「お父さん、お酒飲みましょう」

 そう言って玄関先で酒瓶を持ちあげた喜子と多喜に鬼灯は胸元をぽりぽりと掻きながら暫くの間、思考を停止させた。
 今日は運が良いと言うべきか、妻である雪江は例の女子会で家を空けている。よってこの広い家には鬼灯一人しかおらず、彼としては今日は夕飯を簡単に済ませて時間になったら雪江を迎えに行こうと考えていた。
 しかし予定は上手く運ばないもので、先日嫁いだばかりの娘と最近めっきり姿を見せなかった息子の二人がこうして帰宅してしまった。しかも手には酒瓶つきである。
 暫しの巡回の後、鬼灯はため息交じりに子供たちを見降ろして踵を返した。

「あがりなさい」

 後ろで二人のほっとしたような息が聞こえた。そんなに自分に誘いをかける事が勇気がいるのだろうかと眉を顰める。息子の多喜はともかくとして喜子に関しては特別厳しく当たったつもりもないのに。
 そんな父親の疑問など知るよしもなく二人は慣れた様子で久々になる実家の門を潜った。



 月夜の綺麗な晩だった。慣れない手つきでつまみを作る喜子曰く今日のために白澤にお願いしたらしい。それを聞いた瞬間にせっかくの月も瞬く間に醜く感じられてしまう。ぐっと顔を顰めた父親に酒瓶を持ったままの多喜が肩を竦めた。
 おや、と思う。昔の多喜ならばここで悲鳴の一つでも上げそうなものだが。
 そんな事を考えている間に運ばれてきたのは刺身とあさりの酒蒸し。刺身はともかくとしてもう一品は喜子の手作りだ。他人よりいくらか器用な娘はいつの間にかこんな料理まで覚えたらしい。箸でつまみ口に放り投げるとふわりと酒の香りがして美味だ。しかも舌に良く馴染む味付けだ。

「お母さんに習ったんですよ」
「なるほど」

 舌に馴染むと感じたのは妻の味をそのまま学んだせいであるらしい。清酒を煽ぎながらふうと熱い息を吐く。いつの間にか月もまた綺麗だと思え始めていた。我ながら現金なものだ。

「そういやこの前、色街で白澤さんと会ったよ」
「あの白豚まだ通っているんですか」
「いや、ただ薬の配達に行ってただけみたい」
「私は別に行っても気にしないんですけどね」
「「気にしなさいよ」」

 喜子のどこまでもマイペースな言葉に思わず多喜と言葉が被る。兄と父親の見事な連係プレイに喜子は少しだけ口をへの字に曲げた。

「こら、止めなさい。口が変な方向に曲がったまま戻らなくなりますよ」
「もう子供扱いしないでください」
「子供でしょう、紛れもなく私の」

 何時になく饒舌になりつつある自分に思ったより酔いが早いなと悟る。とは言え、鬼灯はうわばみでありそう簡単に酔う事もない。しかもそれが子供の前であるならば尚更だ。ぐっと流し込んだ酒がまた胸を熱くする。

「それにしても…」

 ついこの間までは幼く、何をするにも自分の後ろをついて回っていた子供たちが今ではこうして共に酒を酌み交わしているのだから不思議だ。閻魔曰く子供の成長は早いとの事で、つい数百年前は「そんなものなのか」と他人事のように考えていたのに、目の前で談笑する息子を娘を前に鬼灯は思い知る。ああ、確かに二人は大人になったのだなと。
 するとそんな父親からの視線に二人が一斉に振り返った。自分に良く似た子供たちは気配りだけは母親のそれを取ったらしい。彼らはわれ先にと酒瓶を、新しいつまみを鬼灯に差し出してくる。

「あとは多喜さえ嫁をもらえれば言う事はないのですがね」
「ぶっ!?」

 冗談交じりの言葉に酒を吹き出した息子に、鬼灯は枡で見えない口元でふと微笑を見せる。汚いという妹に顔を真っ赤にして言い訳をする多喜と、そんな兄に露骨に表情を歪めた喜子は確かに大人にはなったが、こういう風に口喧嘩する所は子供の頃と変わらないと思う。そしてそれが子離れできない親の心情であるとは気づかぬままに枡の中はすぐに空になった。

140607