「おや、お帰りなさい。遅かったですね」
「なんでいるんですか…」

 仕事で疲れた体をすぐにでもベッドに鎮めたいと帰って来た自宅マンション。さあ、今日も真っ暗な部屋が無言で出迎えてくれる…と思ったのに、電気はついてるしお帰りの言葉まで返ってきた。
 もちろん部屋が勝手に電気をつけておかえりと言うはずがない。耳触りの良い低い声の持ち主は嫌でも想像がついてしまう。今日は疲れてるからいやなんだけどなあ、なんて考えてリビングへ入ると、奴は私のお気に入りのソファに腰掛けて、これまた私お気に入りの紅茶を勝手に飲んでいた。くそう、その紅茶高かったんだぞ。

「深夜までに及ぶ残業、人間も吸血鬼も忙しさはそう変わらないようで」

 嫌みなほどに長い足を優雅に組んで鬼灯さんはカップに口をつける。目に毒というほどに様になる光景から目を逸らしたくて私はジャケットを脱ぐと彼の横のソファへ放り投げる。
 時刻は夜中の一時過ぎ。もう夕食を食べる気も起きなくて、私は冷蔵庫から軽食として苺を取りだすと、ちょうどたった今ジャケットを放り投げた彼の横へどっかりと腰掛けるとため息をついた。あーくそあの極悪上司め。人に自分のミス押し付けやがって。社会とは常に理不尽なものであるとは大学生の頃から知っていたけれど、まさかここまでとは思わなかった。

「吸血鬼は、上司からミス押し付けられる事ないでしょう」
「そうですねェ…私の周りではそのような事が起きていませんが、あるんじゃないですか。いくら私でも同胞達全員の社内事情なんて分かりませんから」
「ふーん」

 青白い肌と、鋭くとがった耳と牙、そして人ではないその独特の艶のある雰囲気。彼は、吸血鬼と呼ばれる種族である。
 吸血鬼と言えば日の光に当たってしまえば灰になり、ニンニクや十字架、聖水、銀製品が駄目と言うのが一般的なイメージとして付き纏うが、実際はそうではないとこの鬼灯さんと知り合って私は思い知った。最初私は怖くてニンニクを投げつけたのだ。彼はそれをぽいっと投げ捨てて私を鼻で笑った。ちなみに今上げた残りのものも効果はない。なんでもその特徴は後世の人間が吸血鬼を恐れるあまり勝手に作った弱点であるそうな。

「あと血を吸われても同じ種族になる事はまずありませんので」
「読唇術使わないでくださいよ」
「貴女、顔に出やすいんですよ」

 鬼灯さんは御馳走様でしたと言ってティーカップをソーサーに戻した。そして私の前に置いてあった苺へ爪楊枝を刺す。

「この苺、全然甘くありませんよ。貴女また特売品に踊らされましたね」

 勝手に食べておいてなんだその言い草は。そう怒ってやりたいのは山々だけど、確かにこれは甘くない。美味しくないそれを噛んで早々に嚥下する。そのまま爪楊枝を放り、私はソファーの背もたれに深く体を預けた。ああ、もう仕事もだけど夕飯変わりまでこんなんなんて今日の私はついていない。
 疲れ切った体はすぐに睡魔を連れてくる。もうこのまま寝てしまおう。そう思って重たい目蓋を閉じようとした時、布ずれの音がして嫌な予感を感じた。恐る恐ると目蓋を開く。

「今日はちょっと…嫌なんですけど」

 私の首筋に今にも牙を剥かんとする彼へ途切れ途切れに話しかける。けれど私を見上げる鬼灯さんの目は普段の黒色ではなく赤く輝いていて、これも無理なお願いだったと悟った。
 ああ、こんな事ならあの胡散臭そうな神父様へ頼ってみれば良かったなんて考えている間にゆるりと熱い舌が首筋を撫でて、肌に牙の先端が喰いこむ感触がする。襲い来る痛みに耐えるため目を閉じれば次の瞬間、首回りが一気に熱くなった。

「…っぁ…」

 でもそれは一瞬の痛みで後に襲ってくるのは下腹部を熱くする快楽だ。吸血鬼の唾液には麻酔が含まれているという話も彼から聞いたもので、慣れない血を吸われる感覚も相なって私は目の前の黒衣の男性に縋りついた。
 きゅっと股を擦り合わせて、耐えてどれほどの時が経った事だろう。長くも短くも感じられる時間が経って牙が抜ける。残りの血も最後の一滴まで飲み干すように舐めとって彼は顔を上げた。

「御馳走様です、甘かったですよ」

 口の周りに付着した血液を舐めとる仕草は目を背けたくなるほどに妖艶だ。赤くなった顔を逸らして「そうですか」とだけ呟き、重たい体をソファーに横たえる。
 さあ、今度こそ寝てしまおう。しかし彼はまだ満足していなかったようだ。横たわる私の上に乗り上げた鬼灯さんは自身のシャツの胸元を緩めて、私の胸元に顔を寄せる。

「ちょ、血ならもうあげたじゃ…」
「名前さん、知ってました?」

 そのまま強く吸いついて、彼は露になって行く膨らみに軽く牙を立てる。

「女性の達する時の血が一番美味しいんですよ」

 これは明日は仕事を安まなければならないなあ。私の服を脱がせ、徐々に荒々しくなる愛撫に息を弾ませながら私は奥歯を噛みしめる。
 血を吸われても吸血鬼にはならないと彼は言うけれど、貴方の白く透き通った首筋を見てどうしようもなく歯が疼くのは、なぜなのかしら。

140505