閻魔大王第一補佐官である鬼灯が嫁を貰ったとの噂は現世の神々の耳にも入った。しかも彼は結婚だけならまだしも子供までいると言うではないか。木霊は自分の分身である木々が倒れる音を聞きながら声にならない悲鳴を上げる。この世の終わりだと言った顔の木霊の背後には、般若の形相をした石長姫が迫っていた。

「木霊…」
「は、はいいいい」
「地獄に行くわよ!!」

 かくして彼は、嫉妬で怒り狂った石長姫と共に地獄へ向かう事となったのである。



「ん?」

 地響きを感じて名前は首を傾げた。地の底の地獄で地震なんて珍しい。不思議そうな顔をする彼女に鬼灯と多喜もまた同じように首を傾げた。
 けれど、その場に沈黙が訪れると彼女が首を傾げた理由に感づく。地響きかと思われたそれが人の足音であると気がついた瞬間、鬼灯の執務室の扉は力士の掛け声と共に文字通り粉砕された。

「「ええ!?」」
「おや、これはこれは…」

 あまりの事態に身を寄せ合う母子を尻目に鬼灯は自分のペースを乱す事もなく淡々としている。彼は扉があった方向を見て顎に指を添えてゆっくりと口を開いた。

「イワ姫に木霊さん、この度はどのようなご用事で?」

 木霊の名前は名前も聞いた事があった。確か鬼灯が黄泉へ来る時に案内してくれた木の精であったはず。息子を庇いながら好奇心で鬼灯の背中から顔を覗かせた名前は声にならない悲鳴を上げた。木霊にではない。彼は可愛らしい子供の容姿をしていて、真っ青な顔色をしていた。問題はその横の"イワ姫"である。大きな体を震わせて彼女は名前を睨みつけていた。

「アンタァ!!」
「は、はい!?」

 勢いよく指を指されれば、反射的に返事を返してしまう。イワ姫こと石長姫はその反応に眉をひくつかせると、先ほどの足音を立てながらこちらへ近づいてきた。
 怖い、これ現世で見たホラー映画並みに怖い。思わず多喜共々何時もの調子の鬼灯の背中にしがみ付く。それがまた石長姫の嫉妬に火を注いだ。彼女は烈火の如く怒り狂い、その場にあった柱を持ち上げようとする。
 このままでは閻魔殿が崩れてしまう。さすがに鬼灯のそれは免れたいのか、彼は後ろの二人を子脇に抱えると石長姫のそばへ寄った。身を屈めると石長姫は一瞬頬を赤くさせて、そして叫んだ。

「やっぱりゆるふわ女がいいんじゃない!!」
「イワ姫、お、落ち着いて」
「アタシに興味あるって言葉はやっぱり嘘だったのねええ!!」
「「ええ!?」」

 発狂する石長姫の言葉に名前と多喜は揃って鬼灯を見上げた。彼は何時もの無表情を崩す事なく淡々と「ああ」と呟いている。

「御紹介が遅れまして、これが私の妻で名前、こちらが息子の多喜と申します」

 いや、誰もそんな紹介望んでない。木霊と名前と多喜の意志が一致した。

「じゃあ、その女は脳みそ汁が飲めるっていうの!?」
「の、脳みそ!?」

 もちろんそれは火に油を注ぐ事態となり、石長姫の怒りはまさに天に届かんばかりにまで高まった。鼻息荒く詰め寄る石長姫に名前は顔色を悪くさせて首を横に振る。
 どう言った経緯で脳みそ汁が出てきたのかは知らないが、そんなもの飲んだ事もなければ見た事もない。

「飲んだ事も、ありません」
「本当でしょうねぇ」
「ほ、本当です」

 射殺さんばかりの眼光に必死に首を縦に振る。すると彼女はふううと大きく息を吐くと柱から体を離した。ほっとそれに一安心するが、それもつかの間彼女は胸を張り、大きく息を吸い込む。

「ならアタシにもまだ勝機はある!!略奪愛よ!!」

 それは予想外の宣言だった。あまりの事に動揺よりも驚きが勝り、名前は何も言えずに来た時に比べて幾らか晴れやかな彼女の顔を見上げる。
 すると石長姫は見下すように名前を鼻で笑いそのまま踵を返した。どうやら目的を遂げたらしい。その後ろを木霊がこちらへ頭を下げながら必死に追いかけて、ようやく静かになった室内で名前は嵐は去ったと脱力する。

「な、なんだったの…」

 とりあえず分かるのはあの"イワ姫"が鬼灯の事が好きで、名前に嫉妬している事。彼に興味があると言われ、それに脳みそ汁が絡んでいる事。そして略奪宣言をされたという事だけだ。
 事の経緯を聞こうと夫を見上げるが彼はさして気に止めた様子もなく、脇に抱えたままの二人を床に下ろすと壊された扉を眺めて首を傾げている。これからどうするかと考えているのだろう。
 もうこのまま帰ろう、言葉もなく意志疎通を果たした母子はふらふらと鬼灯の横へ近づく。すると鬼灯が思い出したようにこちらを振り返り足を止めた。

「ああ、そう言えば名前」
「はい?」
「脳みそ汁ですが貴女、飲んだ事ありますよ。今朝私が作ったでしょう」

 色々聞きすぎて驚いてばかりだったけれど、これが今日一番の驚きだったに違いない。今朝食べたみそ汁の味を思い出し名前と多喜は声にならない叫び声を上げた。
そんな母子はその反応に気を良くした鬼灯が、これから毎日みそ汁を作ろうと決めていたなど知る由もない。

140505