名前ちゃん最近太ったなあ、元々食べるの好きな子だったし、別に肥満ってほどじゃないからまあ良いけど。
 地獄の最大責任者である閻魔大王は、自分の脂肪たっぷりの体型を棚に上げて直属の部下の恋人を見てそう思った。

 閻魔大王第一補佐官、鬼神の鬼灯と言えば獄卒の間では冷徹で、ドがつくSと有名だ。現実そうであり、閻魔も彼からは良く手ひどく扱われては毎回酷い目にあっていたりするのだが、まあ今はどうでもいい。問題は冒頭で出て来た名前という鬼灯の恋人なのである。彼女は閻魔庁で働く獄卒で、豪快な食べっぷりが目を引く鬼女である。何を与えても「うわあ、嬉しい!ありがとうございます!」と言って本当に嬉しそうに食べてくれるから、同僚からも好かれていた。
 閻魔も彼女の事は気に入っていて、この前も限定のドーナツを分けてしまった。鬼灯からは「太るのでやめてください」と言われてしまったが可愛らしいのだから仕方ない。ダイエットなどと言って小食な女の子よりやっぱりああやって美味しそうに食べてくれる方がドーナツも浮かばれる。

「はい、また計算間違いしてます」

 なんて回想しているとガンと嫌な音が響いた。しかし閻魔は驚きもせずにまたか、と視線をそちらへ向ける。法廷の床に倒れ込んでいるのは名前、そしてその腹に金棒を押しつけているのは彼女の恋人である鬼灯である。

「本当に貴女は馬鹿ですね、今月だけで間違えるのは何度目ですか?その小さな脳みそをフル回転させて言ってごらんなさい」
「た、多分四回目…?」
「六回目です大馬鹿者」

 またもやガン!と今度はますます大きな音が木霊した。さすがに女の子相手に可哀想だよ、と言いたいのは山々だが閻魔は分かっている。
 この恋人同士、これがお互いの愛情表現なのである。鬼灯が屈折しきった愛情の持ち主である事は知っていたがまさか名前まで特殊な性癖があった事を閻魔は最近知った。と言ってもそれは本人から聞いたのではなく、この状況が毎日続く内に勝手に確信したのである。

「いたい、いたいです鬼灯さまー!」

 いやいや名前ちゃん、そんな笑いながら言っても信憑性ないから!ほら、鬼灯くんを見てごらんよ!何か楽しそうな顔してるじゃない!これあれだよ!どうやっていじめてやろうかっていう顔だよ!?

「おや、それはすみません…っと、足が滑りました」
「ぐふ」

 ほら言わんこっちゃない!
 鬼灯の足が名前の腹へ喰いこむ光景を目の当たりにして閻魔は声にならない叫びを上げた。けれど蹴られた本人はけろっとしており、しかもどういう神経をしているのか体を丸めて彼の足に両手を巻きつけて遊んでいる。

「鬼灯様、色白いですよねー足首まで綺麗」
「それはどうも。そんなにじっくり見たいなら今夜にでも見せてあげましょうか?もちろん床で」
「おお、それは魅惑的なお誘いですね!」

 違う、それは悪魔の取引だよ名前ちゃん。
 目を輝かせて恋人の足首に頬を擦り寄せている彼女は見えていないのだろうが、閻魔には見える。喜怒哀楽の怒以外表情に出さないあの鬼灯が、名前を見下ろして笑っているのが。いや、文章ではそうだとしても現実では笑っているなんて可愛いものではない。恋人の頬につま先をねじ込ませて、時折苦しげに呻く名前を見下ろしながら彼はそれはもう嫌らしく笑っているのだ。

「名前ちゃんって…そのMなの?」

 さすがにこれには今まで黙ってた閻魔も声を出してしまった。一斉に二人の視線が集中し、苦く笑ってみせると鬼灯の眉間に皺が寄った。あ、やばい。今までの経験上、この後の部下の行動は分かっている。まず、名前を蹴り飛ばして金棒を握りしめる。そして野球で球を投げるようにフォームを取り、

「そおい!!」

 閻魔めがけて金棒を投げつけ、顔面に直撃したのを見届けると端で伸びている名前を抱き上げるのである。

「大王、その発言はセクハラですよ。止めていただけますか?」
「いや…鬼灯くんがやってる事の方がセクハラ…」
「あ?」
「なんでもありませんっ!」

 名前を片手で軽々と抱き上げて睨みを利かせる鬼灯のなんと恐ろしい事だろう。必死に首を横に振って即座に返事を返してもなお、注がれる視線に嫌な汗が背筋を伝う。もう死んでしまいたい、と思うけれど閻魔は既に死んでいるので無理な話である。

「それでは大王、今日はこれで失礼いたします」

 その言葉に弾かれるようにして時計を見れば定時を過ぎていた。閻魔の机の上にはまだまだ山積みの書類の束があるのだが、今の鬼灯には見えていない。そして閻魔もまた、そんな彼に「手伝って」という勇気はない。代わりに閻魔は忠告をする事にした。

「その鬼灯くん、名前ちゃんに少しは優しくしてあげてね?ほら、君の特殊な性癖についてこれる子なんてそういないんだから大事にしないと」
「はあ?何を仰っているんです」

 名前を横抱きにしたまま鬼灯は振り向く。

「この無意識ドMは私にこうされて喜んでいるんですよ」

 ギィ、バタンと音を立てて扉が閉まる。広々とした法廷に一人残された閻魔は今の鬼灯の言葉を思い浮かべ、机に突っ伏してため息をつく。

「ワシにセクハラとか言うくせに自分はそんな発言していいわけね」

 冷徹で無意識ドSな鬼灯と、少しぽっちゃりとした無意識ドMの名前。忠告せずともあの二人はきっと末永く続く事だろう。だって、お互いこれ以上に相性の良い異性はきっといないだろうから。何時の日か多額の祝儀を渡すだろう日を思い浮かべた閻魔のため息は、静まり返った法廷に虚しく響き渡った。

140423