「多喜くん、彼女が出来たんですってね!おめでとう、お母さん嬉しいです」

 にっこりと満面の笑みを浮かべて肩を叩いて来た母親の言葉に、多喜は口に含んでいた酒を吹き出してしまった。
 正面に座っていた鬼灯は飛んで来た酒をお盆でブロックし、濡れた面を手ぬぐいで拭っている。その顔に驚きはない。どうやら始めから知っていたようだ。

「お、お母さんそれどこから…」
「え?喜子から」
「喜子ー!」

 バタバタと大きな足音を立てて居間を出て行った息子に雪江は首を傾げる。そして数秒後、息子の叫び声と娘の罵声を聞いて彼女は悟った。
 ああ、この息子まだ両親に言うつもりはなかったのだと。
 妻の困り顔に鬼灯はため息をつくと立ち上がる。そして彼の低い怒声が木霊した。



「なんで私まで…」
「自業自得だろ」

 頭に大きなたんこぶを乗せて正座をする子供たち。二人の渋い表情に雪江はやりすぎではなかろうかと夫を見るが、彼は枡を傾けたまま返事を返さない。
 ごくごくと良い音を立てて飲み干すと鬼灯は、わずかにも赤くない頬を自身の手で支えて大きな体を縮める息子を捉えた。

「それで相手は?」
「は?」
「どんな女性ですか、あと馴れ初めも話してみなさい」
「はあ!?」
「ほら、早く」

 ほらほらと腕を揺らす父親に多喜の顔が見る見る内に赤くなる。母親に助けを求めようにも、彼女も女性。この手の話題に興味があるのだろう、彼女は夫を非難する事もなくキラキラとした眼で多喜を見つめていた。
 ちくしょう、こうなったのも喜子のせいだ。つい先日、その女性と一緒に歩いている所を目撃した妹は兄からの睨みなど気にしない様子で澄ました表情をしている。

「多喜」

 父の低い声に多喜は渋々と話し出した。

「相手は、店のお客さんで鬼女です…年齢は俺より百歳くらい年下」
「それで?」
「あっちの方から告白されて…俺も良いなあって思ってたから、付き合う事にした…」
「付き合ってどれくらいになるの?」
「まだひと月だよ!ああ、もうこれくらいでいいでしょう!?」

 耐えられないとばかりに叫びながら立ちあがった多喜がそのまま廊下へ向けて駆ける。しかしこのまま酒の肴を逃がす鬼灯ではない。彼は先ほど拭いたばかりのお盆を手に取ると勢いをつけて投げつける。見事後頭部にクリーンヒットした多喜は勢いのまま柱に激突してしまった。
 ピクピクと痙攣する息子の首根っこをすぐさま掴み、引きずって元の位置に戻す。父親に似た顔を真っ赤にさせた兄に、さすがの喜子も頬が引きつり気味だ。

「喜子、その女性はこの前言っていた雪江似の女性でしたか?」
「えっと…まあ、そうですね」
「やっぱりマザコンか、こいつ」

 実の息子相手にそんな蔑んだ眼を向ける鬼灯の横では雪江が恥ずかしげに俯いている。以前、多喜の彼女が出来た疑惑が浮上した時風呂に入っていたため、マザコン云々の会話を彼女は今日初めて聞いたのだ。
 もちろんマザコンと言われた多喜も黙ってはいない。彼は真っ赤な顔を更に赤くさせて大きく首と両手を振った。しかし疑惑を払拭するのは難しいもので、彼のその行動は逆に首を絞める結果にしかならない。

「もし雪江に似てるからなんて気持ちで付き合っているのなら今すぐに別れなさい。ついでにマザコンも止めなさい、大の男がみっともない」
「だから違いますってば!真剣に付き合ってるんです!」

 それでもなお叫ぶ多喜に鬼灯の眉間に寄せられていた皺がわずかに緩む。ふうと大きく息を吐いて鬼灯は片足を曲げた。

「と、まあ多喜をからかうのはそろそろ止めにして」
「はあ、からかう!?」
「煩いですよ、近所迷惑です」

 曲げた足で身を乗り出して来た多喜の腹を押す。行儀の悪い仕草に女二人は顔を見合わせて呆れ顔を浮かべた。

「とりあえず多喜、今度そのお嬢さんを連れて来たら?私もお会いしたいですし」
「う、うん…」
「そうですね、どれほど雪江に似ているのか興味があります」
「やっぱり連れて来たくないです…」

 笑う母親と淡々とした父親にがっくりと肩を落とした多喜の横で喜子は思う。私何時までここに居ればいいのでしょうか、と。

150518