麗かな春の日差しに照らせれた桃源郷の一角にある漢方薬局・極楽満月。今日もこの薬局では桃源郷に似つかわしくない女性の金切り声が響いていた。

「懲りないなあ…」

 桃の木から熟れた桃を収穫しながら呟くのは多喜。初めて白澤に出会った時よりすでに五百年が経とうとしている今、彼は人間でいう十六歳ほどの容姿となっていた。元々父親似である多喜は体格も良く、顔もいっそう父親に似て最近では薬局に来る女性からのお誘いも多い。けれど真面目な性分である多喜はそれを断り続け、白澤からはもったいないとため息をつかれる日々だ。

 最後の桃を籠に入れ、多喜は薬局まで帰ろうと踵を返す。多喜が父親の反対を押し切る形で中国神獣である白澤に弟子入りしてから、早十年が経とうとしていた。
 彼の師である白澤は森羅万象を司る吉兆の印であり、あの世で敵う者はいないほどの知識を有する神獣である。そんな本来神々しい存在であるはずの白澤は今日もまた見た事のない女性に殴られ宙を舞う。その姿を見つめる度に多喜は思うのだ。やっぱり俺、獄卒なった方が良かったかもと。

「白澤さん、収穫終わりました」
「謝々…て言うか多喜くん、今の僕を見て労わりの一つもなし?」
「もう慣れてるでしょう」

 それに多喜は鞭、飴は桃太郎の役目だ。

「それで今日はお香さんが薬取りに来る日じゃないですっけ?」
「そうだった!やべ、急いで準備しなきゃ」
「しっかりしてくださいよ…」
「君さ…最近あいつに似て来たよね」
「良く言われます」

 昔は嫌だったが、現在では父親に似ていると言われるのは嫌いじゃない。白澤の嫌みを華麗にスルーして多喜は薬局の中へ入る。段々と可愛げのなくなっていく弟子に口をへの字にさせて白澤もその背を追った。



「まあ、多喜くん大きくなったわねェ」
「ありがとうございます」

 そう言って自分の頭を撫でるお香に多喜は苦笑をしながらお礼を言った。五百年が経つが、お香も彼の両親同様にあまり年を取ったという印象がない。若々しい姿を保ったままの彼女は、相変わらず多喜を小さな子供と勘違いしているのか白澤が薬の準備を終えるまで、ずっと頭を撫でてくれていた。

「そう言えば、多喜くん。鬼灯様や名前ちゃんとはお会いしてるの?」
「はい、時々。たまにふらっと顔を覗かせるくらいですけど」
「そうなのォ…それはお寂しいわね」
「そうでもないと思いますよ。喜子が今甘えた盛りで忙しいでしょうし」

 父親の反対を押し切って白澤に弟子入りした手前、多喜は普段家に帰ろうとはしない。極楽満月のそばに大工だった祖父が家を建ててくれたのでそこで一人で暮らしている。食事や風呂は薬局で食べているので、実質寝に帰るだけの家だ。

「喜子ちゃん最近また鬼灯様に似てきたのよォ!将来は獄卒になるってこの前なんて亡者の頭捻り潰しちゃって」
「うわあ…」
「僕、喜子ちゃんの将来が心配だよ」

 多喜の妹である喜子は、兄とは違い容姿だけでなく性格すらも父親に良く似ている。そんな彼女が父親っ子であり、獄卒に憧れていたのは知っていたがまさか既に呵責ごっこまで始めていたとは思わなかった。
 妹は今年で人間年齢で言う十歳ほどになっていた。まだ結婚うんぬんは早いが、確かに白澤の言う通り妹の将来が心配である。

 と話込んでいる内に思っていたよりも時間は過ぎてしまい、お香は急いで地獄へ帰らねばならなくなった。笑顔で手を振って彼女の背中が見えなくなると一息つく。
 さて、今日予約のお客さんはこれで終了だし、あとはのんびりしても良いだろう。そう思ったのもつかの間、既にだらけ始めた白澤に多喜と桃太郎はお互いの顔を見合わせて大きくため息をついた。だらしのない師匠を持つと弟子は苦労をする。

「ん?」

 夕刻間近になり店じまいの準備をしている時である。何やら外が騒がしく、多喜と桃太郎は手を止めた。なんだか嫌な予感を感じるのは気のせいだろうか。桃太郎と二人後ずさりすれば、唯一状況を把握していない白澤が首を傾げる。

「ねえ、どうし…うぶあっ!!」

 嫌な予感ほど当たりやすいとは良く言ったもので、飛んできた金棒を顔面で受け止め派手な音を立てて床に倒れた白澤に多喜は頬を引き攣らせた。
 出入り口からじゃりと砂を踏む音がする。錆びついた機械なさがらのぎこちない動きでそちらを見れば鬼の形相をした鬼灯が娘片手に立っていた。

「兄さん」
「ひ、久しぶり…」

 たった今父親が人を攻撃したと言うのに表情を崩す事もなく兄に手を振る喜子は大物になるだろう素質を感じさせる。駆けよってきた妹へ返事を返していると鬼灯は落ちていた金棒を拾い上げてすう、と大きく息を吸い込んだ。

「ご機嫌いかが!?」
「悪いに決まってるだろこの朴念仁!!」

 さすがは腐っても神獣、再生能力は半端じゃない。顔面は赤いが、怪我の一つもしていない白澤は上半身だけを起き上がらせて叫ぶ。それを鬼灯は鼻で笑い、ついで多喜の方を見た。

「どうです?そろそろ諦める気にはなりましたか」
「なってません!」
「そうですか、では喜子帰りますよ」
「はい、お父さん。それじゃあね、兄さん」
「あ、おい」

 何のためにわざわざこんな所まで来たんだこの人。
 片手に娘、片手に金棒を担いだ鬼灯は背後で吠える白澤など目にも止めずにたった今粉砕したばかりの扉を潜った。そして一歩、二歩と歩んで、突然足を止める。

「ああ、そうだ」

 そのまま振り返り、鬼灯はたった今思い出したかのように口を開いた。

「たまには帰って来なさい。金魚草が寂しそうにしていますので」

 たったの一言、それだけ言って鬼灯と喜子は桃源郷を後にした。
 なんだったんだ…と多喜は放心して椅子に腰かける。横にいた桃太郎もガラス片をかき集めながら首を傾げる。これまでも鬼灯がここに来る事は時折あった。それは大抵薬の依頼などであり、今回のように何の依頼もなく帰るケースは初めてだ。
 意味の分からない父親の行動に首を傾げていると横から白い袖が伸びてくる。それが白澤の物だと知るよりも先に、指先が多喜の額を弾いた。

「いたっ」
「全く君のせいで災難だよ…て言うか、あいつももっとスマートにすりゃいいのにねえ」
「はあ?」
「分からないならいいよ」

 赤くなった額を撫でながら見上げた白澤は屈託のない笑みを見せる。父と神獣の意味の分からない行動に、ただ多喜は首を傾げるばかりだ。

140429