輝いているように見えた。

「いえ、出会った当初の雪江をこうしてまた見れると思うと感慨もひとしおで」
「はたから見たら変質者です」
「相手は妻と娘なので問題ありません」
「今はその妻が小さくなってる一大事でしょうが!」

 多喜のつっこみが冴え渡るも、鬼灯はそんな事を気にする男ではない。スタスタと速足で幼女二人の輪へ入り込んだ彼は、娘の手から妻を奪還し丸い頭に頬を擦り寄せている。ああ、幸せとでも聞こえそうな様子である。

「おと、さんは?」
「貴女のお父さんは今は八寒地獄で行かれていますよ」
「なら…丁くんは?」

 しかしそれも雪江の発した「丁」の言葉でどこかへと消え失せてしまった。丁、それは鬼灯がまだ人間であった頃に村人たちから呼ばれていた召使の意味の単語。忌むべきそれをまさか今になって、しかも雪江の口から聞きたくはなかった。今はゴミ箱に捨てられた包装紙の"場合によっては脳まで退化する恐れがあります"が恨めしい。
 横では喜子が上手く聞きとれなかったのか不思議そうに首を傾げ、後ろでは多喜が一人慌てた様子で手をせわしなく動かしている。そんな子供たちを一瞥すると落ち着くのだから親とは本当に不思議だ。自然と顰めてしまっていた眉をふっと解き、不安げな顔の雪江の頬を両手で挟み込むように触れる。そしてそのまま顔を近づけて、周りには聞こえないほどの小さな声で囁いた。

「私が丁ですよ、雪江さん」
「うそ、丁くん小さいもの」
「大人になったんです、貴女も私もね」

 丸い大きな瞳が「意味が分からない」と告げている。それもそうだ。突然子供のはずの丁や自分が大人だと言われ、しかも今自分を抱き抱える男がその丁だと言うのだから分からなくても当然のことだ。

「今も昔も私は貴女の事が好きですよ」

 けれどこの言葉の意味くらいなら理解できるに違いない。予想通り顔を真っ赤にさせて口を半開きにさせた雪江の額へ触れるだけの口づけを落とす。
 どんなおとぎ話でも最後の締めくくりはこれしかない。しかもこの薬の出産地はEUなのだから尚更だ。初めと同じく瞬く間に元の姿へと戻った雪江は乱れた着物をそのままに今にも漏れ出しそうな悲鳴を唇を噛み締める事で押さえている。
 お母さんと呼ぶ娘や息子の声に返事を返す余裕すらもなく彼女は真っ赤にそまった顔を両手で押さえて、先ほどの多喜のように「うわー」と暗い声を上げた。

 そして現在へと戻る。

「可愛かったですよ子供の貴女も、何だか懐かしい気持ちになりました」
「わ、忘れてください」
「別に恥ずかしがる事じゃないでしょう。ただおお泣きして、子供たちに幼い自分の姿を見せてしまっただけじゃないですか」
「充分に恥ずかしいですから!!」

 さ天照が天の岩戸へ隠れてしまった時は天鈿女命がストリップショーを披露して彼女を外へと出したが、この妻にその手は通用しないだろうしするつもりもない。となれば実力行使しかあるまい。鬼灯は布団を両手で掴むと無理やりはぎ取って彼女を外へと出した。顔が真っ赤なまま目を大きく見開いた大人の姿の妻に彼は耳元で囁いてやる。

「子供の貴女も好きですが、やはり今の貴女が一番です」

 もちろん、もう一度布団に閉じこもったりなどしないように彼女の腰を腕で抱いてから。

140823