常識から考えて居酒屋に子供を連れて行くのはどうかと思うが、とうの本人が行きたがる場合ならばそれもありではないだろうか。鬼灯は自分の一歩後ろを歩く多喜へ視線だけを投げかけながらそんな事を考える。 今夜は名前がお香主催の女子会へ連れていかれてしまい、多喜と鬼灯二人きりだ。一件があって以来打ち解けはしたものの二人きり、しかも夕飯を取らせなければならないと言うのは困ってしまった。鬼灯も料理は人並み以上に出来るが、作ってやろうにも鬼灯は多喜の好物や好き嫌いも知らない。もし嫌いなものでも作ってしまって拗ねられてはそれこそ手の施しようがない、と考えた時の息子の一言だった。 「この前の居酒屋行きたいです」 この前というのは閻魔大王主催の宴会の事だ。鬼灯が辛い物が嫌いだとあの憎き白澤にバレたあまり良い思い出のない場所。 鬼灯は嫌な記憶を思い出し露骨に嫌悪感を表情に出しはしたものの、彼も大人で親。息子のお願いを無碍には出来ず、こうして衆合地獄にある居酒屋にまで来てしまった。 平日の夜でしかも早い時間帯とあってか、人は疎らでこの前とは違い個室に通される。お通しとして運ばれてきた酢の物に箸をつけて鬼灯は気づく。多喜が一向に箸を取ろうとしないのである。 「酢の物は嫌いですか?」 「はい…酸っぱいのはあんまり」 「かしてみなさい」 返事を聞くより先に小鉢を取り上げ、一気に口に入れる。空になった小鉢二つは、飲み物を持ってきた店員が勝手に持って行った。 頼んだ飲み物は、鬼灯はもちろん酒。多喜は子供らしくソフトドリンクだ。他にも焼き鳥や刺身と言ったつまみを数種類と、多喜のためにおにぎりも注文した。さすがは居酒屋と言うべきか、注文を取ってからの運んで来る普通の飲食店に比べると速度は早く、男二人で次々と皿を空にする。 そうしていくらか腹が満たされた頃だった。鬼灯の携帯電話が鳴り、彼は画面を見て舌打ちをする。表示された名前は閻魔大王。多喜と二人きりだと言うと嬉しそうに定時に送りだした大王であるが、この時間帯に電話をかけてくると言う事はどうせまた何かやらかしたのだろう。 「少し電話をかけてきます。まだ何か食べたければ勝手に頼んでいなさい」 「はい」 このような多喜の聞きわけの良さに多少のもどかしさを感じるのはここ最近になってからの事だ。彼なりに親子のあり方について悩んでいるのかもしれないが、子供らしくもう少しくらい我儘を言っても罰は当たりはしないだろうに。 夜風に当たりながら鬼灯はリダイアルを押す。数コール後聞こえた閻魔大王の泣き声に彼は大きくため息をついた。 ■ なぜ書類を探すだけでこんなに長電話をしなければならなかったのか。 鬼灯は乱暴に携帯を畳み、懐に直すと苛立ちを隠す事なく個室へ戻る。途中出会ったその形相に店員が小さく悲鳴を上げていたがそんな事気に止める必要もない。 「すみません、遅くなりまし…多喜?」 個室の障子を開いてすぐ腰のあたりに衝撃を感じ、鬼灯は目を見開いた。下を向けば、自分の腰に抱きつく多喜がいる。 あまりの予想外の息子の行動にさすがの鬼灯も固まってしまう。とりあえずこの光景を他の誰かに見られてはたまらないと、彼は息子を片手で抱き上げて襖を閉めた。 そして先ほどまで座っていた席に胡坐をかいた鬼灯は空になった瓶を見て全てを悟った。気づいてみればほら、にやけ顔の息子からはどことなく酒の匂いがする。 「貴方…酒を飲みましたね?」 「えへへー」 「笑ってる場合じゃありませんよ!まったく、急性アルコール中毒にでもなったらどうするつもりですか」 「お父さんは難しい言葉知ってるなー」 「…はい?」 にやけ顔で自分に抱きつく息子は今、なんと言った? 「多喜、今なんて…?」 「俺ってお父さん似なんですよね?」 「え、ええ…そうですね」 「なら将来はこういう風になるんだーうわーモテそうー」 「貴方絡み酒なんですか」 べたべたと遠慮なしに顔を触って来る腕を掴みながら呆れた視線をくれてやるも、酒に酔った多喜にそんな物は通じない。締まりのないにやけ顔で息子はもう一度鬼灯を呼ぶ。お父さん、と何の戸惑いもなく嬉しそうに。 「なんですか」 「お父さん」 「はい、なんでしょう」 「おーとーさーん」 「だからなんですかと聞いているでしょう」 多喜は鬼灯の膝の上で体を揺らしてから、ぴたりと動きを止めた。そのまま俯いてしまった多喜に鬼灯は顔を覗きこみ、名前を呼ぶ。ゆっくりと持ちあがった顔は赤く、その大きな黒目には大粒の涙をためていた。 「絡み酒の後は泣き上戸…」 「お父さんー」 「はいはい」 性質の悪い酒飲みだと呆れていれば多喜が首に手を回して抱きついてくる。最初は驚いてはいたが、こうも続くともはや慣れてしまって鬼灯は背中を叩いてやる。肩がしめった感触がして、ああ泣きだしたと頭の片隅で思った。 「痛くない?」 「どこがです?」 「頭」 「一体いつの話ですか、それは」 多喜に頭と言われて思いつく事と言えば、この息子が誘拐されてそれを救出に行った際の傷である。確かにあの時は出血もひどく、さすがに弱りもしたが鬼の回復力を持ってすればそんな事とうの過去の出来事でしかない。もちろん痛みなんて感じるはずもない。けれど必死に痛くないかと問いかける多喜にとっては癒えない傷であるらしい。呆れを感じながらも鬼灯は彼なりに優しく囁く。 「痛くありませんよ」 「本当に?嘘じゃない?」 「もちろんです。嘘をついたら閻魔大王に舌を抜かれますからね」 肩から顔を上げた多喜の目元は赤く、指先で拭ってやれば猫のように手に擦りよって来る。 「そろそろ帰りましょうか。じきに名前も帰ってくるでしょうし」 「うん…ねえ、お父さん」 「はい?」 一旦多喜を膝から下ろし、財布を取り出した鬼灯は袖を引かれる感覚に視線を下へ向けた。袖を引っ張る多喜は赤い頬をして笑う。 「ううん、なんでもない」 ■ 格安と謳いながら、つまみや酒を数種頼めば居酒屋でも中々に値段が張る。少しばかり寂しくなった財布を懐へ直し、鬼灯は多喜をひきつれて夜道を歩いていた。 どうした事か、先ほどまで甘えていた多喜は行きと同じく彼の後ろをついてくる。鬼灯は足を止める。体ごと振り返ると多喜もびくりと肩を震わせて歩みを止めた。 「あの…」 夜風に当たって酔いが切れたのだろう、頬はまだ赤いが先ほどほどではない。見上げてくる表情はどこか堅く、それに鬼灯の眉間に皺が寄る。 「貴方、先ほどの帰りかけに何か言いたげにしていましたね。なんだったのですか?言ってごらんなさい」 「いや、その…」 「言 い な さ い」 息子相手にその形相はないと名前がいたならば悲鳴を上げていただろう。それほどの眼光で見下ろされた多喜は口をもごもごと動かして、視線を泳がせる。迷っているようだ。元より気の長い方でない鬼灯は苛々としながら息子の言葉を待つ。 そうしてたっぷり一分が経ち、多喜は恥ずかしそうに顔を赤らめて消え入るような声で言った。 「手、繋いで帰りたい」 ぎゅっと握りしめられた指先は白く、どれほど勇気を振り絞っているのかが伺える。鬼灯の返答が怖いのか目をつぶってしまった多喜に彼は眉間の皺を緩めた。そして一つため息をつくとそっと握りしめられた指先を取る。 「帰りましょうか」 大きな手と小さな手が重なり、握りしめられる。そのまま強く引けば目を白黒とさせた多喜が小走りに追い掛けてくる。 横目で盗み見た多喜の表情は恥ずかしそうで、多喜は鬼灯の視線に気がつくとすぐに俯いてしまう。けれど鬼灯には見えていた。その頬が押さえきれないように緩んでいる光景が。 鬼灯が地獄へやって来た日、息子の母親である名前は友情をもって鬼灯の手を握ってくれた。ならば、今のこの重なった手はどうか。その答えはきっと名前が笑顔で教えてくれるはずだ。 140430 |