「良く似合うわァ…名前ちゃん」
「お香ちゃん、これは一体…」

 化粧道具を片手にうふふと妖艶に笑う幼馴染に名前は今にも泣きそうな顔をして問いかけた。現在名前がいるのはどこかも分からない桃源郷のとある家屋の一室。昨晩自宅で親子三人川の字で寝たはずが、起きたらこの部屋にいた名前は数時間が経った今でも状況が掴めていない。
 なんで私は、お香ちゃんに化粧されているんだろう。なんで私の髪を知らないオカマの人が結っているんだろう。なんで、私は純白のウエディングドレスを着ているんだろう。

「さ、もう時間がないわ。旦那様が待ってるわよ」

 なんで閻魔様が笑顔で手を差し伸べているんだろう。



「おいおい鬼灯、せっかくの日に仏頂面は止めろよなあ」
「誰のせいだとお思いで?」

 ぎろりと並みの獄卒では震えあがってしまうほどの眼光を一身に受けた烏頭は今日のために整えていた髪をがしがしと掻く。腕を組んでいらつきを隠そうともしない彼の幼馴染は、常の道服ではなくグレーのタキシードに身を包んでいた。普段は下ろしている前髪も無理やり撫で上げて、現在は白い額が面に出ている。
 黙っていれば嫌みなくらいに男前なのだが、いかんせん表情が頂けない。茶化し半分で口にした言葉が裏目に出た事を悟った烏頭はその肩に腕を乗せて自身の肩を竦ませる。

「ま、さすがのお前も驚くのも無理はないわな」
「明け方突然押し掛けて来て拉致されたとあっては、誰でも驚くと思いますけど」
「そう言うなよ…これだけお前を慕ってくれてるって事だ。ありがたく好意をいただいとけって」

 そう言う烏頭の視線の先にはにこやかな表情をして長椅子に腰かける見慣れた面々。一体どうスケジュールを合わせたのか中には某桃のアイドルもいる。
 その面々の顔を一通り眺め終えた鬼灯はため息をついて髪を掴んだ。せっかく撫で上げた髪のひと房が顔面にかかる。

「本当に迷惑なほど有り難い話ですよ…」
「そうそう…って、お。来たみたいだぜ」
「は?なにが」
「お前の花嫁」

 さも当然のように言い放った烏頭が自身の席へ戻って行くのを見送り、鬼灯は小さくため息をつく。自分がこの状態なのだから、名前はますます混乱しているだろうと頭の片隅で考えた。きっと今にも泣きそうな顔をしているだろうから、状況を説明して…とこれからの事を考えていると、後方の扉が開く。
 まず目に飛び込んだのはにこやかな表情をした閻魔大王だ。主役より目立ってどうするこのメタボ大王。内心ツッコミを入れていると来賓の面々が感嘆の声を上げているのに気がついた。鬼灯は閻魔の横へ目を向ける。そして息を飲んだ。

 純白のドレスに身を包み、閻魔にエスコートされる名前は緊張した面持ちをヴェールの内側に隠して一歩一歩とこちらへ歩み寄って来る。距離が限りなく近くなり、閻魔の手から名前の細い腕を引き取ると鬼灯はその身を引き寄せてその顔をまじまじと見つめた。

「随分とまあ…」

 念入りに手入れされたようですね、なんて言葉は声には出さない。今にも倒れてしまいそうなほど顔面蒼白な彼女にそんな言葉をかけたならば、逃げてしまいかねないからだ。続きを喉の奥で押し止めて震える指先を握りしめる。
 潤んだ瞳が鬼灯の顔を見上げて何か言いたげに唇が戦慄いていた。聞こうと耳を澄ませる。

「ごめーん、遅くなったー!」

 が、そんな努力を空気を読まずにぶち破った存在がいた。
 祭壇の後ろのドアから躍り出て来たのは、鬼灯にとっての天敵。白い豚。神獣白澤。

「せいっ!!」

 鬼灯は反射的に裏手を喰らわせる。ぐふ、などとうめき声を上げて白澤の白い体が宙を舞い、鬼灯たちの背後へと顔面から倒れ込んだ。

「なぜお前がいるんだ極楽蜻蛉」
「閻魔大王に頼まれたんだよ…お前らのために神父役してくれ、って!」
「ああ?」

 なんだその有難迷惑すぎる依頼は。鬼灯の鋭い視線が後方にいる閻魔へ向けられる。巨体を揺らして閻魔は大きく首を横に振ったが、この一件に深く絡んでいるのは明らかだ。ゆらりと鬼灯が祭壇を降りる。まずい、誰もが思った。

「は、はーい!それじゃあ神父様も到着された事だし、まずは指輪交換と行きましょうかァ」

 こんな時こそ淑女の余裕が発揮される。マイクを握ったお香は明るく式を進めようと、満面の笑みを浮かべて扉の方て指先を向けた。

「指輪を持ってきてくれるのは、お二人のお子様多喜くんです」
「「え?」」

 いかな場合に在ろうと、息子の名前には反応してしまうのが親の性だ。二人そろって扉の方向を見つめれば、確かにそこには彼らの愛息子の姿があった。
 母親に負けず劣らずの緊張した面持ちで、子供用の燕尾服を着た多喜は白い箱を運んでいる。ゆっくりと小さな体が近づいて、二人の前で止まった。黒い大きな瞳が二人を見上げ、ズイと箱を差し出される。さすがに息子を拒否など出来るはずもなく、咄嗟に箱を受け取った二人は中を見て、多喜を見下ろした。
 クッションに半分埋まるようにしてサイズ違いの指輪が二つ仲良く置かれている。品の良いシルバーのシンプルなそれ。鬼灯はもちろんの事、名前も買った覚えはない。両親の視線に多喜は後ろ手に手を組んで何やら恥ずかしげに口をもごもごと動かした。耳を澄ませると小さな声が聞こえる。

「その、ごめんなさい。皆と一緒に俺が選んだんです」

 ああ、なんて事。
 鬼灯が額に手を当てる横で名前は手に持つ花束へ顔を埋めている。何やらその肩は小刻みに震えており、途端に心配になった多喜は母親の腕を引く。さすがのお香も事の成り行きを見守っているようでマイクを握り締めたまま心配げな視線を送っていた。

「お母さん、泣いてるの?」
「違う…違うんです…」

 しんと静まり返った空間に名前の掠れた声が良く響く。花束に顔を埋めたままの彼女は、一つしゃっくりを上げるとその場に膝をついた。そして自分の腕を掴んだままの息子の体を強く抱きしめる。

「貴方が、私たちのために選んでくれた事がとても嬉しいの」

 母は多喜の心配通り、綺麗に化粧をした顔を涙ぐしゃぐしゃにして泣いていた。けれどそれが、辛い嫌な感情から来たものでない事は分かるから多喜は慌てない。だってお母さんの腕はこんなにも優しい。

「名前」

 母親の腕の暖かさに頬を擦り寄せていれば、すぐ横から最近になってようやく慣れてきた低い声がした。視線を投げる。涙を流す妻の目尻に指を這わせる彼の父親は、穏やかな表情をしていた。鬼灯は、一頻りその涙を拭うと名前の腕を引いて立ち上がる。そして引き摺られて立ち上がった名前の肩を引き寄せる。

「私は神なんかの恩恵は欲しくありません。特にそこで伸びている駄獣の物ならば尚更だ。ですので、勝手に誓わせていただきます」

 あ、誰かがそんな短い声を上げた。それは、すぐそばで見ていた多喜だったのかも知れないしマイクを持ったお香や、たった今持ち直した白澤であったのかもしれない。
 息子の目の前で唇を合わせた二人の顔がゆっくりと離れる。唖然とする面々と自分達の息子に名前は恥ずかしそうに俯き、対して鬼灯は満足気な顔をしていた。

「名前と多喜は私が幸せにしてみせますよ」

 鬼灯の指には何時つけたのか多喜が選んだ指輪が光る。ハッとして花束を持つ母の左手の薬指を見れば。そこには同じように指輪が嵌められ美しい光を放っていた。

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