「見て見て鬼灯さん!私頑張って男性用の白無垢作ったんですよ!さあ今日こそこれを着て二度目の結婚式しましょう!」

 なんて声がしたと思ったら廊下にぽいと捨てられた女性を見るのはこれで四十四回目だ。地獄らしくて良い数字なんて考えられるほどには余裕が出て来た唐瓜はたった今ぽい捨てされた扉を両手で叩く女性を見てため息をついた。

「あら、唐瓜ちゃん。ごきげんいかが?」
「こんにちは名前さん…今日も元気っすね」

 くるりとこちらを振り向いて、鬼にしては珍しいストレートの髪を揺らして上品に微笑むのは本当に先ほどの発言をした女性なのだろうか。皆そう思うに違いないが、その通りなんです。男性用の白無垢を作り、あげくそれを夫に着せようとしているのは、紛れもなくつい最近、鬼灯の妻となった名前なのである。

「やあねえ、せっかく作ったのに投げられたせいでくしゃくしゃだわ」
「はあ…」

 結び目の解けた風呂敷から覗くのは見るからに高そうな白無垢。綺麗に畳んであるので男性用なのかは分からないが、きっと彼女の事だから本当に作ったに違いない。
唐瓜がそう確信する理由は彼女の出生にある。
 一つは彼女が名家の出であると言う事。口調と一見上品な物腰からも見て分かるように彼女は地獄有数の名家のご令嬢だ。そもそも鬼灯と結婚したのも閻魔大王と彼女の父親が友人であったためである。名前の家は閻魔庁との提携を、閻魔庁は名家の後ろ盾を欲しての婚姻。もちろんそこに当人同士の恋愛感情などはなかったのだが、何時の間にやらこんな事態になっている。鬼灯の苦労がうかがえるようで唐瓜は、扉の先で大量の書類に大忙しの上司を思った。
 そんな名前、どうやらご令嬢らしく世間に疎く知識が偏っている所がある。彼女曰く結婚したからには夫となった男性を精一杯愛したいのだそうだが、その愛情表現は今回のようにおかしなものばかりだ。

「あ、分かったわ!鬼灯さん、白無垢派じゃなくて洋装派だったのね!こうしちゃいられない、さっそく生地の発注をしなくては!」
「名前さん落ち着いてください!そもそもアンタ自分の旦那の性別分かってます!?」

 ヒートアップする勘違いに思わず持ち前のツッコミ精神で叫んでしまえば、携帯片手に名前が目を瞬かせる。ああ、睫毛長いなあなんてにやけてる場合じゃない。鬼灯の心労を軽減するためにもここは俺が頑張らないと。唐瓜は小さい体で精いっぱいの背伸びをして続けた。

「鬼灯様は男ですよ、男!そんな女性物着るはずがないでしょう!?それにお二人もう盛大に結婚式挙げたじゃないっすか!!」
「唐瓜ちゃん…」

 唐瓜のツッコミと言う名の説得にさすがの名前も言葉が出ない様子だ。頬に手を添えてはっとした表情を見せた彼女に苦労が報われたかに思われたその時だ。

「そうね…結婚式"は"挙げたものね。じゃあ私、お着物とドレスと漢服用意する事にするわ!」
「俺の話聞いてました!?」
「ありがとう唐瓜ちゃん、私ったらうっかりしてたわ。そうよね、もう結婚式挙げてもらったのだから二度目なんて失礼よね。やっぱり普段着れるやつにしないと!」
「あ、あの名前さん」
「こうしちゃいられないわ、まず家に帰って生地を発注しなくちゃ!あとは妲己さんに漢服を一着いただいて、ああ、新しい裁縫道具も買った方がいいかもしれないわね!今の結構古くなってきたから」
「お願いですから落ち着いて」
「それじゃあね、唐瓜ちゃん!ごきげんよう」

 まるで嵐のようだった。ご令嬢らしく走る事はせずに、風呂敷を胸に競歩選手真っ青な勢いで走って行った彼女の背中を茫然と見送る。
 途端に静まり返った廊下で、目の前の扉がわずかに開いた。

「唐瓜さん迷惑かけますね」
「は、はあ…まあ…」

 顔を覗かせたのは鬼灯だ。手には書簡を持ったまま柱に寄りかかる鬼灯は体格も良く、見るからに男なのになんで彼女は彼に女ものを着せたがるのだろう。

「どうやら私を男と認識したくないらしいですよ」
「はあ」
「見栄えの良い着せ替え人形、お嬢様が欲しがりそうな物です」

 アンタ自分で見栄えの良いとか言います普通?
 唐瓜の視線をもろともせず、鬼灯は明後日の方角を見つめてため息をついた。重々しいそれに彼の苦労が伺える。

「結婚したからには夫を精一杯愛したいなんて建前でしかなく、本音は恐ろしいんです。家から離れて、見ず知らずだった男と二人きりで暮らす現実が」
「で、でも名前さんきっと本当に鬼灯様の事…」
「仮にそうであったとしても、彼女手を繋ぐのも儘なりませんからねえ…何の知識もない箱入り娘を嫁にもらうのは想像以上に大変ですよ、実際」

 って事はあれか。この二人、結婚してもうすぐ半年なのにまだ手を繋ぐ事すらちゃんと出来てないのか!?下世話な話だが、唐瓜は心底驚いていた。どちらかと言うとぐいぐい押す方であるはずの鬼灯がまだそんな事すら出来ていないなんて。
 自称小五程度のうっすいエロスしか語れない茄子より大人な唐瓜は自分の顔が真っ赤になり鼻息が荒くなっている事になど気付いていない。けれどもちろん鬼灯が気付いていて、彼は唐瓜を蔑んだ目で見降ろすと大きく舌打ちをした。びくっと肩が跳ねて唐瓜の意識がこちらへ戻ってくる。

「まあ、私も食いたい訳ではないんですけどね。皆さんの噂通り恋愛感情など伴ってませんし。それは彼女も同じだと思いますよ」
「うわあ…バッサリと」
「バッサリでもなんでも良いんです。ですから、唐瓜さん。もうしばらく彼女の茶番にお付き合いいただいても宜しいですか?」

 一つ頷きを返せば抑揚のない声で礼を言われる。ここで嫌ですと言える勇気は唐瓜にはなかった。しかし一つひっかかる"もうしばらく"の言葉。

「あの、鬼灯様…失礼な事聞くようなんですけど」
「はい?」
「離縁なんて、しませんよね?」

 恐る恐ると問いかけた言葉に鬼灯の眉が一瞬跳ね上がる。やっぱり聞くんじゃなかった。声にならない悲鳴を上げてその場に土下座する。このまま金棒で叩かれるかな、自分の軽はずみな言動を呪っているとふうと落とされる本日二度目のため息。

「しませんよ。私たちは盟約の鎹ですからね」

 ちらりと視線を上にあげて少しだけ驚いた。何も言えなくなった唐瓜を置いて鬼灯は執務室へ戻って行った。パタンと扉が閉まる音がして唐瓜はいがぐり頭を掻き毟る。彼のその手の経験の少ない頭は今にも爆発しそうだ。

『私たちは盟約の鎹ですからね』

 あんな表情するなら、言わなければ良かったのに。俺の事金棒で殴れば良かったのに。本当はそこに愛があるのなら、彼女の前で口にしてしまえばいいのに。

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