サタン王の右腕でありEU地獄No.2であるベルゼブブと言う男はとてもプライドが高い。と言うよりただ己の面子をとにかく気にする男である。
 それだけを聞くとどうしようもない男に感じられるが、実の所はそれに見合うだけの実力を持っており、かつ自身の発言にも責任を持つ男だ。そんなベルゼブブ、現在窮地に立たされている。断崖絶壁に彼を追い込むのは日本の鬼神。

「紹介します、私の妻と息子と娘です」

 と、その家族である。

「お、お前結婚してたのか?」
「はい、ずっと前から」
「サタン様の公演の時は…」
「娘はまだでしたが息子はいましたよ」

 言ってませんでしたっけ?と首を傾げた大の男に頭が真っ白になる。そんな馬鹿な。こいつは独身、俺は美人の嫁さん持ち!なんて勝ち誇った記憶が彼の脳裏を何度も往復していた。ああ、こんな時ばかりは自分の優秀な記憶力が恨めしい。
 一人打ちひしがれるベルゼブブの横では彼の夫人であるリリスが輝かんばかりの笑みを浮かべている。その美貌を惜しげもなく生かした笑みは、鬼灯ではなくその横に立つ少年へと向けられていた。

「鬼灯様にソックリねぇー将来が楽しみだわ」
「手は出さないでくださいね、その手の事にはまだ疎いんです」
「えーもったいなーい」

 妹が生まれて二百年、現在の多喜の外見年齢は人間で言って十四ほどである。最近声変わりも済ませ、成長期も合わさって身長も伸びた彼は父親にますます似てきたと評判だ。けれど初めて見る美人な外人さんと父親の大人な会話に顔を真っ赤にさせた彼は父親のいう通り、まだまだ子供なのである。

「あの、止めてあげてください…多喜が困ってます」
「アラァ、雪江さん久しぶりね」

 助け舟に多喜が感動したのも束の間、リリスの興味は彼の母親へと移った。腕に幼い喜子を抱いたままたどたどしく答える雪江の頬は心なしか赤い。

「はいはい、遊びに来たわけじゃないんですよ!早く書類にサインして帰るんですからね」

 そうだった。鬼灯の言葉にベルゼブブの意識が回復した。
 今日は日本地獄との取引がある。普通家族は同席しないものだが、ここはリリスの鶴の一声。「鬼灯様の家族に会いたーい」が発動したのだ。
 素直に家族を連れだって来た鬼灯に驚きが隠せない。とりあえずは鬼灯の言う通りさっさとサインを済ませてしまおうとベルゼブブは机の引き出しから書類を取り出した。

「はい、これで条約制定ですね」
「ああ、どうも」

 両国間の重大事項がこんなサイン一つで片付いてしまうのだから政治とは難しい。最後にベルゼブブの判子を押せば、もう仕事は終わり。ふうと背もたれによりかかった鬼灯の膝には何時の間にやら彼の娘が座っている。真黒な大きな瞳が無感情に見つめて来ていた。別に子供は嫌いではない。リリスには連れ子が何人もいるし。ベルゼブブは試しに軽く手を振ってみる事にした。すると、

「はえはえ」
「おいっ!!」

 あろうことかこの幼子、父親の取引相手に向かって暴言を吐いたのである。思わず叫ぶと後ろに立つ雪江と多喜は顔を青くさせ、対して娘を膝に乗せたままの鬼灯は「おやおや」なんて暢気に呟いている。

「いけませんよ喜子、この方はただの蠅ではありません。蠅の王様なのですからムシキングと呼んでさしあげなさい」
「はい、ごめんなさいムシキング」
「ベルゼブブだ!!ったく…それにしても子供たち尽くお前にそっくりだな…お前のワイフの苦労が伺えるようだよ」
「そうですね…特にこの子は私に良く似ていますよ」

 言われなくともそんな事とっくに気付いてたわ。
 内心呟くベルゼブブの目の前では親子が仲良く顔を近づけて何やら話している。その光景が何だかとても幸せそうで敗北感を感じた。
 しかしこのまま引き下がるベルゼブブではない。吊りあがった金色の瞳をギラギラと輝かせ、組んだ腕の下でにやりと笑う。子供の前が何だ、大人げないなんて知るか。この澄まし顔の鬼神になんとしても報復してやる。

「ねえ、せっかくだし泊まっていってくださらない?」

 と思ったのだが、彼の報復をリリスが遮ってしまった。これが他の物なら怒り狂う所だが、ベルゼブブは愛妻家。愛する妻に怒鳴る事なんて出来やしない。

「アタシ雪江さんと二人だけの夫人会開きたいのよォ」
「リ、リリス」

 変わりに疲れた声で名前を呼んでみるが、リリスは夫の手綱を握り締める事に長けている。彼女は困り顔の雪江の肩から手を離すと椅子に腰かけたままのベルゼブブの膝へ片足をついた。何やらやらしい空気の漂う室内で鬼灯と雪江と咄嗟に子供たちの目を塞ぐ。
 そして数秒後、両親の手が剥がされ見たのは艶やかに笑うリリスとデレデレとした顔を隠そうともしないベルゼブブ。幼い喜子はまだしも、思春期の多喜はその手に疎くても何があったかなんて何となく察してしまう。顔を真っ赤にさせて顔を逸らした息子に雪江が困ったようにため息をついた。

 かくしてリリスのおねだりにより一晩EU地獄に泊まる事になった鬼灯たちは、これから夜中までリリスの"お楽しみ"に付き合う事となったのである。

150610