突如として現れた父親により慣れ親しんだ現世から地獄へ連れて来られて二百年余りが経とうとしている現在、多喜の外見年齢は七歳から十五歳ほどへと成長を遂げていた。父親似である彼であるが、最近は特に似ていると言われる機会が多くなったように思う。今日もまた目の前に座る桃太郎に聞きなれたフレーズを言われた多喜は、父親では絶対にしないであろう微笑を携えてお礼を言った。

「それで、俺に相談って?」
「はい、これなんですけど」

 差し出されたのは懐かしい菊花茶。白澤は女の子とデートに出かけているため今日はいないらしく、味は少し違ったがそれでもやはりこのお茶は美味しい。色々な思い出の詰まったお茶に口をつけて多喜は懐から一枚の紙を取り出して机に置いた。
 紙の一番上には進路調査書。その五文字に桃太郎が目を白黒とさせる。

「ちょ、こんなん俺に相談する事じゃないだろ!?」
「え、そんな事ないですよ」
「こう言うのって親に相談するのが普通!鬼灯さんと名前さんと話しあうのが普通だろ!」

 桃太郎の言う通りこう言った書類の相談は両親にするのが正しい。しかし多喜は言う。大事だからこそ貴方に聞きに来たのだと。

「だって桃太郎さん数少ない常識人だし」
「ぐっ、否定できないのが恨めしい…」

 あの白澤の元で修行をして、地獄のNo.2である鬼灯とも対等に話し合えるだけの能力を持ち、しかも多喜の知る中では一番の常識人。これ以上の適任者は他にない。それに多喜はこの元英雄に聞きたい事があったのだ。

「俺、就職しようかなとか考えてるんです」
「は!?なんで、」
「学校では学べない事をしたいんです」

 真剣に話出した多喜に桃太郎は何も言わない。いや言えずに耳を傾ける。ぎゅっと両手で茶器を包んだ少年は、父親に似た端正な顔を曇らせる事もなくはきはきと自身の将来について語った。

「俺、白澤さんの弟子になりたいんです」

 あまりにも衝撃的な内容に桃太郎の口からお茶が飛び出す。せっかくの真面目な空気が一瞬にして駄目になってしまい、彼は恥ずかしくなった。顔を赤くしながら一つ咳払いをする。

「あの白澤様の?」
「はい」
「飲んだくれで女好きな駄目神獣の?」
「はい」
「給料安いのに?」
「はい」

 桃太郎が問えば多喜はすぐに頷きを返した。意志はきっと堅い。
 うーんと顎に手を添えて桃太郎は眉を寄せる。桃太郎が更生して白澤の元へ弟子入りしてから数百年、大変な事も多いが同時に学ぶ事も多いのも事実だ。この多喜という少年が師である白澤を慕っているのは知っていたし、その真面目な性格を考えると向いているとも思う。けれど問題は彼の父親だ。

「鬼灯さんが許さないんじゃないか?」
「そうなんですよねえ」

 桃太郎の予想は的中したようである。父親の名前を出されてすぐ多喜は脱力した。机に突っ伏して大きなため息を吐く。

「ここに来る前にそれとなく話したら反対されて、挙句の果てには就職する気なら獄卒になれって言われました」
「なんというか想像通りだなあ…でも鬼灯さんの気持ちも分かる気がする」
「はい?」
「俺が多喜くんの親だったら白澤様に弟子入りさせるの心配だもんなあやっぱ」

 どうせ今日も女の子と出かけはしたものの、もう少ししたら頬に真っ赤な紅葉を咲かせて帰ってくるに違いない。万物を知る神獣でありながらそんな醜態を晒す師を見続けて来た桃太郎はしみじみと語る。
 そんな彼に机に突っ伏したままの多喜は少し不満げに見えた。多分、多喜は桃太郎に向いている、頑張れと言ってほしかったのだろう。
 常識人だからではなく、ただ後押ししてくれる存在が欲しかっただけなのだ。

「まあ、一旦帰って鬼灯さんと話しあってみろよ。多喜くんが本気ならきっとあの人も分かってくれるさ」

 だから桃太郎は多喜の意志も汲んで、あえて別の意味での後押しをする。まだどこか不満げな顔をした多喜は小さく頷きを返すとそのまま極楽満月を後にした。
 そしてこの数日後、多喜はあの書類を片手にもう一度扉を叩く事となる。



「俺、桃太郎さんが兄弟子で良かったです」
「な、なんだよ藪から棒に」

 朝の開店前、薬の調合をしながらの多喜の一言に桃太郎は顔を赤くさせた。すっかり自分の身長を抜いた弟弟子は苦笑に似た笑みを浮かべて首を横に振る。

「結果としてお父さんとは喧嘩したけど、桃太郎さんのおかげで俺ちゃんと自分の言いたい事言えましたから」
「あ、そうなんだ…」

 この多喜が自分に進路相談に来て白澤に弟子入りしてから十年、彼がその間一度たりと自宅へ帰っていない事を桃太郎は知っている。
 母親である名前はもちろん、父親である鬼灯も、妹の喜子も時折顔を出しに来るが、自宅があるにも関わらず帰れない少年の心境を考えるとどうにも心に来るものがあった。黙々と修行をこなす弟弟子の大きな背中に桃太郎は陰ながらエールを送る。
 早く一人前になれ、そして胸を張って自宅に帰れるようになれ。そんな暖かい兄弟子の言葉のない期待を受け、今日もまた多喜は修行に励む。

140506