「そういや多喜くんて、あいつらがキスするとこ見た事ある?」

 ああ、もうそんな質問するからだ。
 弟弟子により見事に背負い投げを決められた師匠が横スレスレを通り壁へ埋まる。桃太郎は薬の入った瓶を棚へ並べながらため息をついた。横を見れば神獣白澤が顔を真っ赤にさせて頭部を撫でている。本当に神様なのかこの人。弟子入りしてから何度も考えたそれを込めて見降ろせば彼は何時もの締まりのない笑みを浮かべた。酒に酔っているこの男。

「ひどいよね多喜くん。ちょっと気になったから聞いてみたのにさあ」
「んな事を素直に答える息子がどこにいますか?と言うか貴方、俺の年齢考えてください。思春期真っ最中なんです」
「ハハーン、その反応はあるってわけだね」

 よっとなんて掛け声とともに立ちあがった白澤は仁王立ちを決め込む多喜の前へ歩み寄る。そして最近父親に似て厚くなりつつある胸板を軽く突いた。
 セクハラ親父なんてヤジを桃太郎が背後から飛ばすがそんな事気にしていない。

「なに?あいつ子供の前で所構わずヤッちゃうわけ?」
「桃太郎さんこの人ぶん殴っていいですか?」
「こ、堪えてくれ多喜くん…」

 地獄の補佐官を思わせる鬼の形相で多喜は問いかけ、桃太郎は神妙な面持ちで首を横に振る。どちらとも肩に疲れを滲ませている。こんな駄目師匠を持つと弟子二人はとても苦労するのだ。

「えーいいじゃん、別に減るもんでもないし」
「…言ったらいい加減大人しく寝てくれますか?」
「うん、寝るよ寝るよ」

 そしてこれ以上の苦労を背負わぬためにも時には苦渋の決断も必要なのである。ある意味でこの極楽満月はブラック企業だ。嘘か本当かも分からない笑みを浮かべたままの責任者の首根っこを捕まえて寝室へ消える弟弟子の背中は苦労に苦労を重ねたおかげか、ここ数年で大きく成長していた。



「見たのは一度だけです」

 なぜ寝室へ入ったのかと聞かれればそれは桃太郎に聞かせたくなかったためである。別に桃太郎だからではなく、なるべくなら誰にも聞かれたくないと言うのが本音だ。特にこのにやついた父親の天敵には聞かれたくなかったのに。多喜は痛む頭を押さえて大きなため息の後に語り出した。

 そう、あれはまだ多喜は中学生だった頃。現在絶賛甘えん坊期に突入している妹の喜子が生れて間もない夜の事だった。その日多喜は午後が体育であったせいか疲れていて、早めに眠ってしまった。けれど真夜中に喉の渇きで目を覚ました彼は覚束ない足取りで部屋を出た。そして、

「居間で、その…キスしてる二人を見ました」
「ちなみに深い方?」
「んな事聞くな!!」

 あの時は衝撃的だった。多喜は二人が自分の"親"としての認識しかなかったのだ。しかもその幼少期は父親と離れていて、夫婦の触れ合いなんて見た事もなく、所詮はドラマなどの世界の話だったのである。もはや喉の渇きなんてどうでもよくなってふらふらと部屋へ戻って、暫くは眠れなかった。翌日も両親の顔が見られなくて苦労したなあ…そんな苦い思い出。思い出すだけで何だか胸がモヤモヤとする。

「ま、子供にとっちゃ衝撃的だよね。親がただの男女に戻ってる様を見るのは」
「その言い方やめてください、鳥肌立ちます」
「対不起、対不起。ちょっと意地悪い質問だったね」

 ふと多喜は違和感を覚えた。そういやこの神獣、酔っ払っていたはずが何故普通に会話が出来ているのだろう。恐る恐ると視線を向けて彼は後悔した。
 白澤の目は爛々と輝き、その顔には「さてあの一本角にどう復讐してやろう」と書いてある。ああ、自分はこの師匠の演技に騙された挙句利用されたのだ。

「そういや今日はやけに帰ってくるのが早いと思ったんです…お父さんに会ったんですか?」
「まあね、あいつに邪魔されて良い気分が台無しだったんだよ」

 いやあ、良い情報くれてホントにありがとね多喜くん。そんな幻聴が聞こえる気がして体がふらりと横へ傾く。気付いて後悔すれど話してしまった内容を忘れさせられるはずもない。とりあえず自分は暫く父親に会わないよう部屋に引きこもろう。寝台の上で高らかな笑い声を上げる白澤を横目に多喜はそう決心した。
 しかし思惑通りに事が運ぶはずもない。翌日意気揚々と地獄へ行った白澤はもちろん金棒の前に撃沈し、家に引きこもっていた多喜は引きずり出された。しかも怒れば良いものを見られてしまった罪悪感からか、父である鬼灯は怒る事はせずため息をつくのみだ。それがまた多喜の胃を痛め、こうして彼の苦労がまた増えるのであった。

140713