某神獣曰く世界は幾つも存在するという。ああ、あの時にああしていればと考えた事は誰にでもあるだろう。それと同じ数だけ自分がいる次元以外にも世界は多数存在するのである。そう、中には自分がいない世界だってあるのだ。



「誰ですか、貴女たち」

 冷たい不審なものを見る目つきの鬼灯に鬼女と子鬼は身を寄せ合ったまま顔を見合わせて一筋の汗をかいた。しかしその瞳に動揺の色はなく、むしろ「やってしまった」とでも言いたげだ。
 対して久々の休日の睡眠時間を突然現れた女と子供に邪魔をされた鬼灯は苛立ちも最高潮に達しつつあった。けれど冷徹と言われる鬼灯であるが、女子供には基本紳士だ。ゆえに不審者相手に金棒を投げつける事もなく、こうしてドスを利かせて問いかけてみたのだが、どうやらこの二人はそんな気遣いを無下にするようである。

「あの、白澤様を呼んでいただけますか?」

 恐る恐ると口を開いた色の白い鬼女の懇願に鬼灯の額に青筋が浮かびあがった。また、あの白豚の仕業か。へらっと笑う天敵の顔を思い浮かべ、鬼灯は乱暴な手つきで番号を押す。そして数コール目で出た能天気な声に彼は大きく息を吸い込んだ。

「隠し子くらい自分で面倒みろ!!」

 あれからすぐに白澤は地獄へ飛んできた。隠し子、そう言われても思い当たる節があるやらないやらである。不審な顔で法廷に顔を覗かせるとそこには見知らぬ鬼女と子鬼。その子鬼の顔を見て白澤は露骨に表情を歪めた。

「その子、お前にそっくりじゃん」

 そもそも白澤は神獣。鬼の女が彼の子を孕むはずがない。
 そう言われてしまえば、確かにその通りで鬼灯も反論が出来ずに押し黙ってしまう。重苦しい空気の中、そっと手を挙げたのは気弱そうな鬼女であった。

「その…お話を聞いていただけますか?」

 そして彼女が語ったのは俄かに信じがたい話だった。なんでも彼女たちは別の次元の鬼だそうで、その次元の白澤が次元を渡るなんていう妙な薬を開発し、それを知った鬼灯と売り言葉に買い言葉で喧嘩が始まってしまい、結果巻き込まれて今に至ると言うのである。

「ちなみにその…この子はこちらの次元の貴方の子供です、鬼灯様」

 だが、その何よりも衝撃的だったのはその次元で自分が妻子を持っていると言う事だった。
 言われてみれば確かにこの子供、自分とは違い表情豊かであるものの顔立ちは幼い頃の自分とそっくりである。それに母親の白い肌と艶のある髪、恥ずかしげに伏せられた目には正直くるものがあった。次元が変わろうと女の趣味は悪くないらしい自分に安堵する。
 その内、全てを知った白澤があろうことか鬼灯の前で彼女に抱きついた。腹立たしいにやけ面に拳を叩きこみながら鬼灯は決めた。しばらくは彼女たちの面倒は自分が見ようと。



 突然現れた別次元の自分の妻子は、母親が雪江と子鬼が多喜と名乗った。彼女たち曰く試作品だったしあと数日したら勝手に戻れるだろう、多分。だそうである。
 閻魔庁の寮には現在空き部屋はなく、しかも彼女たちは獄卒でないために質問されては面倒だと鬼灯は二人を自身の部屋に泊める事に決めた。とは言え、部屋には古びた寝台が一つしかなく、三人で暮らすには手狭なのが否めない。それに自分自身の妻であるとは言え、面識のない女性と共に生活するのは鬼灯の意識に反している。よって彼はこの数日間、仕事が忙しいと自分に嘘をついて執務室の椅子に凭れかかりながら朝を迎える事となっていた。

(それにしても別次元の妻子と出会うなんて、妙な体験があるものですね)

 ぼんやりと白い天井を見上げて鬼灯は内心一人で呟く。今頃、申し訳なさそうな顔をして自分の寝台で身を寄せているだろう二人を思い浮かべると自然と眉間の皺が緩まるから不思議だ。
 朝、顔を洗うのと着替えをしに帰るだけの部屋では毎朝二人が出迎えてくれた。お疲れ様です、なんて言われるとひどく胸の奥がこそばゆくなる。初めから分かっていたように帯を持っていてくれるのも好感が高い。きっと彼女たちの夫であり父親である自分は毎日あのこそばゆさを感じているのだろうと思うと僅かに羨ましくも感じられた。

「失礼します」

 さて明日の裁判の資料でも読もうかと机に体を向ければ扉が開かれ、室内に雪江が滑り込んでくる。夜着に羽織をかけただけの無防備な姿の彼女は、艶のあると好印象だった髪を揺らして微かに笑った。

「まだ寝ていなかったのですか?」
「お世話になりっぱなしですから、お礼がしたくって」
「礼なんていりませんよ」
「本当に心ばかりですから、お口に合うと良いのだけど」

 そう言って差し出されたお盆には握り飯と揚げたてだろう、ホカホカと湯気を立てる唐揚げが数個乗っていた。それを前に目が点になる。礼とは、食事の事だったのか。
 本当に心ばかりだなと失礼な事を考えつつも、ちょうど腹も減っていたために有りがたく受け取る。いただきますと手を合わせると湯気を立てる緑茶が差し出された。良く気の利く女性だ。

「美味しいです」
「本当ですか?良かった、その唐揚げ多喜の好物なんですよ」
「そうですか」

 親子とは味覚すらも似るものなのだろうか。次元が違う自分が同じ好みをしているかも分からないのに、自分と多喜が同じ物を頬張りその前で笑う雪江を空目してしまった。衣はさくさくとして肉は柔らかい。味もしっかりとしていていかにも子供の好みそうな味のそれを噛み締めて咀嚼する。あっという間に全てを平らげて、飲んだ緑茶は何時もの茶葉を一緒のはずなのにやけに美味しく感じられた。

「…一つお聞きしたいのですが、私と貴女はどんな出会いをしたのですか」
「貴方が黄泉へ来てすぐに私の家に連れて帰ったんです。それからはまあ幼馴染として一緒に暮らしていたのですが、いつの間にか現在の形に収まったって感じですかね」
「驚いた。ちゃんと恋愛しているんですねそちらの私は」
「そう、ですね…まあ、色々とありましたけど」

 雪江の笑みが一瞬陰りを見せたのを鬼灯は見逃さなかった。色々が何を指すのかは分からないが、きっと自分が何かをしたに違いない。
 そう思うと恵まれた環境に置かれながらも、彼女にこんな顔をさせてしまった自分が憎たらしくなる。苛々として、同時に悔しくなる。こんな感情は初めてで鬼灯は緩んでいたはずの眉間に皺をよせ、胸元を掴んだ。

「あの、どうかされましたか…?」

 心配そうに彼女が顔を覗きこんでくる。下ろされた髪と、夜着の合間から見える白い首筋に久しく感じていなかった欲を覚えた。

「いえ、なんでもありません」

 腕を伸ばして触れたいはずなのにそうする事はしない。どうせ彼女たちは何時かは消える。深入りはすまい。出会った当初と同じ冷静な顔をして鬼灯は首を振った。

「ごちそうさまでした。もう、部屋へお戻りなさい」

 幼いころは家族を渇望した時もあった。暖かく無条件に愛してくれる存在がなぜ自分にはないのだろうかと夜通し考えた。
 いつの間にか考えなくなったその存在が違う自分にはいる。奪ってしまえばきっと自分は幸せになるのだろうに。
 翌日誰もいなくなった自室の中で彼はそう、一人思った。

150526