私は役職と恋人以外は平平凡凡な鬼女である。器量も悪いとは言わないけれどさして秀でたところもないし、頭もそんなに良くない。ただ性格は真面目で仕事をこなす能力だけは高いと思う。けれど前述したとおり、私は平凡なのである。
 だからあの非常にモテる鬼灯様を何時、誰かに取られやしないかとヒヤヒヤしているのだ。

「よし」

 その日私は普段あまりしない化粧をバッチリと決めて、下ろしたての明るい色合いの着物に袖を通した。何時もは後ろで結んでいるだけの髪だって今日は簪で高く纏めた。自分で鏡を見る分にも悪くないのではなかろうか。雑誌で見た男受けする鬼女百選に選ばれてもいいと思う。
 これなら淡泊な恋人も綺麗ですよ、くらい言ってくれるかもしれないなんて年甲斐にもなくうきうきすて出社した私に言いたい。やめておけ、あの人は全く変わらなかった。それどころかグロスを塗った唇を見て「朝から天ぷらでも食べましたか?」なんて聞いてきた。乙女心が分からない人だ、でも好き。

 鬼灯様から言われてすぐ、グロスをティッシュで拭きとり、私は仕事を開始した。山積みになった書類から必要な書類を取り、目を通して判子を押す。何時もならさっさと済ませて、昼ごろには半分ほどに減っているはずの仕事がどうした事か今日は思うように進まない。下ろしたての着物を汚したらどうしようとか、髪形が崩れたらどうしようとかそればかり気にしてしまうせいだろう。このままでは、定時に仕事を終えられない。私一人の責任ならば良いが、これはひいては鬼灯様のお仕事だ。ただでさえ多忙な彼に迷惑はかけられない。
 昼休憩に入ってすぐ私は朝の自分を反省し、一旦家に戻って着替える事に決めた。けれど私は寮ではなく、閻魔庁から少し離れたアパートに住んでいるから。始業時間に間に合わない可能性が大いにあった。ゆえに多少の気まずさはあれど、鬼灯様に一言言っておく必要があり、私は彼の執務室を訪れた。

「それは一向に構いませんが…」

 鬼灯様は私以上に山積みの書類をこなしながら私の問いに返事を返す。鬼灯の判子を押して、処理済みの箱にその書類を入れると彼は気だるげな視線を私へ投げる。うう、色っぽい。

「わざわざ着替える必要もないでしょう、今日はこのまま仕事なさい」
「自分の格好が気になって捗らないんです」
「自己責任ですよ。ほら、昼休憩が終わる前に食堂に行きなさい、食いっぱぐれても知りませんよ」
「それは貴方もでしょう…!」

 厳しい事を言っているようで私に気を使ってくださるのは何時もの事だけど、今はその優しさが身を切るように痛い。思わず語尾を荒げてしまうと鬼灯様はあからさまにため息をついた。その音がやけに耳について目頭が熱くなる。
 ああ、もう自分が情けなくてたまらない。泣き顔なんて見られたくなくて顔を俯ける。

「ごめんなさい…私、今日はもう早退させてください」

 社会人として失格な事を言っている自覚はあったけれど、すぐにでもこの場を離れたくて私は返事を待つよりも先に小走りに扉へ向かう。
けれど私の手が扉の取っ手を掴むより先に大きな手が私の手を掴み、後ろへ引き寄せた。突然の事に足がもつれてなすすべなく倒れこんだ私を包み込む腕が暖かくて耐えられなくなった涙が零れる。

「う…っ、ええん…」
「よしよし、泣き止みなさい。せっかく綺麗にした化粧が取れますよ」
「ううっ、もうどうでもいい、ですううう」
「よくありません、私はまだちゃんと貴女の顔を見ていないのですから」

 やけに優しい声色と言葉に一瞬涙が止まった。その瞬間を見計らったかのように鬼灯様の指が私の顎を掬う。そしてそのまま顔が近づいて唇を吸われた。

「ん―っ」
「おや、やけに艶やかだと思えばグロスでしたか。先ほどは失礼いたしました」
「ほ、ずき様…」

 拭き取ったと思っていたが、まだ残っていたらしい。鬼灯様の形の良い唇が薄桃色に艶めいている。突然の事で息も吸えず、息も絶え絶えな私は彼の腕につかまって途切れ途切れの言葉を紡いだ。

「好き、です…誰かに取られたく、なくて私綺麗になろうと、頑張ったんです…」
「馬鹿な人ですね…心配せずとも別の誰かなど一生現れはしませんよ」
「でも、鬼灯様モテるからあ…」
「泣きやんだかと思えばまた泣いて、忙しい人ですね」

 鬼灯様の白い指先が私の眼の縁をなぞる。好き、本当にこの人が好き。どうしようもない感情に襲われて私は体を反転させると鬼灯様の胸に顔を埋めて黒の道服を力いっぱい握りしめた。大きな手が宥めるように背中を撫でてくれる。

「名前さん、とてもお綺麗ですよ」
「今更、言われても嬉しくないです…」
「ここは素直に喜んで起きなさいよ。私が褒める事なんてそうないんですから」

 あ、自覚あるんだ。

「けれど、そんなに不安なら…籍でも入れますか」

 背中を撫でていた手が違う意味合いを持って腰をなぞる。驚いて顔を上げると、彼はそう言って私の額にそっと口づけた。

140420