鬼灯様の好きなタイプは虫が平気で動物好き、アナコンダに締めあげられても笑っていられるような女性であると本人に聞いて私は絶望した。
 噂では鬼灯様は女性の顔の善し悪しにあまり興味はなく、あの世の女性ならランドへ連れてってくれるなんて聞いていたものだからもしかしたら…なんて期待していたせいだろうか。絶望感は凄まじく、私は鬼灯様がオーストラリアへ旅行に行ってから暫く床に伏せって枕を涙で濡らしていた。
 ああ、鬼灯様…愛しの鬼神様。貴方に憧れて約千年、ようやく貴方の部下の位置を手に入れましたが正直心が折れそうです。

「なんて泣き寝入りするものか!!」

 虫は嫌いだし、アナコンダに締めあげられて笑っていられる自信もないけれど貴方への想いなら誰にも負けない自信がありますよ私は。
 明日になれば鬼灯様が帰って来る。それまでにどうにかして虫嫌いを克服し、アナコンダに締めあげられても笑ってられるようにならなければ。とは言え、地獄にアナコンダはいないので今日の所は虫を克服しようと思います。
 久々に浴びた光に目がくらむ思いをしながら決意新たに私は血河漂処へ向かった。



 血河漂処は主に大げさに謝れば許してもらえるなんて都合のよい頭をした者の落ちる地獄である。ここで働くのは虫獄卒の丸虫たち。鬼よりも大きな体をした虫たちは亡者を火で焼き、それを食す。離れた位置からでも見える光景に私は口を押さえて吐き気を抑える。
 気持ち悪い。大きい虫を克服すれば小さい虫もいけるはずと安易に考えてここまで来たけれど、やっぱり虫は怖い。なにあれ、ぎょろっとした目とか、長い手足とかグロテスクな腹とかもう見てるだけで具合悪くなるよ。

「に、逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ」

 某アニメの主人公の心情が今なら分かる気がする。やります、僕が乗りますなんて事はさすがに言えないけれど。丸虫に触れもしないのに乗れるはずないでしょう。
 私は恐る恐ると草葉から足を出す。遅れて体を出すと丸虫の目が一斉に私を見た。

(ひいいいいい)

 気持ち悪い!無理!悪寒がする!!

(って、駄目駄目!鬼灯様のためでしょう!)

 何時の間にやら私のためであるはずが鬼灯様のため、だなんて錯覚を起こすほどこの時の私は混乱していた。
 ズシと土を踏みしめて丸虫の一匹がこちらへ近寄る。私は一歩後ずさる。またあちらが近づく。後ずさる。近づく。後ずさる。

「し、失礼しました…!!」

 我慢も限界に達して私はフルスピードでその場を抜け出した。ごめんなさい、さっきの私、鬼灯様!やっぱり私に虫は無理です!
 丸虫が追って来たりしないかという恐怖を覚えた私は後ろを振り返る事なく全力疾走して閻魔庁へ戻った。法廷に辿りつき、ぼろ雑巾のように床に倒れこむ。
 奥で椅子に座る閻魔様が心配そうに声をかけてくれた。

「大丈夫?名前さん」
「あ、シロちゃ…って、うぎゃあああ!!」

 次いで間近で聞こえた可愛らしい声に顔を上げて私は女に有るまじき悲鳴を上げてしまう。だってシロちゃん、可愛らしい顔をして平気を加えていたのだもの。その芋虫みたいなのは確か不喜処にいる虫ではなかろうか。ほら、柿助くんが餌にしてるやつ。

 私の悲鳴に驚いたシロちゃんが口を開ける。それにより虫はポトリと私の腕へ落ちた。その瞬間の私の恐怖は他の者でははかり知れないだろう。私は両目から大粒の涙を流して腕を振る。けれど芋虫のようにべったりとくっついた虫は私の腕から消える所か、顔へ這って来ているではないか。
 あ、もう駄目。全身に鳥肌が立ち、意識が遠のく。ふらっと体が後ろへ倒れて私の頭が床に激突して意識を飛ばす…まで私は想像し、何時まで経っても倒れそうにない体に目を見開いた。そればかりか私の後ろから腕が伸びて、私の腕についた虫を取ってくれる。

「はい、取れましたよ」

 その声を私が間違うはずもない。一瞬の内に私は背後を振り返り、そのまま逞しい体に抱きついた。

「ほ、鬼灯様ー!!」
「帰って来て早々、貴女は相変わらず煩いですね名前さん」

 抱きついて久々の温もりに頬を寄せる私を意にも留めずに鬼灯様は虫をシロちゃんへ返すと閻魔様の元へ歩んで行く。そして一言二言話すと気味の悪いお面を手渡した。ああ、お土産か。引き攣り笑いの閻魔様へ合掌していれば鬼灯様の視線が私へ落ちた。視線を上げて笑って見せる。鬼灯様は心底嫌そうな顔をして私の額を指先で弾いた。

「それで、貴女は何故今日一日虫と触れあっていたんですか」
「ふ、触れ合ってはいません…ただ、ですね…その」
「はい?なんですか」
「鬼灯様が虫が平気な女性がお好きとお聞きして…」

 あれ、抱きついておいて何だけどいざ本人を前にこんな事を言うのは恥ずかしいぞ。自分でもわかるくらい顔が赤くなり、私は咄嗟に両手で頬を包み鬼灯様から距離を置く。

「名前さん」
「は、はい!」

 それでも呼ばれれば顔を上げてしまうのはここ千年で私に染みついた奴隷根性のなせる技だろうか。けれど私はデジャヴを感じた。さっきもシロちゃんに呼ばれて顔を上げてああなったのよね…そして私は目の前に差し出されたそれに口から飛び出しそうな悲鳴を何とか押し殺した。

「虫入りのチョコレートです」
「う、あ…ああ、うえ…」
「頑張って食べてください。そうすればランドへ連れて行ってやらん事もない」

 なんという究極の選択だろう。デートを餌に虫入りのチョコレートをちらつかせる鬼灯様の顔が今は恐ろしくて見れない。でも、この手を逃すようでは鬼灯様に焦がれ続けたこの千年間の全私が泣いてしまう。
 私は鬼灯様の手からチョコレート受けとると包みを開いて、息を飲む。思った以上に虫の形の良く分かるそれに零れそうな悲鳴すらも呑み込み私は、一粒手に取った。そして、

「鬼灯様!デートは是非手を繋いでくださいお願いします!!」

 私は皆に見守られながら、意を決してチョコレートを口へと放り投げるのだった。

140503