「回来了、鬼灯!」

 扉を開けてすぐ体当たりを決めて来たのは黒いモフモフとした動物だった。片手でそれを抱き寄せる鬼灯からすれば、猫と変わらない大きさのモフモフに体当たりされても少し何かにぶつかったかなあくらいである。
 指先で首元を撫でればゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄って来た。可愛い、癒される。やっぱりあの白豚に返したりしなくて良かった。

「良い子にしていましたか?」
「もちろん!鬼灯がくれた本読み終わったよ!」
「偉い偉い、褒めてさしあげましょう」

 雑多に置かれた書物の間に出来た細い道を通り、奥に置かれた寝台へ座れば開かれたままの書物が目に止まる。本の題名は『拷問の勧め―入門編』。そこまで分厚くはない本だがこれを一日で読み終えた事は素直に凄いと思う。自分が獄卒になった当初に読んでいたそれを懐かしさを感じながらパラパラと捲る。

「我々獄卒の使命は」
「亡者を呵責し、更生すること」
「鬼たるもの」
「残虐非道で然るべき」
「素晴らしい」

 しかも内容も暗記済みとくれば言う事もない。思わずと言ったように拍手を送ればモフモフが嬉しそうに体を震わせて体を擦り寄せて来た。可愛い、本当に可愛い。抱き上げてその柔らかさに顔を埋める。するとモフモフ擽ったそうな笑い声を上げて徐々に形を変えた。数秒後、鬼灯の腕の中にいたのはモフモフではなく裸の黒髪の少女。にっこりと微笑んだ彼女にはあ、とため息をついて腕を離す。しかし少女は離れる気がないらしく裸のままの胸を彼の腕へ押し付けるように抱きついた。

「何時も言っている事ですが、いきなり人型になるの止めません?」
「対不起、でもおっきいと私からも抱きしめられるから好きなの」

 本当に嬉しそうな少女を腕に纏わりつかせたまま鬼灯は箪笥から洗濯済みの襦袢を取りだす。振り返り肩からかけてやれば、素直に腕を通した。

「ほら、両手を少し上げてしっかり立ちなさい」

 袖を通すまでは出来るが、帯を結ぶ事は出来ないと知ったのは彼女が人型を取れる事を知った日の夜の事だった。男物の帯であるが、前を隠せるならば充分とほっそりとした腰へ巻き付け、前で簡単に結んでやる。こうすれば見ている内に覚えるだろうと毎日しているのだが、鬼灯に着付けてもらう味を占めた彼女に覚える気配はない。
 ニコニコと笑顔を崩さない彼女は鬼灯が立ちあがるとすぐに、抱きついて来た。片手で抱き返して背中を叩いてやる。

「そう言えば白澤様から連絡が来たの」
「内容は?」
「帰っておいで寂しいよって」

 嘘に決まってるじゃんねえ、と笑い声を上げる。自分の大元、親ともいうべき存在に対しての態度としては不遜極まりないのだが相手があの偶蹄類である以上、同情もしない。むしろその通りだと頷いてみせる。
 あの色情魔の事、寂しいと言っておきながらどうせ今も女性を連れ込んでファイト一発しているに違いないのだ。

「くろは寂しくないのですか?」

 それを分かっていながら口ではそんな問いをする。自分でも馬鹿らしいとため息をつきたくなるがくろが鬼灯に着付けてもらう事に味を占めたように、鬼灯もまたこれに味を占めているのである。

「私は鬼灯がいるから寂しくないよ」

 彼女は、くろは鬼灯が欲しい言葉を何時だってくれる。それは麻薬のように甘くて優しい。今日もまた与えられた言葉に満足を覚えながら鬼灯は自身の帯を解き、道服を肩から流し落とした。そして寝台に腰かけたままのくろの横に体を滑らせて彼女の体を抱き寄せる。彼女は分かっていたように身を預けると、あの黒いモフモフの姿へと戻った。

「晩安、鬼灯」

 そしてモフモフは慣れた様子で彼の唇を一舐めすると丸くなり、そのまま寝息を立て始めた。唾液で僅かに湿った唇を指先で撫で鬼灯もまた目を閉じる。
 この黒いモフモフが鬼灯の元へ来てから数日、今日も鬼灯は仕事の疲れを彼女によって癒す。

140506