「貴方も私の子供なら、母親を苦しませずにさっさと産まれて来なさい!!」

 そんな鶴の一声ならぬ、父の一声が起因となったのかは定かでないが、そんな大声が分娩室の外にまで漏れ聞こえた数分後、多喜の妹は誕生した。



 笑顔の助産師に背中を押されるままに入った病室で名前は白い襦袢に身を包み、それは優しい笑みを浮かべて息子を待っていた。
 腕には白い布に包まれた妹がいる。性別を聞かされたのはつい先ほどで、多喜は緊張も露わに寝台のそばへ寄った。

「ちっちゃい…」
「多喜くんもこれくらいだったのよ」
「角、おっきいね」

 生まれたばかりの赤ん坊は猿のようだと良く聞くが、多喜は生まれて初めて見る妹にそんな印象を抱かなかった。綺麗だと思った。白いまあるい頬をした妹は母親の腕の中で健やかな寝息を立てている。その額には父親と同じ位置に角があり、それは名前や多喜に比べれば大きい。どうやらこの妹は父親の血を色濃く受け継いだようである。

「しかし聞きわけの良い子で助かりました。思ったよりも早く生まれた」
「お父さんの声、外にまで聞こえてました」
「当たり前でしょう。腹にまで聞こえるように言ったのですから」

 威張れる事ではないと言うのに鬼灯は腕を組んで、さも当たり前のようにそんな事を口にした。息子がどれほど恥ずかしかったか等、この父親の頭にはないに違いない。
 多喜はそうですか…と早々に会話を終わらせて再度妹を見下ろした。早く目開かないかな。そう思えど、寝入った赤ん坊が目を覚ます事はない。

 そうしていると扉をノックされて外から助産師が顔を覗かせた。どうやら閻魔やお香たちが仕事を抜け出してこちらに向かって来ているらしい。また仕事をサボって…と口では呆れながらも、盗み見た鬼灯の顔は少しだけ嬉しそうに感じられる。

「多喜、下へ行って皆さんを連れて来てください」
「はい」

 鬼灯の言葉に一つ返事で返し、多喜が助産師と共に部屋を去る。
 残されたのは鬼灯と、名前と生まれたばかりの娘だけだ。彼らは自然と我が子へ視線を落とす。

「貴方に良く似てます」
「多喜と言い、この子と言い良くもまあ私にばかり似るものです。せっかく女の子なのですから貴女に似れば良かったのに」
「いいじゃないですか。きっと将来は美人さんになるわ」

 美人さん、と言われても生まれたばかりの我が子にそんな将来を想像できるはずもない。返事変わりにじっと眺めていれば、何を思ったのか名前は腕の中の娘を差し出してくる。鬼灯はぎょっとしれ手を前に突き出して首を横に振る。それに名前が不満げな顔をした。

「なぜ抱いてくれないのですか?」
「…抱き方が分かりませんので」
「そんなの私が教えます」
「それだけじゃない、小さいでしょう?力の加減も分からないまま抱いて潰したりでもしたらどうするつもりです」
「心配性ですね…」

 我が子はただの子供ではない。鬼の子だ。しかも父親は鬼神で、母親は雪鬼とのハーフで元獄卒。鬼灯が多少力を込めたとしてもそう簡単に潰れたりなどするばずがない。
 無表情を崩さぬまま全力で拒否をする夫に名前は苦笑をして体を起こす。そして鬼灯の制止を聞かぬまま彼の腕へ子供を押し付けた。そうすれば鬼灯も抱かぬわけにはいかない。見よう見まねで首を腕で支えてぎこちなく腕に抱く。

「軽い、ものですね」

 初めて抱いた生まれたばかり娘は、想像していたよりもずっと軽かった。風に吹かれでもしたらすぐにでも消えてしまいそうな儚さを感じさせる。

「多喜は、この子よりももう少し軽かったですよ」
「そうですか…」

 一度抱けば、離すのが惜しくなってしまうのは親の性なのだろうか。
 指先を娘の小さな手に当てる。ぎゅっと握り返してきた。軽い体につり合わぬ強い力は、我が子がここで生きている事を痛感させた。指先を折り曲げて握り返しながら鬼灯は目を伏せる。

「親とは、こうしてなるものなのですね」
「え?」
「私は多喜が生まれた時そばにいる事が叶わず、私自身親を知らないものでこれまで想像の中での父親を演じるしかなかった。けれどこうして我が子を腕に抱くと、分かる気がします…親とは、こんな気持ちなのですね」

 これは形容しがたい感情だ。言葉などでは言い尽くせない、今まで感じた事もないようなむず痒い感情。今にも胸の奥に手を突っ込んで掻きむしってしまいたいとも思うし、このまま暖かさを感じていたいとも思ってしまう。

「何としてでも、子らを守ってやらねばとそう思います」
「頼もしいお父さんですね」
「もしこの子や多喜に危害を加える者が現れれば、金棒で殴り潰すだけでは飽き足りませんよ。地獄以上の地獄を見せてやらねば…」
「あ、貴方…獄卒流の英才教育するのは止めてください」

「ああ、それと」
「はい?」
「この子の名前は喜子ですから。私が三日三晩寝ずに考えたのです、これ以外は認めません」

 随分と勝手な話だ…さすがに呆れを感じて名前は「はあ」としか返せない。けれど鬼灯はそんな妻の様子など意に反さず、バタバタと近づく足音に耳を澄ませている。そして大きな音を立てて扉が開かれ、閻魔の巨体が室内に入って来た瞬間彼は、金棒を投げつけた。

「ちゃんと消毒してから入って来い!!」

 もちろん喜子を抱いたままで。閻魔が倒れた瞬間、名前を含め多喜やお香たちの声にならない叫びが上がる。
 心配になった面々は閻魔を踏みつけながら、たった今名付けられたばかりの喜子を覗きこむ。

「あ、笑ってる…」

 そんな呟きをしたのは多喜だ。彼らの視線の先の喜子はこんな事があってなお父親の腕の中で可愛らしい寝顔を見せている。しかもその口の端は持ちあがり、笑っているように見えた。
 驚きに目を丸くした妻や子、同僚達に鬼灯は胸を張り、言い放つ。

「当たり前でしょう。私の娘ですよ」

 その自信に満ち足りた声に名前は笑う。それはもう幸せそうに、優しい笑みを浮かべて。

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