夏休み前の校長先生の有りがたいお話とかで随分とホームルームが長引いてしまった。薄暗くなった道を、喜子とその友人である少女は疲れた顔を隠す事なく重たいランドセルを背負って歩く。何度目かのため息が聞こえると喜子は横へ目を向けた。

「どうしたんです?そんなため息ついて」
「いいよね喜子ちゃんは成績よくって…」
「ああ、通知表ですか」

 教科書や今日になって返却された図工の作品に紛れてランドセルの中で揺られる通知表。もちろん父親に似て容量の良い喜子はA評価ばかりなのだが、この友人はそうはいかないらしい。しかも彼女には兄という問題があった。

「徳丸さんも返却されますもんね」
「そうなんだよーっ!あの馬鹿兄貴のせいで親の期待が私へ向くのっ!!」

 徳丸とは喜子の兄である多喜の友人で愛称をとっくんと言う。白澤の元へ弟子入りした兄とは違い、高校へ進学したとっくんも今日は終業式。もちろん通知表が返されるわけで、お世辞にもあまり成績が良いと言えない兄を持つ友人は両親の期待に押しつぶされそうになっていると言う訳だ。

「大丈夫ですよ徳子さん。ご両親も怒りはしないはずです」
「あのさ喜子ちゃん、慰めてくれるのは嬉しいんだけどその徳子ちゃんっての止めてって言ってるよね?とくちゃんって呼んでって昨日も言ったよね?」
「ん?徳子さん、止まってください」
「私の話聞いてる!?」

 突然立ち止まった喜子が片手で徳子を遮り、徳子の叫びがこだまし、横の塀が崩れ去ったのはほぼ同時の出来事だった。茫然と崩れた瓦礫を見降ろす徳子と、上を見上げる喜子。そして土煙の中から白い着物が現れると彼女の目の色が変わった。

「なんだあ?鬼の餓鬼か」

 白装束の若い男、亡者だ。そばに獄卒の姿は見えない事からきっと脱走したに違いない。じろじろと舐めるように凝視して来る亡者に徳子が小さく悲鳴を上げる。
 対して喜子の行動は早かった。彼女はランドセルに突き刺さっていた図工の作品を引っこ抜くと地面を蹴り、大きく振りかぶる。そして、

「喜子ちゃん!?」

 徳子の叫びを耳に、それを目を見開いた亡者の頭部へと勢いよく埋め込んだ。



「喜子ちゃんのおとうさーんっ!!」

 そんな叫び声を聞いたのは、脱走した亡者を探しに奔走している最中の事だった。取り逃した茄子に軽くお仕置きを加えて唐瓜と三人で走る事約十分。自分が呼ばれている事に気がついた鬼灯は凶悪の面相を崩す事なく勢いよく突進して来た少女を片手で受け止めた。ちょうど腰辺りに体当たりをして息を乱す少女には見覚えがある。

「確か貴女、喜子の友人の…」
「徳子です!ああ、それはいいから早く来てください!」
「落ち着きなさい、何があったのですか」

 見ればこの徳子はランドセルを背負ったままで、閻魔庁にほど近いこの場所は彼女の家からすれば反対側。そしてこの焦りよう。何かあったのは明白で、彼は息せきあげる少女の肩に手を添えてなるべく優しく問いかけてやる。
 するとどうした事か見る見る内に彼女の両目に涙の膜が張る。そして絞り出すように呟かれた言葉に鬼灯は金棒片手に全速力で駆けだしていた。

―喜子ちゃんが亡者に。

 まだ続きはあるようだったが、それだけでどんな状況下に置かれているのかは大体想像がつく。指示された方向へ走りつつ金棒を握り締める腕に力を込める。もし喜子に怪我でもあったその時は、ただの呵責だけでは飽き足らない。阿鼻地獄以上の地獄を直々に見せてやる。しかし怒りに燃えつつ、現場へ到着した鬼灯が見たのは意外な光景だった。

「あ、お父さん」

 子供用の小さな金棒で亡者の頭を押しつぶし、小さな足でその背中を何度も踏みつける姿に思わず目が点になる。地面に伏した亡者の罪状は確か殺人であったはず。それなのに現在、この亡者は子供相手に既に虫の息となっていた。

「喜子、これは…」
「ああ、突然現れて気持ちの悪い目で見てくるものだからつい。ごめんなさい、呵責の方法間違ってますか?」
「いえ、上出来です!」

 目が点になったと言ってもそれはただたに驚いただけで、怒っているわけでは断じてない。むしろ褒めてやりたい気持ちでいっぱいだった。
 やはり小さくとも私の子!素質は十分にあったのだ!鬼灯は亡者を端へ蹴飛ばすと血まみれの金棒を握り締めたままの娘を抱き上げた。赤ん坊の頃によくしてやっていた高い高いをするように腕を伸ばして持ち上げ、次いでぱちぱちと瞬きをする娘を抱きしめてやる。

「一切の慈悲も与えぬ金棒捌きと初めて呵責したにも関わらず衰えないその精神力、近年稀に見る逸材ですよ貴女!」
「お父さん嬉しいですか?」
「ええ、とても!ああ、そうだ。雪江にも教えてやらねばなりませんね!」

 喜子はこんなにも興奮した様子の父親を見るのは初めてだった。何時だって彼女の前では冷静で、あまり表情を変えようともしない鬼灯が今は声を弾ませて嬉々とした様子で母親であり妻である雪江へ電話をかけている。
 父の腕の中でそれを見る喜子は端で蠢く亡者を見た。ああ、回復したのか。金棒を振りかぶり力いっぱいに投げる。ぎゃっと悲鳴を上げてまた動かなくなった亡者に良しと頷けばまた「素晴らしい!」と声が上がった。

「雪江、さすがは私たちの娘です!金棒のコントロールも既にマスターしていま…え?将来を決めるにはまだ早い?何を言うんですか、今の内から進路を考える事は悪い事ではないでしょう!」

 しかしどうやら母の反応は父とは正反対のようだ。けれど喜子はそんな事は関係ないとばかりに今まで金棒を握り締めていた手を見つめ、頬を緩ませる。

「お母さん!私、将来は獄卒になります!」

 嬉々として叫べば、耳元で聞こえる悲鳴に鬼灯と二人耳を塞いだ喜子の元へ唐瓜たちが追いつくのはこの数分後。鬼灯へ危機を知らせに行った徳子は端で血まみれで倒れる亡者に悲鳴を上げて、唐瓜は頬を引き攣らせ、茄子は拍手を送るのだった。

140710